36.助けてもらった相手を格好いいと思ってしまうのは仕方がないよね
目をひらくと、目の前に男がいた。
この俺が、男に抱きかかえられている? まだ頭がボーッとしている。自分の置かれた状況が理解できない。
「気がついたか?」
すこしづつ目の焦点があってくる。頭の中のモヤモヤが晴れてくる。
俺を抱きかかえている男は、黒い瞳に黒い髪。前髪の一部がだらしなく垂れているが、まつげが長くて鼻筋がとおっている。一言でいってしまえば、いい男だ。見たことがあるような、ないような。とにかく、匂い立つようなフェロモン全開の若者が、至近距離から俺の顔をのぞき込んでいる。
「遅くなってすまなかった」
ああ、マコトだ。やっと俺の脳みそが理解する。これは、マコトだ。この世界のマコトだ。
「……俺は、水中でおまえに食われたんじゃなかったのか?」
「すまん。連中はユウキ兄を船に乗せ替えて王都に向かうつもりだったらしい。あの状況でユウキ兄をたすけるためには、あれが一番手っ取り早かったのだ」
視界がにじむ。俺は、いつの間にか涙を流していたのだ。
「本当に、助けに来てくれたんだな」
「俺は、……俺たちは、ユウキ兄との約束は守るよ。ここはミヤノサの街、俺の屋敷だ。ここならば絶対に安全だ」
涙がとまらない。大きな手が、俺の頭を優しくなでる。ただなでられることが、なぜこんなに心地良いのか。俺は目を閉じる。このまま身をまかせてしまいたい。……が、だめだ! 俺にはやることがある!!
「あ、ありがとう。俺が生きているのはおまえのおかげだ。だけど、俺だけが助かっても意味がないんだ。……村はどうなった? ダーヴィーやビージュを助けてやらなきゃ!!」
「また他人の心配か? ユウキらしいな」
マコトが一瞬あきれたような表情になる。ひとつため息をついたあと、俺が連れ去られた後の村の状況について説明してくれた。
「安心しろ。村に残っていた外道ハンター共は、『大魔法使い』が片付けたはずだ」
魔法使い? バルデさんか。
あの日、もともとバルデさんとフキ爺さんは、俺と村の今後のことついて市長であるマコトに相談するため、ミヤノサの街まできていたらしい。そこで、村がハンターに襲われていると知り、急遽マコトといっしょに村にとんぼ返りしたのだそうだ。
「俺と奴はドラゴンに乗って森に入り、途中で二手に分かれた。俺はユウキ兄を追跡し、奴は村の上空でドラゴンから飛び降りた。村をまもるためにな」
おまえ、バルデさんを知っているのか?
「奴とは『王立大学』で同期だった。俺とアンドラの専攻は政治学、奴は魔導学だったがな。あの頃から風変わりな男だったが、たしかに魔法に関しては天才といわれていた」
へぇ。世間は狭いもんだな。もしかして、フキ爺さんもしりあいか?
「あの若造のドラゴンなら、あいつがこの世界に迷い込んできた時から知っている。まぁ眷属みたいなものだ」
齢三百才の爺さんも、こいつに言わせれば若造なのか……。
「それにな、今の俺はこれでも王族で、このミヤノサの街の市長だ。軍にも顔が利く。村の今後のことは心配しなくていいぞ。俺に任せておけ。ユウキ兄は安心してここにいればいい」
マコトが不適にわらう。男から見ても、……いや今の俺は女か。とにかく、誰から見ても、こいつは格好いい男なのだろう。さすがは俺のマコトだ。
その一瞬、たしかに俺はこの『殿下』にみとれていたのだ。顔が赤くなっていたかもしれない。
我に返ったのは、いったい何分後のことか。俺はいったいどれくらいの間、この殿下をみつめていたのか。バカな。この俺様が男にみとれるなんてことが、あるはずがない!
なにニヤニヤして俺を見てやがるんだ、こいつ。……くそ。俺は視線をそらす。そして必死に頭をふって、深呼吸をひとつする。目をさますために。
頭をひやして冷静になれ。こいつとまた会えたことは確かに嬉しい。それは認める。だが、……俺は、今の俺は、そんな浮ついたことをやっている資格などない人間なのだ。
「な、なぁ。俺のせいで、みんなに迷惑をかけてしまった。俺は、おまえや村のみんなに、どうやってあやまればいい?」
そうだ。たしかに村は助かったかもしれない。しかし、村が焼かれてしまったのは俺のせいだ。ダーヴィーやビージュが傷ついたのも俺のせいだ。そして、マコトにも迷惑をかけてしまった。これからも迷惑をかけるかもしれない。
「……俺はどうすればいい? 俺に何ができる?」
こんな身体になってしまった俺は、この世界でいったい何ができるというのか?
「ユウキ兄のせいじゃない。気にするな。すべて俺がなんとかしてやる」
「俺は、おまえにも迷惑をかけるかもしれない。いや、このおかしな世界で、こんなおかしな力をもつ俺は、きっとおまえを危険にさらしてしまう」
「ふん。たしかに異世界から来た連中がつくりあげたこの世界は異常だが、この俺がユーキ兄ひとりくらい守れないはずがないだろう。……だが、どうしてもというなら、そうだな」
ん? 俺を抱いていた手が、なにやら怪しい動きを始める。頭をなでていた右手が、ゆっくりと耳に、そして顔に移動する。
ん? んん? なにをしやがる? 手の平で俺の口を塞ごうとしているのか? ちがう! 唇だ。
マコトの指の先が、俺の唇に優しく触れた。そのまま、小さな唇をなでるように動く。
ピクっ。
微妙な感触におもわず身体が反応する。男の太く大きな三本の指が、小さな小さな俺の唇の感触を楽しむかのように這い回る。
俺が首をまわせば、このイヤらしい手の動きからは簡単に逃げられる。しかし、……俺は硬直したように動けない。マコトの指は、俺の唇を陵辱するかのようにいじくり回す。固く閉じた上唇と下唇の間に、中指がゆっくりと分け入ろうとする。
「ば、ばか。なにを……」
俺が抗議しようと口を開いた瞬間、逞しい指が口の中にゆっくりと挿入される。ねっとりと舌の上をなでる。
ん、んんん。
口腔から引き抜かれた指先には、俺の唾液がたっぷりと塗りたくられている。同時に、あまい声が耳のすぐそばで聞こえた。
「礼がしたいのなら、その身体で払ってもらおうか。それでユウキ兄も村も守ってやるよ」
息がかかる距離、……どころではない。こいつ俺の耳を、暖かい息をふきかけながらやさしく噛みやがった。
ひゃ!
反射的におとがいがはねあがる。がら空きになった首筋に、いつのまにか右手が移動している。鎖骨から胸元へ、俺の唾液を俺の素肌に塗り込むように、指先がすべる。肌に触れるか触れないかの絶妙な感覚が、俺の脳髄を刺激する。背筋がのけぞる。全身がはねる。
「や、やめろ!」
耳への甘噛みの攻めもつづく。舌が耳の中で、淫猥な音をたてている。
身体をくねらせるが、逃げられない。俺は殿下の膝のうえ、奴の左腕で腰をしっかり固定されている。しかも、両手がつかえない。情けない話だが、俺はこのときになってはじめて気づいた。動けない、後ろ手に縛られている。なんだこれは。おまけに首輪?
あっ!
奴の口が、俺の耳から首筋に移動したのだ。首輪に傷つけられた首筋を、やさしく舐める。そして吸う。
「だ、だめだ。だめだって、だめだって」
だが、俺の哀願は聞き入れられことはない。マコトのイヤらしい右手はとまらない。首筋をなでる。這うように服の中に忍び込む。わざと脇の下をかすめ、胸にむかってゆっくりと移動する。
ちからが、身体からちからがぬける。全身がふにゃふにゃだ。もう動けない。抵抗できない。
こ、これはやばい。このままだと、俺の、男としてのプライドが……。これまで十七年間培ってきた男としての人生が、音をたてて崩壊していく。そして、なし崩し的に俺の貞操が……。
「だめ、おねがい、やめ、止め……て、やめ」
「殿下!!」
アンドラさんの冷たい声が響く。
「真っ昼間から、いったいあなたはなにをやっているんですか!」
あっ……。
手の動きが、止まった。……助かった?
あああああぶなかった。本当に危なかった。
息が乱れていたことをアンドラさんに悟られるわけにはいかない。俺は必死に息を整える。まさか頬が上気してないだろうな。いや、それよりも、首筋に奴が吸った跡がついてないだろうな。くそ、洋服の乱れを直して涙を拭きたいというのに、手が自由にならない。
「ああ、そういえば。俺としたことが、……まだ昼間だったな。ユウキ兄、続きは夜だ」
俺が、この俺様が、自らのアイデンティティの崩壊の危機の瀬戸際でこんなに焦っているというのに、俺の身体をもてあそんでいた張本人は、あいかわらずニヤニヤと笑っていやがる。
「そういう問題ではありません!」
アンドラさんが怒鳴る。つめたく冷めた表情が、あきらかに怒りにかわっている。
「そ、そう青筋をたてて怒るな。せっかくの美人がだいなしだ。冗談にきまっているだろう」
「やって良い冗談と悪い冗談があります。そんな少女に手を出して、市長としての、いえ王族としての自覚はないんですか! 本当に王妃殿下に言いつけますよ」
「ま、まて。母上はだめだ。それだけはやめてくれ」
なんと、あの殿下が動揺しているじゃないか。王妃殿下とやらは、そんなにこわいのか?
「きけ、アンドラ。きいてくれ。俺とユウキのつきあいは特別だ。この程度は俺たちにとって挨拶みたいなものだ」
「秘書官である私に止められる筋合いのないほど特別な仲だと、あなたは言いたいのですか!」
ついにアンドラさんが激高する。みるみるうちに獣化していく。爪と牙が、殿下に向けてふりかざされる。俺も言わずにはいられない。
「そそそそうだ。マコト、どうして俺は縛られたままなんだ? この首輪はなんだ? なぜ外してくれないんだ? マコト、おまえの趣味か? こーゆーのがいいのか? 趣味なのか? ここここの変態め!」
「ち、ちがうぞ、ユウキ兄。それは特別な魔法使いがくるまではずれないのだ。そもそも俺が変態というなら、あちらの世界でユウキが俺にさんざんしてきたことの方がよっぽど……」
「殿下!!!」
うわぁ。アンドラさん、本気で怒っている。部屋の中の空気の色がかわる。これは怖い。今にも飛びかからんばかりの怒り。激怒したオオカミの恐ろしさは、俺もよく知っている。
だが、やはり『殿下』は俺たちよりも一枚うわてだ。奴は、ほんの一瞬こまった顔をみせただけで、あざやかにその場から逃げ出してしまった。今にも飛びかからんと構えたアンドラさんにむかって、俺を放り投げたのだ。
ひゃーーーー。
もちろん俺は身動きとれない。なされるがまま宙をとぶ。
反射的にアンドラさんが俺を優しく受け止める。その隙にまんまと逃げやがったのだ、あの男は。
「俺は軍司令部と治安警察にいって一連の事件の後始末をしてくる。アンドラ、もうしわけないがユウキを頼んだぞ」
残された俺たちは、あっけに取られるしかない。
「もう……。えーと、ユウキさん。殿下の言ったとおり、ここは安全よ。その拘束具もすぐにはずせるはずだから、安心していていいわ」
ため息をつきながら、アンドラさんが俺を地面におろしてくれる。すでにアンドラさんの獣化は解かれている。もしかしたら、この程度のやりとりはいつものことなのだろうか?
「マコトの奴、いつもあんな調子なんですか?」
「だいたいあんなものよ。もともと世間をなめきっている人だから。それだけの才能に恵まれている人だけどね」
同じ記憶と人格を共有しているといっていたが、マコトと殿下ではちょっと性格がちがうように感じるな。
「ところで……」
アンドラさんが真面目な顔をして俺を見つめている。言いにくいことがありそうな雰囲気だ。
「あの、……あなたの言う『マコト』って、エメルーソ殿下のこと、よね? どうしてそう呼ぶの?」
「あーー、えーと、うん。あだ名です、あだ名」
マコト『達』のこと、……というか、あちらの世界でのマコトと俺の仲については、秘密にしておいた方がいいような気がする。
しかし、アンドラさんは、こんな思いつきの言い訳では、ごまかされてはくれなかった。
「ふたりは、……その、どういう関係なの? 私の母は王宮づとめで、たまたま殿下の乳母役だったの。だから私は幼い頃から殿下といっしょだったわ。大学も、この街に赴任してからも、護衛としてずっといっしょにいたのよ。彼は、確かに女性関係は派手な人だけど、本気でつきあった人はいなかったはずだわ。あなたは、彼と、……エメルーソとどこで知り合ったの?」
だめだ。俺ごときでは、この人をごまかすことはとてもできない。この人はこの人で、『殿下』といっしょに築きあげてきた人生の歴史があるのだ。
「えっ、えーと。……ごめんなさい。いつか話すから、今は勘弁してくれないか、な」
「そう。……いいずらいのなら、今はきかないわ。あなたは命の恩人だしね」
いい人だ。俺は、ほっと一息つく。しかし、追求はまだ終わってはいなかった。
「でも、ひとつだけ聞かせて。さっきの話、本当なの?」
「ん? なんのはなし?」
「あの、その、えーと……。昼間からいやらしいことをやりかけておいて『挨拶みたいなものだ』とか、もともと『変態』だとか……」
俺は首をふる。必死にふる。ぶるぶると音がきこえるほど力いっぱい首を左右に振る。
「じょじょじょ冗談にきまってるじゃないですか。マコトの冗談です!」
「そ、そうよね。冗談よね」
こんどはアンドラさんがホッと一息つく。安心した顔で周囲を見渡している。いや、なんというか、ごめん。本当にごめん。
もし俺がアンドラさんの立場だったら、俺とマコトの関係について問い詰めずに我慢できるだろうか。もし、あちらの世界での俺とマコトの関係を知ったら、アンドラさんはどうするのだろうか。殿下のことをあきらめるのだろうか。
そして俺は?
この先もこの世界で、この身体のまま生きて行くとしたら、俺はどうするべきなのだろう? いや、……俺は、どうしたいのだろう? マコトにどうしてもらいたいのだろう?
年末年始はもう少し更新速度があげられると思います。なかなかお話がすすみませんが、のんびりとおつきあいいただけると幸いです。これからもよろしくおねがいいたします。
2013.12.22 初出
2013.12.25 誤字脱字など何カ所か修正しました




