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ツネキヨ

 長二郎の実家がある場所は赤坂だった。帝都の西側に位置し、数鹿流堂がある両国橋界隈から見ると、お城を挟んで反対側になる。家の場所は知っているけれど、柾樹も千尋もこれまで一度も長二郎宅に行ったことが無かった。それでも何とかなるだろうということで、殆ど無計画のまま彼らは外出を決めたのである。


 支度の遅い千尋を残し、一足早く柾樹は表通りへ出た。

 眩しい蒼穹を入道雲が縁取り、地面では白い光と透明な影が、強いコントラストを作っている。日差しの強さに手で庇を作っている柾樹の耳に、賑やかな太鼓と笛の音が聞こえた。どこかで縁日でもあるのだろう。


 と、そこで。柾樹は少し離れた所に、妙な人物が佇んでいるのに気付いた。思わず凝視してしまう。明らかに“妙”だった。


 小柄で華奢なのは良いとして。目に刺さりそうな水色の羽織に、金襴の袴。羽織の背には金色の雲紋が施され、中央に大きな『空』という文字が踊っている。昔のお殿様も、ここまで派手だったかどうか。すると、数鹿流堂の蔵を見上げていたその妙な人物が振り返った。見た感じ、十二、三歳といった風に見える。柾樹は子供の相貌に、ちょっと目を瞠った。


 まろやかな頬をし、白磁のような肌をしている。整った眉の下にある目は、目尻がつり上がり気味。額を隠す赤茶の前髪は艶やかに光りの輪を作り、花弁を想起させる赤い唇を引き結んでいる。鼻っ柱の強そうな面構えに加え、生意気そうな雰囲気は昔の『小姓』を連想させた。随分と美しい。そして目が合って一瞬後、その綺麗な子供は柾樹の方へ足早に近付いてきた。


「その方、この屋敷の者か?」

 いとも高らかに尋ねてくる。何と言うか、非常に頭が高い。問いかけられた側は、視線よりだいぶ低い位置に立つ相手を睨みつけた。


「あ?」

 腹の底から不機嫌な声で返す。この「あ?」は、『それは俺様にモノを尋ねる態度ではないから、改めてもう一度聞き直せ』という文章の省略形だったりするが、そんな返事をする内側で、柾樹は驚いていた。


――――こいつ、女か。


 髪が短いから、てっきり少年だと思っていた。女の髪は長いものと決まっている。だから当然、少年と見受けた。しかしそれにしては声が高い。金属質の高過ぎる声音は、たしかに女のそれだった。女と直感したものの、柾樹は相手が綺麗な少年か凛々しい少女か、尚も確信が持てずに迷う。だが3秒もすると面倒くさくなってきて、どうでも良いかと迷いを投げた。男だろうが女だろうが、髪が長かろうが短かろうが、この人物が胡散臭いことに変わりはない。


 それに派手やかな服装と顔立ち以上に、客人は何かが“普通”ではなかった。少し考えて、『目かな?』と思う。佇む子供の大きな瞳は硝子玉を嵌め込んだようで、透き通り過ぎているのだ。光の加減か、時折瞳の中に金の色が過ぎって見えた。どこか作り物めいている。そんな人形めいた顔立ちの少女(仮定)は更に間合いを縮め、柾樹の数歩手前で止まると言った。


「主に伝えるのじゃ。この家の蔵から、異様な気配を感じる」

 薄い眉を寄せ、小声で囁く。


 なかなか見る目があるじゃねぇか……と胸の内で呟くも、柾樹は口を噤んで無反応に徹した。腕を組みそっぽを向く。空が青い。返事をしない若者に、真剣そのものな少女(仮)はまた踏み出し、至極深刻な表情で続けた。


「放っておけば、良からぬ事が起こるやもしれぬぞ。それがし、こう見えて少々仙術の心得があるのじゃ。蔵の中を見て進ぜようと思うが」

「帰れ」

 申し出は全部言い終わる前に叩き切られる。たちまち子供の柔らかそうな頬が強張った。次いで一オクターブ引き上げられた声が喚く。


「ぶ、無礼者! いきなり帰れとは何事じゃ! 勘違いするな、金を取ろうという話しではないのじゃぞ!?」

「いいから帰れ、妖怪変化なら間に合ってんだよ」

「な、なんじゃとぉ!? それがしを門前払いしようというのか!? けしからん三介じゃ!」

「誰が三介だッ!」

 拳を握り締めて怒る小柄な人物の発言に、柾樹も怒鳴り返した。


 『三介』とは、主に銭湯で客の身体を洗う男達の事を指す。彼らは銭湯運営における肉体労働も担当していた。加えてこの呼び名は家屋敷において、薪割りや水汲みなどを担当する下働きも意味している。女の場合は『おさん』と呼んだ。これの発展形で、下女を『おさんどん』などと呼んだりもする。……で、柾樹は三介に見えたらしい。子爵家の総領息子が腹を立てるのも、仕方ないのかもしれない。でもこんな性根の曲がった道楽者を同類と見立てられたと知ったら、誇り高い三介達こそ嫌がるだろう。それはさておき。


「ええい、その方では話にならん! ここの主を呼ぶのじゃ!」

 小僧か小娘かハッキリしない人物は、地団太踏んで命じる。もう少し控えめだったらまだ可愛げもあるのに、どこまでも高い頭を下げる気は毛頭無い様子。それにしても声が高いのに加え、やたらと早口で聞き取り辛かった。


「うるせーな、忙しいんだ帰れ帰れ! 御祓いだったら他を当たって……!」

 踵を返し、鬱陶しそうに手を振ったそのときである。柾樹の脳裏で、あることが閃いた。


――――……もしかして、こいつ雪輪の弟じゃねぇのか?


 閃きにつられて振り返る。改めて、目の前にいる水色羽織を観察してみた。


「? な、何じゃ?」

 全身くまなくまじまじと眺めまわされ、少女(仮)は半歩下がる。警戒されても柾樹は遠慮せず、観察を続行した。


 今まで雪輪の弟に会った事は一度もないし、あの女中娘は何も語ろうとしない。柾樹達が雪輪の弟について知っているのは、唯一の肉親であるという事と、『狭霧』という名前。そして帝都の片隅に姉を残し、どこかへ行ってしまったらしいという事だけだった。外見についての手掛かりは無い。


 とはいえ一人で働き口を探せる年頃の弟なのだから、最低限これくらいの大きさではないのかと思った。目の前に居るこれが、やっぱり女ではなく男だったと考えれば。この浮世離れした口調。頭の高い態度。色白の肌。つり上がり気味の、少々普通じゃない光を宿した瞳……。柾樹の目にはあらゆる点で、雪輪に似ているように見えてきた。


 それに雪輪の弟は生き別れになっているだけで、死んではいないようなのだ。姉である雪輪は再会したくないようだけれど、弟の方は帝都で姉を探し回っていたとしてもおかしくない。さっきこの少年(仮)が言った、『蔵から異様な気配を感じる』とかいう意味不明な話も、蔵に潜んでいる姉の気配に勘付いた上のことではないかと疑った。


 数秒考えた後、銀縁眼鏡の青年は再び腕を組み、下駄で地面を踏みしめて言う。


「大体な、何処の何者かも名乗らねぇ奴なんざ通せるか」

「むむ……」

 柾樹の指摘に、相手は唇を引き結んで黙り込んだ。それから眉間に皺を寄せて「うーむ」と唸り、尚もうむうむと迷った末、閉じていた口を開く。


「『ツネキヨ』じゃ」

 柾樹を見上げ、渋い顔で名乗った。

「ツネキヨ?」

 『狭霧』じゃないのか……? という疑惑が湧いた、その鼻先へ


「しかしこれは、世を忍ぶ仮の名」


 神妙な顔で言うそれを聞いた瞬間、『あ、弟じゃないな』と思った。馬鹿がつくほど真面目な雪輪である。その弟がこんな面白いことを口走るはずが無い。兄弟姉妹で性格が反対になることがよくあるのは知っているけれど、それにしてもこれは無い。そう思うと同時に、柾樹の中で何かが切れた。


「何だその『世を忍ぶ』ってのはッ!? もういい帰れッ!」

「な、名乗ったのに通さないとは、おのれ騙し打ちか!?」

「ンなこたぁせめて本名名乗ってから言いやがれッ!!」

「し、仕方なかろう! こちらにも都合というものがあってじゃな……!」

「お、おーい………何やってるんだ?」


 躊躇いがちに割り込んできた声により、二人の怒鳴り合いが止まる。見返ると、信玄袋をぶら下げた千尋が立っていて、柾樹と子供のやり取りを眺めていた。道を行き交う人々も通り過ぎざま、こちらを伺っている。柾樹は舌打ち交じりで横を向いた。


 しばし柾樹と子供を見比べていた千尋だったが、微笑みながら小銭を取り出す。少し腰を屈め、子供にそれを差し出した。


「ほら、これをやるからお帰り」

 差し出された小銭に、子供は一瞬ぽかんとする。次の瞬間、白い顔を真っ赤にし、烈火の如く怒りだした。


「かっ……返す返すもこの無礼者どもめがぁ!! もういいッ! 帰るッ!!」

 歯をむき出し、耳を劈く高音で喚き散らす。そうして金襴の袴を翻すや、肩の辺りに怒りを漂わせ足音荒く走り去っていった。凄い速さで遠ざかっていく水色の羽織を見送り、事情が呑み込めない千尋は困惑した顔になる。


「あ、あれ? ……蝦蟇の油売りとかじゃなかったのか?」

「さー?」


 派手な外見から、子供を大道商人の見習いか何かと考えていたのだろう。千尋の問いに、柾樹は疲れた声で返した。

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