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辻占

 古い占いで、辻占つじうらというものがある。元々は陰陽師などが行い、長い時間をかけて全国へ広がった。庶民にも出来る手軽な占いの一つとなる。同じ占いも橋で行えば『橋占』となった。種類は、広まった土地の数だけあり『元祖』は辿れない。すれ違う人の声や会話で、吉凶を占った。多くは恋の占いだったという。世が改まってからは迷妄の旧弊として、政府が禁止した。


 柾樹は占いなんぞ興味が無い。そんなものに力があると信じ込む世界と、自分は無縁と思って生きてきた。だが祖父の幸兵衛は、実は大層深く傾いていた。そして人の耳とは自覚の有る無し関わらず、己が気になる単語や覚えのある言葉を拾う。


 それにしても柾樹の耳がその声を自然と拾ってしまった様は、辻占のお告げに似ていた。


「嘘だろう? 村が丸ごと消えたなんてよ」


 男の声が、耳へ飛び込んできたのである。

 ボンヤリ歩いていた柾樹が往来の真ん中で顔を上げると、秋の日差しが皮膚を刺す。賑やかな両国の広小路。後少しで、古道具屋の数鹿流堂へ到着する。両国橋西詰め付近を歩いていた柾樹の視界に、声の主はいなかった。


「そうだ、そんなの聞いたことないぞ。新聞にも載ってなかった」

「本当なんだ! 知ってる奴に聞いたんだよ。今じゃその村には、もう誰もいないとさ」


 よく注意を払うと、声は後ろから聞こえてきた。

 最近、柾樹の身辺で起きているのとソックリな噂話が、背後より追いかけてくる。


 大声で喋っているのは、どうやら男三人だった。仮にこうおつへいと、柾樹は男たちに名前をつける。場所が両国界隈であり、甲乙丙は口調からして労働者だった。日雇仕事で稼ぎ暮らす者たちだろう。高級な学士様ではなさそうだと思われた。柾樹と同じ方向へ歩いており、すぐ後ろにいる。下駄の爪先を見つめる書生青年は聞こえる噂話に合わせて、僅かに歩調をゆるめていた。


「誰も? それじゃ村はどうなるんだ?」

「どうもこうもない。一村丸ごと、浮世の縁もこれまでだ」

「そんなのってあるかい? そこには昔から、ちゃんと人が住んでいたんだろう?」


 驚く声と答える声により、何処かの村が消滅したという噂が語られている。

 柾樹の背後を歩いている男たちは、伝聞を大真面目に話し合っていた。元気の良さが取り柄であろう彼らに、声を小さくしたり遠慮するといった考えは無さそうだった。


「二百人だか、三百人だか住んでいたそうだ。しかし、金の力というのは恐ろしいぞ」

「ははあ、握り潰されたんだな?」

 物知りな甲の男が勿体つけて言うと、乙の男も訳知り風に返している。


「そんな真似が出来るのかい?」

「裏へ手を回すんだよ。所詮はみんな口利きだ。どんなとんでもない話だって、金銀茶菓子で黙らせちまえば、ハイご愁傷様で終わりだよ」

 ちょっと抜けているらしい丙の男の疑問に、物知りの甲は見てきたみたいに説明してやっていた。


「文明が開化したら、金のある奴が偉いような世の中になっちまったと、うちの婆さんも嘆いていたっけなぁ」

 嘆かわしげに言ったのが、甲乙丙のどれだったかは、柾樹に聞き分けられない。金茶頭の青年は無言で下駄を引き摺り、懐手で耳を欹てていた。


「そこはだたの田舎の、ちっぽけな村だったんだろう? 派手な贅沢をしていたわけでもなかろうに、どうしてそんな目に遭わなけりゃならないんだ」

 自分と無関係の田舎村へ気の毒そうに同情を寄せたのは、たぶん丙の男だったろう。


「金持ちの運んできた開発話に乗って、いくらかでも働いて食いつなごうとしたんだろうなぁ」

 続けた乙の男の声は、他所の村の命運を、飯を食うだけで必死の我が身と幾らか重ねているようだった。悄然とした気配の同行者二人に、話題を提供した甲の男がまた語り出す。


「これがな、義理と恩とで半分いやいやながら、損も失敗も覚悟の上で受けた話しだった。多少は覚悟もしていたろうさ。しかし身ぐるみ剥がれても良いなんて、誰が言うもんか。それなのに、うまく回らないとなったら容赦も無く、逃げの一手を打たれて破産の憂き目だ。どんな理屈を捏ねたって、真相は博打の損失を肩代わりさせられたようなものだよ」


 熱心な甲の話しに、根や葉があるか疑わしい。けれど真実の一部だとすれば、足元を見られた上に全てを奪われ、捨てられたようなものだった。柾樹は前を見たまま、聞いていない顔で背後の話しを聞き続けている。


「汚ない真似しやがる」

「潰れるまで、村の者達は何もしなかったのか?」

 小さな力が、大きな力に潰される。こんな手合いはどこにでもごろごろあるが、乙と丙は憤慨していた。尋ねられた甲の男が答えたところによると、ささやかながらその村も一生懸命やったらしい。


「そりゃ汗水流して踏ん張ろうとしたさ。それに村の有力者の一人が士族で、そこそこの学問もあった。貴族院の何某と知り合いで、これが何度も上京して金策に走り回って、直訴もしていたそうだが」

「骨折り損か。誰も耳を貸さなかったんだなチクショウめ!」

 甲の言葉にぶつけて、乙が言う。何とかして身のふり方をつけようとした何処かの小さな集落は、面倒な問題ごと切り捨てられてしまった。


「無禄移住の零落れ者だ。関わり合うのも、出世の足手まといになると踏んだんだよ」

「その村の有力者とやらが、もっと気を利かせて、袖の下の一つも出せば違ったんじゃないのか」

「馬鹿だな、賄賂が出来る資産なんぞあれば、最初からこんな話しに乗らないよ。みんな尻の毛まで抜かれているんだ。そうそう、この前聞いた話しだと、どこぞの道具屋。大和守吉道の刀を、一円で買い叩いてやったと喜んでいたぞ」

 わいわいと甲乙丙の男たちは声を大きくし、勝手に話し合っている。


 どうにも値になりませぬ、と商人に言われてしまえば、家宝の刀も言い値で売り飛ばされた。三円で手放された緋縅の鎧がバラバラにされ、ほぐされた糸だけが今度は五円で売られたりした。古道具屋の数鹿流堂へ流れ着いた槍なども、似たような理由で長く暮らした蔵の外へと出てきた類だったろう。


「エライ奴らは、自分まで足元をすくわれると怖気づいたんだな」

「不甲斐ない。少しは気概というものが無いのかね?」

「御大尽どもは算盤勘定と日決め妾で忙しいんだ」

「金を持った奴のやりたがることは、いつの世も同じだね」

 何やら世の事情に通じている様子の甲が、笑っていた。たしかにその通りで、いつの世も不思議なほど、偉くなった者のやる事は決まっているなと、柾樹は感心して聞いている。


「死ぬ前に届け出た最後の嘆願書も、突っ返された。不備があるだの何だのと。早い話が、受け取りたくなかったんだろう」

「見えないものは無いと、こういうことか」

 荒っぽい話し声には、落ち目になった者達を嘲笑する気配はなかった。この連中は洒落の通じる都会人ではなくとも、情緒はある奴らのようだった。


「それは怨むだろうなぁ」


 甲乙丙の、誰が言ったか。

 聞こえたその言葉だけ、柾樹にはやたらな冷たさで耳の奥まで貫くように感じられた。


「怨まれたって、蛙の面に小便さ。今日も金に飽かせて、御殿で西洋料理を食っているよ」

「これで貧民を助けなくてすむんだ。まずい失敗ごと消えてくれたと、ホッとしただろう」

「他人の生き血で飲む酒は、さぞかし美味かろうな」

 想像力逞しい男たちは暮らしの中で小耳に挟み、腹へ畳み込んできた話しを元に賑やかに語っている。


「そんなのが思い上がって名を馳せるなら、俺は平民でいいや」

「良かないや。血を絞られて何が楽しいんだ。血が出せなくなったら、次は命を取られるんだぞ。食われる前に食い殺せるくらい、平民が強くならなけりゃあ」

「何を夢みたいなこと言ってるんだ。それにまずは、名を馳せてから言えってんだよ」

 三人の笑う声は底抜けに明るく、重苦しさはなかった。


「それにしても胸糞が悪い。天網恢恢てんもうかいかいにして漏らさずで、天誅でも食らえば良いんだ」

 乙の男が物騒を言ってのける。

 近頃は少し静かになったが、暗殺沙汰は御一新の騒ぎ前後より十年来、実に軽率に発生してきた。『天の役人』によって斬り殺され、ドブへ投げ込まれた者が何人いるか数え切れない。


「仇討ちは処罰されるから、どうせなら祟りでも食らえばいいな」

 答えて言った大声は、丙だろう。

 仇討ちは文明的ではないのと、新政府は仇が多すぎるのとで早々に禁止になった。しかし仇討ちは禁止でも、祟りは禁止されていない。それに未だ、結構簡単に起こると信じられてもいる。


「そうだそうだ。菅原道真や崇徳院みたいな、デカい天罰を食らって、七代先まで祟られっちまえ!」

 どうも口の軽い乙が、囃すみたいに言った。大きな名前が出てきた。

 柾樹もその名を知っている。巨大な怨念で、国と人とを震え上がらせてきた怨霊たち。だが、いずれも後に神として祀られ鎮められ、今や有り難いご利益を下さる存在として庶民にまで慕われている。


「滅びた村の祟りか知らんが、その金持ちの家の跡取り息子は寝込んだそうだぞ」

「おお、それは良いぞ! もっとやれ! 天神様の天罰だ!」

「そんなわけあるもんか。いくら何でも田舎村の連中に、菅公様の真似は無理だろうよ」

 口の悪い男たちは思い付きを並べては、再びがらがら笑っていた。


 少し冷たい川風に肩を撫でられ、そこでようやく柾樹は背後を見る。

 薄汚い印半纏だけは揃いだが、他は着のみ着のままといった男三人が飯屋へ入って行った。どれも加持祈祷の山伏ではなく、八卦見や星見家などでもなく。霊験奇跡の魔力は無さそうだった。何より彼らが『薬売り』ではなかったのを確かめて、身体の芯にあった緊張が解ける。

 そして『祟り』の言葉が思い出された。


 大宰府の天神にしろ、讃岐の新院にしろ。いわば権力争いの敗者であり、外界の人間には関係がない。それに元となった人間自体が、才覚なり血筋なりから特別なため、後で凄まじい怨霊や神となることも出来た。


 飢饉か、殖産業の失敗か公毒か。何らかの理由で、何処かの小集落はすり潰されて消えた。彼らが如何に嘆き悲しんだところで、他所の誰かを祟る力があるはずはない。

 青年は川の風に金茶色の髪を吹かれるに任せ、考えていた。


――――俺が怨まれる理由はどこにも無い。


 その思いが固くなる。正当過ぎて困る。雪輪の故郷が滅ぼうとして滅んだのではないように、柾樹も相内家に生まれたくて生まれたのではなかった。祖父の企みも山郷の崩壊も、俺の知ったことではない頼んでいないと、胸を反らして言える。それなのに心の底が不安定に揺さぶられた。


 そのときだった。


「おーい、そこの眼鏡の兄さん!」

 雑踏から男の声が飛んできて、急に「眼鏡」などと言った。

 まさか自分ではなかろうという寝ぼけた気持ちで、銀縁眼鏡の青年はそちらを見たのである。


「ああ、アンタだよ、アンタ」

「……俺?」

 大勢の人間の中から柾樹を見つけ、陽気な笑顔で近付いてきたのは知らない男だった。


 歳は二十代後半から三十といった感じで、目が黒々と大きい。肌も色黒で、眉が太かった。癖の強い顔立ちに、伸びかかった、いがぐり頭。お仁王様のように筋肉質な腕と体格で、派手な辛子色の地に紺棒縞の着流しだった。太い白の兵児帯を腹にぐるぐる巻いて、足元には日和下駄。汚くはない。


「お前さん、そこの古道具屋で下宿してる書生さんだな?」

「? だったらどうした」

 にこにこ顔の明るい口調で、男が指差した方向にある屋根は、古道具屋の数鹿流堂だった。妙に馴れ馴れしいが、こいつは近所の者だったかなと思いながら柾樹が答えると、男の肉厚な顔がにっこり笑った。


「まぁ、何だ。藪から棒で悪いんだが……俺は『狭霧』というんだよ」

 柾樹の瞳を覗き、出し抜けに男が言う。


――――何?


 雪輪の弟の名前が、『狭霧』だった。

 姉を残していなくなり、行方不明になっている弟である。


 身体中の血液が足元へと引いた柾樹は、すぐ気を立て直して身構えた。この男はどう見ても年上である。雪輪と似ている点も全く無い。あからさまな嘘だと理性は判断していた。しかし、鼻であしらって振り切れない。


「それでなぁ? 今ちぃっとばかり懐が寂しくってよお……。少し融通してもらいてぇんだ。何、そんな無理無体は言わねぇさ。困ってるんだよ、助けちゃくれねぇかナァ? お前さん、御大尽様の倅だろう?」

 気の良さそうな雰囲気で笑顔を深め、『狭霧』と名乗った男は腕を組んでいる。


 金を強請っているにもかかわらず、荒んだ気配や暗さはどこにも無い。口調も態度もべたつかなかった。それでいて視線は用心深く、相手の動きを観察している。じわりと寒気を感じた柾樹に構わず、男は何年も親しく付き合っている間柄みたいに向き合っていた。


「今まで、罪作りをしてきたんじゃねぇのかい?」

 ぬるい川風に乗せ、男が音程を下げて囁く。全部知っている死神の手に、襟首を掴まれた気がした。


 柾樹は一度引いた血の気が、カッと頭へ逆流する。男を殴り飛ばそうと、右手が無意識に動きかけた。その手を、無理やり懐へ突っ込む。鷲掴みした財布を取り出し、相手の胸元へ押し付けた。


「ほおー……? 気前が良いじゃねぇか。助かるぜ」

 財布を受け取った『狭霧』は、丸くした目を瞬いていた。肉厚の顔が、さも意外だと言いたげに笑う。


「お前、誰に……」

 眼鏡の奥から睨みつけた柾樹が、声を搾り出した。

「おおっと、いけねぇ!」

 そこで遠くに何か見つけた男は、財布を袂へ放り込む。目の前に集中し過ぎていた柾樹もハッとして、他へ意識を向けた。ほぼ同時に、耳障りな警笛が空中で鳴り響く。


「コラーッ!」

 人を掻き分け、棒を振り回した髭の巡査が突進してくるのが見えた。これまでも柾樹を見つけるたびに追い掛け回してくれた、健脚の巡査。獲物が自分とわかって、柾樹は「げ」と呻いた。


「そら逃げろ!」

「あ、おい……!?」

 柾樹より先に、男は背中を丸めて雑踏へ逃げ込んでしまう。まだ聞かなければならないことがあると、手を伸ばしかけた。その青年の肩を、生真面目の塊といった巡査がムンズと捕まえる。


「ふぬうぅ、逃がさんぞおおおッ! ここで会ったが百年目! お前は忘れても、こちらは忘れてやらぬわ! 今度こそ三度目の正直! 観念せい!!」

 鼻息荒く宣言する髭の巡査の方は、そうなのだろう。だが柾樹としてはただの迷惑だった。『二度あることは三度ある』に近い。捕まっている隙に、『狭霧』は人混みの隙間へ飲み込まれ、消えてしまう。


「んなことどうでも良いんだよ、放せクソジジイ! 今忙しい……」

「誰がくそジジイか! 近頃の若い者はこれだからイカン! 口のきき方も知らぬようなら署で油を絞ってやるわ! 来い!」

「待てよ! ちょっ、うわ!? おいコラ!」


 昔気質の頑固一徹といった巡査は、遠慮も何もなしに柾樹を怒鳴りつけた。礼儀を知らない道楽者を、わざわざ躾け直してくれようという、親切な人物だった。


 こうして足を止められ動けなくなっているうちに、柾樹へ『罪』を囁いた男はどこかへ行ってしまったのである。

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