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サゲ

 さて、癒天母神を拝んでいた癒天教が、それからどうなったかという事でございます。


 開祖の山田かめはとっくの昔に死んでおりました。その倅の山田五丈は行方知れず。唯一、五丈の嫁で二代目癒天教の指導者を名乗っておりました曼福女神……ええ、戸籍の名前を山田つるさんと仰るそうですが、こちらが原山伝助の殺しに関わりがあるということで、他の信者諸共、御用となったのでございます。


 つるは知らぬ存ぜぬの一点張りだったそうですが、信者が口を割りました。道場の裏の空き地からは信者達の言う通り、原山伝助の死体が見つかりまして。それだけでなく、幼子の骨までいくつも見つかったそうでございます。


 この子達は育てきれない親に代わって癒天教が手許で育ててやると言い、幾ばくかの金と共に連れてきた子供らだったということでございました。最初のうちはそれなりに世話もしていたようですが、警察が来た時にはやせ細って青い顔をした子供らが、道場の狭い一室に押し込められていたそうでございます。ろくに食べる物も与えず、子供の数が増え過ぎると水に沈めて殺していたと申しますから、マァ聞いているだけで胸が悪くなると言うか、実に惨たらしいお話しでございます。


 それもこれも、二代目教主様のご命令であったということでした。このおつるさんが、どうも金の亡者とでも申しましょうか。人の顔を見れば金に見えるという風な女だったのでございますな。


 そもそも『癒天膏』を売ろうと最初に言い出したのも、このおつるだったのでございます。河童のくれた塗り薬を、田舎でボヤボヤ配っていた姑と婿に、こんな良い薬を持っているのだから、これは都へ打って出て一旗揚げなきゃいけないと、この嫁御が言い出しましたのが全ての始まりでございました。


 しかも義理の母親でしたかめさんが、嫁のこの誘いに容易く乗ったのでございます。不思議な軟膏を手に入れ、ありがたや~ありがたや~と人から拝まれている内に、本当に選ばれて女神様にでもなったと思い込んでいたんでございましょうか。


 癒天母神と名乗りを変え、贅沢な着物に化粧をして『神通力』を示し、『念力』や『千里眼』も披露するようになりました。人々も、それを随分有難がって拝んでいたものでございます。あたしも拝見したことがございますけれど、何だかこう、縁日で見かけた手妻によく似ていた気が致しますがネェ?


 そうしてかめさんがお神輿の上で持ち上げられている内に、癒天教は帝都で立派な道場まで持つようになりました。しかしここで、かめさんは気がついてしまったんでございます。金も、癒天教も、倅の五丈も、いつの間にやら全部つるさんの手の中に納まっておりました。おつる様のお許しが無ければ、教主様は何も出来や致しません。文句を言っても反対にやり込められてしまう。お味方はいない。こうなると、ただの嫁姑の争いでございます。


 悔しさで、かめさんは目が覚めたんでございましょう。

 帝都へ出てきて十年ほど経ったある日、本物の癒天膏と共に道場から姿を消したのでございます。


 五丈と数人のお偉方は信者達に「癒天様は世界を救わんと、再び修行に出られた」と話していたそうですが、裏では火事場のような騒ぎでございました。生まれ故郷まで飛んで戻り、いないとわかると全国津々浦々を探して回りましたが、かめさんは見つかりません。まさか乞食同然のお姿で、帝都の道場の目と鼻の先にいるとは、思いもしなかったようでございます。


 やがて更に月日が流れ、やっと見つけたかめさんは棺桶に納まっておりました。おまけに肝心要の癒天膏はどこにも無い。あのババア腹いせに捨てやがったかと、怒りながらも皆様殆ど諦めておりました。そうしましたら、どうしてどうして!


 また十年近く過ぎたある日、信者の一人、田上乗政殿が亡くなりました。それが野辺送りの途中で生き返り、逃げ出したというじゃあございませんか。これを切欠に、癒天教は乗政殿と倅の長二郎さんを調べ上げたのでございます。元より、かめさんが最後まで唯一関わり合いを持っていたのが、田上親子だったもんですからね。


 もっともこれは単なる勘違いだったわけですが、怪我の功名と言うか。どうやら倅の長二郎さんが、行方知れずになっていた『癒天膏』を持っているということが知れてしまったのでございます。加えて原山伝助の始末に関わったお父上のこともありまして、「癒天膏と一緒に、その子をアタシの所へ連れておいで」と、文字通りの鶴の一声。今回の大捕物と相成った次第なのでございます。


 後に山田つるを始め、癒天教のお偉方は獄門となりました。残された信者は幾つかに暖簾分け致しまして、時を待たずに露と消え、既に跡形もございません。残りカスみたいな小さい集団が、遠い所で今も癒天教の教えを広めているそうでございますが、こちらが消えるのもそう遠くはございますまい。


 そして『後に』と言えば、長二郎さんのお父上の事でございますが。


 皆さま既にご存じの通り、乗政殿はまず亡くなられた時に早桶を用意致しました。その後、途中で早桶が壊れたために別の漬物桶が都合されました。更に逃げ出して他所の家の屋根に引っ掛かっているのを見つかった時、またまた早桶が使われました。


 一人で三つも棺桶を使った男でございます。普通は人生で一度使うかどうかの棺桶でございます。そうそうあることじゃあございません。珍しいこともあるものだと、世間でちょいとした有名人となりました。この話しを聞きつけたとある噺家が、こいつは面白いと喜びまして、これを元に噺を一つ仕立てた……という。


 これがこの薬売りめが存じております、『猫怪談』でございます。

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