ないしょ話
ひょう、劈くのは風の音。
風に押された軒や壁が、膨らんだり軋んだりして暴れているのだ。口笛に似た音は甲高く、あらゆるものの隙間を抜け、木々がざわめいている。地面でカラカラ旋回しているのは、きっと枯葉。伝わる冷えた静けさが、季節を秋と告げている。
秋の風と枯葉を踏んで、誰か歩いていた。下駄の音はちらかって、恐らく履物が足と合っていない。引き摺る下駄の音が止んだ。
「ジンちゃん」
次に聞こえたのは少女の声。音域の高さと弾みに、幼い顔の微笑む様が浮かぶようだった。
「この櫛。お前のだろう? さっきここに落ちてたぞ」
『ジンちゃん』が言う。
「あ……!」
「この前、兄ちゃんが買ってくれたって言ってたじゃないか。無くしたら大変だろ」
「ごめんなさい」
「どうして家に入らないんだ?」
「……」
「……また叩かれたのか」
心配そうなこちらも、まだ少年であるようだった。
「雑巾がけが下手だって。遊んでるなら外へ行けって」
「それで家を出されたのか」
話し合っている二人が居るのは、建物の裏でもあるか。人通りも少なく、往来からは見えない場所だろう。声を潜めて少年は言った。
「もしかして、また晩飯も抜きか?」
「仕方ないよ。あたしが悪いんだもん。それに、兄ちゃんが癪を起こして大変なときだったの」
もどかしく捻じれる風音に交え、少女は誰かを庇うように答えた。
雑巾がけが下手だった少女は、苛立っていた大人に怒りをぶつけられ、文字通り家を叩き出されたらしい。そのとき、櫛が落ちたのだ。そしてしばらくは近所をうろついていたけれど、黄昏となり戻ってきた。しかし無力な少女は『家』の戸を自らの手で開く事も、入れてくれと戸を叩く事も出来ず、軒先に蹲っていたのだ。
「……オレとお前と、貰われ先が逆だったら良かったのにな」
「そうしたら、ジンちゃんが叩かれたかもしれないよ」
少年の呟きに、少女が答えている。
「ジンちゃんの今の家は、やさしいんでしょう?」
「うん……あの家より、ずっと良い。飯もたんと食わせてもらえる。オレの着物も、布団もある」
声が小さくなった『ジンちゃん』は、どこか後ろめたそうだった。
「だったら、ちゃあんと孝行しなくっちゃ」
少女の方が、相手を励ます。
「あのね、あたしも今の家の子になって良かったよ。こんな立派なお店の子にしてもらえて、白いご飯を毎日食べられるんだよ? 赤い飴も、きれいな櫛も、おもちゃもあるよ? 幼馴染のジンちゃんも、ご近所に居るんだから。それに、娘が欲しいっていう家は少ないんだよ。お女郎にならずにすんだだけ、運が良かったんだって、おっ義母さん言ってた」
無垢な声は舌足らずに誇らしげだった。
「風邪ひくぞ。家に入れ」
少年が言う。でも少女はこれに対し、「うん……」と頼りなげな返事をするだけで、動いた様子はなかった。
「大丈夫だ、もう怒ってない。家の人に、オレが話してやるよ」
今度は少年が、少女を元気付けようとする。ささやかな助勢に勇気を得たようで、次の「うん」という返事は、先程より力があった。
「困ったことがあったら、言うんだぞ。何もしてやれないけど……」
「ううん。そんなことない。居てくれるだけでうれしいよ」
ふつうの子供の笑い声がして、少年がホッとしたように笑い返す気配があった。
「これからも、がんばろうな」
「そうだね、がんばろうね」
やさしい誓いが交わされる。
いつか、帝都の片隅で。
この契りを聞き過ぎていった秋風は、今頃どこで鳴いているだろう。




