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土蔵破り

 両国の広小路付近で柾樹を捕まえた巡査は、相手を田舎書生の悪童と思い込んでいた。

 遭遇するたびに逃げ回ってきた悪童は、交番まで引いていかれる。そこで髭の巡査の忠君愛国、忠孝一致についての説法が涙ながらに始まった。


「放蕩で道を踏み外してはならん」

「一寸の光陰、軽んずべからずというではないか」

「西洋流行にうつつを抜かしておる場合ではない」

「今は亡国の瀬戸際なるぞ」

「曲りなりにも書生ならば、全国農民の騒憂を知らぬではあるまい」

「生国はどこか、親御はお達者か……」


 とくとく話して聞かせ、根掘り葉掘り身分など聞く。そのうちに、仏頂面で返事もしない銀縁眼鏡の輩が、駿河台は子爵家のご嫡男と判明した。ここまでで一時間以上費やされている。


 これはもしや、捕まえたら駄目なのを捕まえたのではと、周りはざわつきだした。しかも巡査に捕縛された時点で、捕まった側はこれという悪さをしていない。強いて言えば、口と態度が悪かった。

 そして


「おうおう、聞いたぜ! ここの道楽眼鏡が、巡査の小野川殿に捕まって一時間も油を絞られたそうじゃねぇか! ざまぁみろってンだ!」

 弥助の耳にまで、こんな情報が届いてしまった。

 お節介な探偵男が、大喜びで古道具屋へやって来たのは、古時刻でいうところの夕七つといった時間だった。


「小野川殿の几帳面ときたら、警部殿もかなわねぇと名高いんだぜ? まぁ世話焼きの良い人なんだよ、悪く思うな!」

「うるせえよッ!」

 ご機嫌の笑顔と共に、短い足が古道具屋の数鹿流堂へ踏み込んだ途端、不機嫌そのものの柾樹が怒鳴り返した。連子窓から橙色の光が柔らかく射し込み、板の間で肩をいからせていた金茶頭が尖った目で睨んでいる。ただでさえ機嫌悪かったのが火に油を注がれ、目つきは更に凶悪になっていた。


「はは、こんにちは弥助さん」

 長二郎も苦笑いしつつ、客人を出迎える。 

 警察署で身元その他が判明し、やっと釈放された子爵家の御曹司は大変な遠回りの末、古道具屋へ戻ってきていた。

 だが柾樹の剣幕や大声にも、弥助はびくともしないでげらげら笑っている。


「まぁ今回ばかりは仕方なかったんだよ! これも良い薬だと思ってありがたく頂戴して……て、あれ? 何だ、お前ら二人だけか? 若旦那はどうした?」

 鳥打帽を脱いだ弥助が千尋の不在に気付き、家の奥の方を眺めて言った。


「ああ、千尋はご母堂の具合が良くないので、昼の午砲ドンの後くらいに日本橋の家の方へ」 

「ほー、そうだったのかい。しかし、お前さんも運がねぇなあ? どこで小野川殿に捕まったんだ?」

 長二郎が笑顔で答えると、まだ面白がっている口調で弥助が柾樹に尋ねる。


「両国橋の、すぐそこだよ。家から、こっちへ戻る途中に……」

「駿河台の屋敷か? へ、珍しいな? 帰ってたのか。お屋敷で何かあったのかい?」

 中年男は大きな目玉を剥いた。相内屋敷の眼鏡小僧が、警察探偵を使い走りにするほど今まで自邸に寄り付きたがらなかったのは、弥助も身をもって知っていた。


「何かってほどでは……」

「ん? どうした? 身内に不幸でもあったのか? そういや昨日の夕方、神田の方で雷が落ちたらしいな?」

「あー、ところで弥助さん、今日は何だか粋にサッパリしてますね? 散髪しました?」

 むすっと柾樹が言い淀んでいると、長二郎が横から口を出して弥助の頭髪へ話題が替わる。床屋に行ったばかりの髪は野暮とされるが、褒められれば悪い気はしない弥助は真っ直ぐな心根の持ち主だった。


「お、わかるか? へへ、うちの町内の床屋が片手バリカンなんて、新しい物仕入れたって言うからよ。俺が一番にあたってもらったんだよ」

「なるほど。道理で男ぶりが三割り増しになってると思ったら」

「何だよ、よせやい! 妙におべんちゃらが出るじゃねぇか!」

「いやいや、お世辞じゃなしに!」

 弥助は照れて頭を撫でつけ、モジモジくねくねしている。更に機嫌の良くなった中年男は、上がり框の定位置へ腰掛けた。帰る気が無いと、見る人が見ればわかる。


「……で、何しに来たんだよ?」

「折角だから、からかってやろうと思ったんだよ」

「そんなことのために来たんですかぁ?」

 疲れて溜息をつく柾樹と、ふざけている弥助を見て長二郎が正座した。すると中年男がにやりと笑う。


「何てな、実はそれだけじゃねぇんだ。お前らの耳にも、入れておいた方が良さそうなことがあってな」

 そう言って、弥助は短い足を組んだ。


「この頃、手強い土蔵破むすめしが帝都に潜んでるんだ。どうせお前ら、ボヤボヤしてやがるだろうと思って来たんだよ」

「土蔵破?」

「え……強盗ですか?」

 中年男がテカテカの丸顔を真面目に直して語るので、書生二人の表情も幾分か硬くなった。


「ああ、『服部文蔵』って男でな。『土蔵破むすめし文蔵ぶんざ』と言えば、ちったぁ名が知れてるんだ。ここ二年ほど『平民、石田四郎』と偽名ぼけなを使って、向島は三回みめぐり稲荷の辺りで道具屋の顔をして潜んでいた。これの正体が大泥棒だったんだよ。武州や下総まで稼ぎに行っては帝都へ戻り、普段は近所の隠居爺さんたちの遊び相手をして暮らしていた。一月前に、小田原の豪農に二百円の古金銀を出させて遁走したのもコイツだった」

 弥助の話によると泥棒は捜査の網をかいくぐり、数々の蔵を破りながら逃げ続けているとのことだった。


「どんな男です?」

 長二郎が乗り出すと、弥助も「ああ」と一際むずかしい面になって頷く。

「大男でな。歳は二十九。片腕だけでも五人力の怪力で……おお、そうだ! 人相書がある」

 そう言って懐を探り、店請人から取った口供書を取り出すと読み上げ始めた。


「まずは……『身丈およそ六尺』、『丸顔』、『色浅黒き方』、『眉毛太し』、『頭、いが栗』、『眼黒く丸き方』、『鼻常体』……と、まぁこんなところだな。殺しはしない奴だが、怪力任せに扉を引けば鉄棒なんざ飴みたいに曲がって、蔵をっちまう。器用で鍵開けも得意ときたもんだ」

 憎々しげに弥助は折り畳んだ紙をぱしんと叩いて、懐へ仕舞った。

 痕跡を調べる度に、「またあいつだ」と歯噛みするのが続いているという。これだけ手掛かりがあってまだ捕まらないので、蔵を破る手腕以上に隠れるのと逃げるのが上手いと、一部では感心もされていた。


「何か他に、特徴は無いんですか?」

「見かけは厳ついが腰が低くて、愛想が良い。ご隠居たちもすっかり騙されちまうほどでな」

「……他には? たとえば、そうだなぁ……指が一本無いだとか?」

「そんなわかりやすい目印がついてたら、世話ぁねぇよ」

 長二郎の質問に首を振った弥助の口調は、素人を小馬鹿にしていた。


「そうですよねぇ」

 外を眺めて呟いた長二郎に

「何だ……? 心当たりでもあるのか?」

 小声で問い質したのは探偵ではなく、横の柾樹だった。「後で話すよ」と長二郎も小さく答えて流す。弥助は弥助で、自分のお喋りに没頭していた。


「それで、文蔵の奴は妾と、草津へ逃走したと報せが入っていた。だが調べたら野郎め、悪知恵で裏をかいて帝都へ舞い戻ってきていやがる。今まで金を貸したり世話してやっていた家を、順繰りに巡って隠れてるのさ」

 泥棒男は身を隠すため、偽名と隠れ家をたくさん用意して使い分けていた。しかし警察側も、捜査の網は狭まっている。


「ちょうど判事の令状も出たところだ。こいつを一気に捕縄ひんなぐってやってな」

「弥助さんたちが恩賞を頂戴しようと、そういうことですか」

「その通り!」

 貧書生の言葉に、小太りの探偵男は胸をそらした。


「ってぇわけで、捕まえるのも時間の問題だが、ここも一応は古道具屋だ。狙うとは思えねぇオンボロでも、蔵がある。お前さんたちは、こんな時のための留守居役なんだからな。きっちり働けよ?」

「はあ、わかりました」

「頼りねぇなぁ……相変わらず、茶の一杯も出てこねぇしよ」

「お湯で良ければ出しましょうか」

 返事をして立ち上がった長二郎は座を離れ、長火鉢の上にあった鉄瓶を取る。


「……何があったんだ?」

 柾樹が長火鉢の横まで寄ってきて尋ねた。長二郎は手に取った鉄瓶と湯呑みから目を離さず囁く。

「最近、ここの蔵も破られた」

「え」

 こそりと伝えられた留守の間の出来事に、銀縁眼鏡もちょっと顔の色が変わった。


「でも、弥助さんが探しているのとは全然違うよ。三、四十がらみの小男で、左の小指が無かったそうだ」

「小男で、左の小指」

「柾樹は何か知ってるのか?」

「いや……。蔵ってことは、そいつは雪輪が見たのか?」

「そう。雪輪ちゃんと出くわして、賊は悲鳴を上げてすぐ逃げた」

「用心棒か、あいつは」

「用心棒より効果覿面だろ、座っていただけなんだぞ」

 何もしていないのに盗賊を撃退してしまった女中の威力を、書生達は真顔でひそひそ話し合う。千尋と長二郎も後で調べたが、古道具も含めて盗難の被害は無かった。


「どうした? 何かあったか?」

「イイエ何もー」

 湯呑みを受け取った弥助に問われても、長二郎は素知らぬ顔をしている。柾樹も元の場所へ戻り、頭をぼりぼり掻いていた。


「頼りないと言やぁ……若旦那はおっ母さんの見舞いに行ったんだろ? お内儀かみさんの加減はどうなんだい。俺も噂は聞いてたが、そんなに悪いのか?」

 白湯を一口飲み込んだ弥助は、千尋と家の状況を訊く。


「先日聞いた話しでは、寝ていれば治るくらいだったようなんですけどねぇ? また三郎が使いで来たんですよ。おばさんが『倅に会いたい』と、うなされているっていうから」

 状況を把握している長二郎が答えた。弥助はぎょろ目を一層大きくする。

「何、そこまで!? そいつはいけねぇな……」

「弱気になったんじゃないですか? 普段が丈夫な人なら、尚更でしょう」

 長二郎は自分だけ淹れたお茶を飲んでいた。


 寝込んだ暮白屋のお内儀は、臨終の如き嘆きぶりで倅を呼んでいるという。使いに来た下男の話しを聞き、千尋は吃驚していた。長二郎が「何事もないかもしれないが、病状が急変することもある」と、友人を追い出したのである。追い出された呉服屋の倅は今頃、日本橋の実家へ向かっていると思われた。


「こいつは俺も、ご機嫌伺いに行かなけりゃならねぇかな? うちの大姉御が聞いたら、お内儀さんのお見舞いも行かず何してやがったと、蹴ッ飛ばされちまう」

「泥棒は追いかけなくて良いのかよ?」

 中年男が丸い顎を右手で撫でつつ真剣に考え込む様を見て、柾樹が疑問を投げる。


「それはそれ、これはこれだよ。さてと! それじゃ今のうちに、ここの蔵に穴が無いか見といてやるぜ。義兄にいさんや、おのぶ姉さんに叱られたくねぇからな」

「ええっ!?」

 意気揚々と立ち上がった小太り探偵に、書生二人は揃って大声を上げた。あの黒漆喰の蔵の二階には、盗賊も逃げ出すものが座っている。


「弥助さん、それは、あの……」

「? どうかしたか?」

 反射的に引き止めた長二郎の口は、その先に悩んで止まってしまう。痩せ書生から続きが出てこないのを見て、さすがに弥助も疑惑の視線を二人へ向けた。


「おい、まさかお前ら……誰も来ないのを良い事に、ここの蔵に何か悪いものでも隠してるんじゃ!?」

 と、中年探偵の推理が炸裂する、寸でのところだった。


「いや……俺は別に良いんだけどな」

 銀縁眼鏡の青年が胡坐をかいた足に頬杖をつき、薄笑いする。

「前に……ここへ来た蕎麦屋の娘の鈴ってのが、あの蔵の二階の窓に『変なもの』を見たとか言ってたからよ」

「ああー、そう! それだ! よくぞ思い出した!」

 柾樹の言葉で、長二郎も大袈裟に膝と相槌を打った。


「……変なもの?」

 弥助はごくりと喉を鳴らし、拳を握り締めて土間で棒立ちになる。


「ええ、浅草御蔵にある野村庵という蕎麦屋の娘が、ここの蔵で『見た』と言っていたんですよ。何なら本人に尋ねてもらっても構いません。あの子が来たときにですね、そこに生えている楠があるでしょう? その枝葉の向こうに、蔵の二階の窓が見えますよね? そこの窓を真っ白な顔をした女が、こう、すうーっと横切ったと言って大騒ぎになったんですよ。昼間に幽霊でも無いだろうし、僕は何かの見間違いじゃないのかね? と話したんですが、絶対に間違えていないと言い張って、きかなかったんです。まぁ色々と噂話もある屋敷ですから、そんなモノが見えたとしても仕方がないのかなぁ~? なんて話があったりしましてね。ところで蔵の鍵ならここにありますけど、どうします弥助さん?」


 こうなるとよく喋る長二郎は、明るく蔵の『幽霊』の逸話を披露した。蕎麦屋の娘は、何も間違えていないのである。そして柾樹も長二郎も、嘘は言っていなかった。


「やめろよ、そういう話し……」

 自分が今いる『数鹿流堂』の何かを思い出した弥助の顔が、だんだん薄暗い色に染められていく。

 こうして蔵へ行くならそれも良いというより、弥助を引っくり返らせてしまった方が手っ取り早いとまで思っていた書生達の思惑は外れる。

 中年探偵は「後は任せる」と言い残し、無抵抗に引き揚げて行った。


「何がどこで役に立つかわからねぇな……」

「全くだ……」

 弥助の背中がいつもより小さく丸まっていたのは、気のせいではない。

 見送りつつ、古道具屋の留守居役たちは頷き合っていた。

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