59.ふたりぶんの人格があるのもそう悪くはないかもしれないね
「めしあがれ」
俺は白い部屋の中にいる。白いテーブルを前にして、白い樹脂製の椅子にボーッと座っている。
俺の正面にいるのはひとりの少女。緋色の髪に緋色の瞳。どこもかしこも細くて小さくて華奢な少女。
そう、ここは夢の中。何度も何度も訪れた、勝手知ったるアーシスの夢の中だ。
しかし、以前おとずれた時とは、ちょっとだけ違う点がある。
ティーカップに並々と注がれたお茶に、ちゃんと味があるのだ。もちろん香りもある。お皿に盛られたクッキーも、ちゃんとクッキーの味がする。ついでに、俺とアーシスの前にはアイスクリームがおかれている。
「あなたと『殿下』のおかげで、千年ぶりにアイスクリームの味を思い出すことができたわ。ついでにお茶も、クッキーも。冬眠から目をさましてよかったわぁ」
アーシスが笑う。眩しいほどの笑顔。こうしていると、ホントこいつは美少女だよな。
「そ、そうか。それはよかった」
アイスクリームに関しては、マコトの奴がレシピだけ異世界に伝えたまがい物だけどな。
「あとはチョコパフェね。今度のこの世界にはありそうよね、本物のチョコパフェ。はやく食べましょ!」
あ、ああ。あるぞチョコパフェ。ここは田舎町だが、チョコパフェを食わせてくれるファミリーレストランくらいはある。
それに、これは俺の予想でしかないのだが、この世界のチョコパフェはまがいものじゃないぞ。おそらくは異世界の、しかも宇宙の彼方にあるというお前の故郷のチョコパフェと同じものがあるはずだ。時代だけは違うのかも知れないが。
いくらでも食わせて、……じゃなくて食ってやるよ。アーシスの好物の味を思い出させてやる。
「ありがとう。そして、……ごめんなさい」
アーシスが俺に向かって頭を下げる。
おい、さっきの笑顔はどうした。そんな神妙な顔して謝るなんて、らしくないぞ。
といっても、この娘が俺に謝る理由はひとつしかないよな。俺の記憶と人格を勝手にコピーして、そして俺がコピーだったとことを今まで黙っていたことだろうなぁ。
「あ、……い、いや、気にするな。まぁ、確かにびっくりしたけどな」
さすがに、マコトの部屋に勝手知ったる様子でずうずうしく上がり込む自分の姿を見たときには、ちょっとびっくりした。
いや、『ちょっと』じゃない。あの瞬間、俺の中の世界すべてがひっくり返った。自分がいったい誰なのかわからなくなった。
……そして俺は、理解してしまったんだ。マコトの恋人だと思っていた自分が、自分ではないことを。マコトの側に居るべき人間が、俺じゃないってことを。
この事実が『俺』にとってどのくらい恐ろしい事なのか、……俺以外には想像もできないだろうなぁ。気が狂わんばかりの恐怖とはこのこと。もういっそ、死んでしまいたいくらいだ。
と、そこまで考えてアーシスの顔をみると、……あ、やばい、泣きそうだ。
「お、俺のことはどうでもいいよ。アーシス、それよりも、おまえは大丈夫なのか? 記憶や自我がなくなりそうだと言ってたよな。このまま消えちまうなんてやめてくれよ」
俺は、必死になって声を絞り出す。目の前に居るのは、よりによって俺が身体をうばってしまった女の子だ。狼狽した姿を見せて、悲しい思いをさせるわけにはいかないのだ。
なぁ、アーシス。俺のことなんてどうでもいいんだよ。正直言うとさ、こんな事態を予想していなかったわけじゃないんだ。
もともと俺はもう帰れないって言われてたし。こちらに残してきた両親のことを心配したとき、殿下が妙に言葉を濁してたし。
どうせこの身体はもともとアーシスのもので、どうせ俺がマコトの恋人で居られるわけがないんだから。だったら、もう俺なんてどうでもいいんだ。
それよりも、自分の身体に俺みたいな男の意識が入り込み、自分の意識と記憶がどんどん薄れているアーシスのほうが、よっぽど可哀想だ。
「あ、あなた、バカじゃないの?」
そんな可哀想なはずのアーシスが、いきなり俺を罵倒し始めた。
「どうして、そこでわたしの心配になるの? あなたは私を怒鳴りつけるべきなのよ! 勝手に記憶と意識がコピーされちゃったんだから。……本当にもう!」
……前にも似たようなこと言われたことあったな、そういえば。
「いい、良く聞きなさい。『私』が消えかけたのは本当のことよ。実際、この肉体の脳みそのなかに『アーシス』はほとんど残ってないわ。残っている記憶はほんの一部。自分の意識を集中して『目覚める』ことができるのは、ほんの短時間だけ。それも数日に一回ってところ。……でも、それでも『アーシス』は、まだあなたといっしょにいるわ」
そうか。完全に消えてないのはなによりだ。なにせ、この身体はおまえのだからな。……かわりに俺が消えてしまいたいよ。
「……あのね、この残りわずかな意識や、そしてこの身体がなんとか生きていられるのは、あなたのおかげなの」
ん? それってどういうことだ?
「たぶん、私の脳みその破損がひどくて、このままでは生命維持が危険ということになって、クシピーが脳みその量子的再構成を決断したその瞬間、私はあなたの夢を見ていたの」
ああ。クシピーはたしかにそんなこと言ってたな。
「私は医療用ナノマシンは専門じゃないし、量子脳科学にはぜんぜんくわしくないのだけど。でも、これだけは自分でわかる。クシピーの決断はちょっと遅かったのよ。そのときすでに私の脳みそは破損が大きすぎて手遅れ状態。あなたの夢をみているとき、すなわちあなたの意識が私の中にいるときしか、自分の意識すら保てない状態だったの」
この偽物の俺が、アーシスの役に立ったってことか。
「そう。次元の穴があいたのも、その時たまたま私とあなたがつながったのも、おそらくは偶然よ。でも、とにかく、私とあなたがつながった状態のまま脳みその量子スキャンが行われて、そのまま再構成されたことによって、私の脳みそはなんとか最低限の人間らしい意識を維持することができたのよ。わかる? 私がゾンビみたいな脳死状態にならなかったのは、あなたのおかげなの! あなたがいないと、私は生きていられないのよ」
そ、そうか。そう言われると、ちょっとだけ安心したよ。
「……なぁ、そんなら俺は、これからどうすればいい? アーシスのこの身体、どうすればいい?」
「前にもいったでしょ。あなたは私なのよ。この身体は私のもの。すなわちあなたのものよ。あなたの思うとおり生きればいいわ」
そう言われてもなぁ。一時的に借りたってのならともかく、一生の話だしなあ。異世界人の、しかも女の子の身体で、うまく生きていけるかなぁ。
「あら? 次元の穴の向こう側といっても、もともとのあなたの身体は『私達』と同じ人類みたいよ。……それに、せっかくこんな美少女の身体になったんだから、いろいろとやりたいことがあるんじゃないの? 恋愛とか」
そういわれた瞬間。俺の頭の中に、ひとりの男の顔がうかんでしまった。黒髪に黒い瞳、イヤになるほどいい男。
ち、ち、ち、ちがうぞ、アーシス。お、お、おれは……。
「……ふふふ。よかった。やっぱりあなた、私と趣味が似てるわ。かれ、植民惑星の現住生物にしてはかなりマシなほうよね。彼の中身の本体が、銀河系の半分を制覇した連邦宇宙軍ですらいまだに正体が解明できていない謎の生命体『ドラゴン』というのも、技術開発本部の人間としてはポイント高いわ」
ポイントはそこかい。そ、それに俺は、あんな男……。
「きらい?」
ぐっ。答えられない。
「い、いや、嫌いじゃないけど……」
「なら、いいじゃない。私だって恋愛してみたいもの。……あ、そろそろ時間切れみたい。意識が混濁してきたわ。また何日か後にあいましょう。がんばってね」
「おい、まてよ。恋愛って、がんばってねって、おまえ……」
俺が言い終わる前に、アーシスの姿が曖昧になる。そして消える。周囲の風景も消える。
まぁ、いいか。俺とアーシスはいつも一緒らしいし。どうせそのうちまた会えるだろう。
周囲が明るくなる。現実世界の音が耳に入り始める。誰かが俺に声をかけている。それにあわせて『俺』の意識が覚醒を始める。俺は目を覚ますのだ。
さて、と。
まずは、どうやってあちらの世界に帰ろうか。アーシスの居た世界、エメルーソ殿下のいる世界に。
2015.06.28 初出
2017.05.21 表現を数カ所だけ修正しました
(*)同じ世界を舞台にしたもうひとつの物語も連載しています。こちらよりもかなり呑気なお話ですが、よろしければそちらも合わせてご覧ください。
『剣と魔法の異世界だって、美少女アンドロイドの私がいれば平気なのです』( http://ncode.syosetu.com/n8255ca/ )




