39.街でも温泉に入るよ
気がつけば、ミヤノサの街は夕焼けに包まれている。
屋敷の中に明かりが灯る。お手伝いさんみたいな人が、ひとつひとつ部屋をまわり明かりをともしているのだ。隣の市庁舎も、街の建物も、ひとつひとつの窓から明かりが漏れ始める。
空には満点の星々。月。そしておそらく静止軌道上に鎮座する人工的な巨大ドーナツ。街の明かりと相まって、夜景がまぶしいほど美しい。空気が綺麗なせいかな。
とはいっても、建物に灯る人工的な明かりは、もちろん電灯でも蛍光灯でもLED照明でもない。アンティークなランプや行灯の類いでもない。明かりのほとんどは、ダーヴィーちゃんの家にもあった、魔石とやらを加工した魔導ランプという奴だそうだ。
アンドラさんによると、この『魔石』こそ、王国の精霊魔法文明を支える文字通りの原動力らしい。
魔石は、先史魔法文明の遺跡から大量に採掘される一種の鉱石であり、なんらかの刺激を加えるとそれを合図に特定の精霊魔法を発動するのだそうだ。発現する魔法の種類はあからじめ決まっており、基本的に熱や光を発するか、あるいは爆発をひきおこしたり、物理的な力を発揮するのだ。
魔石を一度加工して魔導器にしてしまえば、魔法使いでなくても任意のタイミングで特定の魔法をつかうことができる。明かりはもちろん、工場や船、機関車の動力、そして魔導銃などの武器として広く一般的に利用されているそうだ。
そういえば、マコトはこの世界では精霊のせいで薪も石炭も高温での燃焼はせず、火薬も爆発しないといっていた。ということは、魔法使いをのぞけば魔石が唯一のエネルギー源ともいえるわけか。
服装や建物や武器をみればだいたい想像できるが、この世界もそれなりの文明が発達しているのは間違いない。ということは、蒸気機関のかわりに魔導器をエネルギー源として産業革命が起きたというところなのだろう、たぶん。
今度、その魔石というのを見せてもらわねば。まったく根拠のない俺の予感でしかないのだが、魔石というのはきっと自然の鉱石なんかじゃなくて、先史魔法文明とやらの意地の悪い連中が作った人工的な物じゃないのかな。
「こ、これは……」
俺は今、浴室、正確に言えば脱衣所の前にいる。言うまでもないが、風呂に入るためだ。寝る前に身を清め、いろいろなものを洗い流し、心身ともにリフレッシュしようというわけだ。
ここはミヤノサの街の市長公邸。石造りの豪邸である。どこもかしこもぴっかぴかの大理石に御影石。そして足首まで埋まりそうな豪華な絨毯。そんな豪邸のお風呂がでかくて立派なのは当たり前だ。しかし、豪華なだけではない。この浴室はちょっと変だ。この周囲にだけ、あきらかに違和感ばりばりの異常な雰囲気をかもしだす空間がひろがっている。
浴室の入り口の前に垂れ下がっているこれは、いったいなんだろう?
俺の目の前にあるそれは、布。浴室の入り口の前には、巨大な布が垂らされていた。全体が真っ赤に、そして真ん中に巨大な『ゆ』の文字が染め抜かれた布、そう『湯のれん』が垂れ下がっているのだ。
「これ、殿下が作らせたんだけど、異国情緒があっていいわよね。……ユウキちゃん、どうしたの? 目と口がまん丸になってるわよ」
俺を風呂に誘ってくれたアンドラさんが、のれんをくぐりながら笑う。
異国情緒? 異国というか、次元の穴の向こうの異世界にある日本ののれんだろ、これ。……なにをやってるんだろうね、マコトは?
「この『ノレン』だけじゃなくて、この浴室そのものも、殿下がこの街に赴任した直後にわざわざ作らせたのよ」
どこまでも傍若無人な王族だな。
「すごいのよ殿下。温泉がでるポイントを正確にあてたの。敷地の中で『ここを掘れ』と指さした場所を掘ったら、ほんとうに温泉がわいてきたの」
アンドラさんが、マコトの特殊能力をちょっと誇らしげに語る。オロチとか大蛇とか龍なんかは水脈をさぐる能力があるというが、超能力は異世界でも通用するんだなぁ。しかし、『ここを掘れ』とか、……犬か?
「……それにしても、この公邸には数年後には次の市長が赴任してくるんだろ? いくら王族だからって、そこまで勝手にしていいのかね」
「湧き出したお湯は、公邸だけじゃなくて民間の施設にも有料で分配しているの。市の財政にも貢献しているから、いいんじゃない?」
王国ってのも結構いい加減だな、大丈夫なのか?
俺は、しばらく殿下の屋敷にお世話になることになったらしい。とはいっても、もともと俺にはこの街に、いやこの世界に知り合いなどマコトしかいないわけだから、他に選択肢なんてない。もしマコトがいなかったらと想像するだけで、背筋が凍り付く。……もつべきものは、妖怪の幼なじみだな、やっぱり。
ちなみに、この屋敷の主は市長であるマコトだが、住んでいるのはマコトだけではない。護衛や警備の人やメイドさん、そしてアンドラさんを初めとする秘書官の部屋もあり、常にマコト以外の数人の人間が暮らしているらしい。その中に紛れてしまえば、俺を狙った連中も含めて、しばらくは俺の存在が世間にバレることはないだろう、とのことだ。それに、アンドラさんが近くにいてくれるなら、マコトとひとつ屋根の下で暮らしても、俺の貞操は大丈夫だろう。大丈夫に違いない、と思いたい。あまり自信ないけど。
さて、入浴である。当然、服を脱がねばならない。裸にならねばならない。
さすがの俺も、自分の裸を見ることには少しづつ慣れてきた。ふとした瞬間に不意打ちで見てしまうといまだにドキドキしてしまうものの、ちゃんと心の準備さえできていれば、それほど緊張することもない。
アンドラさんから借りている大きめのシャツを脱ぎ、籠に放り込む。
そう、『籠』だ。
浴室の周辺にひろがるちょっと不思議な日本情緒は、入り口の暖簾だけでは終わらなかった。脱衣所の中にあったのは、籐っぽい植物で編んだ脱衣籠。
この籠もマコトがつくらせたんだろうなぁ。
苦笑しながら、俺はアンドラさんに尋ねようと振り向く。そして、固まった。
さっきも言ったように、俺は自分の裸を見ることには慣れてきた。しかし、自分ではない他の女性のあられもない姿をみてしまった場合は、いまだにやっぱり心穏やかではいられない。視線の先にいるのが、アンドラさんみたいなスタイル抜群の超美人ならなおさらだ。
今日のアンドラさんは、森に墜落した時の色気皆無のパイロットっぽい服装ではない。白い半袖のブラウス、というよりはもう少しピッチリとしたワイシャツっぽいシャツに、短めのタイトスカートをピシッと決めている。彼女は基本的にいつもこんな感じの服装で、殿下の秘書をしているらしい。この世界の都会で働く女性としては、ごく普通の一般的な格好なのだそうだ。ちょっと地味だけど、二十一世紀の日本人からみてそれほど違和感はない服装かもしれない。
しかし、それを纏う中身のアンドラさんは、決して地味ではない。出るところはしっかり出て、くびれているところはキュッとくびれているのが服の上からもわかる。おまけに金髪美人。そんなアンドラさんが、いかにも『有能な冷徹な美人秘書』という格好をしているだけでもヤバイのに、目の前で脱衣していく光景は文字通りの目の毒。エロ過ぎて鼻血をふきだしそうだ。
内側から突き上げる胸の圧力にはち切れそうなボタンが、ひとつづつ外されていく。
ちなみに、この世界には、ワイヤーの入ったいわゆるブラジャーというものは存在しないらしい。彼女がシャツの下に着ているのは、丈が短くて袖の無いティーシャツというかスポーツブラのようなものだ。ペレイさんもダーヴィーちゃんも似たような物をつけていた。さすがの殿下も、女性用下着まではこの世界につたえていないようだ。俺はめんどくさくてつけてないので、関係ないけどな。
あのシャツの下には、どんなものが隠されているのだろう? 俺はアンドラさんから目を離せない。
『おまえは、スレンダーな女性が好きだったはずじゃないのか?』『貧乳好きのプライドはどこにいった?』
心の中にわずかに残る、男だった時代の煩悩が、俺自身に問いかける。しかし、アンドラさんは別格だ。このエロい肉体を目の前にすれば、俺の趣味などささいな問題だ。これはもはや芸術の域だ。男として、いや人間として、目を奪されるのは仕方がない。宇宙の法則に従う限り、それは必然なのだ。
「どうしたの、ユウキちゃん。脱がないの?」
シャツのボタンを全て外した状態で、アンドラさんが不思議そうな顔をして俺をみている。
しまった! 俺は、いそいで視線をそらす。
いい機会なので、男性諸氏に警告しておこう。
最近、俺もなんとなく実感するようになってしまったのだが、女性という生き物は、自分の身体にむけられた視線に対して非常に敏感だ。特に、Hな邪心がほんの少しでも混じった視線を向けられると、絶対に気づく。どんなに興味ないふりをしても、必死に視線をそらしても、『この人、いまイヤらしい目で私の胸をみた』と本能的に感づいてしまうのだ。
要するに、俺がいまさら視線をそらしても、絶対にごまかせるはずはないのだ。
「い、いえ、……アンドラさん、スタイルいいなぁと思って」
それがわかっているから、俺はごまかすことをあきらめた。素直に感想を口に出すことにした。
「ななななななに言ってるよ、ユウキちゃん」
一瞬、アンドラさんのうごきが停止する。直後、恥ずかしそうにまわれ右をして、俺に背中を向けてしまった。頬がちょっぴり赤くなっている。
か、かわいらしい。
こんな綺麗で可愛らしくて、ついでに強いオオカミ女さんを、秘書兼護衛として四六時中はべらせておけるなんて、マコトもいいご身分だな、おい。
浴室は、やはり豪華だった。十人くらいはいっぺんにはいれる広さ。さすが王様の地方代理人たる市長様の公邸だ。
そして予想通り、そこもやっぱり日本の風呂文化によって席巻されていた。檜っぽい木でつくられた湯船、木製の風呂桶、そしてヘチマ。当然のごとく、壁にはでっかい富士山が。
かっぽーーーん。
耳を澄ませば、そんな音が聞こえてきそうな雰囲気だ。本当にここは異世界なのか?
そういえば、あちらの世界のマコトは温泉が好きだった。何度かうちの家族とマコトの家族でいっしょに温泉旅行にいったが、いつも異常にはしゃいでいたのがマコトだった。なんにせよ、こんな温泉があるのなら、この世界もまんざらではないかもしれないなぁ。
シャワーはないが、木桶をつかってお湯を汲むのもまた風流だ。なによりも、村の温泉にはなかった石けんが用意されているもありがたい。ここんところのバイオレンスな日常で染みついてしまったかもしれない血の臭いを、すべて洗いながしてしまいたい。
「ユウキちゃん、髪あらってあげましょうか」
温泉の湯気が立ちこめる中、ふと気付くといつのまにか俺の隣にアンドラさんがいた。振り向いた俺は、一瞬、呼吸がとまる。視線を離すことができない。
俺の目の前にあったのは、アンドラさんの胸だ。破壊力満点の巨大な双丘だ。
それは、見るからに弾力性に富んだ、はちきれんばかりの豊かな半球状のふたつの膨らみ。しかも、オオカミの強靱な大胸筋によりささえられているのか、まったく垂れていない。弾力性に富んだ膨らみが、動く度にプルンと上下に揺れている。健康的な肌、しなやかな筋肉、引き締まったおしりと合わせて、その全身が実にエロい。それはペレイさんの女性らしい上品な色気、ダーヴィーちゃんのまだ幼さの残る彫像のような中性的な美貌とは異なる、野性的な美しさ。
生まれたままの姿のアンドラさんが一歩あるくたび、何かひとつ動作をするたびに、その躍動する筋肉の動きが実に美しく、そして魅力的なのだ。恐らくオスならば誰でも一撃でやられてしまうであろう、生物として究極のエロさ。
俺は、またしてもポカンと口をあけて見とれていた。
「どうしたの? 用意はいい」
そんな俺にかまわず、アンドラさんは石けんを泡立てる。そして、繊細な手つきで俺の髪をあらいはじめた。
細くて柔らかくて、しかし力強いアンドラさんの指先が、俺の髪をすき、頭皮をマッサージするように這い回る。その絶妙な動きと力加減が、実に気持ちいい。俺はおもわず目を細める。
「不思議な色の髪ね。でも、ちゃんと手入れしなきゃ痛んじゃうわよ」
そんなアンドラさんの声が、うなじの近くに感じられる。その感触がくすぐったい。そして、気付いた。背中にも何か微妙に触れるものの感触が……。
当たってます。
決して押しつけられているわけではない。背中に触れるか触れないか、でもやっぱり僅かに触れている絶妙な感触が、アンドラさんが動く度、石けんが塗られた俺の背中を上下に揺れながらくすぐるのだ。これは、胸のふたつの膨らみの先端か。なんというか、……きもちいいぞ。
俺は目を閉じ、身体中の全ての神経を背中に集中する。アンドラさんは気づいていないのか? このまま続けてもらっていいのか? もう少しだけ、いいよね。
そんな俺の葛藤など気づかないまま、アンドラさんは洗髪をつづける。そして、唐突に手の動きを止める。
やべ、気づいちゃった?
「ねぇ、ユウキちゃん。この、……ヘアバンド? お風呂の中ではずさないの?」
やっぱり風呂の中でヘアバンドしてるのは変かな。でも、はずれないんだよな、これ。
「前から気になっていたんだけど、このヘアバンド、ユウキちゃんの魔法と関係ある……のよね? 魔導器の一種? それとも先史魔法文明の遺物?」
あら、やっぱり気づかれちゃった?
2014.01.12 初出




