40.必要な情報に限ってバックアップが無かったりするんだよね
あれ?
ユウキちゃんの髪を洗いながら、アンドラは不意に我に返る。
自分はいま、なぜこんなにも上機嫌なのだろう? ユウキちゃんのために尽くすことが、なぜこんなに楽しいのだろう?
自分は、もともと子供が苦手だったはずだ。子供だけではない、すべての人間が苦手だったはずだ。この場合の『人間』は、人類だけを指すわけではない。オオカミやエルフもふくめた、とにかく王国を構成する全ての人々が苦手だったはずだ。だから、仕事柄さけられな場合を除き、プライベートでは家族と王家以外の他人に関わることをできるだけ避けて生きてきたのだ。
なのに、……なぜ自分はこの少女にだけ、ユウキちゃんの前でだけ、こんなにも優しい気持ちになれるのだろう?
アンドラの一族は、王家につかえる誇り高きオオカミである。
王国においては、人類以外の知性のある魔物、たとえばオオカミやエルフなどでも、君主である王家に帰順の意思さえ示せば、国民として扱われることになっている。だが、その社会的な地位は、建前はともかく、実態においては決して人類とは同等とは言えない。
ここ数代の王がたまたま種族の差に無頓着な人間がつづいていることもあり、アンドラの一族はその力と戦闘力を買われ、王家の護衛役として取り立てられていた。その縁もあり、アンドラの母はエメルーソ殿下の乳母兼教育係に抜擢され、アンドラ自身も殿下の秘書官として仕えることになった。
にもかかわらず、王家の目が届く王宮から一歩出れば、いまだにやはりオオカミ族は露骨な差別に晒されている。エメルーソ殿下の秘書官であるアンドラでさえ、決して例外ではない。
早いはなしが、アンドラにとって、家族と王家以外、いやエメルーソ殿下の人間はすべて敵だ。逆にいえば、この街でアンドラの味方は、エメルーソ殿下以外にはいないのだ。
だが、突然あらわれたひとりの少女が、アンドラの心をかき乱す。
あきらかに殿下と深い仲にみえるこの少女は、いったい何者なのか。
殿下とは、子どもの頃からずっと一緒にいた。兄妹、いや自分の半身と言っても過言でもないはずだ。そんな自分の前でさえ、エメルーソ殿下は常に世の中を舐めきって斜に構えたクールな男の仮面をかぶったままだった。
なのに、その殿下が、ユウキちゃんの前ではいとも簡単に仮面を脱ぎ捨てる。というか、ユウキちゃんの前では、あの殿下がただのスケベでアホな男に成り下がっているような気さえする。もしかしたら、これが彼の本性なのだろうか。ユウキちゃんだけが、殿下の本性をわかっているとでもいうのだろうか。
自分が殿下と結ばれることなど決してないことは、はじめからわかっていた。それでも、だらしないニヤケ顔で別の女といちゃいちゃしている殿下など見たくはない。
この少女さえ現れなければ、アホ面でデレデレした殿下など見なくてすんだのに。そして、自分の心の中の醜い部分を自覚しなくてすんだのに。
そう、自分は、……アンドラという心が狭い女は、この少女が好きではない。本心では顔も見たくない。なのに、……なぜ、自分はユウキちゃんの髪を洗ってあげているのだろう。気分良く鼻歌なんて歌いながら。
自分でも理由はわからない。どんなに心が乱れていても、実際にこの少女と面と向かってしまうと、たちまち心の中のどす黒い影が吹き飛んでしまうのだ。ユウキちゃんの顔をみれば、なぜか無意識のうちに微笑んでしまうのだ。守ってあげたくなってしまう。優しくなってしまうのだ。
……神話によれば、かつて人間やエルフやオオカミなどのこの世界の生き物たちは、先史魔法文明の人々により知恵と文明とヒト型の身体をあたえられたそうだ。その際、この大陸最強の捕食者として君臨していたオオカミ族の祖先は、名誉ある護衛役としての役割を与えられ、同時に彼らに対する絶対的な忠誠心を賜り、本能の中に強制的に埋め込まれたとされている。
自分は決してユウキちゃんにはさからうことができない。細胞のひとつひとつに刻み込まれた本能が、理性にそう強制しているのだ。ユウキちゃんに対するこの気持ちは、ご先祖達が先史魔法文明を築いた人々に捧げたという忠誠心と似たようなものなのだろうか?
ふと気づくと、髪を洗う手がとまっていた。ユウキちゃんが振り返り、不思議そうな顔で見上げている。
上目遣いの視線が、脳髄をつらぬく。彼女の周囲に存在するという精霊達が、母性本能を強制的に刺激する。
か、かわいい! このまま胸の中に抱きしめて守ってあげたい。
しかし、まさかいきなり、しかも裸で抱きしめるわけにはいかないだろう。本能を理性で無理矢理おさえこむ。抱きしめかけた両腕を必死に止める。……どうしよう、このままじゃ変な人だと思われてしまう。なんとかごまかさなきゃ。
「ねぇ、ユウキちゃん。この、……ヘアバンド? お風呂の中ではずさないの?」
奇跡とも言えるユウキちゃんの魔法を目の当たりにした当時から思っていた疑問が、とっさに口から出た。
「こ、このヘアバンド、ユウキちゃんの魔法と関係ある……のよね? 人工的な魔導器の一種? それとも先史魔法文明の遺物?」
問われたユウキちゃんが、びっくりした顔をしている。もしかして、隠しておきたいことだったのかしら。
「こいつは、俺の守り神みたいなものなんです。こいつがいないと、俺は……」
そこまで言いかけて、ユウキちゃんは一瞬だけ口をつぐむ。そして、決意したように再び口をひらく。
「……こいつがいないと、俺はこの世界では生きていけない、らしいんだ」
「えっ? それは、……どういう意味?」
「たぶん、文字通りの意味です」
ええええ、そんな重大なこと、私に言っちゃっていいの?
思わず、ユウキちゃんの頭から手が離れる。身体全体が、自然に一歩後ずさる。髪を洗っている間にヘアバンドに指がひっかかって頭からはずれてしまったら、大変なことになるかもしれない。
「アンドラさんには知っていて欲しいんだ。あ、別にこのヘアバンド触っても大丈夫ですよ。ちょっと引っ張ったくらいじゃ取れないし」
そういわれて、改めてヘアバンドに視線を向ける。
見た目には、ただの薄い金属に見える。確かに、若い女の子が身につけるには少々地味な気もするが、それほど違和感があるものではない。そんなごくごく普通のヘアバンドが、奇跡ともいえるユウキちゃんの魔法と関係し、それだけではなく彼女の生命をささえているのだという。
「で、でも不便よね。お風呂の時もつけておかなきゃいけないの? ていうか、石けんで洗っちゃったけど、大丈夫……よね?」
「ん? 大丈夫だと思うけど、いい機会だから直接きいてみます。あー、あー、本日は晴天なり。クシピー……さん、聞こえるか?」
ユウキちゃんが、いきなり空に向けてしゃべりだした。クシピー? 直後、まるでそれに答えるかのように、ヘアバンドが淡く輝く。
「クシピー。おまえ、アンドラさんにも聞こえるように声をだしてしゃべれるか?」
いったい誰と話しているのだろう? もしかして、本当にこのヘアバンドなの?
「……じゃあたのむよ」
『了解。これより音声出力を有効化します』
突然、どこからともなく声が聞こえた。ちょっと抑揚がすくないけど、聞きようによっては優しい声が、確かにヘアバンドのあたりから聞こえるような気がする。
「アンドラさん、こいつの声が聞こえる?」
うんうん。驚きのあまり声がでない。だまって頷くしかない。
「クシピー、やるじゃないか」
『どういたしまして』
ユウキちゃん、ほ、本当に、このヘアバンドと会話しているの? 腹話術とかじゃない、わよね?
ええ、ちょっと融通が利かないけど、律儀で真面目な奴ですよ。
ユウキちゃんが、まるで友達を紹介するように無邪気に笑う。
「それでは本論に入るぞ、クシピー。あ、クシピーというのは、こいつの名前です。あー、クシピー、君は精密機械なようだけど、お風呂の中でも平気なのかね?」
『問題ありません』
「石けんでガシガシ洗っても?」
『問題ありません』
き、き、機械? これのヘアバンドが機械? 魔導器? しゃべる魔導器? そんなものが……。
「おまえ、もうちょっと愛想良く答えられないのか? アンドラさんもいるんだから、たまにはジョークでも織り交ぜて、小粋で知的な会話ってのをしてみろよ」
『……私の防水機能は完璧です。精霊システムによるエネルギー補給さえ可能ならば、たとえ深海でも宇宙でも亜空間でも問題ありません』
深海や宇宙って、これは魔導器クシピーさん(?)のジョーク、……なの、よね?
「おっ、いきなり饒舌になったな。さすが異世界人の人工知能。……じゃなくて、そんな深海や宇宙に行ったら、おまえは平気でも俺が死んでしまうだろうが」
困惑する私とは対照的に、ユウキちゃんのつっこみは早かった。意外と良いコンピなのかもしれない。
『十分な数の精霊と私がついていれば、アーシスも短時間なら平気ですよ。たとえば、水深百メートルの水中ならば、仮死状態で一時間程度は生きていられます』
「たしかに……。こないだ水中に沈んだときに死ななかったのは、おまえのおかげだ。宇宙というのもあながち嘘でもないかもなぁ。……試したくないけど」
た、たしかに、殿下はユウキちゃんを海の底から救い出したと言っていたけど、いつもの大げさな冗談とばかり……。それにしても水深百メートル? そんなところで人が生きていけるというの? そんな馬鹿な。
「あ、アンドラさん、アーシスというのは、……えーと、俺が記憶を失う前の名前です」
よくわからないけど、ふたり(?)の会話は、おそらく王国や精霊、そしてこの世界の成り立ちに関わる重大なお話なのだろう。殿下の秘書官としては、是非とも理解しておくべき話なのだろう。でも、……私はこれ以上ついていけそうもないです。
「クシピー、ついでだから訊くけど、君は俺の頭から外すことはできないのか?」
『可能です。しかし、私を外すとアーシスに対する精霊による生命維持機能が停止します。現在の環境下においては、アーシスは約三十分で意識不明に陥り、三時間後には肉体の機能が停止すると予想されます』
「……それは、要するに俺は三時間で死ぬと言うことか?」
いつのまにか、俺はアンドラさんが居ることをわすれていたかもしれない。
『はい』
「まじ?」
『もちろんマジです』
「……おまえ、初めの頃と言葉使いが変わってきたような気がするぞ。語彙が増えてきてるのか?」
『アーシスの冬眠中、少なくとも二度以上物理的障害が発生し、会話用語彙情報が初期化されました。しかし、再起動後、アーシスとの会話を学習することにより新たな語彙が蓄積されつつあります。会話をスムーズに進めるため、どんどん私に話しかけてください』
へぇ。今まで機械的な会話しかできなかったのは、再起動された時に複雑な言葉を忘れちゃったからということか。……おまえ、昔の事はすべて忘れちゃったのか? アーシスがどんな娘だったのか、おぼえていないのか?
『精霊システムへのアクセスに必要な最低限の個人情報ならば、登録時のまま保護されています」
ほほお。教えてくれ。
『アーシス・ロナウ。十五才。女。連邦大学理工学部分子機械制御システム研究室嘱託研究員。現在は連邦宇宙軍技術研究本部出向。連邦市民番号や社会保険番号、医療用カルテ情報、認証用遺伝情報のハッシュも必要ですか?』
「い、いや、細かいものは必要ない。それよりも、アーシスがどんな女の子だったのかを知りたいんだが。アーシスの性格や何を考えていたのかがわかる情報はないのか?」
『もうしわけありません。物理的障害により、保護された基本情報以外の個人情報は初期化されました。精霊システム制御中枢とのリンクがダウンしているため、個人データ・業務日誌・メール等のバックアップにもアクセスできません」
ならば、アーシスはどこから来たんだ? どんな仕事をしていたんだ? アーシスの仲間はどこかに生きていないのか?
『もうしわけありません。保護された基本コード以外の制御情報は初期化されました。精霊システム制御中枢とのリンクがダウンしているため、外部情報にアクセスできません。また、他のエージェントの状況は不明です。現在私はスタンドアロンモードで稼働しています」
はぁ。俺はため息をひとつつく。
要するに、アーシスや異世界人達についての詳しい情報は、クシピーも覚えていないと言うことか。クシピーも俺もそろって記憶喪失というわけだ。
「じゃあ、……その精霊システムの『制御中枢』というのは、どこにあるんだ? 機能は生きているのか?」
「惑星開拓本部の主中枢はここから北西約千五百キロに存在するはずです。しかしデータリンクができないため現在の稼働状況は不明です。副中枢はここからほぼ真上三万五千キロ上空に存在します。一部機能のみ稼働は確認できますが、それ以上の情報は不明です」
あー、真上というのは、あの遙か静止軌道で輝いている人工のドーナツのことだろうなぁ。ピカピカ光ってると思ったら、一部の機能は生きているのか。そんで、北西千五百キロというのは、いったい……。
「こ、ここから北西に千五百キロといったら……」
俺とクシピーの会話を硬直したまま聞いていたアンドラさんが、思い出したように口を開く。
「たぶん、……王都のことだと思うわ。えーと、王宮は先史魔法文明の最大の遺跡のあとに建てられているんだけど、クシピーさんと関係あるかしら……」
……うん。さすがアンドラさん。それはたぶん関係あると思うよ。
今回はちょっと時間がかかってしまいました。今後もよろしくお願いいたします。
2014.01.22 初出




