35.気を許せる仲だからこそ、ダメな面を安心して見せられるってこともあるよね
どうしてこんなに騒がしいんだ?
寝ているのか起きているのか、自分でもよくわからない。うっすらと意識をとりもどしたとき、なによりもまず周囲の騒々しさが気に障った。
俺は眠いんだ。だるいんだ。死ぬほど苦しいんだ。頼むから静かに寝かせてくれ。
さらに、窮屈な形に身体が折り曲げられているのに気づく。朦朧とした意識のまま、身をよじらせて不快な姿勢から逃れようとする。しかし、……身体が動かない。
俺は、縛られているのか。両手首が背中で固定されている。冷たい金属の環が首に巻かれている。そのうえ、暗い。狭くて真っ暗な箱のようなものに閉じ込められている。
なんだこれは?
相変わらず周囲からは人の声。騒がしい音。そして、固定されたまま上下左右に揺られる身体。耳を澄ましてみれば、喧噪の合間に聞こえるのは波の音。
いちど目が覚めたときは空の上だったような気がするが……。今いるここは、船の上なのか? 載せかえられた? どこにつれていくつもりなんだ? そして、雨音? それもスコールのような大雨?
くそ。頭が回らない。俺は頭が痛いんだ。吐き気がするんだ。静かにしてくれ。こんなに揺らさないでくれ。船酔いしたらどうするんだよ。
いつの間にか、また意識をうしなう。夢と現実の境界があいまいなまま、時間がすぎていく。それは何分か、もしかしたら何時間か経過した後のことだったかもしれない。俺の意識は唐突に、そして強制的に現実に引き戻される。
突然の衝撃。身体ごと激しく揺さぶられる。
なんだ、なんだ?
人間の叫び声。絶叫。つづいて炸裂音。これは魔導銃? 一発や二発ではない。ヘアバンドが反応しないということは、俺を狙ったものではないのだろうが、それにしても至近距離だ。さらに、特大の爆発音。衝撃。爆発魔法か。
いったい、何がおこっているんだ? 外道ハンターが何かと戦っているのか?
そして、大地を、大気を、いや空間そのものを揺るがすような凄まじい咆哮。これは、……生物なのか? とにかく怒り狂った何者かの叫び。それだけはわかる。怪獣映画か、これは。
強烈な衝撃波により、閉じ込められていた箱(?)が吹き飛ぶ。一瞬の無重力ののち、床にたたきつけられる。身動きできないまま、何回転したかわからない。背中をうちつけ、声も出せない。息ができない。
いつのまにか、目の前の視界が開けている。そこに見えたものは、波しぶきにまみれた甲板、そして海原。やはり俺がいたのは船の上だった。今まさに沈みつつある船。
俺は後ろ手に拘束されたまま、水中に投げ出される。
ああ、これは死ぬな。今度こそ死ぬな。おぼれ死ぬのは苦しそうだな。このまま、半分ねむったまま、目を覚まさないまま沈んじゃった方が、苦しくないかもしれないな。
いつの間にか、身体の周りに光の繭ができている。クシピーが何か叫んでいる。緊急モードとか、酸素供給を最優先とか、強制的に仮死状態に移行……?
クシピー、俺のために頑張ってくれるのは嬉しいけど、……もういいよ。俺のせいで村があんなことになっちゃったし。もういいんだ。俺はこのまま沈むよ。
暗い水の中、あきらめて目をつむろうとしたその寸前に見えた。目の前にまっ赤な光がふたつ、らんらんと輝いている。
水中に沈んでいく俺のすぐ正面に、何か巨大なものがいるのだ。
光っているのは目? まっ赤な目だ。この巨大な生物、いや怪物には見覚えがある。日本が誇る国産の最大最強の悪役だ。神話時代のスーパースターだ。
『どんな目に遭ってもあきらめないで! 生きていて!』
いつかのマコトの叫びが、頭の中で再生される。もしかして、この怪物は怒っているのか? 俺が生きるのをあきらめてしまったことを。
……ごめん。
怪物が口を開く。信じられないほど巨大な口が、牙が、まっ赤な舌が、俺にせまる。俺はこれから飲み込まれるのだ。この、どこか懐かしい怪物に。
『浮気なんてしたら、……食べられちゃうかもよ』
そういや、マコトはそんな事も言っていたな。
おれ、浮気なんてしてないんだけどなぁ。そんな度胸があるわけないのは、おまえが一番しってるだろうに。
まぁいいか。マコト、いやこの世界では『殿下』か。奴に食われるならいいか。俺をこのおかしな世界からすくってくれるのなら、いくらでも食ってくれ。
ミヤノサ市長の護衛兼秘書官アンドラは、目の前の光景が信じられない。
彼女の上司は、王国一の女たらしで有名だったはずだ。クールで毒舌でカミソリのように切れ者で、何をするにも気障ったらしくて嫌味な男だったはずだ。
そのエメルーソ殿下が、膝の上に年端もいかぬ少女を抱いている。いまだ目を覚まさない少女の緋色の髪をやさしくなでている。その感触を楽しむようにほほえんでいる。どこからどうみても、ちょっとあぶないロリコンだ。
こんなことが、こんな殿下が、現実であるはずがない。
アンドラはため息をひとつつき、頭を振る。夢ならばはやく覚めてくれと、口の中でつぶやく。
殿下が所属不明のドラゴンにまたがったまま市街地上空に侵入、そのまま市長公邸の庭に着陸したのは、ほんの数時間ほど前、ちょうど昼頃のことだった。
ドラゴンが白昼堂々とあの巨体で市街の真ん中まで飛行してきて、目撃者がいないわけがない。市当局には、市民や治安警察、さらには軍からの問い合わせが、当然のごとく殺到している。しかし、殿下の指示は『とにかくシラを切れ、切り通せ』だった。市長の側近達は、冷や汗をかきながら今もおわらわで対応している。
だが、側近中の側近、秘書官アンドラが現在進行形で苦労させられているのは、それとはまったく別の問題だ。
殿下がとつぜん森に行くと言い出したのは、昨夜の夜中のことだった。その時、アンドラはハンターの襲撃による負傷で動けなかった。そして、殿下は夜が明けても帰って来なかった。アンドラは、殿下の身を案じてそれこそ気も狂わんばかりの一夜を過ごすことを強いられた。
そんな彼女の元にやっと帰ってきた殿下は、なんとドラゴンに乗っていた。しかし、アンドラが真に驚愕したのはそこではない。アンドラの目の前、着陸したドラゴンから飛び降りたのは、殿下ひとりではなかったのだ。その腕の中に、小さな少女が抱かれていたのだ。
緋色の髪。小さくて愛らしい顔。細く華奢な身体。まちがいない。あの少女だ。森の中でアンドラの傷を癒やした、奇跡の治癒魔法の使い手の少女だ。
昨日アンドラがハンター達の襲撃で負傷した傷と骨折は、すでにほとんど完治している。オオカミの血を引く彼女のもってうまれた快復力のおかげではあるが、しかし傷を受けた直後にこの少女の奇跡の治癒魔法がなければ、最悪死んでいた可能性もある。
少女はずぶ濡れ。全身が細かい傷だらけ。唇が紫色にそまっている。殿下の腕の中で、全身が細かく痙攣している。そして……。
「これは……」
アンドラは口の中でうめく。
鎖がついた金属の首輪。さらに拘束具により両手が背中で固定されている。非合法の奴隷商人により用いられる魔導具だ。こんな少女に、なんということをするのだ。アンドラの身体全体が、怒りのあまり細かく震えだす。
「すまない、アンドラ。医者を呼んでくれ。大至急だ」
「ほとんど水は飲んでいないようですな。仮死状態だったのが幸いしたのかもしれません。体温も正常にもどったようなので、じき目がさめるでしょう」
ひととおりの人工呼吸のあと、医者はこう宣言して、実質的な診療をうちきった。
「あとは様子をみるしかありません。それにしても、殿下。彼女は、……人間ですか? 彼女のまわりの精霊達はいったい……」
「それ以上詮索するな。そして彼女について一切の口外は無用だ。もういいぞ。ごくろうだった」
殿下がそう言って医者をさがらせる。
「……もともと、この世界の医療技術で『人類』に対してできることなどたかが知れていたか。初めから『精霊』どもに任せていたほうが安心ということか」
殿下は、たまにこのような物言いをする。この人はいつも、ひどく冷めた目でこの世の中を見ているのだ。まるで自分が『この世界』の住人ではないかのように。
「と、とりあえず、着替えさせてあげましょう」
殿下を部屋から追い出して、少女の服を取り替える。後ろ手に腕が拘束されたままなので、下着の上から大きめのポンチョ風の寝間着を着せてあげる。ミヤノサは常夏の気温だから、体温が下がるということはあるまい。
かわいそうに。こんなに傷だらけで、こんなものはめられて……。
ドアのすぐ外の廊下で、怒鳴り散らす殿下の声が聞こえる。
「拘束具を解除できる魔法使いは、まだこないのか!」
この拘束具は、先史魔法文明の遺跡からいくつも発見されるものだ。特別な魔法使いでなければ、解除することができない。
しかし、今日は朝から市内で違法ハンターや奴隷商人の大規模な摘発が行われており、市当局が使える魔法使いは皆ではらっている。摘発を指示したのは殿下だ。昨日、森で騒動を起こしたハンターの奇襲により、アンドラは大怪我を負った。彼女を街に連れ帰った直後、殿下が違法ハンターの元締めの摘発を治安当局に命じたのだ。
部屋に入って来るなり、殿下はまだ目を覚まさない少女を膝の上に抱きあげる。そして、そのままソファに腰掛ける。
「この程度の金属など、力づくで引きちぎるのは簡単なのだがな」
首輪に傷つけられた少女の肌をなでながら、殿下はいらだちの表情を隠そうとしない。
「それは先史魔法文明の遺産だといわれています。無理矢理こわすと自爆して、その少女もただではすみませんよ」
「知ってるよ。……先史魔法文明の連中は、遺伝子改造だけでは従順にならなかった現住生物を、これをつかって奴隷化していたのだろう。精霊をばらまいて環境を改変するわ、独自の文明を阻害するわ、本当に根性の悪い連中だ」
アンドラは耳を疑う。こまかい意味までは理解できないが、殿下が先史魔法文明を罵倒していることだけはわかる。
しかし、我々に知恵と文明を与え、王家に王権を授けたのは、先史魔法文明の人々だ。そしていま、この大陸の人々の魔法文明を支えているのは、精霊達だ。その彼らにたいして、王位継承権をもつ殿下がこのようなことを言い出すとは。
そんなアンドラの様子など気にもとめず、殿下は膝の上の少女の頭をなでる。なんとなく手つきがいやらしい。アンドラが呆れたようにジト目で睨みつける。
「拘束具で後ろ手に縛られたままなのだ。ベットに寝かせるわけにはいかないのだから、抱いているのは仕方がないだろう?」
まだ何も言っていないのに勝手に弁解を始めた殿下に対して、アンドラがまたひとつため息をつく。この人は、こんな人じゃなかったはずだ。こんな殿下の姿をみたら、王都の社交界に掃いて捨てるほどいる殿下ファンの娘達は、みんな幻滅するにちがいない。
「お疲れなら、私がかわりましょうか?」
「いや、俺がだいているよ。この顔を見ろ、俺の膝の上で安心して寝ているのだ。しばらくこのままでいい」
……はぁ。
この少女が早く目を覚ましてくれないと、私自身が殿下に幻滅してしまうかもしれない。
アンドラは深い深いため息を、ひとつつく。
2013.12.14 初出
2013.12.20 ちょっとだけ表現を修正しました




