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田上家の事情その1

 長二郎は士族である。北陸方面に存在した某藩の、かつて御徒士だった家に生まれた。家は貧しかった。先祖代々貧しかったと言って差支えないくらい、田上家の貧乏との付き合いは長い。御一新で世の中がひっくり返ったことにより、凋落した武士は大勢いる。だが凋落するまでもなく、昔から一貫して赤貧洗う如き生活をしていた侍たちも、同じく大勢存在した。そして下級ながらも、武士としての田上家の最後を担う事になった長二郎の父『乗政』は、赤貧の中の一人だった。


 乗政もかつての動乱時には、北陸へ飛び火した戦いに出たらしい。でも武勇を発揮する機会は、特別な怪我も功績もなく終わった。その後、北へ伸びていった旧勢力と新政府の戦いや、南方での激戦にはそもそも参加しなかった。


 生前、父が当時についてあまり語らなかったのは、武士の矜持というよりは、話すほどの話題が無かったからだろうと長二郎は考えている。父は武芸の素質が無く、非力で身体を動かすことが苦手であり、特別な学問も特技も無く、性格さえ前向きでもなければ明朗でもなかった。唯一、真面目さが取り得というか、取り得が真面目しかないという男だった。


 そんな野暮で頭の固い父も新しい世になってから、遅まきながら所帯を持った。歳の離れた巴という若い妻を迎え、弥一郎、長二郎、仁三郎と、息子も三人生まれた。


 そうして乗政が家族を増やしているうちに時代は本当に変わり、武士は消え『士族』と呼び名も改まる。だが呼び名が変わろうと、田上家の暮らしが楽になる事はなかった。それどころか楽にならない暮らしに、文句を言う事すら憚られた。


 何故なら士族は旧時代から引き続いて家禄を受け取り、何も生産しないくせに飯を食っていた。『座食の徒』、『居候』、『平民の厄介』と後ろ指を指され、世の中の風当たりは厳しかったのである。その評価に反発する士族もいた。特に倹約を重ね、地道に内職をしたりして武士として成り立つようやりくりしてきた者達にとっては、まるでずる賢い怠け者のように言われるのは納得がいかない。


 だが自分達が『座食』から早く抜け出さなければいけないことを、理解している者も少なからずいた。実際、自活できるようになる以外、彼らが飯を食う手段は殆ど無かったのである。


 そこで乗政は故郷を離れ、家族を連れて帝都へ出た。末っ子が、一歳になった頃だった。


 この選択が、正しかったかどうかはわからない。結果だけ見れば間違いだったかもしれない。

 とりあえず、帝都での生活は一家が想像していた以上にうまくはいかなかった。長二郎の記憶にある限りにおいて、父の仕事は毎度長く続かず、住む場所も転々とした。どうやって家族を養っていたのか、今となっては見当もつかない。最初から少なかった家財道具や母の着物は、どんどん減っていった。


 それでも当時は、まだ三兄弟は揃って無邪気に長屋で転げ回っていたし、父は毎日働きに出掛け、母も家事のかたわら内職に精を出していた。いつも腹は空いていたけれど、そんなに大変であると長二郎は思っていなかった。あの頃は、正真正銘の子供だったのだろう。


 そんな生活に最初の転機が訪れたのは、一家が帝都へ来て一年ばかり経った頃だった。


 三つ年上の兄、弥一郎が近所の手籠売りの行商を手伝っていた帰りの道で、馬車に轢かれて死んだ。十歳だった。弥一郎は学問は得意ではなかったものの、元気の良い腕白な子で、弟達が田舎者とからかわれたりしていようものなら、すぐに飛んで来て守ってくれる優しい兄だった。何より明るく快活な少年だったため、居るだけで家の中が明るくなった。その弥一郎が突然、である。


「弥一郎、何故死んだ」

 家へ連れて帰った長男の亡骸を前に、父はそう呟いて涙をこぼしていた。父が泣いているのを、長二郎はそのとき初めて見た。


 更に翌年、今度は弟が腸チフスで倒れた。三男の仁三郎はまだ幼く、抵抗力が弱かったのもあって呆気なくこの世を去った。もうすぐ三歳。一人前に生意気を言うようになり、ちょこちょこと兄の後をついて歩く可愛い盛りだった。


「仁、かわいそうに……」

 冷たくなった小さな亡骸に覆いかぶさるようにして、母が泣きながら、何度も頬を撫でてやっていた。長二郎は「伝染るから近付いてはいけない」と家から出され、近所の家に預けられていて何も出来なかった。


 その後、母も腸チフスを発病して亡くなった。必死に子の看病をするうちに、伝染ってしまったのだろうと大人達から聞かされた。そして三兄弟の中で一人だけ生き残った長二郎は、父と共に長屋を離れた。父は故郷には戻らなかった。


 父子二人となって以降、住む場所は更に転々とした。金も底をついたのだろう。下谷、根津、小石川、四ツ谷など、いわゆる貧民街を渡り歩くようになった。


 生活は苦しかった。飯を食う人間は減っても、今度は父が仕事を休みがちになってしまったのだ。日雇いや土方の仕事を得ても、働きに出る回数は三分の一程度になった。休む理由は『喉が痛い』、『腰が痛い』、『仕事が見つからない』など、様々だった。


 ようやく牛込赤城下に一応の定住はしたものの、悪臭漂う傾いた家の中で父は寝てばかりだった。何もかもうまくいかず、立て続けに家族も亡くしたことで気が滅入ってしまったのか。下戸なのに、飲む酒の量だけは増えた。元より内向的だった性格に拍車がかかり、他人との付き合いも嫌がり始める。


 仕方なく、日済貸ひなしがしの応対や毎日の家賃の支払いなどは、幼い長二郎がやった。自分が何でもやって父を助けなければと、近所の婆さん(名前は忘れた)に教わって、水仕事や針仕事も身につけた。残飯屋が士官学校や兵営などから集めてくる残飯を買うため、欠けた丼を手に一人で並んだりもした。それでも父の仕事は長続きしなかった。辛うじて『看板書き』や『書簡認め所』などと称して、僅かに稼ぎを得るだけだった。


 痺れを切らし、長二郎は九歳のとき自分で稼いでみようと企んだことがある。亡き兄の真似をして、町歩きのはんぺん屋や荒物屋を捕まえては、手伝わせてくれと頼んで回った。しかしどこも雇っては貰えず、追い返された。それでも長二郎は諦めなかった。


 広小路や大きな寺社の境内へ行けば、蜜豆売りや人形芝居、曲芸などをしている者がたくさんいる。そういった人々に、片っ端から弟子入りを志願したのだ。成果としては軒並み「邪魔だ」と追い払われた。でも中の一人の軽業師が、意外と話の通じる男だった。子供がいると金を放ってもらいやすいと、長二郎に玉乗りを教えてくれた。


 さっそく弟子入りしてやってみると、案外玉乗りは面白かった。捻り鉢巻にぶかぶかの派手な支那服を着た長二郎が失敗して転んでも、見物人達は大らかに笑って小銭を放ってくれる。日が暮れる頃には、結構な数の小銭が投げられていた。気の良い男は、儲けを正直に分けてくれた。


 初めての稼ぎを手に、長二郎は喜び勇んで長屋へ帰った。だが父には喜ばれるどころか、ぶん殴られた。


「それでも武士の子か!!」

 家の戸の前で仁王立ちになり、普段無口な父がすさまじい剣幕で怒った。派手な格好で芸をし、人から滑稽な姿を笑われるなどけしからぬと、怒鳴りつけられた。


 父がまだ侍であるという自意識を持っていたことに、長二郎はこのとき初めて気がついた。既に刀は無く、不格好なざんぎり頭をして、『痔がつらい』などという理由で一日寝ている人だけれど。


 父を傷つけたと察した長二郎は「何故そんな真似をしたのだ」と尋ねられても、軒先で尻もちをついたまま

「面白そうだったから……」

と小さな声で答えるしかなかった。『稼いだ金で、あんこのいっぱい入った大福餅を腹一杯食べたかった』という本音は、とてもとても言えなかった。そんなのは、侍の子が言う事ではないと考えたのだ。


人攫ひとさらいにあったらどうする!」

そう叱られている間、『じゃあ働いてくれればいいのに』と心の内で呟くのがせいぜいだった。


――――士族なんて、損ばっかりだ。


 つくづくそう思った。

 呼び名だけは何やら立派だけれど、それだけである。元ご家老様やお旗本くらいの御家柄であれば、きっと得することもあるのだろうが、自分達は何も良いことが無い。武士の頃から家は贅沢などとは縁がなく、団扇作りの内職で糊口をしのいできた。士族として、近所の悪い子供らのような掏りや万引きには手を出さず、辛抱してきた。それなのに


『士族はしらみみたいなもんだ』

『今まで威張り散らしていたツケが回ってきたんだよ』

『お侍なんてな、ロクデナシばっかりだったさ。この世から消えて無くなって良かったんだ』

 こんな声も聞こえてくる。所詮は人間。殆どがロクデナシで占められていたのは、侍以外の者達とて同じだったろうに。


 でもそんなことより、九歳の少年が掘り井戸の水で泣き顔を洗いながら考えていたのは別のことだった。悪いのは貧乏か身分か世の中の仕組みか、それとも人間そのものなのか。そういった不条理についてだった。


 するとそこで、ちょっと変わった事が起きた。いつも世話になっている近所の婆さんが出てきたのだ。


「食べまっし」

 そう言って、婆さんは焼き芋を渡してくれた。婆さんは無口でぶっきらぼうで、犬や猫を見ると蹴飛ばすような老女だったのだが、何故か田上親子には少しだけ親切にしてくれる人だった。


 長二郎は貰った焼き芋をその場で夢中で頬張った。こんな大きな芋を食べるのは久しぶりだった。涙と痛みでうまいのかどうかもわからなかったけれど、誰かに横取りされる前にと、とにかく腹へ詰め込んだ。


 少年の隣へ腰掛け様子を見ていた婆さんは、そのうち握りこぶしほどの壷を懐から取り出すと、中に入っていた軟膏を指先に乗せ長二郎の頬に塗ってくれた。純白に輝き、とろりとした質感の不思議な薬。それを塗ってもらった途端、殴られた頬の腫れも痛みも、すうっと消えた。薬の効果に、長二郎がよほど吃驚した顔をしていたのだろう。


「これはな。何にでも効く『万能薬』じゃ……あんたが持ちまっし」

 愛想の無い口調で説明すると、婆さんは梅干でも入ってそうな壷を長二郎に渡してくれた。

「どうして?」

 少年が尋ねた途端、婆さんの口が曲がり

「うちはもういらん」

つまらなそうな表情で呟いた。未練など、心の底から微塵も無さそうだった。


「この薬は、よお効くげん。あんまり使うたらいけん。人前にも出したらいけんよ」

 婆さんはそんな忠告もくれた。よく効く薬なのに使ってはいけないとか、人前に出すなとか、おかしなことを言うと長二郎は思った。

「人前に出すと、どうなるの?」

 無邪気に向けられた少年の質問には


「身を滅ぼすわ」

 老婆は変わらぬ口調で、それだけ答えた。後は、特に何か会話をした記憶も無い。関わりはそれなりにあったものの、婆さんとまともに会話をしたのは、これが最初で最後だった気がする。


 今思い出しても婆さんはひどく痩せていて、使い古した雑巾と見紛う襦袢一枚羽織っただけという薄汚い老女だった。ほぼ全く喋らず笑わず、名前すら判然とせず、近所の人たちからも「婆さん」としか呼ばれていなかった。幾筋も深い皺の刻まれた色黒の顔をし、修行僧を思わせる遠い眼差しをしていた。この人物について長二郎が知っていることは、今も昔もこれだけである。


 それから半年ほどして、婆さんも亡くなった。そして名前も覚えていない老女が亡くなった後、長二郎は婆さんと、彼女のくれた薬がどういうものであるのかを知ることとなる。

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