62.帰ると決意したからといってすぐに帰れるとは限らないのよね
俺は異世界に帰ると決めた。マコトによると、あちらに通じる『穴』はそう遠くではないらしい。ならば、行かねばならない。穴に向かって。
しかし、人生というものは、そう思ったとおりには進まないものだ。
異世界への第一歩を踏み出さんとする俺達の前に、大きな問題が立ちはだかる。なんと、……俺とアンドラさんが着る服がないのだ。
向こうの世界から着てきたヒラヒラ可愛らしい服は、生身でドラゴンにまたがったままやらかした戦闘機相手の空中戦と、さらに山脈を縦走しつつの逃避行の勢いで、見るも無惨なぼろぼろになってしまった。アンドラさんも同様だ。
とりあえず部屋着というか寝間着にはマコトのティーシャツやらショートパンツを借りたものの、俺とマコトではいろいろとサイズが違いすぎる。特に身長とか、胸とか腰とか……。
ともかく、ここは田舎とはいっても二十一世紀の日本だ。異世界の大森林の中とは違って、それなりに人目もある。ただでさえ俺とアンドラさんはここではちょっと目立つ外見だ。そして、俺たちはできればあまり注目されたくはない。てなわけで、このまま外に出るのは、さすがにちょっとはばかられるのだ。
でもな、だからといって、これは……。
「ど、どうです?」
ちょっとはにかんだ表情のアンドラさん。
俺とは逆の意味でマコトとはサイズが違うアンドラさんは、マコトがどこからか探し出してきたスーツを着ている。
スーツはおそらくマコトのお袋さんが若い頃着ていたものだろう。俺も何度か見覚えあるような気がする。たぶんマコトの小学校の入学式の時だな。
マコトのお袋さんは、いまでこそ高校生の娘をもつ母親らしい貫禄のある人だけど、引っ越してきた頃は確かにアンドラさんと似たような体型だった。
それはともかく、……うん。かっこいい。アンドラさん背が高くて美人で金髪で、俳優みたいだ。
「そ、そうですか?」
普段凜々しい人が照れる姿がまたいいな。うん。
「この不思議な香りは……、こちらの世界の香水?」
さすがオオカミ族。鼻がきく。でも、それ、たぶん、……防虫剤の臭いじゃないかなぁ。
「ア、アーシスも、とても可愛らしいわよ。それがこの世界の学生の制服なのね」
アンドラさんが、俺をみて微笑む。お返しとばかりに褒めてくれる。
だが、俺は素直に喜べない。
「なぁ、マコトよ。文句を言える立場じゃないのはわかっているんだけどな。でも、……こんな服装しかないのか?」
「仕方ないでしょ。これしかサイズ合うのないんだから。取っておいてよかったわぁ」
俺のためにマコトが引っ張り出してきたのは、なんと、セーラー服だった。マコトが中学の頃に着ていた制服だ。胸には「深川」と名札までついている。
「いや、しかし……」
正直言って、これでも俺にはちょっとでかいけどな。いろいろと余ってる。
「かわいいわよ。中学に入学したての女の子みたいで、初々しいわ」
そりゃそうだろう。自分でいうのもなんだが、アーシスは確かに美少女だ。こんな田舎の中学の制服だって、似合うに決まっている。
しかし、問題はそこではないのだ。……ため息しかでないよなぁ。
着替えが終わり、俺とアンドラさんがリビングにもどると、案の定『俺』がこちらをみてニヤニヤしてやがる。なんだよ。セーラー服姿の俺を見てなにか言いたいことあるのかよ。
「いや、別に。その制服なつかしいと思っただけだよ」
「こら、ユウキ兄! またイヤラシい視線でアーシスを見てる!!」
マコトが『俺』にヘッドロック。おまえら、いちいちイチャイチャしなきゃ会話ができないのか?
「ば、バカ言うな! 俺がこんなガキをイヤラシい目で見るはずが……」
なんだと? それはそれで腹が立つぞ。
「気をつけなさい、アーシス。ユウキ兄はこの制服着た中学生の私の、胸元や袖口や腋や脚ばっかり見ていたんだから。本人は気づかれてないと思ってるらしいけど」
ばっ
俺は反射的に両腕で胸元で隠す。意識したわけではない。本能的に身体が動いてしまったのだ。そして『俺』を睨む。
「この、変態がぁ!!」
「ななな何を言い出すんだ、マコト! そもそも、アーシス、おまえは俺と同じ記憶があるんだろ!! 何をいまさら恥ずかしがってやがるんだ、おまえは」
そうだ。そのとおりだ。だからこの格好は嫌だったんだ。
確かに、俺、中学生になったマコトのこの制服姿にときめいて、ドキドキしていた記憶がある。小学生の頃はいっしょに風呂に入っていたマコトがいつの間にか中学生になって、その制服姿がとにかく眩しくて、気づいたらボーッと見つめていたことが何度もあった。……まさかマコトにばれていたとは思わなかったけどな。
ととととにかく、俺のあの視線にイヤラシい成分が無かったというと嘘になる。だからこそ、だからこそだ。
「そのエッチな視線で俺を見るなぁ!」
「やっぱり! ユウキ兄、この変態!」
「うわー、えん罪だ、えん罪。おまえ『俺』のくせに俺を陥れるつもりなのか? マコト、信じてくれ!!」
……何かきっかけが無ければ、俺と『俺』とマコトのたわいのない会話は、いつまでもこの調子で続いていただろう。それはすなわち、この家から出かけないということだ。
「あ、あの、みなさん。そろそろ、出かけませんか?」
だが、アンドラさんの遠慮がちな一言をきっかけにして、三人のドツキ漫才は終了となった。
うむ。そうだな。そろそろ出かけなきゃね。そう決めたんだから。
しかし、マコトは『穴』に直行しなかった。なぜかというと……。
「おまたせしました! チョコパフェをご注文の方は……」
「お! 俺だ。おれおれ」
勢いよく手を上げた俺。ちょっと短いスカートの制服着たウェイトレスのおねーさんが、微笑みながら俺の前にでっかいグラスを置いてくれる。
目の前にそそり立つクリームとチョコレートの威容。俺は思わずつばを飲み込む。
ここはファミリーレストラン。街の郊外、平原を貫くまっすぐな国道沿いにある、全国チェーンのお店だ。無個性と揶揄されがちな典型的な日本の田舎街の風景そのものではあるが、マコトや『俺』のような周辺住民にとって、このあたりは唯一の憩いの場だったりする。
とはいえ、今日は休日といえどまだ午前中。俺たちの他にそれほど客はいない。パフェを目の前にしてキャッキャとかしましい若者集団である俺たちは、おそらく店内で目立っているのだろう。
うまい!
俺はもともとチョコパフェなんて食わなかったはずだが、今は美味いと感じる。俺よりも、俺の中のアーシスが喜んでいるのがわかる。身体が欲するとはこのことだろう。
この世界に来て良かったな、アーシス。
俺たちのテーブルにいるのは五人。女性陣はみんなパフェを食らっている。
「おまえ、『俺』のくせに、朝からよくそんなもの食えるな」
正面の席の『俺』が、あきれた顔で見ている。
「うるせーよ。俺の勝手だ」
朝だろうが、美味いものは美味いんだよ。
「そうよねぇ。美味しいものねぇ」
小倉パフェを食っているマコトだ。こいつは昔から甘い物に目がなかったな。
「こんな美味しいもの食べたのは初めて!」
アンドラさんはフルーツパフェに夢中だ。まぁ、確かに向こうの世界にこんなものはなかった。
かしましい女性陣に反論され、『俺』は黙るしかない。ざまぁみろ。
中身の魂が『俺』のコピーだという異世界からきた美少女が、俺の正面に座っている。昔マコトが着ていた中学校の制服。やたらに細くて白い腕と足が眩しい。
そんな彼女の目の前にあるのは、身体に比べてでっかすぎるチョコパフェだ。それを一心不乱に食っている。
……かわいいじゃないか。
美少女がニコニコしながらチョコパフェを食う。いい絵だ。ほほえましい。
ついで、とは言わないが、彼女の隣の席で小倉パフェを頬張るマコトも可愛いぞ。さらに、おそるおそるフルーツパフェを食うアンドラさん。いかにもキャリアウーマンっぽいお姉さんが、おっかなびっくりパフェを食う姿もいい。
ちなみに俺は、あまり甘い物は得意じゃない。モーニングセットのコーヒーを飲んでいる。
そして、もうひとり……。
俺たちのテーブルに、当たり前のように一緒にいるこのおっさんは誰だ? なぜ当然ののような顔をして、こいつは朝からステーキセットの大盛りを食ってやがるんだ?
このおっさんは、朝マンションを出る俺たちに、ごくごく自然に合流してきた。そして、俺達はここまでおっさんが用意した車で来た。おそらくマコトに関連があるのだろうとは想像できるが、おれはこのおっさんには全く面識がない。
「腹が減ってはなんとやらと言いますからね。これは私の予感ですが、今日はちょっとハードな一日になりそうな気がします。君もしっかり食べておいた方がいいですよ」
確かに二人を異世界に帰すのは大変そうだが、……いや、そもそもあんた誰?
この期に及んで、おっさんがそっと名刺を差し出してきた。
……防衛省?
いぶかしむ俺に、横からマコトが説明してくれた。
「本当はユウキ兄は巻き込みたくなかったんだけど、……下手に隠してもどうせいつかばれるしね」
……ほぉ、あの二人が異世界から来て以来、自衛隊がずっと護衛していた、と。で、それを裏で操っているのはマコトだってか?
意識がコピーだとか異世界だとかドラゴンだとか、SFっぽい単語が飛び交う異常事態だとは認識していたが、今度はそのうえ自衛隊のスパイかよ。
ここにいたって、呑気な俺もやっと理解させれたのだ。実は俺たちはそれなりに大変な事態に巻き込まれているらしいということに。
……俺は普通の高校生なんだけどなぁ。まぁ、マコトとつきあってたら、この程度の事は覚悟しなきゃな。マコトがそう言うのなら、協力してやろうじゃないか。
「さすがユウキ兄! 理解が早くて助かるわ」
「さすが『俺』! 俺が異世界に居る間に『俺』もちょっとは成長したじゃないか」
マコトとアーシスがハモる。なんだよおまえら。二人して俺をバカにしているのか?
「へぇ……」
感心した表情で俺を見る人がもうひとりいた。おっさんだ。
「その年齢でなかなか達観してらっしゃる。まぁ大丈夫ですよ。我々も仕事ですからね。ご家族にはできるだけご迷惑はおかけしません。その代わりといってはなんですが、このお二人が帰るまで護るため君も協力をしてください」
それはかまわんけどな。……おっさん、あなたとしては、アーシス達をこのまま帰しちゃっていいの? ……もし俺が自衛隊の立場だったら、ミサイルを粉にしたあれの秘密を知りたい思うんだけどなぁ。
「それは……」
おっさんが口ごもり、そしてマコトを見る。マコトは横を向いて知らんぷり。
なるほど。なんとなく事情はわかった。すげぇなマコト。おまえ、国のスパイさんにまで圧力をかけることができるのか。
「いえ、……我が省としても、その技術が手に入るならば、もちろんうれしいのですがね。それが無理ならば、もめ事が起こったり、他国に奪われたりしないで、無事帰って欲しいというのが本音なんですよ。これは嘘じゃありません」
ふーん、なるほどね。事なかれ主義か。この国らしいなぁ。でも、その方がアーシス達にとってもいいだろし。ウィンウィンというやつだな。
ふう。
巨大なチョコパフェも、これが最後の一口だ。
うむ。うまかった。涙が出るほど美味かった。俺の中のアーシスも喜んでいる、……に違いない。もう思い残すことはないぞ。無いと言ったら、無い。俺は覚悟を決めたんだ。
だから俺は、『俺』とマコト、おっさんの会話に割り込む。今後の事を決めねばならない。
「……なぁ、マコト。穴がみつかったんだろ? いつまでもこんなところで油を売っていて、いいのか?」
せっかく覚悟を決めたのだ。俺としては、できるだけ早くあっちの世界に帰って、……で、で、で、、、、殿下に、会いたい、の、だ、が。
そんな俺に、マコトがちょっと驚いたような顔をしたあと、にっこりと微笑む。なんだよ、その嬉しそうな顔は。
「大丈夫、心配しないで。穴の存在はわかっているのよ。すぐ向こうに帰してあげるから。……と言いたいところなんだけど、実は穴の位置にちょっとした問題があるのよね。今日の宇宙往復機の試験にも関係があるわ。まずはそれを解決しないと……」
……ほお。聞こうじゃないか
物語がなかなか進展しないのは作者の仕様なのです。
2017.07.15 初出




