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傷痕

 暗い眠りの底から、意識がゆっくり浮き上がって来た。夢と現の境を漂う柾樹の枕元で、誰かと誰かが喋っている。


「何故、襲われたの?」

 女の声が、誰かに尋ねていた。

「これもあの方の仕業なのですか?」

 静かなその声に、別の野太い声が答える。


「仕業っちゅうか……ま、コイツが“死者の拳銃”なんて持ち歩いとったんが、運悪かっただけのことや。しかし、よくも腕が無うならへんかったな。やっぱりコイツおかしいんちゃうか?」

 やたらと男前な声は、知った風な事を言っていた。


「普通はホンの少し関わったからいうて、こないなるもんちゃうけどな。あちらさんがよっぽど腹に据えかねてたんやろ。この拳銃の持ち主やった一族にな。たぶん逃げたんや。それか、逃げるための護身用でコレ作ったんやろな。そら怒るわ」

 欠伸まじりの声は、大変にどうでも良さそうな語り口である。どちらの声も聞いたことがある気がするのだが、柾樹は何も考えられない。瞼を開くのも億劫な重い身体で、聞こえる会話をただ聞き流していた。


「何故逃げたのでしょう?」

 再び尋ねる女の声は、音の響きまでひんやりしている。

「さぁなぁ? よくある話やと、戦乱や天災で『誓約』どころじゃのうなったりとかなぁ。或いは、忘れたか。他にも、ただ何もかんもイヤになってほかしたっちゅうことも有り得るわな」

 もう一方の声は、更なる投げやりな調子でそう答えた。


 そのとき額に冷たいものが触れ、柾樹は一気に目が覚める。

 開かれた視界へ最初に飛び込んできたのは、天井からぶら下げられた傘や蓑だった。そして色とりどりの古びた提灯や凧。天井のシミまで見える明るさからして、どうやら昼間。目だけ動かして左側を見ると、濡れた手拭を手に柾樹を見下ろす雪輪がいた。


「お目を覚まされましたか」

 小刻みに震えながら、娘は微かに首を傾げて言う。眼鏡が無い上、畳に当たった陽光が反射して、只でさえ白い雪輪の顔の輪郭がぼやけて見える。小鳥の囀りが聞こえる中、柾樹はいまいち回らない舌で尋ねた。

「誰か……そこにいるのか?」

「いいえ?」

「そうか……」と小さく答えてから、油断し過ぎている自分に気付いて飛び起きる。同時に、左腕へ痛みが走った。


「痛てっ!」

 腕を押さえて呻く。見れば、柾樹の左腕には巻木綿(包帯)が巻かれていた。左腕の他に、右手と足も同様だった。頭までぐるぐる巻きにされており、自分が布団の上に寝かされていた事も時間差で自覚する。柾樹が寝ていたのは庭に面した一室で、普段は古道具たちが居座っている場所だった。枕元には綺麗な水の入った桶と、手拭と柾樹の眼鏡。拳銃二丁が並んでいる。


 状況がのみ込めず、寝癖だらけの金茶頭は部屋を見回した。傍らでは雪輪が正座していて、その膝に火乱が頭を乗せて寝転がり、でらりと四本の足を延ばしている。長い尻尾をのんきに振る巨大な赤猫は、細かく震える膝の上で緑色の目を薄く開け柾樹を一瞥した。表情が勝ち誇っているように見える。羨ましくもないが、癪に障った。


「おい、今……その猫……」

 ついさっきの『会話』が甦り、柾樹はそこまで口にするも

「はい?」

「……何でもない」

言うのも馬鹿馬鹿しく思えてきて、『その猫喋っていなかったか?』という言葉を仕舞いこんだ。そのまま猫が悠々と座敷を出て行くのをよそに、柾樹は手を握ったり腕を曲げ伸ばしてみる。問題無く動いた。この感触だと骨に異常は無い。身体の具合を確認していると


「あ! 柾樹、起きたのか!?」

 板間の方から声と一緒に千尋が顔を出した。たすき掛けの格好で水汲みしていた様子の千尋は手桶を放り出すと、嬉しさ一杯の顔でのしのし上がり込んで来る。柾樹の隣で胡坐をかき、身を乗り出した。


「まだ起きないようならお前の家に報せて、もう一度医者も呼ぼうと思っていたところだ。まったく、脅かしてくれるな!」

 安堵と腹立たしさの入り混じった表情で、声を大きくする。友人の言葉に柾樹は目を瞬いた。

「どういうことだ?」

「どうもこうもあるか! 一昨日の晩、怪我して帰って来たんじゃないか! 呑気な奴だな……」

 自分の状態その他を理解していない怪我人に、千尋の肩がしぼむ。


 千尋の話しによると、柾樹が古道具屋へ帰って来たのは一昨日の深夜だった。

 あの晩は日頃から夜行性の雪輪をはじめ、千尋や長二郎も雑事にかまけて起きていたという。長二郎の机にある一つのランプを三人で使い、それぞれ読書や縫物などに精を出していた。


「そうしたら、土間の方で何か物音がしたんだ……と言っても、オレと長二郎は気が付かなかったんだが、雪輪さんが気が付いてな。な?」

「はい」

 隣の千尋に同意を求められ、雪輪は小さく頷いた。


「雪輪さんが土間の方に行ったんだよ。それでオレは『ああ、柾樹を迎えに行ったんだな~』と思って……そうしたら悲鳴が聞こえてきてだな」

「悲鳴!? (こいつが!?)」

「い、いや、悲鳴は言い過ぎかもしれん。とにかくオレと長二郎も慌てて飛んで行って」


 雪輪が大きめな声を出す時点で、異常事態である。吃驚した他二名も台所へ飛び込んだ。すると台所から続く土間で、柾樹が倒れていたのである。しかも体中に怪我をしているではないか。そしてその後は座敷へ運ばれようが医者が来ようが、起きる気配もなく今日という日の昼まで寝ていた。


「一時はどうなる事かと思ったぞ。腕は大丈夫なのか?」

「あ? 腕?」

「お前、何かに噛み付かれただろう? それに凍傷のようになっていると、医者が言っていたぞ?」

 心配そうに尋ねる千尋に言われ、柾樹は自分の左腕をもう一度見た。気を失っている柾樹を室内へ引っ張り上げた後、千尋はすぐに医者を呼んできたわけだが、夏も近付くこの時節に凍傷を診せられた医者の方は、何事かと驚いていたという。


「凍傷……? 別にそれほど痛くねぇぞ?」

「うわ、やめとけ! 下手に傷をいじるな! あーあー!」

 どんな程度の傷なのか確かめようと、柾樹は左腕の巻木綿を巻き取り始めた。それを見て慌てた千尋だったが、出てきた腕の状態に目が点になる。


「……治っている……だと?」

 柾樹の左腕は、所々痣に似た紫色になっていた。まだ血の滲む穴も、複数か所残っている。でもそれだけだった。右手や足の巻木綿も取ってみるとこれもほぼ治っており、耳や顔にあったという傷などは、痕すら残っていない。


「こんなもんじゃなかったんだぞ!? 手から首の辺りまで、全部色が変わっていたんだからな? 水脹れは出来ているわ、あちこち白くなってて、異常に冷たくなっていたし……そうだよな、雪輪さん!?」

 また千尋に同意を求められた雪輪も、「はい」と簡単だが答えた。事件当日、雪輪は柾樹の腕を湯へ入れて『雪焼け』の応急手当てもしたという。そうは言っても、傷がほぼ消えているのは事実だった。


「どれだけ治りが早いんだ? ……お前本当に頑丈だなぁ。痛みは?」

「何となく疼くけどな」

 呆れながらも感心され、柾樹はちょっと得意そうな顔をしていた。緊張が緩んだ一室へ、のどかな声が入り込む。


「おーい、雪輪ちゃん。アナゴ買って来たよー……って、あれ?」

 桶を手に土間へ現れた長二郎へ、千尋が大慌てで声を掛けた。

「ああ、おい、長二郎! 柾樹が起きたぞ。しかもこいつ、もう怪我が治ってるんだ。呆れたもんだろ?」

 千尋の呼びかけを聞くも、長二郎はその場でへらりと笑みを浮かべるだけだった。


「やあ、何だ起きたのか? 二度と起きなくて良かったのにな」

「何だとコラ」

 いつも通りの雑な応対をする友人に、柾樹は苦々しく返す。でも長二郎は気にする風もなく、持っていた桶を雪輪に渡す。


「目が覚めたなら、ちょうどいいや。君は後で僕に薬代を払いたまえよ、相内君?」

 部屋へ上がり込んでどっかと胡坐をかくなり、切り出した。藪から棒な話しに、柾樹は思いきり顔をしかめる。


「は……? 薬?」

「君の怪我の治療に使った、僕の塗り薬だ。雪輪ちゃんも使うところ見ていたよな? ねぇ?」

 長二郎は部屋の隅へ戻ってきた娘に振り向いて、猫なで声で言う。柾樹の口元がへの字に曲がった。


「……知るかよ、そんなの。大体、目が覚めたばっかりの人間に薬代の請求って、どこのゴウツクだ」

「払わない気か? この恩知らずめ」

 そっぽを向いた不機嫌顔の金茶頭に、長二郎が言い返す。只でさえ寝起きで沸点が低くなっている柾樹の頭は、これで簡単に沸騰した。


「知らねぇっつってんだろ! 俺が丈夫だから治りが早かっただけだ!」

「いーや、違うな! 絶対僕の薬が効いたんだ!」

「そもそも何で田上はそんな薬持ってやがんだよ!」

「昔知り合いに貰ったんだよ!」

「貰い物の薬で金取るのか!?」

「けちけちするなよ、貧乏くさいな!」

「どの口で言ってんだどっちがケチだ!」

「金なら唸るほどあるだろうが!? 残り少ない貴重品を使ってやったんだぞ? 走り回っている二人の横で何もしないでいると、まるで僕が人でなしみたいな雰囲気だったから仕方なく供出しただけだが!」

「これ以上ねぇほど恩着せがましいな、おい!」

「待て待て待て! そんな事よりまず柾樹は自分の説明をしろ! どこで何をしていてこうなった?」

 話しの方向がズレてきている二人の間へ、千尋が割って入った。が、しかし。


「そうだそうだ! 僕としてはまず君は酔っ払った挙句、どこかの犬に出さなくても良いちょっかいを出し、犬に吠えかかられた為ムキになり、道端で取っ組み合いの喧嘩をしてきたと睨んでいるが、どうだ?」

 長二郎は更に続けてやんやと言う。ちょっと疲れてきた柾樹はそれを相手にせず、大きく溜息を吐いた後、煎餅布団の上へ胡坐をかいた。


「まー、犬は犬だったけどよ」

 まだ鈍く痛みの残る左腕を見て呟く。


「……変な犬だったな」

 そして短く考え込んだ後、柾樹は一昨日の昼間、駿河台の家を出たあと道に迷ったこと。見知らぬ夜の広小路で、異形の『犬』に襲撃されたことを、友人たちにぽつぽつ語って聞かせた。


「……中身が空っぽの、犬?」

 話しを聞き終えた後、普段他人をあまり疑わない千尋すら、信じられないといった表情を浮かべていた。柾樹は眼鏡を掛け直すと、雪輪が運んで来たお茶を受け取り口へ運ぶ。

「結局は田上の言う通りかもな。思ったより酔ってたんだろ。酒の入った頭で、しかも暗かったからな。ただの野良犬を変な風に勘違いしたんじゃねぇのか。この凍傷だけがよくわからねぇが……」

 言って湯呑を置き、巻木綿に包まれた腕を撫でた。


「長二郎は何だと思う?」

「うーーーん……」

 戸惑い顔の千尋に問われた長二郎は、すぐに答えなかった。でもそのうち立ち上がり、縁側に面した廊下にある小机の辺りへ行って、何やらごそごそ探した末、幾つかの新聞を手に戻って来る。その内、一紙は英字の新聞だった。


「話しが少し変わるんだけどな」

 そう前置きし

「この前、ニコライ堂で君に拳銃をくれた亜米利加人がいただろう? 名前は覚えてるか?」

柾樹に向け話し始める。


「ああ、ロバートだろ?」

 いきなり何だという表情で柾樹が質問に答えると、長二郎は回答を確かめるように頷く。

「『ロバート・マックフォード』だな? 亜米利加はバーモント州出身の三十六歳で、親が愛蘭の移民?」

「そこまで知るか。でも見た感じ、歳はそれくらいだったかな。バーモント州ってのも言ってたか」

「そいつ死んだってさ」

 長二郎の言に、場が凍りついた。


「死んだ!?」

 柾樹が掠れた声で叫ぶ。

「昨日の朝、築地の外国人居留地で、西洋人の男の死体が見つかったんだ。すわ異人殺しかと騒ぎになりかけたんだが、死に様がどうもおかしい。人間の仕業とは思えない有様で」

 長二郎は英字の新聞を広げ、事件の記事を探し出すと概要を語った。


「お、おかしいって?」

「顔が無くなっていたんだよ」

 青い顔で尋ねる千尋へ、長二郎は答えて自らの鼻を右手で擦る。


「それだけじゃない。手足はズタズタ。顔面への一撃も、痕から見て刃物じゃないらしい。死体を調べた居留地の亜米利加人医師は、『何らかの大きな獣に、顔面を一口で食いちぎられたとしか思えない』と言っているそうだ。この新聞だと、熊か虎にでも食い殺されたんだろうってことになっているよ。しかしあの辺りで、そんな大きな獣を飼っている人間なんかいないんだ。隠しておける大きさでもない。それに誰も悲鳴の一つ、聞いていない。雨上がりで足跡が残りやすい状況だったにも関わらず、それらしい獣の足跡も残っていない。死人の傷痕から判断して、よほど大きな獣じゃなければいけないのにな。だから妖怪説を語る新聞まで現れている始末で……」


 話が終わりきらないうちに、柾樹は長二郎の手から新聞を引っ手繰った。英字新聞は滞在している外国人向けに、週刊と日刊のもの数種が発行されている。内容は主に船便の案内などで、他には滞在国の情報や文化、事件などに紙面が割かれていた。


 外国語の新聞をまともに読めるのは長二郎一人で、柾樹も千尋も半分以上解読できない。それでも被害者の名前や、事件に関するいくつかの単語は読み取れた。日本語の新聞にも目を通すが内容はほぼ同じで、軍まで協力して調べているものの、犯人やそれに関する情報はまだ得られていないとしか書いていない。


「……じゃあ何か? 俺が道に迷って築地の本願寺の辺りまで歩いて行って。外国人居留地に入り込んで、あの野郎の死に際に立ち合ったってのかよ?」

 まずはロバート急死の報に驚いた柾樹だったが、驚きたくなる点は他にもあった。新聞を畳の上に投げ出して言うと、腕を組んだ長二郎が頷く。


「そういうことになるんじゃないのか」

「迷い過ぎだろ。しかもその後、歩いてここまで戻って来たことになるんだぞ?」

「しかしだな。君が見たのは仔馬ほどの大きな犬だったんだろう? それにどこか知らない場所で、誰かの悲鳴も聞いてるんだよな?」

「ええ~……?」

「いや、僕にそんな不満そうな顔されても」

 長二郎は鳶色の癖っ毛の下で、迷惑そうな表情を浮かべた。しかし柾樹とて不満顔にもなりたくなる。


 外国人居留地のある明石町界隈は隅田川の河口付近であり、ここはもはや湾に位置している。対岸には監獄所で知られた石川島と、佃煮で有名な佃島を望むことが出来た。この辺りには砲台が置かれたこともあり、今は造船所や兵器局の製鋼所がある。しかも築地の近辺は駿河台や両国の辺りとは景色が全く違うのだから、夜でも道に迷うのは難しそうだった。何より行くまでの道のりが、かなり遠い。


 その時、一人考えていた千尋が言った。

「なぁ……たしか柾樹はこの前、ニコライ堂で『黒い犬』に吠えかかられたって、言ってなかったか? それでムキになって犬の鳴き真似をしたら、ロバートさんが声を掛けてきたんだよな? おふくろさんの遺言だとか、どうとか言って……」


 黒い犬。奇妙な拳銃。母親の遺言。忘れかけていた符合を持ち出され、部屋が静かになっていく。


「……やめろよ」

「……爽やかにコワーイって言えなくなるだろ」

 部屋が静寂の霧に包まれかけた矢先、部屋の隅にいた雪輪が口を開いた。

「それはつまり……何者かがロバート様の殺人を妖しい犬の仕業と思わせるために、予めニコライ堂で犬を放していた、ということでございましょうか?」

 それを聞き、一同正気にかえった気になる。


「ああ、そうか! そこで柾樹は気を失っている内に、凍傷になるような何か薬品をかけられたんじゃないか?」

「ふーむ、捜査を混乱させるのが目的ってところか?」

 長二郎と千尋は互いに頷き合っている。次いで千尋がハッと気付いた顔になって言った。

「そ、そうなると柾樹はこの事件の目撃者で、巻き込まれた被害者かもしれないじゃないか! 早く警察へ行ってこい!」

 肩を掴んで勧める。でも柾樹はその手を鬱陶しそうに払いのけた。


「拳銃の事とか犬に噛まれた事とか、話すのか? 逆に俺が疑われるだろ。誰が信じるんだよ?」

「オレは信じるぞ。柾樹は人殺しするような男じゃない」

「……白岡が善人なのはわかった。だが俺は我が身が可愛い」

 提言を断ると、柾樹はまた布団に寝転がる。その様子に長二郎が見下げ果てたという目になった。


「あのなぁ、ニコライ堂の連中は、君がロバートと会っていることを知っているんだぞ? 警察も外国人が変死したとなれば、念を入れて調べるはずだ。後で関わりが知れると厄介だぞ?」

「平気だろ。出かけんのも面倒くせぇ。嫌だ。俺は寝る」

 既に話を聞く気が失せている柾樹は、本格的に寝ようとし始めた。


「よし、わかった。それじゃあ、ジャン拳で決めよう!」

 何をわかったのかわからないけれど、閃いた顔で千尋が唐突に言い出した。

「いいか? オレ達に負けたら潔く警察署へ行くんだぞ?」

「え……? ん? 『オレ達』って、僕も入っているのか?」

「何でジャン拳なんだよ……?」

「怪我人でもこれなら出来るだろう。いいからやれ。雪輪さん! 雪輪さんも入ってくれ!」

 そう言って千尋は雪輪にも手招きする。雪輪は切れ長の目を一瞬細めていた。無表情なりに困惑しているらしい。そんな人々の混乱や違和感は、どうしてか一切迷いの無い千尋の音頭取りに全て押し流された。


「ジャン拳ぽん! !」

 パーの柾樹以外の全員が、チョキを出す。

「よーし、勝った!」

「柾樹の負けだな、腹をくくれ」

「……」

 こうして謎の説得力を持つジャン拳大会で、柾樹は劣勢に立たされた。けれど、へそ曲がりがこれで納得するはずもない。


「やっぱりいやだ。行かねぇ」

 結果を無視して不貞腐れ、布団にもぐりこんでしまった。

「ああ! コラ! 柾樹!」

「この期に及んで見苦しいぞ! それでも男か!」

「あー、うるせえうるせえ!」

 結局ぎゃあぎゃあと、騒ぎは振り出しへ戻っていく。


 忙しい青年達は、沈黙している青白い顔の娘が暗い目をして睫毛を伏せ、静まり返っているのを見ていなかった。

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