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子授けの神通力

 神田J町のとある軒先で、長二郎は雨宿りをしていた。出掛ける時は陽光燦々とし、まさに風薫る季節といった風だったので傘を持って出なかったのだ。雨に閉じ込められた書生は、鞄を抱えてしゃがみ込んでいた。英書の翻訳原稿を届けた帰り道である。もう少し様子を見て、それでも駄目そうなら濡れて帰ろうと考えながら、灰色の空を見上げていた。


「ん?」

 貧乏書生は、やや離れた場所で自分と同じように座り込み雨宿りをしている影に気がついた。


 いつから居たのだろう。大きな葛篭を背負い、お遍路さんのような白尽くめの服。目深に被った笠と、ずんぐりした体躯。『土々呂』とか名乗っていた、あの変な薬売りだった。長二郎が「あ」と思うと、声も口の外へと転がり出る。その声で、軒下に蹲っていた雨宿りの同志が振り向いた。


「やや、これは。先日はお見苦しいところをお見せ致しました」

 笠が邪魔で顔は下半分しか見えない。その笠は取らず、白尽くめの男は上半身を起こして愛想よくお辞儀した。


「あの時は災難でしたね」

 長二郎は少し癖のある鳶色の前髪の下で、微笑み返す。あの時の災難とは、数鹿流堂の庭先へやって来た土々呂が、猫に追い払われたときのことである。


 その後も雨の中、二人で「今年はよく降りますな」「ええ、全く」など、どうでも良い話を交わしていた。でもどうでも良い話題のタネは、ほどなく尽きてしまう。足が痛くなってきて立ち上がり、壁に凭れて腕を組んだ長二郎は空を見上げて言った。


「そういえば……雪輪さんと知り合いなんですか?」

 それは好奇心というより、もっとずっとささやかな出来心から発した言葉だったかもしれない。この薬売りと共有できる話題が雪輪のことしか無かった、というのもある。


「へえ? ……ええ、ええ、存じておりますとも。昔っからねぇ」

 長二郎の問いへ、どうということも無さそうに薬売りも答えた。


「それにしては、あまり親しくはなさそうに見えましたけど?」

「そうですかねぇ」

 書生の指摘にも、土々呂はとらえどころのない調子で返すだけ。いちいち嫌な喋り方で、答えを濁していた。長二郎は少し考えてから、今度は思い切って尋ねてみる。


「何故あの人に付き纏っているんですか?」

 微笑み混じりのその問いかけに、振り向いた薬売りは無駄に大きな声でもって言い返してきた。


「付き纏うとはお言いよう……! と、そんな事より。雪輪様から何もお聞きになっていらっしゃらない? え? 皆様もうだいぶ長い事、あすこの古道具屋にお住まいでございますよねぇ?」

いかにも不思議そうな様子で、逆に尋ねてくる。


 長二郎も雪輪から何も聞いていないわけではない。一応土々呂については、『何でも知っている』、『どこにでも現れる』という事は聞いていた。そして『雪輪がコイツを嫌っているようだ』という点も、長二郎は言われなくたってわかっている。更に言えば、好意を持たれていない相手の周囲をウロつく事を、『付き纏っている』と世の中では表現するのだ。けれどそういった諸々は出さず


「まぁ無口な人だからね……何かこう、因縁でもあるんですか?」

まるで知らない顔で訊いた。初めて土々呂が庭へ現れた時の雪輪の態度は、まるで親の仇を見た時のようだったからである。それを聞くなり、土々呂は青年の方へ身体を傾げて言った。


「そんなまさか! アタシは雪輪様に因縁なんざ一つもありゃあしませんよ! ……とは申せ。アタシはともかく、あのお方に関わって、遺恨を残して世を去った者は大勢おりましょうがねぇ」

 持って回った風に言う。口元には薄笑いが浮かんでいた。


「穏やかじゃないなぁ」

「へっへへ」

 長二郎は凭れていた壁を離れ土々呂に近づくと、握った片手を差し出す。


「あいにく手持ちがコレしか無いんだ。コレで手打ちにしてくれませんか」

 開いた掌には小銭が乗っていた。差し出された土々呂は

「いやいや、こんなもの! 見くびっちゃ困ります」

と仰け反る。だが二秒後には「そんなに仰るなら……」とぶつぶつ言い、受け取った小銭を懐へ仕舞いこんだ。そして声を低くし


「貴方様も、雪輪様の神通力はご存じでございましょう? あれが因果の元なんでございます」

物々しく語りだした。


「神通力?」

「『子授けの神通力』でございますよ」

 首を傾げていた長二郎も、その言でやっと思い出した。


「ああ……腹に触れると、女が身篭るっていう?」

 そんな話、もはや忘れていた。苦笑と共に答える長二郎にも怯まず、土々呂は熱っぽく話を続ける。


「世に知られた加持祈祷やまじないなんてものは、全てと申して良いほど欺罔ぎもうでございます。然りながら、雪輪様のアレだけは正真正銘、霊験あらたかな本物の神通力!」

「見てきたように言うんだね」

 青年が茶化すと、白尽くめの薬売りは一層改まった口調で「ようござンすか」と言った。


「たしかにアタシは何処の馬の骨とも知れぬ薬売り。ですが、これだけはお信じくださいまし」

「あの人のこと、詳しく知っているの?」

「そりゃもう、ずーっと見て参ったんでございます。ここについては、決してウソなど申しません」

 土々呂の主張を聞きながら長二郎は再び軒下にしゃがみ込み、壁に背を預けた。


「『子授け』って、雪輪ちゃんが女の腹に触るって話しですよね? 触ると孕むんですか? すぐに?」

「ヘヘエ、そりゃあもう、雪輪様の手で腹に触れられた女は、その後必ず孕んで子を産むと、こういうことでございます」

「ふぅん……まぁ聞くだけ聞いてみようか。その神通力がどうしたって?」

 雨宿りの暇にあかせて、長二郎は土々呂の話に耳を傾けることにした。


「へぇへぇ。あれは雪輪様がまだ五つの頃でございました。下女として屋敷に出入りしていた村の女がおりましてな。嫁に行ったが子が出来ませんで。ご挨拶に上がったその女の腹に、雪輪様が小さな戯れで触れたんでございます。『赤子が来ますように』、とね。するとこれが、二月もしないうちに孕んだことがわかりまして、アラ嬉しや! この女が喜んで、『ひいさまにお腹を撫でてもらうと子が出来る』と、あっちこっちに触れ回り、たちまち村中の夫婦が雪輪様を拝もうと、屋敷の前で列を成すようになりましてねぇ……」


 当時、五歳にして既に異様な気配を纏っていた雪輪は、村人たちから恐れられていたと土々呂は語る。しかし子授けの一件が切欠となり、周囲の様子が変わった。


 村では雪輪の弟である狭霧が生まれたのを最後に、どこの家もパッタリ子宝に恵まれなくなっていた。妊娠の兆候すらない。そこで米や野菜を賽銭代わりに、お伊勢参りよろしく湾凪の家を訪ねるのが流行りになった。やがて月日が過ぎ、子供が次々と生まれ始める。極めて順調に赤ん坊の数が増えるにつれて、雪輪の『神通力』は神性と霊験を帯び始めた。


「翌年からはおめでた続き。村じゃお祭りのような騒ぎでございます。噂を聞きつけ遠方の御新造、お内儀方が、子を授けて頂こうと遥々やって来られた事もありました。これも見事に孕ませまして、湾凪のおひいさまは子授け観音様だと崇め奉られたもんでございます」


 村で嫁入りが決まると、雪輪の所へ花嫁を連れて来るのが恒例になった。子が無いことで悩んでいる夫婦を探してきては、殿様や姫様に口利きをしてやると言って小金を稼ぐ者も現れたという。


 しかしそんな子授け騒ぎも、数年を過ぎると下火になった。雪輪の両親が、娘を人前に出すのをやめたのである。そしてこのまま終息して消えると思われた騒動だったが、十年後。事態は誰も予想していなかった結末を迎えた。


「何と村の子供が突然、一人残らず死んじまったんでございますよ」

 内容の痛ましさとは裏腹に、土々呂は実に軽やかな言い様だった。


「死んだ?」

「へえ。村じゃ『お山の祟り』だ『ひいさまの呪い』だあってんで、大騒ぎしてましたっけ」

「呪いって……本当にそうだったのか? 間違いなく?」

 畳みかける長二郎に、土々呂は頷いている風にみえなくもない曖昧な首の振り方で答える。


「ハァ、子供がみんな高い熱に浮かされましてね。舌は真っ赤に腫れあがるわ、体中に赤い粟粒みたいな発疹が出るわ……次々死んでいく様に、村の者は恐れ戦いておりましたよ」

 恐ろしげに言う。薬売りの返事で、聞き役の書生は呆れた。


「それは単なる流行はやりやまいだったんじゃないのか?」

 その途端、白尽くめの男はむくんだような真っ黒の手を叩き、更に大きな声を上げる。


「いやぁさすが! 帝都の学校に通うような書生さんは、仰る事も開明的でござんすねぇ! でも山奥のあの田舎村じゃあ、『呪い』が大きな顔して罷り通っちまったんでございますよ。ま、あの頃はそんな話が湧いて出るのも、致し方の無い事情がありましたもんで……」

 言いながら、背中と一緒に肩がだんだん丸まっていく。


 土々呂が語った『事情』とは、雪輪の父親に関することだった。


「雪輪様の御父上である抛雪ひょうせつ様は、昔の知行地だった幾つかの山の開発に手を出していたんでございます。こちらの山は必ずや銅が出ますと囁かれ、それを信じて大変な金と時間をつぎ込みましてねぇ」

 土々呂は言った。


 農業も商売も、本格的な事業として成功させることは容易ではない。失敗例は巷間に溢れていた。こういった状況の中で、山の開発に賭けたのかもしれないとは、若輩の長二郎でも想像出来た。だが


「これが最初に、ちーっとばかり銅が出ただけで、後はなーんにも出なかったんですよぉ! 山が穴だらけになっただけ! 借金の山が残っただけ! こんなのはよくある話だそうですがねぇ。この失敗がよほど堪えたか、山を閉鎖した後、すぐに殿様は病に臥せってしまわれまして……」

 嘆かわしげに声を高くし、土々呂は語る。


 『いつか出る』『もうすぐ出る』と掘り進めても、有望な鉱床は見つからず。投資が膨大になればなるほど引っ込みもつかなくなり、ある時ハタと気付いて振り返れば、そこには荒れ果てた山と借金だけが残っていたのだろう。おまけにこの開発話を持って来た帝都の実業家とやらは、事前に逃げてしまったという。危険を察知する能力といい、契約の知識や投資の手腕といい、相手の方が一枚も二枚も上手だったのだろう。


 結局世間知らずのお殿様が一人で方々を走り回り、知人や親戚中に頭を下げ、どうにか膨大な借金だけは片付けたらしい。寝込みたくもなっただろうなと長二郎が考えている傍らで、薬売りは更に話を続けた。


「そうして寝込んだ折、村の者どもは『罰が当たった』と陰口を叩きましてねぇ。それまでは殿様から金を借りたり、奥様の古手を頂戴したりと、お世話になっておきながら、鉱山から何も出ないとわかると知らぬ存ぜぬ。ご病気は殿様の欲が招いたと言い出す始末。人心の荒廃極まれりといった風でございました」

 そこまで言い、土々呂は溜息をつく。


 自分も図々しい方の人間だと自覚している長二郎だが、話を聞いてちょっと嫌な顔をした。失敗すれば責められ、成功すれば妬まれるのが世の常である。そしてかつて威張りくさり、金儲けを卑しいと言っていた武家の人間が、今になって必死に金儲けを始めた末に破綻したとなれば、物笑いの種にもなるだろう。だが村人たちの取った態度が事実だとすれば、あまりにも残酷なのではないだろうか。


「村の連中は、手のひらを返したわけだ?」

「そのとおり! 話しがお早い!」

 相槌と一緒に、薬売りはポンと手を打つ。


「たしかに『山に入るな』って村の口伝は破りましたよ? ええ、『禁足地』とされたお山がございましてな。そこも掘ったもんですから……しかしそれも貧しい村と、御家の先々を考えての事。舞い込んだ開発話に一口、二口乗ったのは、湾凪の殿様お一人ではないでしょうに。殿様のお見舞いにも伺わず、奥様が恥を忍んで米を分けてほしいと頼みに来ても断る有様。奇病が村の子らを襲いましたのは、こうして抛雪様が亡くなられ、ちょうど一年が過ぎた頃でございました」


 その災いは、ある日何の予兆も無くやって来た。そして十歳以下の子供が全滅するという結末まで、あっという間の出来事だった。


 最初の子が熱を出したと思ったら、三日と経たずにそれが村中へ拡がったのである。しかもここへ悪天候が重なった。大雨で橋は流され道は塞がれ、山奥の小さな村は山中に閉じ込められるような格好になってしまったのだ。近隣の町村へ医者を呼ぶ暇も、薬を求める時間も無いまま、子供達は死んでいった。ようやく医者が来た時には手遅れで、最後の子が息を引き取るまで、二週間とかからなかった。


「村中の家が葬式ですよ。一々やってられねぇと大穴掘りましてね。まとめて埋めるって具合で。子供という子供が死んじまったもんですから、その後はまるで死んだような村になったもんです」

「生き残った子は、一人もいなかったんですか?」

「へえ、生まれたばかりの赤ン坊まで一人も残りませんでした。せっかく雪輪様の『神通力』で授かった子供らだったんですがねぇ……惨い話でございます。死んだ幼い五人兄弟の後を追い、首を括った夫婦もいたほどで」

「惨いな……それで神通力のある雪輪ちゃんが、子供達を呪い殺したという噂が広まったのか?」

「ええもう、どなた様もまことにお気の毒様としか申しようがございませんで……イヒヒヒヒヒヒッ!」


 土々呂が急に変な声を出し始めた。引きつけでも起こしたか、泣いているのかと思ったら違った。笑っている。土々呂の態度に『何だこいつは』と違和感を覚えた長二郎だったが、そこは見て見ぬ顔をした。


「……それで?」

「へい?」

「因果と神通力はわかったよ。それでお前は、どうしてあの人に付き纏っているんだい?」

 笑顔で当初の質問を繰り返す青年に、薬売りは笠の下で黄ばんだ歯を剥き出しにした。


「アタシは薬売りでございますよ? 町から町への旅暮らし。今日は東、明日は西。薬を売り歩く先々で、見知った方に偶然お会いする事くらい、幾度もあるってモンでございましょう?」

 真実めいた事を、しゃあしゃあと言ってのける。長二郎は手応えのある返答を求めるのは無理そうだと理解した。


「付き纏っているわけじゃないってことか」

 こちらも物わかりのよい顔で頷き、また空を見上げる。


 見上げた空から降る雨は上がっていない。だが、さっきまで濃い灰色だった空は乳白色に近付いていた。少し離れた場所で蹲っていた土々呂も、雨の薄くなってきた気配に気づいたようで、「どっこいしょ」とつぶれた声で呟き腰を上げる。薬売りは丸まっていた腰を伸ばし、樽のような身体を動かしつつ声をかけてきた。


「昔は昔、今は今。過去や因果はそれとして、雪輪様もせっかく華の帝都へ上ってらしたんです。暗い部屋なぞ閉じこもらず、もっと外へお出でなさいましと貴方様からも仰って下さいませんかね?」

 語る土々呂の様は、いかにも商人らしいそれだった。


「この映し世の僅かな時間、面白おかしく暮らさなけりゃあ、勿体無いってモンじゃございませんか」

「そういうものかな?」

 まだ空を見上げたまま、ぼそりと零した長二郎の言葉に、土々呂は殊更な大声で言う。


「そうでござんしょうとも! 人の一生一寸先は闇。映し世は全て塵と影。夢幻の如くなりと申しましょう? 明日も今日と同じに生きているなどと、そんな証はどこにもありゃあしませんよ。例えばその新聞にも載っておりますが、恵比寿屋の弟が捕まったそうでございます。親方にも腕を認められ、職人としていよいよって時に、こんなことになるんでございますからねぇ」


 巨大な葛篭を担いだ薬売りに言われ、長二郎の方がびっくりした。見ると、新聞が懐からはみ出ている。帰ったら読もうと思っていた新聞を、あわてて引っ張り出した。


「恵比寿屋の弟……て、たしか浄吉とか言ったよな? 捕まったのか?」

 該当記事を探している長二郎をよそに

「へいへい。世の中どこで何がどうなるか、わからないもんでござんすねぇ」

声を出さずに肩で笑った白尽くめの薬売りは、葛篭を背負い直す。葛篭が揺れるたび、一体中に何が入っているのかゴトン、ガサンと音がする。


「では、アタシはこれで失礼させて頂きます」


 薬売りは笠の乗った頭を下げ、淡くなってきた白い雨の向こうへと消えて行った。

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