男爵夫人の受難について〈前〉
聞いとくれ、お前さん! 御手洗様が死んだってさ!
そうだよ、麻生の市兵衛町の御手洗様だよ! 急病で倒れて、ぽっくりだって。あたしゃてっきり、恨みでバサリとやられたかと思ったのにさ。そんなことの一つ二つ、ありそうだったじゃないか。
ほら、新聞のここに死亡記事が載っているから見てご覧よ。最近はお上の御用に食い込んで、師団の請負なんてやっていたんだねぇ。呆れたもんだよ。生き血をすするように高利を貸してた男が品の良い旦那の顔して、よくもまぁってなもんだ。年貢の納め時だったんだね。人生どこで死神様に首根っこ引っ張られるかわかりゃしない。因果が回ってきたんだよ。
因果といえばさ……今日、妙な話しを聞いちまったんだ。こんなの言い触らしちゃいけないのは、わかってるんだ。でも黙っていたら腹の底が焦げついちまいそうだから聞いとくれ。
『どこで聞いた』って?
そんなの言わなくたってわかりそうなもんだろう。女房が朝から華族様のお屋敷へ上がったのを、もうお忘れかい? 雨だからって、女髪結いの家に人力車で迎いまで寄越してくだすったってのにさ。
それだよ、そうだよ。
奥様のお髪を上げている最中にお聞きしたんだ。世の中にそんな人間がいるもんなのかと驚いてねぇ……。結いながら伺っているうちに、あたしの方が後味が悪いというか不気味な気分というかね。これを話した方が、あの奥様じゃなかったら信じられないような話しだよ。馬鹿をお言いじゃないよ、奥様が不気味なんじゃないってば!
奥様がぽつりぽつり仰る昔語りを伺っているうちに、アレ? と思い出したんだよ。
あたしもそいつを知っていたんだ。直接喋ったり関わったことはないよ。でもあたしも身体を壊す前、吉原や新橋に呼ばれたりもしていただろ。そのときに、見たり聞いたりしていたんだよ。「失礼ながら」とお尋ねしたら、案の定さ。アラマァて奥様も驚いて、ついつい長く話し込んじまったんだ。
これまでも奥様の思い出語りや、身の上話しなんかはチョイチョイ伺ってきたからね。
殿様との馴れ初めや、奥様の芸妓時代のこともさ。それできっと話しやすかったんだろうよ。あたしも何だかんだで、お屋敷へ上がるようになって半年近く経つだろう? こんな年寄りが結う丸髷を、お気に召してくだすってさ。何かと言っては「お梅」と呼んで可愛がってくださるし。勿体無くも信用してくだすってるんだろうねぇ。おかしなもんだけど、奥様とは妙に気が合うんだよ。
それもこれも、まず奥様が娘時代からご苦労にご苦労を重ねていらした方だからだろうね。あの方は蝶よ花よでお育ちの、お姫さまなんかじゃないんだもん。
地主の家へお生まれになったのに、おっ母さんが亡くなられたのが苦労のはじめでさ。
あの奥様の娘時分といったら、まだお城に公方様のいた頃じゃないか。お手本みたいな継母に苛め抜かれて。挙句に、花も恥らうお年の頃、親の借金の抵当で芸妓屋に抱えられたんだもんねぇ。それも芸者になる理由を「本人の勝手都合」て、言わされるんだもの。親は人間の顔をしていたのかね? 面の皮だけ人間でも、一皮めくればわかったもんじゃない。
おまけに抱え主には、おさんどん代わりに良いように使われてさ。それでもお小さい頃に生みのおっ母さんが芸好きで、舞いやお三味線なんかを仕込んでおいてくれたから勤めもそんなに辛くなかったと笑って仰るんだ。どこまでもお人好しなお方だよ。
成り上がりの奥様なんてみんな気位が高くてねちねち意地の悪い、やかましやだって聞くのに。あの方は、ちっともうるさくない。お心の素直な方だろ。そのおかげでご縁を得て、良い殿様にも見初められたんだろうよ。
ただね……そんな根っから気持ちの優しい、人好きの『お人好し』を、食い物にされちまったんだ。
これが奥様よりいくつか年上の女でね。芸妓仲間だったんだって。
柳橋から出た芸妓で、『小富瀬』って名で売っていたんだよ。まさか奥様と、浅からぬ縁があったなんてねぇ。
『小富瀬はどんな女か』って?
まぁ、あたしの覚えている限りじゃ美人だったよ。きれいで、柔らかそうとでもいうのかね。襟首の辺りなんかがすっとしていて、色気があって姿も良かったし。若くてきれいなら、まずは人気も出るさ。それにしたってあの時代で、小富瀬は旦那や情人が五人も六人もいたんだもん。すごい女だよ。浮気の橋を渡るような芸者じゃなくちゃ、面白くないって言ったりもするよ? でも何もそんな、四方八方渡らなくても良さそうなもんじゃないか。
お前さん、さぞや小富瀬は気の強い毒婦と思っただろ? 芝居なんかで出てくるような、蓮っ葉の?
やってることだけ見りゃその通りだね。肝が据わってなきゃそんなマネ出来ないもん。だけど小富瀬が浮気の橋を次から次と渡って廻っていたのは、気性が激しいのとは違うんだ。疵は他にあったんだよ。
あたしもその頃、界隈で噂は聞いていたんだ。
それが人に「あれだよ」と教えられて、はじめて見たときは拍子抜けしたね。お客に叱られたと言って戸の陰でめそめそ泣いていたんだよ。ほんに涙もろくて、つつかれたらすぐさまキャッと叫ぶような臆病な気質の女なの。
奥様のお話しだとね、小富瀬が旦那や情人を掛け持ちしていたのも男に寄られるとハイハイで返事しちまうからあの有様だったってのさ。八方美人も男を手玉にとろうって魂胆があったわけじゃないってことらしいんだけど……。
これだけならまだ良いだろうにね。芸者のくせに唄も踊も三味線もまるで駄目だったんだよ。これは有名だったの。お客に「玉三」と言われても、初心の小娘みたいに「あたしそれは好みませんの」だのもたもた言ってたってんだからね。よくぞ芸者になれたもんだよ。他の芸者連には呆れられていたね。当たり前さ。むずかしいのを注文されても、お客にさっと調子を合わせてみせるのが意気ってもんだろ。芸者でございと言っているのに売るものが春しかないときたら、馬鹿にされるに決まってるよ。三味線握った事の無いあたしだって、そんなのわかるさ。小富瀬は放っておいたら、お酌もしないで笑っているだけ。何しにお座敷へ上がったんだってな塩梅だとは、聞いていたんだよ。
だけど世の中、おかしなもんだね。時勢もあったのかもしれないね。
可愛いと思った女なら芸が下手でも我侭でも、あばたもエクボ。何でもかんでも可愛いと、お座敷へ呼ばれるなんてのがあったんだよ。出来ないのを面白がられて、かえってお客が師匠役になる。酒も入って幇間に持ち上げられて良い気分で、よしよしでご祝儀が出たりする。甘やかす客も客だよ。
小富瀬はだんだん名が知れて、芸者として幅を利かせるようになった。そのくせやっぱり唄や三味線は下手糞で聞けたもんじゃない。エエ芸者の恥さらしめと、小富瀬はお湯屋で他の芸者衆から水を掛けられたりしていたんだよ。褒められたまねじゃないけどさ。覚悟を決めて芸を磨いている芸者にしてみりゃ、腹も立ったんじゃないのかね。
でもお若い頃の奥様はそれが見ていられなかった。小富瀬に拝まれたのもあって、唄や三味線を傍について教えてやったんだ。分を弁えるべきだとは思いつつもね。出来ないのが花になっていると言ったって少しは出来なくちゃ。待合や船宿の躾も一つ一つ仕込んでやる。どっちが姐さんだかわかりゃしないね。
するとある日突然、小富瀬が身の上を話し始めたんだって。
アノヒト、元はどこぞの回船問屋の娘だったんだってさ。だけど親から塵のように扱われて毎日叩かれて、飯は一日一度きり。辛い思いをして育ってきた。そして十四だか五だかの娘盛りのとき、男に騙されて駆け落ち同然で家を出た。それが一年もしないうちに、夫が急に冷たくなって雲隠れ。実家にも戻れないし知り合いの家を訪ね歩くにも限りがあるし、ご時世もご時世。飯を食わなきゃ何ともならないから芸者になったと、こういう事情だったとね。
「世渡りが下手で、何故だかいつも妬みの的にされちまうんです」
「旦那だ情人だと言ったって、どうせ最後は捨てられちまう」
「あたしなんざ、生まれて来なけりゃ良かったんですよ」
なんて聞かされたら、お人好しの奥様だもん。同情するに決まっているよ。一生懸命慰めて励ましてやってさ。生まれた家へ帰るに帰れぬ身の上までも、何だか似ているように思えたってね。
姉とも妹とも思って、前にも増して親身に世話してやるようになったんだよ。小富瀬の方も他に味方がないのもあって、ますます奥様と近しくもなる。芸事の外の何もかも年下の奥様に言われたとおりしていた。でも言われたとおりと言っても、主人とご家来みたいな、そんなのじゃないんだよ。
「今にして思えば、ひな鳥が親鳥について歩くようだったね」と、奥様は仰っていたね。
まず商売で使う、紅や白粉なんかあるだろ? 全く同じものを揃えてくるんだって。煙管や櫛や簪も、どちらの小間物屋か教えてくださいと頼まれて、教えてやれば、そっくりお揃いを買い込んでくる。衣装もウチで貰えるものばかりじゃいけないから、ご自身でお仕立てになったそうだけど、それも色柄までお揃いだったっていうんだもん。
ちっと見じゃ見分けがつかなくて、ご贔屓様や幇間に「オヤオヤ?」と間違われることまであったそうでね。唄や踊りはいくら教えても似なかったようだけど。
そんなべったりされるのなんざ、あたしだったら御免だね。嫌な気がしそうなもんだのに、奥様は生まれついてのお人好し。素直なお方だ。わからないんでしょうと、笑って許すし怒りもしない。住処に困っていると聞かされれば、じゃあおいでなさいなとそのとき住んでいた小さな長屋へ招いてやったりして。
小富瀬は喜んでね。「有り難い、有り難い」と、何度も言っていたそうだよ。
奥様もそうまで言われりゃ嬉しくもなる。家族みたいな付き合いになって、小富瀬が客の種で生んだ子の世話もしてやった。小富瀬は芸者のくせに男と関係すると、すぐ子どもが出来ちまう女で十人近く孕んだとかって。鼠の看板の世話にもなっていたみたいだよ。気の毒と言やぁ気の毒だね。
食い扶持は増えるし大変だけど、奥様は義理だ恩だなんて一欠片も考えちゃいなかった。小富瀬の子ども達も「おばさん」と呼んで懐いてくれる。血は繋がっていなくとも、甥っ子姪っ子みたいなもんだと思ってね。産着やおしめも縫ってやって。
それにしても、子どもはまだしも親の小富瀬も子どもみたいな女だったそうでさ。金も無いのに「料理屋を開く」と言い出したり「踊りの師匠になる」と言い出したり。お座敷に他の芸者が呼ばれたら「あたしが下手だからって、こんなむごい嘲りよう」と大泣きして帰っちまったりね。そうかと思えば突然他所のお座敷へ現れて「皆さまどうぞ」と、料理を届けさせたりといった具合だよ。
突拍子も無いあれそれに、奥様は何度も吃驚させられた。それでも一緒に暮らしてりゃ、呼吸も少しはわかってくる。誰だって、寂しいときや辛いときくらいあるもんだ。助け合って、仲良くやっていけると思っていらした。その時はまだ、相手が鬼みたいな女だなんて知らなかったもんだからさ。
……ええ? 『鬼女なら、安珍清姫にでもなるのか』って?
やだね、このヒトは。冗談でもやめとくれ! 奥様が釣鐘で焼き殺されるなんて冗談じゃない! それにあっちは女が男を追い掛け回す話しじゃないか。鬼になる女と言ったら『葵上』…………あれ? あっちも結局、色気違いの女の話しだったっけ?
でもたしか他にも何か……有名な鬼女の話しがあったねぇ? そうそう、歌舞伎かお能で。ホラ、嫉妬に狂ったお姫様が貴船の神様にお頼み申して、鬼になって周りを皆殺しにしちまう物騒な話しでさ。
ああ、そうだ! たしか『鉄輪』だ。
お姫様の名前は、『橋姫』だったっけね。




