71.たった数日離れていただけなのに、どうしてこんなに懐かしいのだろうね
ぐううううううう。
背骨が軋む。身体全体がシートにめり込む。
轟音とともに再び凄まじい加速がはじまった。同時に、アーシスの身体がシートに押しつけられる。
先端に有人シャトルが接続された二段目ロケットが、母機の背中から分離。同時に液体ロケットが点火されたのだ。
母機の巡航速度は音速の十数倍。二段目は、そこからさらに第一宇宙速度まで加速していく。俺とアンドラさんを、いまや成層圏より遙か高空を漂う『穴』に送り込むために。
「アーシスちゃん。大丈夫?」
アンドラさんを安心させるため、親指をたてながらニコリと微笑みたいところだが、顔を横に向けることができない。身体を動かす余裕なんてない。油断したら身体中の穴からいろんなものが出てきそうだ。
だ、だいじょうぶ、……です。
オレは必死に口だけを動かす。
「二段目分離、成功です。すべて異常なし。予定通りの軌道を進行中」
宇宙往復機実験基地の管制室。管制官の声が響く。
「軌道前方のアンノウンは?」
「依然上昇中。……このままでは三分後、二段目との衝突軌道にのります」
大型モニタに映し出されるいくつもの輝点。彼らが送り出したシャトルが目指す虚空の特異点こそが、アンノウンとの衝突予定地点だ。
「くそ、いったいなんなんだ。あの高度をとべるもの? まさか対衛星ミサイル?」
「そもそもアレはどこから現れた? 軍事用でもない我々のシャトルに対してこんなにあからさまに妨害してくるなんて、いったいどこの国の連中なんだ?」
「まだシャトルの軌道修正は間に合います。彼女達の安全を確保するため、避けるべきです!」
「そんなことをしたら目標点には届かない。それに、……官邸からの直接の指示だ。現在の軌道を維持しろとな」
しかし、このままではシャトル分離前に撃墜されかねない。
管制室が怒号に満ちる。混乱と緊張につつまれる。
「さて、……五千年いきてきたこの世界ともおさらばじゃな」
『穴』を目前にして、龍はつぶやく。
異世界に通じる穴、『特異点』はほんの目の前にある。彼の長い身体をちょっと伸ばすだけで、その入り口に届くほどの。
彼の生涯は、人類の発展とともにあったと言っても良い。古代文明の発祥以来、彼はいくつもの王朝の誕生と死を、悠久の歴史絵巻を、その眼で見守ってきた。
……だが、それもそろそろ頃合いじゃろう。
かつて古代の時代、知的生物として未成熟なサル共に大自然への畏怖の心を教えてやったのは、彼だ。石器ももたぬ原始人を古代文明に導き、そして王朝成立を手助けしてやったのも……。いつしか人間共は、ドラゴンを信仰し畏敬の念をもって接するようになった
だが、今は違う。
科学とやらを手にした人間共は増長し、ドラゴンに、……いやこの星の大自然そのものに対する恐怖と畏敬の念を持たなくなった。ワシにはわかる。あと数百年もすれば、人間は銀河のすべてを征服し、ドラゴンに代わって他の知的生命体を支配しはじめるだろう。
つきあっていられるか。
それでも人間共とともに生きようとするドラゴンもいる。隣の島国のオロチなどは、人間と心中する覚悟にみえる。
勝手にすればいいさ。だがワシはごめんだ。そもそもドラゴンとは、未熟な知的生命を導くために世界から世界を渡り歩く生き物なのだから。
「……なぁマコト。管制室の皆さんが心配している『アンノウン』って、お前の言う龍のことなんだろ? 大丈夫なのか?」
不穏な空気につつまれる管制室の中、オレは隣のマコトに尋ねる。
「うーーん。あのジジイ、確かに年齢だけは重ねていて強大な奴だけど、なんというかドラゴンの中でも引き籠もりで世間知らずでお人好しで、人間や他のドラゴンと本気で闘ったことがあまりないから、意表を突いていきなりぶん殴ってやればなんとかなるんじゃないかしら」
「なんだそりゃ?」
「それよりも心配なのは『穴』よ。不安定で今にも消えそうだわ」
「は? 間に合わなかったらどうするんだよ?」
「うーーん、その時はその時よ。今回間に合わなかったら、『私たち』が自力で穴をあけてやるわ」
「おまえ、そんなことができるのか?」
「ちょっと時間はかかるけどね。もともとドラゴンって世界から世界を渡り歩く生き物だから」
「へぇ……」
そういえば、殿下とやらは自力で異世界に行ったと言っていたな。いつかマコトも……。
数秒の沈黙。気付けばマコトがオレの顔を覗き込んでいた。その顔は、……ニヤけてやがる。
「大丈夫、心配しないで。少なくとも『私』は、穴の向こうの異世界なんて行かないから。……ユウキ兄が生きてる間はね」
「だ、だ、だ、誰もそんな心配してないだろ!」
ふーーん。
そう言いながら、マコトはオレの手を握る。小さくて暖かい手。オレは、その手を握り返す。
穴を目前にして、龍は停止した。最後にひと目、この世界を振り返る。
……人間共の王朝ごっこにつきあってやるのは、決してイヤではなかった。数百年に一度出現する、人間のくせに傑出した知能の持ち主との出会いは、楽しみですらあった。
寂寥。僅かとは言え心の中に湧き出したその感情に、彼自身が驚く。
と、虚空の彼方、視界に入るものがある。
細長い物体。あきらかに人工物であるそれが、凄まじい速度でせまってくる。
「あれに人が乗っているのか? 今の王朝の連中が、穴への突入を妨害して欲しいと言っていたものか?」
それは、単なる気まぐれ。いけ好かない王朝だったが、最後にひとつくらい願いを聞いてやろうか。
彼は身体をくねらせる。そして、長い尾をふり、その人工物に軽く触れた。
人間共が空を飛び始めたのは、ほんの最近のことだ。それからたった数十年で、その高度も速度もとんでもなく進歩した。今や星の世界に手がとどくほどだ。
だが、連中の空飛ぶ機械は、いまだに脆い。鉄より固いウロコを持ったドラゴンとは異なり、ほんのちょっと傷付いただけで壊れ、すぐに地上に墜ちる。
彼は、この高度まであがってきた人間に敬意を示しつつ、やさしく、そっと触れるように、尾で軽く撫でてやったのだ。
だが、その瞬間。彼の想像を超えた事象がおこった。
尾で撫でたものが、とつぜん爆発したのだ。
な、に?
目の前が真っ赤になる。そして、激しい衝撃。さらに後ろから同じ物がもう一発。直撃。成層圏と宇宙の境目、ふたつの爆発光が地球を照らす。
ミサイル命中!
「二発とも直撃だ。やった、のか?」
戦闘機パイロットは、言ってしまってから口を紡ぐ。
やばいやばい。いまのはフラグだよなぁ。
パイロットが予見したとおり、極超音速空対空ミサイルが二発直撃したにもかかわらず、ドラゴンは生きていた。
人間ども! 私を龍と知ったうえで攻撃してきたのか?
だが、さすがに無傷とはいかない。彼のウロコは、空対空ミサイルの炸薬程度の衝撃で傷つくことはない。だが、極超音速の物体が直撃したのだ。運動エネルギーだけでもとてつもない。その衝撃は、数千年生きてきた龍ですら経験したことがないほどに。
くそ。
目がくらむ。高度を維持できない。彼は必死に体勢を立て直す。
そして気付く。
ミサイルのさらに後ろから、……来る。さらに巨大な物体が。
あれが本命というわけか。絶対に許さぬぞ!
龍は、全身のウロコを逆立て相対する、……が。
それは、一瞬で龍を追い越した。あっという間に前を通り過ぎた。ミサイルよりも遙かに速い。空の王者たる龍をして信じられない速度。
龍は、当然のように追いかける。しかし、彼の長い身体は一度体勢を崩し、高度を落としている。……追いつけないだと?
馬鹿にするな、人間!
穴を目指しさらに加速を続ける二段目ロケットにむけ、彼は長い尾を伸ばした。今度は初めから破壊するつもりだ。
末端のノズル、ギリギリだが届く。おちろ!!
龍は見た。彼の尾に巻き付かれた液体燃料ロケットが姿勢を崩す様を。もくろみ通り機体が裂け、燃料が噴き出し、そして火を吹いて爆発する様を。
……その直前、先端のシャトルが分離し、そのまま『穴』に飛び込んでいった様を。
もちろん彼はあきらめない。人間にバカにされたままでいられるか。龍は、穴に消えたシャトルを追う。自ら穴に突っ込む。この世界と亜空間の狭間、龍の牙がシャトルの尾翼に迫る。
刹那、またしても龍の前を再び予期せぬ炎が覆う。今度のそれは、人工的な爆発ではない。……ドラゴンブレス。竜が吐いた火炎だ。
「悪いな大先輩」
意表をつかれたブレス攻撃に対しての、ほんの一瞬の躊躇。それがあだになった。穴の中から現れた別の小型ドラゴンの体当たりにより、竜の身体は穴の外へ押し返されたのだ。
「きさまぁ! ガキが調子にのりおって!!」
「儂はオロチの殿下にいろいろと義理があってな。逆らえないんだよ」
こんな若造ドラゴン、力では絶対に負けない。同族殺しは性に合わないが、舐められたままでは居られない。彼は長い身体をくねらせ、ふたたび高度を上げる。だがその目の前、目指す穴が閉じていく。
「ナイスタイミング! 恨まんでくれよ先輩。あんたなら、自力で『穴』をあけられるだろ?」
消えた『穴』の向こうから、若造の気に障る声が聞こえたような気がした。
二段目ロケットからシャトルが切り離される直前、アーシスは窓の外に一瞬おおきな影がみえたような気がした。いまのは、……ドラゴン? フキ爺さん?
次の瞬間、窓の外の真っ黒な宇宙が灰色にかわった。オレにとって二度目の亜空間だ。
……アーシスは宇宙軍の軍属だったそうだが。やっぱりこの身体はワープ航法とか経験あるんだろうなぁ?
そんなことをぼんやり考えながら、いったいどれくらいの時間がたったのか。この空間、なんか体感時間がおかしくなるんだよなぁ。
と、唐突に窓の外が青くなった。青空だ。
「クシピー!」
『はい、アーシス。たったいま通常空間に戻りました。静止軌道上の惑星開拓本部副中枢の制御用重力波受信。ここは私たちの世界、私たちの開拓惑星です』
「手はず通りいくわよ、アーシスちゃん!」
シャトルのコックピットの中、アンドラさんが叫ぶ。
未知の惑星大気の中、シャトルがいつまでも正常に飛行するとは限らない。もちろんオレもアンドラさんも操縦なんてできるはずがない。
あらかじめ定められた通り、緊急脱出のスイッチを押す。同時に、オレ達は与圧カプセルごとシャトルの外に放り出される。
ぐぅ!
自動的にパラシュートを展開したカプセルが減速。その中、アンドラさんがシートベルトを力尽くで引き剥がし、オレを抱きかかえる。カプセルのハッチを緊急爆破。
「飛ぶわよ!」
「うん!!」
アンドラさんに抱えられたまま、オレ達はカプセルの外、空中へ踊り出した。
『アーシスにとってこの大気は有害です。精霊による生命維持機能を再展開します』
ねっとりと粘り着くような濃密な空気。確かに、この空気には馴染みがあるぞ。
『高度約1500メートル』
風の音に混じって、頭の上からクシピーの声が聞こえる。どこまでも落下していく感覚。凄まじい速度で地面が迫る。
だが、オレにはまったく不安はない。なぜならオレはアンドラさんに抱きかかえられている。そのうえクシピーが護ってくれている。……そして。
ふわり。
地面に激突する直前、唐突に落下がとまった。衝撃はまったくない。オレ達は何者かによって、やさしく受け止められたのだ。
大地の上、オレとアンドラさんふたりまとめて抱き上げる男。上からオレの顔を覗き込む。黒髪。スカした顔のいい男。
「よく帰ってきたな、ユウキ兄。……いや、アーシス」
「ただいま、殿下」
オレは帰ってきたのだ。
あけましておめでとうございます。
これで第四章が終わりです。(なんと足掛け8年!)
今後も気長にお付き合いいただけると幸いです。
2022.01.02 初出




