58.アイデンティティの完全崩壊ってのは思ったよりハードな状況だよね
「ねぇ、ユウキちゃん。あの蚊トンボ、こんな深い森の中なのに、どうやって空の上から私達の居所がわかるのかしら?」
北の大地の中心を背骨のように南北に貫く山脈を抜け、俺たちはただひたすら突っ走ってきた。逃避行の果て、そろそろ森の終わりが見えてきた頃合い。大平原が眼下に見える。
そこまで逃げても、なおしつこく俺たちを追跡してくるカーキ色の蚊トンボ、……自衛隊の多目的ヘリを指さしながら、アンドラさんが苦々しい顔で俺に問う。
「たぶん赤外線、……熱だよ。俺たちの体温を感じる機械を使ってるんだ」
「ふーん、……体温ねぇ」
疑わしげな表情で、なにやら考えている顔のアンドラさん。
でも、いくら優秀なセンサーだとしても、この深い森の中をとても生物とは思えない異常ともいえる速度で突っ走っているアンドラさんと俺を追跡できるというのは、……もしかしたら俺たちの行き先の見当くらいはついているのかもしれないなぁ。
アンドラさんが、突如コースを変える。沢を下り、湿地に入る。そこは巨大なフキの群生地。人間の身長ほどもあるラワンブキ。観光用のイラストに描かれたコロボックルが傘のかわりにしている、あれだ。
俺をかかえたままアンドラさんは湿地に突入、とりわけ巨大なフキを片手で一本ぶっこぬく。そして、一旦泥の中につけたあと、頭のうえにかざした。まるで日傘のように。
あっけに取られる俺。これで、赤外線を?
そしてアンドラさんは走る。フキを頭上にかざしたまま。そのままの勢いで、高い木のてっぺんまで一気に登る。まるで垂直に駆け上るように。その先、木の真上にいるのは、ヘリコプターだ。
「み、見失いました」
「付近にいるはずだ。目視で捜せ!」
「しかし、どうやって赤外線を……」
「ミサイルのロケットモーターを停止させたうえ、粉にしてしまう連中だぞ。完璧な熱光学迷彩の技術をもっていても今さら驚かん。行き先はわかっているんだ、だいたいの方向は見当つくだろう」
と、ヘリが一本の高い木の側を通過した瞬間。なにかが、キャビンドアから飛び込んできた。
「なっ! なんだ?」
猛獣?
せまいキャビンの中、猛スピードでしなやかな『何か』が動く。
見えない。何が起きたかわからない。左右をきょろきょろしていたひとりが、後ろから襟元を捕まれ一瞬で放り投げられる。とっさに立ち上がろうとしたひとりが、蹴り飛ばされる。そして、かろうじて銃を構えた者は、懐にとびこまれて一本背負い。
ラワンブキと小さな少女をかかえた獣によって、三人の隊員があっという間に機外に放り出されたのだ。
「どうした? なにがあった?」
後部の異変に気づき、パイロットが振り向く。しかしその首に、後ろから誰かの腕が回される。なんという馬鹿力。動くこともできない。必死に視線だけを動かせば、ほんの目の前に女性の顔があった。金髪。頭にあるのは、……犬の耳?
パイロットは息をのむ。
舌なめずりする真っ赤な唇。その端から真っ白な牙が覗いている。一瞬、その野獣の美しさに見とれたのだ。
「動いちゃだめよ」
そして、自分の喉元に鋭いものが当てられていることに気づく。爪だ。
「ごめん。これ以上あんたたちをどうかする気はないよ。俺は家に帰りたいだけなんだ。ちょっとだけ力を貸してくれないか?」
口調は荒っぽいが、鈴の音のような幼い声。女性が抱えて走っていた少女か。
「ど、どうすればいい」
「とりあえず南東の方向にとんで。宇宙往復機の実験基地の街を知ってるだろ? ……そこに俺の家があるんだ」
マコトは自分の耳を疑った。防衛省のおじさんから緊急の連絡がはいったのだ。
「すいません。我々の失態です。監視のヘリが乗っ取られました!」
「ええっ?」
まさか……。いや、アンドラならそれくらいやるだろう。
窓のすぐ外、ヘリの爆音が聞こえる。
でも、でも、……まさか、あのユウキ兄、いえ、アーシスが本当にここに?
とっさに窓をあける。ほぼ同時に、それは飛んできた。
「マコトォォ!!」
風と共に、少女が窓から飛び込んできたのだ。
おそらく、アンドラによってちからまかせに投げ飛ばされたのだろう。もの凄い速度で胸の中に飛び込んできたアーシスの華奢で小柄な身体を、反射的に受け止める。
ひとひとり分の質量と言っても、受け止めるだけならば、マコトにとってどうってことはない。しかし、相手は人間だ。華奢な女の子だ。この速度、ただ受け止めただけでは壊れてしまう。
アーシスの身体を受け止めた瞬間、マコトはみずから後ろに飛んだ。そして、勢いを殺しながら、ソファの上、クッションの弾力に背中をゆだねる。
ふぅ。
ひとつため息。一瞬の沈黙。マコトは、自分の胸の中いるはずの子犬のように小さくて柔らかい生き物に視線を向ける。
動かない。
壊さないよう、衝撃を与えないように、細心の注意を払ってやさしく受け止めたはずだけど……。
「ユ、ユウキ兄?」
おそるおそる声をかける。
その瞬間。唐突に少女が顔をあげた。
「マコトォ〜」
緋色の瞳が正面から見つめる。涙を目一杯ためている。大きな瞳から今にも溢れ落ちそうだ。涙だけではない。よだれと鼻水と、顔中くしゃくしゃにしながら、私の顔を正面から見つめている。
「……ユウキ兄。そんな身体で、本当に、異世界から、本当に、よくぞ、ここまで、」
言葉にならない。最後まで言えない。
「マコト、マコト、マコト、マコト、会いたかった、マコトォォォォ!」
感情が爆発したのは、ユウキの方が先だった。アーシスの身体がマコトに胸にすがりつく。顔を埋める。そして、大声で泣き始める。
マコトはソファの上に仰向けに寝ている体勢だ。その胸の上でむせび泣くアーシスの頭、その。緋色の髪を優しくなでる。
「おかえり、ユウキ兄」
この世界の人間?
ユウキを投げ飛ばした直後、アンドラは自らも窓に向けて飛んだ。部屋の中には、むせび泣くユウキちゃんと、彼女を優しく抱きしめる少女。
この少女が、……マコト?
アンドラは、泣きながら抱き合う二人の少女を見つめる。
マコトォ。
アーシスはマコトの胸に顔を埋めたまま、ひとしきり泣いた。泣いて、泣いて、涙がおさまりおちついた後、頭をふってなんどか大きく深呼吸。
……うん、たしかにマコトのにおいだ。
もういちどマコトの胸に顔をうずめ、感触を確かめる。そして、微妙に両手を動かす。
もみもみ。
ユ、ユウキ兄?
もみもみ、もみもみ。
「ちょ、ちょっと、ユウキ兄! どこ揉んでるのよ!」
「この弾力。柔らかさ。たしかに本物だ。俺のマコトだ。俺は帰ってきたんだ!」
もみもみもみもみ。
「あんっ、……じゃなくて、ユウキ兄、なにやってるのよ、あんたは!」
マコトが怪力でアーシスの身体をひきはがす。両手を脇にいれ抱き上げて、目の前に座らせる。
「ごめん。あんまり懐かしくてつい。それに、いつまでも泣いてるのも女々しいかと思って、男らしさを発揮しようかと。……おまえ、俺が居ない間にまた胸おおきくなったんじゃないか?」
アーシスの手は、さっきまで胸をもんでいた続きのまま、十本の指をわきわきさせている。
「なにが男らしさよ! いいかげんにしなさい!」
マコトがテーブルをたたく。もの凄い音。アーシスの身体が固まる。反射的に正座してしまう。そして、脳天に軽くげんこつが落とされる。
「まだ夕方でしょ、……じゃなくて、アンドラさんが見てる前で、……でもなくて、わ、私達、おんなどうしでしょ」
「そ、そうか。そうだな。いまの俺はアーシスだった。……ていうことは、俺、もうマコトとはできないのか?」
ごつん。
またしても、二度目のげんこつが落ちる。
「今は、そんなことよりも先に考えなきゃならないことがあるでしょ!」
漫才のようなふたり。それを眺めながら、アンドラは考える。
以前、ユウキちゃんは殿下のことをマコトと呼んだことがある。確かに、この少女は殿下と同じにおいがする。
でも半分だけだ。殿下のにおいは、人間とドラゴンが半々だった。この少女も、確かに半分はドラゴン。だけど残りの半分は、私のいた世界の人間とは違う。人間は人間だけど、ユウキちゃんと同じ種類の人間においだ。
そして、こちらの世界で私達を追い回し、蚊とんぼの中にいた連中も、ユウキちゃんと同じ。ユウキちゃんは、もともとこちらの世界の人間で、こちらの世界に帰ってきたということか。
でも、この『マコト』は、……ユウキちゃんとあきらかに特別な関係にあるこの少女は、殿下とどんな関係なのだろう?
「考えなきゃならないこと? ……ああ、そうだな。マコト、おまえ俺のいない間、ちゃんと飯くってたのか? 俺を助けるためにいろいろ無理してたんじゃないのか? 迷惑かけてゴメン。この埋め合わせは絶対にするよ。そういえば、アンドラさんと爺さんまで巻き込んで、こちらの世界に連れてきてしまったな。なぁ、迷惑ついでに、なんとかアンドラさん達を帰してあげることできないか?」
はぁ……。
マコトは盛大にため息をつく。
「もう! どうしてそんな身体になっても、他人のことばっかり気にしてるのよ。もう少し自分のことを考えなさい」
「自分のことって言ってもなぁ。この身体はどうしようもないんだろ? 親父とお袋は行方不明の息子が娘になって帰ってきたらびっくりするだろうけどさ、俺の親だからきっとわかってくれるだろうし」
なんだ? どうしてそんな悲しそうな顔をするんだ、マコト。俺はおまえの表情なんてすべてわかるぞ。おまえ、いったい何を隠しているんだ? 俺のいないあいだに、俺の両親になにかあったのか?
ちがう……。両親じゃない。その視線は、俺か? 俺に、なにかあるのか?
その時だ。
マコトの部屋のチャイムがなった。同時に、外から勝手に鍵があけられる。勝手知ったる勢いで、誰かが入ってくる。
「ん? お前のお袋さんか? 今日は早いんだ、な……」
俺は、マコトのお袋さんが帰ってきたものだと思った。はたしてどんな顔で挨拶すればいいのやら、なんて呑気なことを考えた。だが、玄関から聞こえてきた声は、予想した声とは違っていた。
「おーーい、マコト。今日もお袋さん達とまりだろう。飯つくってやるからいっしょに食おうぜ」
それは男の声。とても間の抜けた、でもいやというほど聞き覚えのある声。
「もう! もう! もう! ユウキ兄ったら、どうして、いつもこう間が悪いのよ?」
お、おい、マコト、何をあせっているんだ? それに『ユウキ兄』ってどういうことだ? ユウキは俺だ。ここに居るぞ。じゃあ、じゃあ、……あ、あの声の主は誰、な、ん、だ?
おとこの声はまったく遠慮することなく、リビングに近づいてくる。
「またパスタでいいだろ? そういえば、さっきの自衛隊のヘリの音すごかったな。何かあったのか、おまえ知ってる?」
この声は、いやだ。聞きたくない。
俺は反射的に耳を塞ぐ。自分でもなぜだかわからない。でも、そのおとこの声を聞きたくなかった。姿を見たくなかった。目を閉じて、後ろを向いて、その場に伏せる。すべての情報をシャットアウトする。
「ちょ、ちょ、ちょっとまってユウキ兄。いま立て込んでるから。あとでぇ!」
「何がたてこんでるって? 手伝ってやるよ」
いやだ。
俺の身体の中、アーシスではない部分、ユウキの部分が、あいつに会いたくないと言っている。会ってはいけないと言っている。全身から冷や汗が流れ出す。ガタガタと身体が震えている。
ドアが開く。
スーパーから買ってきたままのエコバックに入った食材と、タブレットPCをかざしながら男がリビングに入ってきた。
いやだ。いやだ。いやだ。
「なんだ、暇そうじゃないか。……そうそう、これみろよ、ネットにアップされてたドラゴンの映像だってよ。これ、おまえの仲間か? しかも上に跨がってるこの女の子、似てるんだ。俺の夢の中に出てきた、アーシスに、……って、お客さんがいたのか?」
脳天気な声でしゃべりつづける男の顔を見る前に、俺は自分の意識を手放した。現実から逃げた。いや、正確にいえば、俺の中のアーシスの部分が、ユウキをやさしく抱きかかえ、寝かしつけてくれたのだ。
半狂乱になりかけていた俺の意識は、それに安心してゆっくりと眠りについた。
半年以上ぶりの更新になりました。
基本的に脳天気な物語なので、登場人物がつらく悲しい思いをすることはないはずです。
今後もおつきあいいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
2015.06.14 初出
2015.06.16 誤字脱字の修正とちょっとだけ表現を修正しました
2017.05.21 ちょっとだけ表現を修正しました
(*)同じ世界を舞台にしたもうひとつの物語も連載しています。こちらよりもかなり呑気なお話ですが、よろしければそちらも合わせてご覧ください。
『剣と魔法の異世界だって、美少女アンドロイドの私がいれば平気なのです』( http://ncode.syosetu.com/n8255ca/ )




