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兆し

 斜陽が差し込む竃の前で、雪輪は鍋を掻き回していた。そろそろ弟が帰ってくる頃だと、外へ視線を向ける。しかし格子越しから見える夕景に、それらしき人影は無かった。


 狭霧は二時間ほど前に出掛けた。里の古老たちへ、挨拶に行ったのだ。半ば強制された挨拶回りに、狭霧は不快を隠していなかった。でも里の『仕来り』として、割り切ったようである。

「これさえ済ませれば里を出られる。そう考えれば、辛抱出来ます」

 そう言っていた。湾凪家の嫡男と故郷の別れは、ひどく冷ややかなものとなりそうだった。


 御室の里の住人と湾凪家は、元を辿れば同族である。神代の昔話では、同じ一族だったとされる。その棟梁が長い長い留守の果てに故郷へ戻り、わずかの年月しか経っていない。もはや関係の修復は叶いそうもなかった。こんな事態になると、御先祖達は想像していなかったろう。


――――始まりは、『霧降』の紛失か。


 漂う味噌汁の湯気を眺め、雪輪は考えるとなく湾凪家の『失態』を思い出していた。


 御室の山の頂上には、『要岩かなめいわ』がある。

 そして要岩の傍らに、苔むした白い石碑があった。『御家紋石ごかもんいわ』と呼ばれている。


 この御家紋石の中央には石を組み合わせ、“九曜に陰六角と割れ四つ石”という、湾凪家の家紋が作られていた。これがからくり仕掛けとなっており、石碑の中にはかつて『御神刀』が納められていた。御神刀の名を『霧降』という。


 霧降の細かい形状や、作られた年代は不明だった。石で出来た白い太刀とのみ伝えられている。霧降はムミョウサマを眠らせる封印であり、御室の山が常に濃い霧で覆われていたのは、御神刀が妖しい霧を発していたからだといわれていた。


 雪輪が五歳のとき、守られていたはずのこの御神刀が盗まれたのである。

 発覚するまでの経緯がおかしかった。まず里から一番近い宿場町で、噂が流れたのである。噂話を最初に拾った平蔵の聞いたかぎりでは

『白い石の刀が、帝都で高値で売れる』

との噂であったという。


 そして幼い雪輪が鬼に遭遇した後、山に入って父が調べた御家紋岩には操作した痕跡があった。驚いて鍵を開くと、安置されていたはずの御神刀が消えていたのである。


 噂が災いした、余所者が盗んだに違いないと里人達は動揺した。

 特に老人たちは、『ムミョウサンの封印が解けた』と震え上がった。霧降が消えたのと、雪輪が鬼に出会い身体に異常の現れ始めたのが、ほぼ同時だったためである。加えて雪輪は間もなく、『子授けの神通力』の奇跡をも示すようになった。


 もっとも雪輪の両親は当初、娘の身に起きている事象の要因を、山の神とはしなかった。

「雪輪をかどわかそうとした者が、口を封じようと何かの毒をふくませたのだろう」との見解を示した。だがそれらしき人物は見つからず、山狩りも無駄に終わる。残るは身近な人間の可能性だが、それを調べるのは苦痛と困難を伴った。


「九之丞様は、里の中に不埒者が潜んでおると、そう仰せでごぜぇますか」

 四郎左ヱ門などは、そうまで言って詰め寄った。こんな反応があると思っていなかった父は、後で随分苦労をしたと、雪輪も母から僅かに話しだけ聞いている。


 関係の致命的な決裂を避けるため、雪輪の両親は犯人探しを諦めた。里人達も御神刀の紛失と湾凪家の過失について追求を避けた。『ひいさまはムミョウサマに魅入られた』として、事件は決着した。しかし地下水脈のように、疑心暗鬼は広がっていたのだろう。


 そういった人心の複雑さに気付かず、雪輪は子授けの神通力を使い続けた。

 

 幼い頃、雪輪は人々から乞われるまま、求められるまま『子授け』をしていた。

 神通力や無名様は、何だか怖い。自分が持つとされる『力』の仕組みもよくわからないし、両親や平蔵は偶然だと言っている。


 それでも『子授けの祈祷』をすれば、皆が喜んでくれた。幻が見えたり身体が震えたりして、家族に心配や迷惑をかけていると雪輪は小さな心を痛めていた。だからこそ余計に、神通力によって役に立てているのは重要だった。事実、一時期は雪輪の神通力だけが一家が食い扶持を得る手段だったのである。


 里の中でだんだん競争のようになっていく子授け騒ぎに、子供ながら違和感を覚えてはいた。だがそれらの深刻さがわかったのは、もっと後になってからだった。


 雪輪が行っていた子授けの祈祷は、歴史のある儀式ではない。人々の提案や薀蓄を取り入れ、『祈祷』の儀式は作り上げられていった。最初は雪輪が女の腹に触っていただけだった。そのうち白い屏風に四方を囲まれ、太鼓と鈴の音が鳴り響く中で行われるようになった。この時、雪輪は真っ白な着物を着せられるのが常だった。その格好で、目の前に寝かされた女の腹を撫でる。


 しかし儀式の作法がどう変わろうと、効果は変わらなかった。雪輪が祈祷をすれば懐妊の報せがあり、数は百を超えた。他所から『ご祈祷』を頼みに来る夫婦もいた。仲介で小銭を稼ぐ者もいたらしい。時間の経過に比例して、奇跡と霊験は当然に成り下がった。並行して里人たちは大胆さを増した。平蔵の祖母であるお婆も、そういう無邪気な人々のうちの一人だった。


 まずお婆にとって平蔵は、大切な孫息子である。

 生まれてすぐ「体の弱い女には荷が重い」と、母親に代わって自らの手で平蔵を育てた。その大事な孫と雪輪が親しくしているのが、今もお婆には耐え難い。


 平蔵は一度、外から嫁取りをしていた。けれど嫁を貰って二年経っても子を授からず、お婆はとても気を揉んでいた。六郎右ヱ門の家の血が絶えてしまうという、非常な危機感を抱いていた。ちょうど御室の里が、子授けの神通力で賑やかになっていた時期。お婆は嫌がる孫と孫の嫁を連れ、七歳の雪輪のところへ祈祷を頼みにやって来た。更にはお婆自身にも『子授け』を願い出た。


「この嫁殿の腹は、使いものにならんのかもしれん。そうなったら六郎右ヱ門の家の者の務めとして、当家の跡取りは、もう一度うちが産む」

 無茶を言って憚らなかった。雪輪の父に、『もしどうしても無理ならば、平蔵に権妻を取ってはどうか』と言われても首を縦に振らない。


「もうこりごり」

 うんざりした顔で言っていた。養子なんぞ話しにならぬ、正統な血を受け継ぐ自分が産むのだ、他に手は無いと言い張り続ける。倅で当主の六郎右ヱ門にたしなめられても、譲らない。最後には周囲が折れ、雪輪は平蔵の妻と揃って、お婆にも祈祷をしてやった。


 そうは言ってもこれでお婆まで『授かる』とは、当時七十二歳の本人すら本気で思っていなかったのではなかろうか。


 祈祷の後、平蔵の妻は身籠りやがて男子が生まれた。時同じくしてお婆も出産した。父親さえ判明していない。いくら神通力にしても、どういうことだと皆不思議がった。でも産んだ当人は、「授かりもの」と涼しい顔をしていた。


 こういう具合で当時は多くの里人が、子授けの神通力を有り難がっていた。恵みを享受し、重宝し、喜んでいたのである。そのためむしろ五年後に『子授けの神通力』が行われなくなった際、人々は驚き騒いだ。


 雪輪が十歳の頃だった。最初から“神通力”を生業にするつもりの無かった父は、鉱山開発の計画が進むと、雪輪に惜しげなく『祈祷』をやめさせたのである。娘を人前に晒さなくなった。


「九之丞様は、ムミョウサンのお恵みを独り占めしようとしているのではないか」

 神通力歓迎派だった里人の間に、不満が燻りだす。『山の神の力』を共有財産と認識していた者達は、不快がった。


 それでも鉱山開発という新たな共有財産が期待された頃は、まだ不満も抑制されていたのである。しかし開発が失敗に終わり借財と荒れ果てた山が残ると、不満は失望と軽蔑に変質し容易に噴出した。


「あの九之丞様は駄目だ」

 評価は呆気なく覆り、古老達は目に見えて湾凪の家と距離を置き始めた。一時期は『神通力』の雪輪を持て囃していた者達も、寄りつかなくなる。様々な心労もあってか、父は病に倒れた。


「九之丞様のご病気は、神通力を金儲けに使った罰だ」

 唾を吐くような囁きが里を流れる。穢れと不都合は九之丞様一人が背負わされ、反論する時間も無く父は世を去った。


――――でも何より、わたくしが迂闊な振る舞いをしたのが一番いけなかった。


 思い返して、雪輪は溜息をつく。

 山の神に魅入られた娘には、今へと続く後悔がもう一つあった。


 父が息を引き取った時。母は何とかして武家の作法で弔えないものかと、沈んでいた。そうしたらそこへ、里の若い夫婦が三組訪ねてきたのだ。彼らは九之丞様へのお弔いであるとして、幾ばくかの金を包んできた。


「また子授けの祈祷をして頂けまいか」

 彼らは密かに頼んできたのである。本題はこちらだった。授かった子は、必ずや大切に育てますと彼らは言った。ちらつかさせる金を前に、雪輪は迷った。父に禁じられていた祈祷である。それでも、この金と人手があれば父を立派に弔える。


『子が欲しい人は授かって、わたくし達は入用のお金が手に入る』


 親の葬式のために身売りする娘もいるのだ。これを最後と決めて、雪輪は子授けの祈祷を行った。母に打ち明けると、驚きつつも受け容れてくれた。こうして旧旗本としての葬儀らしき格好を、多少は整えられた。祈祷を受けた夫婦もすぐに身籠ったと報せがあり、元気な赤ん坊が産まれた。


 だがこの父の葬儀から一年後。里で子供らが流行り病により、全滅したのである。最後の祈祷で生まれた赤ん坊たちも例外ではなかった。


 再びあらたかとなった『子授けの神通力』の威力と、それに関わって生まれた者が全て死ぬ結末は、激烈過ぎた。

 湾凪家と里人の間にあった亀裂に、止めの一撃となってしまったのだ。


 『ひいさまの呪いじゃ』

 最初に言い出したのは、平蔵のお婆だった。

 山の神のお力で授かった可愛い次男。可愛い曾孫。老婆の気掛かりは解消され、全ては望んだ通りになるかと思われたのに子供達は世を去った。


 幼い二人の早世。そこへ、平蔵の妻が逃げ出して離縁する事件も重なった。傷ついたお婆は家に閉じこもり、食事も喉を通らなくなったとは雪輪も聞いていた。それがある日を境に、老女は取り憑かれたかの如く口走り始めたのだ。


「湾凪のひいさまじゃ。ひいさまがムミョウサンのお力を使うて、里の子らを呪い殺した」

 そう周囲に言いふらした。


「九之丞様が死んだは、身から出た錆。されどひいさまは、里を憎く思うてムミョウサンのお力を使い、わしらからあの子らを取り上げたのよ」

 お婆は里の女達の元締めも同然。止められる者はいなかった。


 『神』は恵みを与える反面、機嫌を損ねれば『祟る』。

 古老達が雪輪の神通力に不吉を唱えていたのも、時間の経過と共に重く影響し始めた。しかも湾凪家の雪輪と狭霧は、死んだ子供らと大して年も離れていないのに生き残っている。外界と遮断された小さな里では、“姫の呪い”と“祟り”が真実となった。


 更に母の那智が亡くなった後には、里の中で別の不安が巻き起こった。


「またひいさまが祟るのではないか」

 祟りを恐れた人々は寄り合いの末、湾凪家への『お供え』を決めた。しかし意見は一つではない。

「また役立たずの『殿様』ばっかりがムミョウサンのお陰で得をして、わしらは損するだけか」

 恨めしい文句を言う者もいた。


 それを知った狭霧は激怒した。『山の神の怒り』を鎮めるために捧げられる『お供え』の米や野菜を、意地でも食べなくなった。金や布も受け取らない。時にはつき返したりする。狭霧の態度が里人達からまた不評を買うという、悪循環になっていた。


 恐れとやっかみ。畏怖と軽蔑。思惑と感情は人の数だけあり、相反する利害と損失が絡む。ここへ狭霧の怒りと、お婆の絶望が入り混じり、ねじれて絡まりきった糸は、今も解ける糸口すら見つからない。


――――どうすれば良かったのだろう?


 細かく震える手でおたまを握り、雪輪は土間で佇んでいた。

 竈から立ち上る煙が、辺りを白く包んでいく。無意識に髪へ手が伸び、髪に刺さった簪に触れる。藍色の玉のついた古い簪。これは父が死の床で

『何があろうと、これは手許に残せ』

と遺言した品である。


 このかんざしも、代々伝えられてきたものだった。要岩と同様、相当古いと言われている。湾凪家では要岩は男が。簪は女が守るものとされてきた。そして簪は、御家紋石の『鍵』でもあった。


「山風吹けば 急げ急げよ 落穂に里に 霧が降る……」

 要岩や御神刀のことを考えるうち、雪輪は小さな声で、里に伝わる麦打ち唄を口ずさんでいた。


 昨今の流行り歌とは程遠い、土臭い唄である。雪輪は里人達の唄声を遠くから聞くだけで、麦を打った経験も無ければ共に歌ったことも無い。でも唄に今も僅かながら、故郷と自分たちとの繋がりに似たものを感じていた。


「霧の守るは お山の要 泣くな毀つな 血を塗るな……」


 これは湾凪家の口伝である。加えて、御室の里に住まう者全てが共有している『禁忌』でもあった。要岩に『してはならない』とされている。


 また唄を口ずさもうとして、鼻歌などはしたないと気付き雪輪は唇を閉じた。厳しかった母が亡くなって以降、ちょっと行儀が悪くなっている。そこへ、弟が戸を潜り入ってきた。


「ただいま戻りました」

 振り向いた雪輪は狭霧を一目見て、胸騒ぎがした。弟の気配が刺々しく、常と違っている気がしたのだ。


「狭霧……何か、あったのですか?」

 手を拭き、上がり框に腰かける狭霧に尋ねた。野良着の少年は黙って俯いている。

「平蔵と一緒ではなかったの? 四郎左ヱ門達のところへは、行ってきたのですか?」

 答えない狭霧へ問いを重ねた。余程ひどい暴言でもぶつけられたのだろうかと、心配になった。狭霧は草鞋を脱ぎ軽く足を洗うと、家の戸を閉めて回り始める。


「狭霧……?」

「姉上。誰か訪ねて来ても、出ないで下さい。僕を呼んでください。僕は少し、用があるので部屋に戻ります」

 訝る姉に弟はそう言うや、一番奥の部屋へ足音も荒く引っ込んでしまう。


 土間の雪輪は、古びた木の格子越しにもう一度外を眺めた。歩く人の姿も無い。御室の山を背にして辺りは紫色の薄闇へ溶け始め、長閑な里の景色が広がっているだけだった。

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