Long Goodbye
こうして鹿目は、親の心子知らずというか。
女中の何たるかも理解しないまま、華族屋敷で女中になった。
半襟や前垂れ、襷の紐などが支給される。ぼさぼさ頭も束髪に結えば、格好はついた。しかし皿洗いをさせれば皿を割り、針を持たせれば縫い針を折る鹿目は、早々に井戸の水汲み、荷運びに回される。体力の必要な洗濯や、下掃除にも駆り出された。華やかな接客やお給仕には、呼ばれもしない。
鹿目は人前で屁をひっては叱られ、桶を壊しては怒られる。気まぐれと気の利かなさで、「猫のようだ」と言われ追っ払われた。役に立たないというくらいの意味だろう。馬鹿にされても、言われる側は三歩も歩けば忘れてしまうから、苦にはならない。
馬丁の日野という爺さんが、お屋敷の大事な馬に触らせてくれればそれだけで楽しかった。
他にも離れの奥座敷にいる『お姉さま』が、どうしてだか鹿目を可愛がってくださる。耶蘇のナンタラというお経みたいなのを聞かされるのは面倒くさかったが、顔を見ればお菓子や水飴だけでなく、筆や絵具もくれた。学校でウリボウみたいな女先生から、つまらない修身のお小言を聞かされていたのよりは、ずっと好きだった。
そこそこうまくやっている。と、思っている。
ただ一人、小さなお嬢様だけが駄目だった。
「柾樹兄さまは、紅葉のなのに!」
そう言って、可愛い顔でぷんぷん怒る。
鹿目が総領様を、「兄ちゃん」と呼んだのがいけなかった。そう呼んで良いのは自分だけだというのが、お嬢様の理屈だったのである。「あっちに行って!」と怒られて、嫌われてしまった。
「紅葉の、遊び相手になるかと思ったんだがな」
当の総領様は、そう言って苦笑していた。
琥珀色の髪をして眼鏡をかけた、背の高いこの方が『柾樹様』と仰るのだと、鹿目はかなり後になって覚えた。偉そうだが、何がどうして偉い人なのかは未だによくわかっていない。屋敷の人達は乱暴で怖い小鬼様だと口を揃えるが、鹿目は怖くなかった。
銀縁眼鏡のお方とは、お屋敷の台所で一緒に味噌汁を作った仲でもある。
奉公へ上がって以来、下っ端女中はお側に侍るどころか、跡取り様のお部屋へ入ることも許されていなかった。
とはいえ、特別といえなくもない役目も与えられている。
「鹿目、下駄」
その日も、春のそよ風が総領様の呼ぶ声を運んできた。
聞こえた鹿目は、庭の八手の草陰から兎みたいに跳んで出る。風呂敷に包んだ弁当箱を抱え、縁側へと駆け寄って跪き庭下駄を直した。
総領様がいらっしゃる時、鹿目はこうして外で控えている。
呼ばれたら、ささと走って出て行き下駄をお直しするという、これが仕事だった。他の奉公人たちは呼ばれない。鹿目だけだった。特別扱いと言えなくもない。
でも冬は寒かったし、庭先で走り回っている様を「犬のようだ」と笑われた。総領様の「草履取り」で、「腰巾着」とか言われている。
だが何と言われようと、鹿目はこのお役目に不満はなかった。
南に面したここは、日向ぼっこにちょうど良い。じめじめした女中部屋や台所の周りより、気に入っていた。女中達の紅白粉がどうだの、誰と彼とがくっついただのといったお喋りを聞いているよりも、お庭の池の魚たちと歌ったり、松の葉っぱの数を数えたりする方が良かった。
それに総領様の付近にいれば、良いこともある。綺麗な本や、高価な写真機にだって触らせてもらえた。何よりもこれまで聞いたこともなかった、美しい楽器の音色が聞こえたりするのだ。
「天ぷらは持って来たか?」
目つきの悪い偉そうな人は悠々と庭へ降りると、ちびの女中へ確認した。
手にはバイオリンのケースを提げている。日向へ出ると、金茶色の髪が日に透けてきらきら光った。鹿目はそれを眺め、女中頭のお糸が「近頃、柾樹坊ちゃんのお髪の色が、元に戻ってきた気がするね」と話していたのを思い出す。
「うん。ハイ」
頷いた女中は、風呂敷に包まれたものを両手でささげた。
さっき総領様に取ってくるよう命じられ、お勝手で「これを」と渡されてきたのである。弁当箱の中には、蓮根と長芋と、海老の天ぷらが入っていた。料理番の話しでは、作るよう指図をしたのは、この人だという。
返事を言い直した少女に総領様は変な顔をしたが、それ以上は追求しなかった。
鹿目は『お返事をする時は「はい」と言うように』と、あるお方から言われたのを守っている。でもどちらもそこに触れないし、知らないままだった。
「何だ?」
無作法にじいっと見上げるちびの女中へ、総領様が眼鏡越しに横目で尋ねる。
実は鹿目は、あの銀縁の眼鏡を触ってみたくて仕方ない。もちろん触らせてはもらえなかった。
「兄ちゃん。何でおいらを拾ったの?」
急に気分が変わった鹿目は小首を傾げ、これまで何度か問うてきたことを尋ねる。問われた人は聞くだけ損をしたと言いたげな目をして、踵を返すと歩き出してしまった。
母屋の建物に沿って玄関の前を通り、北の裏庭へと向かうのだ。鹿目は、そのお供をすることになっていた。
「『おいら』じゃなくて」
「……『わたし』、を拾ったんですか」
足の速い人の後を追って歩きながら、弁当箱を抱えた鹿目は言い直す。
「言っただろ。腹を空かせていたからだよ」
少女の方を見もしないで、素っ気ない答えが返ってきた。だがそんな説明をされても、納得していないから聞いているのである。
「腹の減ってる奴なら、帝都にいくらでもいるじゃないか」
尚も鹿目は食い下がった。総領様の左隣まで駆け足で近付き、声を小さくする。
「ね、やっぱり『ひいさま』のこと、知ってるの?」
「まだ言ってるのか。しつこい奴だな」
正面から目を逸らさず、総領様は建物の角を曲がって行ってしまった。相手にされなかった鹿目は、ぶうと頬を膨らませる。
どうも怪しい。総領様はきっと何かを隠していると、鹿目は疑っていた。
このお屋敷へ来る、少し前である。
父母に叱られた鹿目は、家出をした。街中でぶらぶらしていたら、白尽くめの薬売りが寄ってきた。そいつは「子授け観音が帝都にいますよ」、「困っているならそちらを頼りなさい」と、親切に勧めてくれたのだ。
それは母のおしんに聞かされてきた、故郷の『山の神』のことだった。『子授けの神様』である。
山の神から神通力を与えられた『ひいさま』によって、鹿目も生まれたという話。父は迷信だと馬鹿にしていたが、鹿目にとってその神様の存在は自明過ぎて、何故疑うのかがわからないくらいだった。正体とか仕組みとかは、気にしたことがない。要するに母の母に連なる存在で、遠い親戚みたいなものだと理解していた。今もそうである。そしてそこだけわかっていれば、他は問題にならない。
薬売りは、子授け観音の『ひいさま』は、これからとても良いところへお引越しをなさる。お供をするなら早めになさいと言った。
今より良いところなら、鹿目も連れて行ってほしいものだと考えた。
そこが、両国橋の近くだったのは間違いない。古道具屋の蔵の二階には、たしかにお姫様が隠れていた。
母が言った通り、お姫様は肌が真っ白で、髪と瞳は真っ黒で、身体が小刻みに震えていた。『雪輪様』と仰って、口数は多くは無く、周囲の気配さえもがひんやりと冷たい人だった。厳しくて少し怖かったけれど、近くにいると何故だか安心もして、鹿目は嫌いではなかった。
それから色々あって鹿目は旅に出るのをやめ、一度家へ帰っている。
でも母が死んで父に殴られ、また帝都をうろうろと彷徨う羽目になった。
心細くなった鹿目は無性に、ひいさまに会いたくなった。だけど、もう会えなかった。あの古道具屋の場所さえ見つけられなくなってしまったのだ。つまり「来るな」と言われているのだと、鹿目は本能に近い部分で覚った。自分は、旅には置いていかれてしまったのだろう。
家には帰れないし、旅には置いていかれる。がっかりして、隅田川の草むらでべしょべしょ泣いていた。
そこへまるで、代わりのように現れたのが駿河台の大身上、人も羨む相内家の一人息子だった。
――――……お前、もしかして……『鹿目』か?
川辺で会った時、総領様は鹿目の名前を言い当てた。
どうしてと後日に尋ねれば、門番青年から聞いて、特徴を知っていたと説明された。
ひいさまの隠れていた両国の蔵を忍び出た直後、鹿目はたまたま居合わせたこの屋敷の門番である与八郎に捕まっている。そうなれば必然、総領様が下宿していた古道具屋こそ、ひいさまのいた古道具屋ではないかという答えになった。
けれど総領様には、「蔵にそんな奴はいなかった」と片付けられる。
変な幽霊話のある家だったから、お前が見たのはそれだったのだろうとか言われて、相手にされない。
とても怪しい。総領様は、ひいさまと何か因縁があるのではと、鹿目は疑っている。
が、眼鏡の人は知らぬ存ぜぬで通していた。
「女中はいたが、姫様なんざ、世話した覚えはねぇよ」
「あ! トカゲだッ!」
「聞けよ」
それまでの話しを放り出し、玄関の壁を這っていた蜥蜴に飛びついた女中に、総領様も足を止めた。蜥蜴より優先順位が低いみたいな扱いをされて、表情はやや憮然としている。
「下宿の友達は、今はどうしてるんだい?」
獲物を捕まえ満足した鹿目は、細長い蜥蜴の胴体を握ったまま尋ねた。立派な青い尻尾の蜥蜴は怒って、鹿目の指に噛み付いている。
「白岡なんかは、たまに会うけどな……今じゃ、あいつも若旦那で暇じゃねぇんだよ。田上の奴も、相変わらず忙しいらしくてな」
「ふうーん」
そんな二人の会話へ、別の少女の甲高い声が横から飛び込んできた。
「ああー! また鹿目が、柾樹兄さまと遊んでる! 駄目って言ってるのにッ!」
玄関ホールで地団駄踏んでいたのは、大きなリボンが目印の小さいお嬢様だった。
「遊んでないよ。おいら、トカゲと遊んでるんだ」
「きゃああああ!?」
ずいと差し出された蜥蜴に、紅葉お嬢様は悲鳴を上げる。年配の女中の後ろへ、あわてて隠れてしまった。今にも総領様と鹿目の間に割って入りそうだった勢いも、消えてしまう。
「お前ら半年も経つんだから、いいかげん諦めて仲良くしろよ」
若い叔父様に言われても、お嬢様は断固拒否の構え。べえ! と舌を出した。
「いや! 紅葉は、鹿目なんかキライだ!」
「別にいいもん」
怒っている紅葉様に、鹿目は口を尖らせ言い返した。声が控えめになっただけ、使用人らしく遠慮がちになったのである。
「さ、お嬢様。踊りのお稽古のお時間でございますから」
お嬢様を宥め、傍らの女中が笑って促した。
聞くところでは少し前まで、紅葉様も叔父上を真似して、お屋敷を抜け出していた。鹿目が与八郎に捕まったとき、このお嬢様が一緒にいたのはそのせいだった。しかし習い事のせいか、少し大人になられたのか、最近は逃亡しなくなったとのことだった。
女中にご機嫌を取られても、お嬢様はまだ承服しかねるといった膨れっ面をしている。鹿目が当然みたいな顔をして、総領様の後ろにいるのが気に食わないらしかった。
「柾樹兄さまも、お父っつぁまも、おっ母さまも、やすのおばさまも、おじいさまも、与八郎も、みんな、みーーーーんな、紅葉のなんだからなッ!!」
お嬢様は力いっぱい叫び、薄桃色の帯をひらめかせてお屋敷の奥へと走り去っていく。女中が総領様にお辞儀をして、後を追っていった。
好きなものは全部独り占めしたい、欲張りな小さいお嬢様が、鹿目と仲良くなるのは時間がかかりそうだった。
「大目に見てやれ。紅葉は機嫌が悪いんだ。与八郎が、兵隊に取られたからな」
やや声を落とし、総領様が呟く。そうして玄関を離れ、屋敷の北側に広がる裏庭の森の方へと進み始めた。
「門番の兄ちゃん? 何で?」
小走りで続き、びっくりして鹿目は尋ねる。与八郎が兵役の年齢となり、早速に順番が回ってきたというだけなのだが、鹿目には『何故』という疑問が先んじた。
「大陸で、戦があるんだよ」
銀縁眼鏡の総領様は、薄暗い北の森へと立ち入り蒼い闇の先を見つめて呟く。裏庭を貫く細い道は淡い木漏れ日が射し込み、半ば草に隠れた獣道のようだった。
「そうなの? いつ終わるの?」
「まだ始まってねぇよ」
物知らずな女中の質問は、遠慮なく一蹴される。
「どうして戦になるの?」
鹿目はまたしつこく尋ねた。下々のうちでも下っ端に属する小娘は、上級な世界の条約や駆け引きなんぞ関係がない。であるからして、知らないことに恥も何も無かった。
「世の中が、大変だからだろ」
「大変だから、もっと大変なことするのかい? 変なの」
総領様が折角教えてくれたのに、鹿目は鼻をほじり、的外れな感想を垂れて終わる。
「まぁ……これから先はずっと、戦をし続ける世の中になるだろうな」
青い森の奥へ視線を向け、総領様が醒めた声で、独り言のように言った。
威嚇と威圧、鍔迫り合いと小競り合いは散発していても、名前のつく開戦には至っていない。それでも時代の幕の向こうから、硝煙と血の気配は近付きつつあった。
「ふうん、つまらないなぁ」
鹿目はさびしくなって、下を向く。無口で厳つい門番青年の与八郎は、良い奴だったのだ。
この屋敷で再会した際には鹿目も驚いたが、与八郎はもっと驚いていた。表情はほぼ変わっていなかったけれど、驚いていた。古道具屋の付近で捕まったり、捕まえたりした間柄である。小さいお嬢様も「あ、どろぼう!」と大騒ぎだった。後で鹿目の泥棒疑惑は晴れたので、それはさておき。
鹿目はこっそりと与八郎に近寄り、古道具屋の『子授け観音』の件も確認した。
だが厳つい青年は、「たしかに、そういう木製の観音像があった」と答えるのみだった。
そうじゃない、真っ白なお姫様だと小娘が言っても、そこについては怪訝そうな顔をするだけで首を振る。
そのときは面白くなかった鹿目だが、与八郎は嫌いではなかった。花火の日、見っともない少女の話しを聞いてくれた青年は、下っ端女中の話しも聞いてくれる良い奴だったのだ。
だから紅葉お嬢様も、かなしいのだろうと鹿目は思った。
さっき叫んだ声も、精一杯強がっている声だった。好きな人がいなくなってしまうのが、嬉しいわけがない。
青草に湿った地面から目を上げれば、いつの間にか背の高い人は、随分と前に行ってしまっていた。急いで追いついた鹿目の前で、薄暗い視界が俄かに広がる。
森の中央のそこだけ、ぽっかりと青い空が開けていた。
なだらかな傾斜をつくる地面には、空の光を映す薄緑色の静かな池と、真新しい小さなお社が建っている。
「天ぷらは、そこに置け」
「はぁい」
総領様に言われた鹿目は、祠のような小さなお社へと駆け寄り、風呂敷を解いて弁当箱の蓋を開けた。
黒い弁当箱の底には懐紙が敷かれ、長芋や海老の天ぷらが重なっている。社の前に組まれている石段の上へ、弁当箱ごと供えた。作法は知らないので、とりあえず元気よく柏手を打つ。
「ここって元は、古い井戸があったんだろ? 古過ぎて崩れちまったって、お糸さんが言ってたよ」
お辞儀をしてから、隣を振り仰いで鹿目は尋ねた。
「ああ、まさかこんな池になるとは、思っていなかったけどな」
総領様はお社を拝む気配もなく、池を眺めている。
古井戸が陥没して出来たという池の周囲は、まだデコボコしていた。土が剥き出しになっている部分もある。しかし水辺は春に芽吹いた真新しい草と花とに彩られ、水面には白い蝶が舞っていた。最初はただの水溜りだったそうなのだが、自然と水が湧き出し、このような池になったという。緑色の水中では、銀色の小魚が群れをつくって泳いでいた。水溜りのまま放っておくと虫が増えるため、魚を放ったとのことだった。
「ねぇ兄ちゃん。どうして、お供えが天ぷらなんだい?」
美味しそうなお供えを凝視して、下っ端女中は疑問を口にする。
「頼まれたからだよ」
「誰に?」
「さあ……? 誰だったかな」
琥珀色の髪をした人ははぐらかして、他所を向いてしまった。近頃になって鹿目もわかってきたのだが、言いたい事しか言わないお方なのである。
「ケチらないで教えとくれよう!」
両手をぶんぶん横に振り、分際を弁えていない女中は駄々をこねた。総領様はうるさい犬を見るような顔をする。
「さっきからアレは何だ、コレは何だってうるせーな! バイオリン聞く前に帰るか!?」
「それはイヤだあー!!」
楽器の収められたケースを開ける総領様に怒鳴られると、怯むどころか嬉しそうな顔になって小娘は言い返した。
バイオリンをすぐ近くで聴けるという、鹿目はこれを楽しみに来たのである。
「兄ちゃん、これでバイオリンの弾き収めなんだろ。ちぇ!」
じっとしていられない小娘は、足元で伸びる草を勢いよく下駄足で蹴散らした。ついでに回し蹴りもしておいた。
総領様は跡取りで、この大屋敷の三代目になると決まっている。
これからは遠方への出張や、海の向こうにも行かなければならないだろうと使用人達が話していた。家や家族と離れて遠くへ行くのは、門番の与八郎ばかりではなく、総領様も同じなのだろう。「跡取りらしくなられた」と喜ぶ声と、「何だかお人変わりしたようだね」という声があった。
バイオリンも、今日が弾き収めだという。鹿目はお屋敷で聞けなくなってしまうと思うと、残念で仕方なかった。
「忙しくなるんだ。この社の世話も、今後はお前がやれ。わかったな」
「うん。ハイ」
新たな仕事を与えられた鹿目はケースを受け取り、上の空で返事する。飴色の楽器に、目は釘付けになっていた。
「わあ、変な形だなぁ……どうやって使うの? 巫女の梓弓みたいに、叩くの?」
バイオリンという名称も最近になって覚えた鹿目は、うきうきして尋ねる。
「梓弓なんて、そんな古いもん見たことあるのか?」
嬉しそうなちびの女中を、呆れたみたいに総領様が見下ろした。
「近所のおばさんが、流しの巫女に頼んで、死んだおじさんの魂を呼び寄せてたんだ。みんなは、あんなの嘘だって言ってたけど、おいらは違うと思うよ」
両腕で楽器のケースを抱えた鹿目は得意満面で、本郷の親元に暮らしていた時の話しを披露した。
「へえ……死人が戻って来たか?」
と、いつも鹿目を適当にあしらう総領様が、不思議な静けさを宿した眼で問いかけてくる。
見つめられた途端、ちびの女中は気まずいというか、変にどぎまぎして赤くなっていく顔を横に振った。
「え、来やしねぇさ! 聞こえるだけだよ。こっちのことは、向こうに届くんだよ。ちゃあんと届くんだよ。お母が、そう言ってたんだもん!」
動揺を隠そうと大急ぎで答え、後は膝を抱えて丸くなる。
「そうか。じゃあ……こいつも聞こえるかな」
呟いた総領様の横顔が微かに笑うと、弓がゆっくりと滑ってバイオリンが、りんと鳴った。弾くのに相応しい場所ではないから、音は木々や空へと吸い込まれ消えてしまう。
それを知ってもまだ鳴り続ける異国の楽器は、戻らない魂を呼ぶ古い弓と、どこか似ていた。
読了ありがとうございました!




