60.俺は俺であることをやめることにしたんだよ
……んっ!
まぶたの隙間から光が溢れ流れ込む。ここしばらく見ることのなかった、明るい白色の人工的な光だ。
眼を覚ませば、まわりには心配そうに俺の顔を覗き込む人々。マコト。アンドラさん。そして、……俺。
間抜けな顔をした俺が、視線を合わせた俺に向けて声をかける。
「なぁ、飯、パスタだけど、……おまえも食うだろ?」
あいかわらず間の抜けた声だ。そして、この非常時になんて間抜けな問い。我ながらバカな男だ。なさけない。
……でもなぁ、こいつ、俺が寝ている間に、俺の事情をマコトから聞いちゃったんだろうなぁ。確かに、こんな姿になった俺が目の前にあらわれたら、俺だって俺になんて声をかけていいかわからないもんな。そんな時は、とりあえず飯のはなしをするのは、正解かもしれないなぁ。マコトだって、怒らせてしまったときは、とりあえず何か食わせてやれば機嫌直すしな。……ああ、やっぱり俺は俺なんだなぁ。
「うん。……食うよ」
うなずく俺。
ああ、食うさ。食うとも。腹ぺこなんだ。俺に懐かしいこちらの世界の料理を食わせてくれ。
『俺』がパスタを作ってるあいだ、俺とアンドラさんで風呂に借りた。マコトの家の風呂は何度もつかったことがある。バスタブはちょっと狭いけど、使い放題のお湯、ちゃんと温度も調節できるシャワー、そしてシャンプーやボディソープ。
マコトのティーシャツとショートパンツに身を包んだ頃には、俺はすっかりリラックスしていた。そして、みんなでパスタを食う。ベーコンと、キノコと。マコトが好きな和風の味で。おまえ、料理の腕は全然上達してないな。俺が作ってた頃と同じ味じゃねぇか、これ。あ、……涙がでてきた。ごめん。ちょっとだけ待ってくれ。大丈夫だから。ちゃんと食うから。ちょっとだけ、待ってくれ。
食後のコーヒー。コーヒーは向こうの世界にはなかった。アンドラさんが渋い顔しながら、恐る恐る臭いをかいでいるのがおもしろい。ほんのわずかに残る記憶によると、アーシスはコーヒー苦手だったらしい。お子様だからしかたないが、今の俺はコーヒーが好きだ。
ふと気付くと、正面に座った『俺』が、俺を凝視している。
おまえ、失礼な奴だな。あんまり女性を凝視するなよ。まぁ、今の俺ってそれなりに美少女だから無理もないけどな。あ、視線が上下した。こら、いま俺の胸を見たろ。
このアーシスの身体になって、はじめて男が女性に向ける視線のいやらしさを理解することができた。しかし、まさか自分自身から自分がそんな視線でみられるとは思ってもいなかったぜ。
「……この貧乳好きの変態め」
両腕で胸のあたりを隠しながら、可能な限り冷たい視線とともに、俺は俺に向けてボソッとつぶやいてやった。
「ちょっと! ユウキ兄、あんた、あんな少女、ていうか自分自身を何という目で見てるのよ!」
隣に座るマコトが『俺』の首の後ろから腕をまわし、ヘッドロックのかたちで締め上げる。
「いてててて、やめろやめろ。あほ。誤解だ」
「誤解? 誤解じゃないわよ。今の視線はたしかにイヤラシい成分が混じっていた。私に隠せると思ってるの? このロリコンがぁぁぁぁぁ」
「こ、こら、マコト、人前でやめろ、あたってるあたってるって」
あたってるというより、マコトは自分の胸の中に『俺』の顔を埋めているのだ。……第三者からみると、こいつら本当にバカップルだよなぁ。
「なぁ、マコト。……こんな変態、もうやめた方がいいんじゃないか?」
「そうよねぇ。ほーーんと、やめちゃおうか」
「いったいこれのどこがいいんだよ」
「うーーん、どこだろ?」
「考えるなよぉぉ」
ホント、バカップルだな、こいつら。あ、また涙が……。
「ユ、ユウキちゃん?」
アンドラさんが声をかけてくれた。俺の心配をしてくれるのはアンドラさんだけだよ。しかし、そのアンドラさん声に反応したのは、俺だけではなかった。
「は「はい?」」
俺と、マコトといちゃついている男、二人同時に返事したのだ。
「あーー、アンドラさん。これから俺のことは、アーシスとよんでくれないか?」
「えっ?」
「いいのか、おまえ……」
「ああ、いいんだ。俺はアーシスだ。ユウキはおまえだ。だから、……俺はあちらの世界に帰る」
「俺は、おまえ……、アーシスが、異世界とやらで何を経験してきたのかはしらんが、今のおまえの気持ちはなんとなく想像できる、つもりだ」
目の前の『俺』が珍しく神妙な顔で言う。そんな目で俺をみるなよ。
おまえに何がわかる!
……いや、異世界での命をかけた辛い体験のことをいってるんじゃない。突然に女の子の身体になってしまったことを言ってるわけでもない。そんなことはささいな事だ。
そーゆーことじゃなくて、マコトのそばにいるべき男が『自分』じゃないと理解させられた瞬間、それが俺にとってどれだけの恐怖と絶望だったか、おまえにわかるか? これは経験しないと理解できないだろうなぁ。……一生、理解する機会がこないといいな。おまえ、マコトと仲良くするんだぞ。
「それ以上言うなって。しかたがないんだ。それに、……この身体もそう悪くないぞ」
俺は無理矢理わらう。笑えたよな。笑えたはずだ。それをみて、正面の『俺』もニヤリと笑う。
「ほほお。俺の身体からその可愛らしい身体になって、いったい何が変わったのか。具体的におしえてもらいたいのだが……」
やはりおまえが聞きたいのはそれか。絶対それだと思った。俺はやっぱり俺だったか。なんというスケベそうなマヌケ面。
「……そりゃ、おまえ、いろいろと、あんなこととか、そんなこととか」
「ほほおおお、例えば? その殿下とやらとはどうなんだ? いろいろやられてしまったのか? やっぱりやる方とやられる方じゃかなり違うのか?」
「おまえ、ホントに変態だな。いいか、ここだけのはなし、……まず敏感なところに触られたときの感覚が、男と女では根本的に……『いいかげんにしなさい!』
ゴンっ!
俺と『俺』の頭にげんこつが落とされた。
「アーシス。あなた達が通ってきた穴は、今は近くにはないみたい。そんなに遠くに移動したとは思えないけど、私達が必ず見つけるから。それまでこっちにいるといいわ」
そ、そうか。そう都合良く行ったり来たりはできないか。よろしく頼むよ。
「でも、……本当にそれでいいの? あなたの生まれた世界とは比べものにならないかもしれないけど、この世界の方がちょっとは文明的な生活ができるわよ。私と仲間の力で、けっしてあなたに不自由はさせないわ。それに、あちらの世界では、あなたは『精霊』に頼らないと生きていけないんでしょ? 『精霊システム』はいつまで動いているの?」
マコトが真顔で言う。
「大丈夫。アーシスが、……いや俺が作ったシステムだ。そう簡単には壊れない、はずだ。たぶん。それに、俺は、俺は、で、で、で、で殿下と、いっしょにいたいんだ。……もし奴が嫌でないのなら、だけど」
「そりゃもちろん、エメルーソの奴は喜んでいるわ。いまこの瞬間もニヤニヤしているわよ」
目に浮かぶようだ。
「そう言ってくれるのは、私やエメルーソだけじゃなく、『私達』全員が嬉しいけど、……けど、くどいようだけど、あなたは本当にそれでいいの?」
ああ、俺はあの世界に帰りたい。殿下に会いたい。それに、……俺はあの世界の現住生物たちに責任があるんだ。
2015.08.01 初出
2017.05.21 表現を数カ所修正しました
(*)同じ世界を舞台にしたもうひとつの物語も連載しています。こちらよりもかなり呑気なお話ですが、よろしければそちらも合わせてご覧ください。
『剣と魔法の異世界だって、美少女アンドロイドの私がいれば平気なのです』( http://ncode.syosetu.com/n8255ca/ )




