僕の名前は
僕の名前は、狭霧です。
父も母も、すでに病で亡くしました。僕の家は旗本でした。御一新の後、当家が継いできた旧知行地に移り、帰農したのです。山路も深い、小さな田舎村で生まれました。
村の名は……何だったかな?
前の時代と何も変わらない山々に囲まれた、小さな山郷でした。両親が買い取った古い屋敷で育ったのです。山奥でしたから何かと不自由もありましたが、村の者達は親切にしてくれました。僕は周りの人々に、『若様』などと呼ばれていたのです。
父は元は歴とした直参旗本ですので、名誉村長に近い立場でした。教養も相当にありましたから、村では小学校の先生のようなこともして尊敬されていたんです。一人息子の僕も、父のような立派な人になりたいと常々思っていました。
そこで僕は、医者を志しました。村では何度か悪疫が流行りました。僕の両親も、病で亡くなったのです。特に母は、風邪をこじらせて死にました。僻地で、医者がいなかったのです。少しの薬と医者さえあれば、助けられたはずなんだ。だから僕は医者になって、この国からこんな不幸を減らしたいと思ったんです。両親も亡くなって、これ以上、僅かな田畑を耕して燻っていても仕方がない。零落れようとも、僕とて武士の末裔です。
一大決心をして、帝都に住む叔父へ手紙を送って頼みました。すると「是非ともこちらへ来て、研鑽を積みなさい」と招いてくれたのです。有り難い事に、何から何まで都合してくれました。
ようやく望みを叶える機会が訪れたと、僕は帝都へ出ることにしました。
故郷の村には、六郎右ヱ門と四郎左ヱ門という、代々の名主をしていた者たちがいました。
彼らにも僕の本心を打ち明けますと、「大変良いお志です」「一旗上げておいでなさいませ」と、僕を励ましてくれました。他の里人達も、名残を惜しみながら送り出してくれました。村を出る前の日には、盛大に宴会を開いてくれました。旅立つときにはたくさん荷物を持たせてくれて、みんな涙を流して、いつまでも手を振ってくれました。
そういえば、誰か村娘の一人が、一緒に帝都へ行くと言い出したっけ?
あれは、ちょっと困ったな。そこだけ覚えています。
それから故郷を旅立って……帝都へ来て、どれくらい経ったのだろう。
僕は叔父の家へ行ったはずなのです。広くて大きな屋敷だったのは覚えているんです。でも、場所を思い出せない。叔父の一家の姓名や住所も、何だったか……入学の手続きが済んで、僕はもうすぐ医術学校へ入る予定だったはずなのに。
どうして、こうなってしまったんだろう?
僕は汚れた格好で道端に倒れていて、身元を示す荷物も、何も持っていなかったんですよね?
やっぱり、おばさんが言ったように、どこかで悪い奴に狙われて追剥にでも遭ったんだろうか。
殴られて頭を打つか、何かしたのかもしれない。打ち所が悪かったのかな。記憶を無くして、何日も帝都を彷徨っていたんでしょう。この身なりといい、記憶が抜けていることといい……僕も他に、理由が思い当たりませんから。
それでも、お二人に助けて頂いたおかげで、命拾いをしました。本当にありがとうございます。
あのとき、おじさんに拾ってもらわなかったら、僕は間違いなく凍え死んでいたはずです。こんな手厚く、世話までしてくださった。今は車夫の手伝いくらいしか出来ませんが、このご恩は必ず返します。
だけどその前に、そうですね……まずは叔父の屋敷へ帰らないといけない。
きっと叔父や親戚たちも、心配していると思います。警察へ行けば、何か手掛かりがあるかもしれませんね。早く学校へ行って、勉強がしたいな。将来は軍医になりたいんだ。
ああ、そうだ……もう一つ思い出した。僕の苗字は『諏訪』です。
僕の名前は、諏訪狭霧です。




