霊験
「『子授けの神通力』がおありなんでしょう?」
「それも、大層な霊験だって!」
襖を蹴破り、部屋へ雪崩れ込んできた女は全部で六人だった。いずれも商家の女といった装いで、年齢は二十代から三十路辺りと思われた。痩せたのから太目なのまで様々いたが、それらの口がほぼ同時に喋りはじめる。
「お願い申し上げます、どうかこの身に子を授けて下さいまし。お礼ならこちらに」
「コレ、あたしが先だよ! 後生でございます、どうしても跡継ぎを生まなけりゃならないんです」
「私など子が出来ないばかりに、夜毎眠れぬほどの苦しみを味わっているのでございます」
「舅姑だけでなく、もはや亭主にも妻として扱われません」
「哀れと思召してどうか、どうか……!」
両手を畳についたり手を擦り合わせたりして、女たちは叫んだ。狭霧は呆気にとられ、雪輪は多少目を瞠るも動かない。今日初めて会ったはずなのに、いずれの女の目も迷うことなく雪輪を見ていた。
「どこで、神通力の話を?」
小刻みに震える娘は冷徹な声で尋ねる。異様につり上がった漆黒の眼差しに見つめられ、身を乗り出していた女たちの勢いが止まった。それぞれ息をのみ、促し合ってその場に座り込む。
「く、薬売りから聞いたんですよ」
「薬売り?」
尋ね返した娘の言葉を振り切り、一人が膝をぐいと前へ出した。
「そんなのどうでも良いじゃありませんか。それより、アンタがお腹に触ると、それだけで赤ん坊を授かるんでしょう?」
「昔そういう話しはあたしも小耳に挟んだ事はあったけど、貴女様のことだったんですね!」
「サァ勿体をつけないで下さいましよ。ねぇ?!」
再び大声を上げる目は興奮し、どれも血走っている。必死な形相の女達の前に、狭霧が割り込んだ。
「待ってください。『神通力』など、そんなものは全て迷信です」
姉を背に庇い、少年は毅然と言った。
「ええ?」
「アンタ何なんだい?」
「弟です」
相手を落ち着かせようと、狭霧はゆっくり喋っている。
「姉は迷信深い人々によって、『神通力』があるという事にされていただけです。少し考えれば、おかしいとおわかりでしょう? 腹に触っただけで赤ん坊が産まれるなどと、そんな話が……」
滔々と、現実的な言葉を並べた。しかし
「諦めさせようったって、そうはいきませんよ!」
鋭い声と猜疑の眼差しが、少年の言葉を遮った。
「幾ら欲しいんです?! もっと金を積めって言うなら、きっとお納め致しますから」
「そ、そうではなくて……」
更に詰め寄られ、狭霧の方が困惑した顔になる。
この女達はどうしても縋りたくなる、何か切実な事情があるのだろう。それは雪輪もわかった。その時。
「もう良いよ! アンタの手を貸して! 触ればいいんでしょ?!」
最も年嵩と見える女が立ち上がり、狭霧を押しのけようとした。その女の足へ、他の女達の手が次々としがみつく。
「何言ってんのさ、あたしが先だってば!」
「あたしだよ!」
金切声で怒鳴り合い、着物の裾や袖を引っ張り合って互いの髷や腕を鷲掴み、女たちは取っ組み合いを始めた。
「やめ……っ!」
咄嗟に声を上げた刹那、雪輪は部屋がぐにゃりと傾いた気がした。
瞬間、襖や壁へ、九十九神の真っ赤な目玉がぎょろっと現れる。いつぞやの道端で見たのと同じ光景だった。そして膨大な数の目玉は、女達の方へ襖や天井板ごと飛びかかり
「きゃあああ!」
悲鳴と共に天井板や襖が、女達の上に倒れ掛かる。濁った白い埃で、部屋中が霞んだ。そこへバタバタと階段を駆け上がってくる足音がして
「どうなさいました?!」
おちやが、みどりを連れてきた。めちゃめちゃになった室内と、襖の下になっている女たちを見下ろし、みどりは目を剥く。
「ちょいと! ご新造方、お気をしっかりなさいまし! 弥十郎! 来ておくれ!」
階下へ向かって下男を呼び、のびている女たちを揺すったり頬を叩いて回る。傍らで半分腰を抜かしている狭霧と、動かない雪輪へ振り返り
「ここは良いから、アンタ方は一先ず下に降りてなさいな!」
言って、駆け付けた弥十郎と力を合わせて新造たちを介抱しはじめた。
「若、ひいさま、こっち!」
廊下から呼びかけるおちやの声に引っ張られるようにして、二人は荷物を掴むと部屋を抜け出し、転がるように階下へ向かった。
「おちや、あの人たちは何だ?」
旅籠の玄関へ向かいつつ狭霧に問われ
「知らねぇよ! 近所の人達らしいけど。うちはさ、この店で世話になるのも最後だからと思って、玄関の掃除してたんだ。そうしたらいきなり押しかけてきて……」
おちやもわけがわからないといった顔で眉をひそめていた。
「子授けの神通力のことを知っていました」
玄関まで辿りつき、呟いた雪輪へ狭霧も頷く。
「誰に聞いたんだろう? こんな離れた土地まで? それに、どうして僕らがここに居ると知っていたんだ?」
狭霧が唸る。この宿場町にも一時、『変な旅人』の噂は流れていた。でも山内屋に滞在していた数日間に、いつの間にか噂は消えていた。
「薬売りに聞いたと話していました」
「薬売り……?」
自らの震える腕を抱いた雪輪の言葉を聞き、おちやは驚いていた。
「とにかく、話が通じる様子ではなかったな」
二階の方を見上げ、狭霧が眉間の皺を深くした。先ほどの騒動を思い出し、おちやも不安げな顔になる。
「ねぇ、早いとこ、ここを出よう。挨拶もしないなんて申し訳ねぇけど、宿代はもう払ってある事だし……」
そう言って、逸早く土間へ飛び降り草鞋を履き始める。頷いた雪輪達も、足元の旅支度を整えた。そこへ
「おや?」
と、男の声がした。山内屋の戸を潜り、入ってきた人影。三人が見ると、外光を背にして壮年の男性が立っていた。なで肩に、白髪の多い髪。細い顎と垂れ気味の目。鈍色の紬の小袖と羽織。おちやがハッと気づいた顔になった。
「あ! も、もしかして……ここの旦那さん?」
田舎娘が上ずった声を発する。すると
「お、お前さん……?! どうして」
二階から降りてきていたみどりが、階段口で立っていた。驚いている妻に、山内屋の主人は軽く息を吐く。
「主人が家へ帰ってはいけないかね? それより、何があった? そんな大勢で」
みどりの背後に居並ぶ女達を眺め、怪訝そうに尋ねた。近所の女達は先ほどよりは幾分落ち着いた様子で、階段上から階下を覗き込んでいる。
「そ、それは……その……うっ?!」
夫へ事情を説明しようとした途端、みどりが突然口元を手で覆い蹲った。
「女将さん?!」
階上にいた女三人が階段を駆け下り、みどりの肩を支える。
「どこかお悪かったんですか?」
「アレ、腕がひどく熱くなってるじゃないの」
「い、いえ、何てことありませんよ。ただ急に、眩暈が……」
そう答えたものの、胸を押さえてみどりは苦しげだった。亭主は不安な表情で妻を眺め、佇んでいる。と
「……ちょいとお聞きますけどね、女将さん? アンタもしかして最近、こういう風に体の具合がおかしくなることが増えてるんじゃないのかい?」
山内屋の女将の肩を支えていた女の一人が、相手の目を覗き込み問い質す。
「ええ。この二、三日。少し風邪気味なんですよ」
苦笑いして、気丈な女は答えた。でもそれを聞く相手は、相槌も打たない。
「他にも、お腹がちくちく痛んだり、足の付け根が痛んだりしてやしませんか?」
質問を続ける。みどりは顔に微かな当惑を浮かべた。否定をしない。つまり肯定だった。その様を見た女は力強く頷き、頬を紅潮させてみどりの肩を強く掴んだ。
「アンタそれ……悪阻ですよ!」
「え?」
目を見開いたみどりは、身体を強張らせる。
「ば……馬鹿なこと言わないでくださいましな。まさか、この歳で……!」
衆人環視の中、山内屋の女将は掠れた声で言い返したものの
「そのまさかなんですよ! アンタお腹に赤ん坊がいるんですよ!」
顔中を笑みでいっぱいにして、女は言う。
「そうさ、間違いないよこれは!」
「うちの妹や親戚の時も、こうだったんだから!」
他の女達も叫び、同様に頷いていた。
周りを見回したみどりは一度身震いして全身硬直した後、へなへなと座り込む。顔からは血の気が失せ、目は虚ろに淀んでいた。雪輪達は成す術も無く、入口の亭主と女達とみどりとを順繰りに見て、土間で立ち尽くす。
「旦那、ようございましたねぇ! きっと念願の跡取りでございますよ!」
「子授けの神通力のお陰ですよ!」
階下に集まりみどりを取り囲む女達は手を叩き、店の主人とその妻を喧しく祝福した。
「神通力……?」
「ええ、こちらのお方にお腹に触っていただいた女は、たちまち身籠るんですよ!」
歓喜の声でそう説明する人々の前で、山内屋の主人は突っ立っている。やがて、床に座り込む妻を見下ろした。
「みどり……? そうなのか?」
問いかける夫の口元は引きつり、青褪めていた。みどりは俯き、双方沈黙している。
「そうなんでしょう、女将さん?」
「年増でも何でも、おめでたなら喜んでいいじゃないですか! 今更隠さなくったっていいんですよ!」
女達の歓喜の声に答えず、みどりは石の如く動かない。それが、突然右手で雪輪をすっと指さし
「ええ……実はそちらの方に、子授けのご祈祷をして頂いたのです」
床から目を逸らさず、そう言った。人々の視線と注意が、一気に雪輪へ注がれる。
「な……?」
荷物を強く抱え、雪輪はじりりと後退った。
「やっぱり! 霊験あらたかとはお聞きしていましたけれど、大したもんだよ!」
「触れただけで子が宿るってねぇ!」
「サァサァ、次はあたしにもお願い申します!」
「あたしも!」
『霊験』を目の当たりにした女達は、再度口々に叫び始めた。先を争い雪輪の元へ駆け寄ろうとする。だがそれより僅かに早く、雪輪の手を引っ掴んだ狭霧が、店の外へと飛び出した。
「狭霧?!」
「逃げよう姉上! 神通力はもうたくさんだ!」
狭霧は姉の手を引っ張り、日が上った街道を南へ向かって走り出す。走るのが得意ではない雪輪は、転ばないようにするだけで精一杯だった。
「ま、待ってぇ、若! ひいさまぁ!」
遅れて、おちやがつんのめりながら追い付いてくる。
「誰かあ! その人を捕まえとくれぇ!」
「何で?! どうしてよぉ! 何で助けてくれないんだよぉ!」
悲鳴とも怨嗟ともつかない声が、三人を追ってくる。しかし雪輪達は振り返らず、ひたすら街道をひた走った。諦めきれない女の声が、どこまでも追ってくる。間もなく宿場の南端へ来たところで、狭霧は建物の陰に転がり込んだ。
「ここで一旦別れよう。僕が囮になって時間を稼ぐ。その間に出来るだけここから離れて下さい」
手短にそう言い、しっかり握っていた姉の手を放した。息を整え、荷物を体へ括り付けはじめる。雪輪の上っ張りを頭からかぶった。これ以上早く動けない雪輪のため、時間を稼ごうというのだ。おちやが慌てて尋ねた。
「うちは? どうしたらいい?」
「おちやは姉上と行け。このまま街道を行くと見つかりやすい。街道は離れろ」
「じゃあ、どうやって帝都に行くんだ? 街道のほかにも道はあるみてぇだけど、若も詳しく知らねぇだろ?」
おちやは心細そうに眉を下げ、動揺している。狭霧はちょっと考える顔になった。
「舟にしよう。舟の方が早い」
「船賃は?」
「何とかする。落ち合う場所は……」
「M川の下流に、Y町の渡場があったはずです」
雪輪が言うと
「うん、そこがいい。先に近くまで行ってくれ。必ず追い付くから」
大きく頷いた。そして建物の陰から道へ走り出そうとして、一回振り返る。
「気を付けるんだぞ」
言い置いて、女物の上っ張りを翻した少年は姿を消した。
狭霧を見送った雪輪達は、それからしばし建物の陰で様子を伺っていた。そして僅かに人が途切れた隙に、町の裏へ続く路地に飛び込む。緩やかに婉曲した細い道は、川沿いの土手へ続いていた。その細い道を、いくらか進み始めた時だった。
「バア!」
娘たちの前へ、空から音もなく大きな白い物体が降ってきた。おどけた声で道を塞ぐ。おちやが「きゃっ」と叫び、雪輪の後ろに隠れる。
降ってきた白いモノは、ずんぐりむっくりな姿をしていた。深く被った笠に白い着物。同じく白の手甲と脚絆。背中には大きな柳行李を背負い、手は毛むくじゃらで爪まで真っ黒。そんな白尽くめの人はゆっくり立ち上がると
「見ぃつけた」
そう言って、笠の下で並びの悪い歯を見せて笑った。
「やっと出てきて下さいましたねぇ。猿神の家へ逃げ込まれた時は、どうしたものかと思いましたよ」
にやにや笑って、奇妙な白尽くめは話しかけてくる。甲高くも潰れたみたいな声は、どうやら男であるらしい。こちらを知っている様子。雪輪は相手を見据え、身構えた。
「何者です? もしやお前があの人々に、『神通力』の事を話したのですか?」
雪輪は尋ねる。問われた男は、右手の爪の先で自らの丸い顎を掻いた。
「ハハァ……そういえば売薬の世間話のついでに、そんな話しも、ちょいとばかり致しましたかねぇ?」
小馬鹿にした風な口調で答える。隠れていたおちやが前に飛び出し、怒鳴りつけた。
「お前が薬売りか! どういう了見だ?! どうしてそんないらねぇことしやがった!」
すると、笠の下にある口元のにやけ笑いが掻き消えて
「決まっておりましょう? そちらのおひい様に、『針の先』となって頂くためでございますよ」
白尽くめの薬売りは語る。「はりのさき?」と眉を寄せるおちやの横で、雪輪は凍り付いた。
「……そなた、名は?」
常に細かく震え続ける娘の問いに対し
「ヘェ、『土々呂』でございます」
笠を下げ、土々呂は軽やかに名乗る。
「土々呂……」
それは街道で烏天狗たちに追い払われていた、白い影の呼び名だった。『気を付けろ』と言っていた、雲竜の言葉。
「こいつめ! もし次またおかしなことしやがったら、タダでおかねぇぞ!」
杖を振り回し、おちやが土々呂を追い立てる。
「ヒヒヒ、おお怖」
狭い路地で器用にひょいひょい立ち回り、大きな柳行李はおちやに追われて逃げていった。おちやは土々呂を追い払った後、杖の先で腹立たしそうに地面を叩く。
「ひいさま、ぐずぐずしてる場合じゃねぇべ。行こう!」
促された雪輪は、「ええ」と小さく頷いた。




