帰結
大工たちの間をすり抜け古道具屋の蔵まで来た柾樹は、そこで白髪まじりの中肉中背とバッタリ会った。
「はい、ちょいとごめんなさいよ」
そう言いながら鼻歌と共に去っていった男は、理髪床屋の主人。
数鹿流堂は崩れてしまった。でも瓦の隙間に草を生やした黒い蔵は、今日も何も無かったように鎮座している。
その蔵の分厚い扉は開かれ、長二郎が入口に凭れて「やあ」と挨拶した。足元では千尋が、行き倒れたみたいに倒れている。
「ああ、柾樹か……遅かったな」
鈍い動きで起き上がった千尋が、疲労の溢れる笑顔を見せた。
「何があったんだ?」
柾樹は遠ざかる理髪床屋の背から、正面へ視線を移して尋ねる。長二郎が、母屋のあった方を指差した。
「数鹿流堂が、こうなっただろう? 袋田さん、自分の預けた古道具はどうなったと心配して、訪ねて来たんだよ」
「お互いに、間が悪くてな……。オレ達と今まで、すれ違ってばかりだったそうだ」
千尋も蔵の入口にある段に座り、事情を話しはじめる。
理髪床屋と言えば、町内の寄り合いと同じだった。
袋田氏の耳にも早々、古道具屋が物質的に潰れた報せが入る。暇の有り余っている客達は「両国のガラクタ屋が、『竜巻』でぶち壊れた」、「あんな静かに壊れるものか、誰かが壊したのだ」「いや、きっと柱が腐って崩れたに違いない」などと、勘ぐりを競い合って騒ぐ。
床屋の主人もこの祭りに乗らねば負けとばかり、仕事を放り出して数鹿流堂を見に来ていた。しかし留守番の書生たちは、床屋の遊び相手をしている場合ではない。人を集めたり、古道具集めと建物修繕の手配、どさくさ紛れの火事場泥棒にも注意を払わなければならなかった。特に柾樹はあれから二日間、眠りっぱなしだったのである。そうこうしているだけで数日が経ってしまった。
そして今日、袋田氏はやっと見つけた古道具屋の留守居頭こと千尋に、喜んで飛びついていたのである。
「古道具……? あの、赤い小袖か?」
「他にも置いてあっただろう。米研ぎ桶と、弁慶の数珠と」
柾樹の発言を、千尋がふぬけた表情で繋いだ。数鹿流堂に預けていた(女房が勝手に持ち込んだのだが)、『松尾芭蕉が旅で使った風呂敷』と、『坂田金時の米磨桶』。
「あんなもん、あっても無くても同じだろ……」
「うむ。本人も預けたことさえ忘れていたと思うけどな」
銀縁眼鏡の小声に、長二郎も頷いた。
「それでどうした?」
「どれも見当たりませんと、この白岡君は正直に伝えて詫びたのさ。風で飛んだんだろうとね。そうしたらあちらさん、胸をかきむしり地面を叩いて、腸が切れたと言わんばかりの嘆き苦しみよう」
「嘆き……? 鼻歌まじりだったぞ?」
「小袖と、桶と数珠と。合わせて三円でどうだと持ち掛けたら、丸く収まったんだよ」
「あーそー」
長二郎と柾樹のやり取りを、千尋は下を向いて聞いている。米研ぎ桶など、他のどの道具屋や質屋へ持って行こうが三円という金と交換してはもらえない。騒いだ床屋の主人も、引き際は意外と心得ていた。
「柾樹の方は、具合はどうだ? その……“コヨーテ”に噛み付かれたところは?」
やや躊躇い気味の眼差しと口調で、千尋が尋ねる。
柾樹の左胸から首筋にかけて出来た青痣は、“コヨーテの拳銃”に噛み付かれた痕跡だった。
「痛くも痒くもねぇよ。姉貴どもがうるせぇから、医者にも一応診せた。俺にも痣の原因はわからんと言ってな。治るかと訊いたら、首を捻るばっかりだ。痣を消す薬も無いから、もう放っておく」
「そ、そうか……」
返事を聞き、千尋が弱り気な笑みを浮かべる。柾樹は不調も何もなく、痣は生まれつきそこにあったかという自然さで宿主に染み付いているのだった。
「それで、善五郎の手紙ってのは?」
柾樹が促すと
「ああ、うん。これだ」
急ぎ懐を探った千尋が、一通の手紙を取り出す。この古道具屋の主人、善五郎の手紙だった。手紙は葉書ではなく、便箋に綴られている。
「あいつら生きてたのか」
冗談と本気半分ずつで、柾樹が言った。
善五郎とおのぶは欧州を移動し続けており、どこに居るのかわからない。手紙も留守宅で受け取る一方だった。目的地に到着したのは確かめられていたが、長らく音沙汰が無かったのである。
「うん。面白く過ごしていたようだ。道案内や、宿の心配も無いからな。件の仏蘭西紳士と、その家族に紹介されて、巴里の芝居小屋やら名所巡りで、忙しくて手紙もご無沙汰になって申し訳ないと書いてある」
「結構だね。売り飛ばされてるんじゃないかとすら思っていたよ」
千尋が手紙を捲って話すと、長二郎が欠伸まじりに答えた。
善良で気前の良い異国の大商人氏は、屋敷に風呂も用意してくれるもてなしぶりだった。家族知人も中野の夫婦を面白がって、交際は広がる。ピエールさんの商売にくっついて歩く先で、善五郎もおのぶも、着物や髪の結い方を教えて欲しいと頼まれたりしていた。
「善五郎は周りに字を書いてくれの、歌を歌ってくれのと言われて大変だったそうだ。おのぶはもっと珍しがられて、行く先行く先で『芸者』と喜ばれる。周りのお世辞に乗って、梅坊主のヤアトコセを躍って……やりそうだなぁ。それから墺太利の財産家に気に入られて、あちこち湯治場まで連れて行ってもらっては、一週間や二週間……」
小さな身体で歌も歌えば、かっぽれも踊る。明るさと害の無さと、辺鄙で不思議な国からきた物珍しさが手伝って、古道具屋の夫婦は西洋の湯治場まで巡業していた。
旅先での二人の自由自在ぶりに、柾樹が怪しむ面になる。
「あいつら、外国語は話せなかったよな?」
「愛想で何となく通じてしまうんだよ、おのぶも善五郎も」
「どういう才能なんだ……」
今を全力で生きている中野の夫婦の行動力に、長二郎が空の彼方を見つめた。
夫婦揃って、横浜で知り合っただけの外国商人の懐へ、大した迷いも無く飛び込める人々だった。奉公暮らしによって磨かれた愛想で、可愛がられるのもうまい。遠慮しない性格に加え、不便だろうが嫌な目に合おうが大して引き摺らない神経の持ち主だった。腹が立てば怒り、嬉しければ喜ぶ。人間丸出しでいく、それが今回は良かった。
「これで欧羅巴巡りも落着した。この手紙を出したのが、伯林だ。これから中等車で、おのぶと帰途に着く予定だと……帰りは船じゃなくて陸路か。今頃、汽車で大陸を走っているかな?」
「汽車? 陸路? シベリアを……? 死ぬんじゃねぇのか……?」
「まだ冬の前だし、うまくいけば船より早いんじゃないかな?」
驚く柾樹へ、長二郎が頬を指先で掻いて答えた。鉄道は、まだ大陸を横断していない。東西を横切るには、馬車など他の手段も使う道程になる。常人なら遭難するが、きっとそこも飛び越えてしまえるのが善五郎たちだろうと、三人とも思うことにした。
「今月の晦日辺りには、こっちへ戻りたいと書いてあるよ」
そう言うと、折り畳んだ手紙を千尋は懐に仕舞いこむ。
「それまでには、ここも直るかな」
眩しい秋日和に目を細めた呉服屋の若旦那は、普請を見上げて息を吐いた。
「肝をつぶすだろうなぁ。出掛けて帰ってきたら、あばら家が新築みたいになっているなんて」
「うーん……おのぶはわからんが、善五郎は『前の方が良かった』と言うかもしれない」
腕を組んだ長二郎が笑いをかみ殺した顔で言うのを聞き、千尋は額を手で押さえ呻くように呟く。古ければ偉いというものではないが、新しければ良いとも限らない。何より留守を預かり下宿していたのが、泥棒除けや留守番とかいう以前に、建物自体が無くなってしまう事態となった。潰れたのは面目どころではない。
それでも建物だけは、慣れた職人たちの手にかかれば何がどこの骨組みで建具であるか、すぐに見当はついた。漆喰の壁などは修繕が必要とはいえ、建て直すのに然程の時間はかからないという。
「文句があったら元通り、隙間風が増えるように壁に二つ三つ、穴でも開けてやれ。古道具が減った分は、こっちで都合してやる」
「道具がどれだけあったかなんて、二人とも覚えてそうにないが……そういう問題では……」
涼しい顔した柾樹の言にも、留守居頭は力無くぼそぼそ囁いている。
「そういや田上の引き移った、新しい下宿はどうだ?」
「悪くない。良くしてもらっているよ」
ふと尋ねた柾樹に、癖毛頭を少し傾げて長二郎が返事をした。
数鹿流堂での生活が出来なくなったため、書生達はそれぞれ居住場所を移している。柾樹と千尋は自宅へ戻ったものの、長二郎は家が無かった。そこで急ぎ、引越し先を探したのだが。
「前から居眠りするほど、野村庵は居心地が良かったみたいだしなー」
「鈴とひとつ屋根の下で毎日飯を食って、住み悪いわけもないかー」
柾樹と千尋が交互に言い、視線がじろりと長二郎へ向かう。向けられた側はそれを避け、明後日の方を見ていた。
「いやまぁ、そこは偶然というかね。店の前でたまたま会った鈴に、数鹿流堂がぺしゃんこになったので下宿出来ないかと僕がふざけて尋ねたら向こうが思い掛けず大層気の毒がって、親父さん達まで僕の下宿を即断即決して、空き部屋もあるからとまで親切に言ってくれているのを断わるのも忍びないし、浅草なら学校にも近いから断わる理由も無いのと義理とその他が色々と……」
「……で、蕎麦屋の飯はうまいのか?」
「うまいです」
どこに言い訳しているのかべらべら喋った長二郎は、柾樹に問い質されると、あっさり首肯する。
元より少ない荷物を抱え、長二郎が宿を借りているのは浅草蔵前近くにある蕎麦屋だった。華族のお屋敷や老舗呉服屋の誘いには目もくれず、貧書生は小さな蕎麦屋へさっさと引き移ったのである。そして蕎麦屋の居候になった貧書生は、居心地よく暮らしているのが隠しきれずに頬が緩んでいた。
「暮白屋の方は、どうなった?」
「そうだ、おかるおばさんと、桜ちゃんは? 怪我は無かったんだよな」
友人達に実家の状況について確認された千尋は、軽く「うん」と頷いた。
「最初の二、三日は、警察や新聞記者も来て大変だった。他所の見舞いも来るし、みんな話しを聞きたがるし……」
「新聞で見たが……ありゃ何だ? 『土々呂』が、『とろろ』になっていたぞ? どこで山芋と混ざった?」
「僕も読んだ……。犯人が常陸生まれの『戸田新市』って……誰だよ?」
「オレだって知らん! 新聞屋が勝手に書いたんだ!」
柾樹と長二郎の質問に、千尋が頭と両手を大きく横に振る。
人々の又聞きや伝聞に加え、浅草奥山に鼠と関わるそれらしき見世物師がいるとの噂が先走った。結果、いい加減な記事が世に出てしまった。当該者は迷惑千万だろう。
「もし捕まったら、別人だから助けてやらなければならないなぁ。しかし……あんな騒動も、世間が騒ぐのなんて一時だけなんだよ……。『鼠使いの悪事』、『大山鳴動して鼠一匹』と、そんな記事が紙面に載ったら、解決したようになってしまった」
世間の移り気の速さに、呉服屋の若旦那は安堵と物足りなさの混じった顔になる。
「警察には、あれから何か聞かれたか?」
「聞かれたよ。例の『筋書き』を話したら、揃って怪しそうな顔をしていた。そりゃ怪しむだろう。『鼠使い』と『化猫使い』の騒動なんて、無理がある。でも、みんな見たと証言するだろう。盗みも人殺しも起きなかった。おまけに『駿河台のお屋敷の押し込み強盗』が出たからな……あちらの方が目立ったんだよ」
何となく居心地悪そうに、そわそわとして千尋は返す。
「大泥棒『服部文蔵』が、お大尽の屋敷で捕縛ときたらなぁ。これで弥助さんは大出世か」
長二郎の細面が苦笑した。
呉服屋の騒ぎより、もっと面白そうな話しが広まって警察と巷の注目と関心は、あっという間にそちらへ移ってしまったのである。
「それはわからないが……弥助は鼠使いの事件と文蔵が、裏で結びついているんじゃないかと熱心に推理していたよ」
「そいつは良い見当違いだな」
「弥助さんらしいというか、好感が持てる」
青年三人は蔵の前で静かに頷き合った。
真っ先に駿河台の屋敷へ駆けつけ大泥棒に縄をした弥助は、一躍時の人となったのだ。推理は役に立たずとも、少しは出世しそうな風が吹いていた。
「桜には、昨日会ったよ。もうすっかり良くなって、今日には看護婦養成所に戻って、いよいよ看護婦になる支度をすると張り切っていた。おっ母さんなんか、元気が戻り過ぎているくらいだ。ただ二人とも、あの日の蔵の中の事は記憶がぼやけて、よく思い出せないそうだ。それでも怖い思いをしたのを、思い出させなくてもいいだろうと」
千尋は楠の木陰を物憂げに見つめて、ぽつぽつ語る。
正体不明の怪物によって蔵に囚われた桜とおかるは、丸一晩寝込んだ。蔵の中で何が起こり、何を見たか。最初は二人とも、たくさんの鼠や、白尽くめの薬売りのようなのがいたとハッキリ語っていた。けれど時間の経過と共にその記憶は薄れ、何故か手繰り寄せられなくなっていく。周りは首を捻ったが、千尋の父、銀右ヱ門はこれ以上を問うなと、人々に命じた。
「元通りになったってことか」
話しを聞き終え、眼鏡を片手でかけ直すと柾樹が言った。
「……元通りじゃないだろう」
顔を薄暗く染めて千尋が呟く。大きな肩が落ちて萎んだ。
「古道具は半分近くも消えて無くなって、数鹿流堂はバラバラで…………雪輪さんが、いない」
不自然に言葉は途切れ、三人ともが黙り込む。
あの日、暮白屋の蔵から逃げた鼠の化物を追い、千尋と長二郎も数鹿流堂まで駆け戻った。
戻った古道具屋はまるで竜巻が通った後のようで、瓦礫の山と化し跡形もない。バラバラに崩れて積み上がった梁や柱、古道具の上に、柾樹一人が寝ていた。
二人とも、何が起こったか大体は理解した。頭のどこかで、「ああ、やっぱり」とも思った。
「オレは、やっぱり取り返しのつかないことをしたんだよ……。いくら桜やおっ母さんたちが、危なかったと言ったって」
人並みの良心の持ち主である千尋は、沈黙し続ける負荷に耐えきれず喋り出す。
「本当に申し訳ない……申し開きのしようもない。それでも雪輪さんの策を聞いたら、妙案だと鵜呑みにしてしまったんだ。あの人の言うことは、いつも正しかったから……。今まで通り、きっとこれで八方丸く収まると考えてしまって。でも、オレは雪輪さんを身代わりにしたかったんじゃないんだよ。土々呂に食われるのは、オレがやるつもりだったんだ。信じなくたって構わないが、嘘じゃないんだよ。他に方法は無いし、時間は過ぎるし気が気じゃない。選べることも限られていた。あんな正体のわからないものを向こうに回して、手段も見通しも、何も持っていなかったものだから」
頭を抱えて話し続ける千尋の大きな身体は、縮んで小さくなっていた。
「責任の取りようもないのは、わかっているんだ。今になってどの面下げてと思」
「俺が手に負えなかったものを、お前如きがどうこう出来るわけねぇだろうが!」
と、千尋が両手で抱えていた頭を柾樹の下駄が踏みつけて、長い懺悔は止まった。
「そ、そこはわかっているから詫びているんだろ! 最後まで言わせろ!」
「馬の小便みてぇに話しがダラダラ長げぇんだよ!」
「痛い! 痛い! 踏むな!」
頭を踏まれ、どぎつい言葉を浴びせられた千尋は、泣くのと怒るのが混ざった表情で叫んだ。しかし柾樹は鼻先で笑い、にべもない。
「土々呂の暴発で無駄死にする奴が、少なくとも二人いたかもしれねぇんだ。それが一人で片付いた。そう考えりゃ、悪い話しでもなかったんだろ」
捲くし立てるような早口で言うと、目を逸らしてしまう。
――――随分と薄情じゃないか。
とは、千尋も長二郎も口に出せない。蔵の前で再びの沈黙があった後。
「……アイツ言ってたぞ。ここで女中奉公が出来たのは、相当うれしかったらしい。自分には無理だと、思い込んでいたみたいでな」
「え?」
ぼそっと告げられた柾樹の言葉で、千尋が顔を上げ、長二郎も目を見開いた。語る柾樹の右手は、自分の首筋に出来た大痣を撫でている。
「だから、これで良かったんだろ」
柾樹の結論を聞くと、千尋の眉が下がり顔は泣きそうになった。
それとなく、救済が示されている。無力感と不面目は、せめて引き受けなければならない代償だった。
「まぁ、僕も……人にどうだこうだと、言えた身の上じゃないがね」
と、見物していた長二郎が口を挟む。
「こうなってしまった以上は、どうしようもないだろう? 後はせいぜい骨を折って、返すあてのない借りを、どこかへ返すしかないさ。後悔が、弔いにもなるかもしれない」
肩を竦めて言った。
長二郎は友人を庇う一方で、千尋が自己嫌悪に没頭するだけで、この大失敗を無駄にするのは認めていないのである。頭の切れ味が良くない若旦那もここはわかったようで涙ぐみ、両の拳を強く握り締めた。
「こうまでして、守ったんだ。オレがこの先に出来る仕事は……これから家をシッカリ盛り立てていくことだよな。今度はオレが、皆を守れるようにならないと。それしかないよな。いつか、少しは手向けの花になるように、覚悟を決めてやっていこうと思うよ。狭霧君も、何か世話をしてやらないと」
眦を擦って、そう誓った。その声は周囲で響き渡る槌音と、大工達の賑やかな掛け声とで、殆ど聞き取れるものではなかった。
「あーあ……駄目で元々、『逃げてくれ』と言ってやれば良かったのかなぁ?」
眩し過ぎる青空と白い薄雲を見つめ、長二郎が独り言みたいな締まりの無さで言う。
「あいつが逃げるわけないだろ」
「こちらの気分の話しだよ」
柾樹も独り言として呟き、彼らのやり取りはそれきりとなった。
現実が一つに集約した後になってますます、図々しい想像力はあれも出来た、これも出来たと幻を見せる。無節操な空想と願望は、三人から現実感を遠ざけていた。
それでもそろそろ、飲み込まなければならないのだとわかっている。
これまで通り、月と太陽は行き来し、どこからか風は吹き、花や虫や人は、生まれたり死んだりしている。
そして雪輪は、どこか遠くへ行ってしまった。




