09.魂が死んでしまうって、どんな感じなのだろう?
俺は夢をみていた。夢だということはわかるのだが、誰の夢なのかわからない。これは俺の夢なのか? それともアーシスの夢なのか?
「やっぱり、帰れなくなっちゃったのね、あなたの魂。……ごめんなさい」
この身体の持ち主アーシスは、申し訳なさそうに頭を下げる。そしてうつむく。
俺は、そんなアーシスに対して何を言うべきなのかわからない。いろいろと文句を言いたい気持ちは確かにあるのだが、訳のわからない異世界で命が助かったのはこの身体の特殊能力(?)のおかげだ。それに……。
「アーシス、おまえ、どうしたんだ? どこか調子がわるいのか?」
そこは、いつもの白い部屋。いつもの格好。いつもの夢の中。
だが、なにかが違う。数ヶ月のあいだ毎晩おとずれていた夢の中とは、どこか様子が違うのだ。曖昧。そう、目にみえる全てが曖昧だ。周囲の壁やテーブルの形がはっきりしない。アーシスの輪郭がぼやけている。周囲の背景との境界線がにじんでいる。
「……こないだも言ったけど、本来は冬眠中に夢なんて見るはずないの。貴方が私の夢の中に入ってきたということは、冬眠システムがどこか壊れちゃっていたということ。システムも自動修復しながら頑張ってくれたみたいだけど、ついに安全装置がはたらいて強制的に覚醒させられたのね。もう私は死んだも同然だわ」
「いま、こうして話しているじゃないか」
「これは、脳味噌の中に残る残留思念みたいなものよ。『精霊』達のおかげで肉体だけはかろうじて生きているけど、一度こわれた魂までは『精霊』にも修復できないわ。私ね、もうまともに意識を保つのも辛いのよ。もうすぐ話もできなくなっちゃいそう」
『精霊』? あのエルフっ娘や悪人達もそんなことを言っていたな。アーシスを守っているとか。
「その精霊というのは、いったいなんなんだ?」
「『精霊』は、この世界の大気をあまねく満たし、自然環境を制御するシステムの愛称よ。無数の量子機械をそれぞれ亜空間超光速回路によって量子的に結合し、空間そのものを一種のコンピュータにしてしまう技術。私たちが作ってばらまいたの。弱々しい肉体しかもたない私達がこんな有毒な大気の世界で生きるためには、精霊が必要だったの。『精霊システム』の中でも最も重要な部分の構築チームには、私も参加してたのよ」
アーシスは、ちょっとだけ誇らしげに胸をはる。
「あー、よくわからんが、わかったことにしておこう。じゃあ、あのヘアバンドは?」
「ヘアバンド? ああこれね。これはヘアバンドじゃないわ。よく見て」
アーシスは自分の頭の上、例のヘアバンドを指さしながらわずかに笑う。
「これは精霊達を制御する端末よ。クシピーとよんであげて」
「クシピー?」
「自分のエージェントには自由に名前をつけられるのよ。ほら、クシに似てるでしょ? だからクシピー。このヘッドセット型の精霊制御用エージェント『クシピー』だけは、この世界で私の、……いえ、あなたの味方をしてくれるはず」
あー、なるほど。確かにヘアバンドは何度も俺を助けてくれた。アーシスの命名のセンスはともかく、これが俺の味方だということだけはわかった。
「そう、精霊もその制御エージェントも私たちの味方なの。絶対に私たちを守るように作ったの。だから、……なんとしてでも私を死なせたくない『精霊』たちが、魂が死んじゃいそうな私を生かすため、たまたま繋がったあなたの魂をコピーして無理矢理ここに引き留めちゃったのね。本当に、……ごめんなさい」
悲しそうな顔で頭を下げるアーシス。俺はどんな顔をすればいいのかわからない。もうすぐ魂が消えてしまうと言う少女を前にして、俺が不安な顔を見せるわけにはいかないだろう。ましてや、怒りをぶつけるなどもってのほかだ。
「い、いや、その『精霊』達も君を助けようとしたんだろ? 仕方ないんじゃないか?」
「……本当に、お人好しなのね。バカみたい。『おまえのせいでこんな身体にはいってしまった』と怒るべきでしょ? あなた、元の世界に帰れないかもしれないのよ!!」
えっ? 俺、帰れないのか? 反射的に口から出かけた大声を、俺はむりやり飲み込む。
「……そ、そうか。いや、でも、その、なんだ、えーと、こんな可愛い身体になれて、そしてファンタジー異世界で大冒険できて、俺ちょっと嬉しいんだよ。ホントさ」
俺は理性を総動員してうれしそうな顔をしたはずだ。かなり頬が引きつったかもしれないが、必死になって笑顔をつくったつもりだ。だが、そんな俺の顔を見て、アーシスはひとつため息をつく。それは大きな大きなため息。俺、そんなに呆れられるような事いったか?
なにが気にくわないのか、アーシスはだまったまま口を聞いてくれない。
「……なぁ、ひとつ聞いてもいいか」
俺はどうしても聞きたいことがあったのだ。
なによ? 半分ふてくされたような顔の美少女が、こちらを睨む。
「精霊が守ってくれるのは俺だけなのか? エルフやオオカミ男は、精霊は守ってくれないのか?」
「あなた、どうして自分以外の心配ばかり……。まぁ、そういう人だというのは、うっすらと感じていたわ。それにしても、……本当にバカじゃないの! そんなお人好しでこの原始人やモンスターばかりの世界で生きていけると思っているの? これじゃあ安心して死ねないわ!!」
なんだなんだ? なぜ俺は、魂が消えてしまいそうな薄幸の美少女に怒られているのだ? 俺、なんか気に障るようなことを言ったか?
「もう! その呑気な顔に腹が立つのよ! あのね、精霊は基本的に私たちのため、今はあなたしかいないから、あなたひとりのために働くものよ。……そういえば、原始人の一部に、鉱山労働やプランテーション農業に役立つよう、ほんの一部のコードの実行権限を与えたことはあるわ。彼らの遺伝子を引き継ぐ子孫は、もしかしたらいまだにコードを使っているかもね。とにかく、この世界の環境の制御から現住生物達の文明の監視・抑制まで、今後はあなたが精霊をつかって自由にしていいのよ。ていうか、そうしないと生きていけないわよ、あなた! しっかりしなさい!!」
「あ、……ああ。わかった。頑張るよ、俺」
どうやら俺は励まされているらしい。たしかに、銃を持った悪党共に囲まれた時にはあきらめかけたが、もうすこしだけ頑張ってみるか。
と思った瞬間、アーシスの表情が変わった。
「本当に、……ごめんなさい」
美少女が、涙をぬぐいながら上目遣いでこちらを見ている。泣かないでくれ、俺まで悲しくなるから。
「……君の魂、なんとか消えない方法はないのか? ここにいっしょに居られないのか?」
「最後まで私の心配してくれるのね。……大丈夫、ずっといっしょよ。私の意識は表面上は消えるけど、『あなたは私』なんだから」
ん? よくわからない。
「あっ、……もうだめみたい。真っ暗。何も見えない。本当にごめんなさい。さよな……」
言い終わる前に、アーシスの姿がすーと消える。同時に、周囲の風景も消える。俺はひとり、真っ暗の空間に取り残される。
「おっ、おい、まてよ、消えないでくれ」
俺のまわりは無。光も、色も、音も、臭いも、何もない空間がただ広がっている。
「俺はどうすればいいんだよ!」
自分自身の声で、俺は目をさます。今日二度目の目覚めだ。
ここまで読んでいただきありがとうございます。楽しんでいただければ幸いです。
次話以降も、なにとぞおつきあいよろしくお願いいたします。
2013.08.09 初出
2017.05.20 表現を数か所修正