26.その日以来、灰色の日常に色がついたんだ
この人間、気にいらない。
オオカミの姿になった俺と目の前で対峙している男は、臆するどころか、まったく涼しい表情のままだ。俺は男を睨みつける。男は平然とにらみ返す。顔には薄笑いすら浮かべている。その余裕が、どうしようもなく気に障る。
黒髪に整った鼻筋、切れ上がった目、長いまつげ。いい男なのは認める。長身、長い足、細長い妙な片刃の剣を構える姿が、イヤミなほど様になっている。
「……このオオカミ君は、ユウキ兄にただの『弟』扱いされたのが気に入らないらしいぞ」
ユーキ姉ちゃんになれなれしく話しかける様子が気に入らない。それに笑顔で答えるユーキ姉ちゃんも気に入らない。なによりも、図星をつかれたのが気に入らない。とにかく、何もかもが気に入らない。こいつ、……殺してやる。バラバラに引き裂いてやる。
『森の奥で精霊が集まり騒いでいる』、ダーヴィーにそう言われ探検に行った先に、彼女はいた。
後にユーキと名乗るその少女を初めて見たときの俺の第一印象は『なんて儚い』、その一言に尽きる。腰まである緋色の髪、緋色の瞳、薄いピンクの唇、整った小さな顔。華奢な腕、繊細な指、白い足、胸も腰もなにもかもが細い。見た目も声も雰囲気も、とにかく華奢で細くて薄くて存在そのものが儚い少女。
なのに、彼女の操る魔法は、想像を絶するほど凄まじいものだった。
待ち伏せしていたハンターの爆発魔法を喰らった俺のケガを、たちまち治癒してしまった不思議な魔法。ハンターの攻撃魔法や魔導銃すら完全に無効化してしまう防御魔法。ユーキ姉ちゃんの魔法は、どれも見たことがないものだった。ダーヴィーによると、この世界を支配している精霊達を、あろうことか彼女は自由に操っているらしい。
この大陸の人間やエルフの中で、精霊魔法を使える者は千人に一人程度しかいない。ダーヴィーのような少女でも、魔法使いは人々から尊敬され、同時に恐れられている存在だ。村の住人達も、人間離れした力を持ったユーキ姉ちゃんを、どう扱えば良いかわからずに戸惑っているようだ。
だけど、……俺は知っている。ユーキ姉ちゃんは、他の魔法使いとは違う。
姉ちゃんの魔法は、自分自身の身体を削って他人を助けるものだ。だから、姉ちゃんは魔法をつかう度に顔を紫色にしてぶっ倒れ、げぇげぇ吐きまくっている。それでも、ユーキ姉ちゃんはけが人がいれば迷うことなく治癒魔法を使う。攻撃魔法に狙われる俺たちの盾になることを、決して躊躇しない。たとえその後に意識を失っても、だ。
体力ゼロのくせに、畑仕事や果物採集を無理矢理手伝いにいく。家に帰ると細い指が豆だらけ、足は傷だらけ、そして全身筋肉痛で婆さんのように腰をさすっているのを、俺は知っている。
そのうえ、女のくせに隙だらけだ。一応スカートの裾は気にしているらしいが、ふとした弾みにそのまま高いところにあがろうとする。短いスカートのまま四つん這いになることもある。胸元などは、気にもとめていない。俺の目の前でも平気で前にかがみ込み、首筋から鎖骨、その下のささやかな膨らみまで露わにしている自覚がない。俺が必死になって視線をそらしていることなど、まったく気づいてもいない。
話をするときには顔が近すぎる。俺が獣化する度に『モフモフ』言いながら触ってくる。風呂を覗かれても気づかない。どんな夢を見ているのか、可愛らしくて色っぽい声で寝言を言う。俺の自制心は、そろそろ限界かもしれない。
凄い魔法の力をもっているのに、華奢で、弱々しくて、お人好しで、脳天気で、そして無防備で、……俺は、姉ちゃんの一挙一動から目が離せない。ユーキ姉ちゃんは、俺が守ってやらなければダメな女なのだ。
……なのに、ユーキ姉ちゃんを抱きかかえているこの男は何者だ? 姉ちゃんは、なぜ黙って抱かれている? なぜ笑っている?
「おまえ、……ユーキ姉ちゃんのなんなんだ?」
男に頭をなでられ、耳元で囁かれている姉ちゃんの顔は、いつも以上に『女』に見えた。
「子犬には想像もできない、大人の関係という奴だ」
それを聞いた瞬間、俺の頭に血が上った。
ただただ退屈で、ありあまるオオカミの力をもてあましていた村での生活。灰色一色だった毎日。それが、姉ちゃんに会ってから色がついた。この日常を、失ってたまるものか。
殺してやる。気づいたときには、男に飛びかかっていた。
村を守るためでも、仲間を守るためでも、自分の身を守るためでもない。俺が本気で人間を憎み殺意を抱いたのは、生まれて初めてだったかもしれない。
しかし、……男は強かった。魔法や魔導器を使わずに剣だけでオオカミの俺と対等以上に戦える人間など、こいつが初めてだ。しかも、この男にはまだまだ余裕がある。決して手の内の全てを見せてはいない。
こいつはいったい何者なんだ? 本当に人間なのか? そういえば、こいつからはドラゴンの爺さんと似た臭いがする。魔物のくせに、姉ちゃんをたぶらかしたのか?
俺は、我を忘れて男に襲いかかる。何度も何度も爪をふるい牙を向ける。だが、攻撃はあたらない。何度目かの爪による攻撃を余裕をもってかわされ、俺が長期戦を覚悟し始めた頃、事態は急変した。ユーキ姉ちゃんが、またしてもぶっ倒れたのだ。
男と戦いながらも、俺は視線の端でずっとユーキ姉ちゃんを見ていた。頭の上の耳は、ずっとユーキ姉ちゃんの声を拾っていた。傷を負った金髪のオオカミ女が、姉ちゃんに何をするかわからないからだ。ついでに、姉ちゃんがこの男よりも俺を応援してくれるかもしれないと、心のどこかで期待していたかもしれない。
だから、例によって自分の体調を顧みずにオオカミ女を治癒しようとした姉ちゃんが、例によってぶっ倒れたのに気づいた瞬間、俺は戦いなど放棄してまっすぐに姉ちゃんの元に走った。
だが、戦いよりもユーキ姉ちゃんを優先したのは、俺だけじゃなかった。姉ちゃんを抱き起こしたのは、男の方が先だったのだ。
「すまない。ついあつくなってしまった。ふたりとも、大丈夫か?」
「殿下。この少女は、私のためにまた治癒魔法を使おうとして……」
姉ちゃんは、かろうじて意識があるようだ。真っ青な顔で男の顔を見ている。苦しそうに、しかし男を信頼した表情で。俺は、……それを横から見ているしかない。
「お、俺は大丈夫だ。ちょっと吐き気がするだけだ。寝ていれば治る」
「……この惑星の大気は我々の地球よりも酸素濃度が少々低く、かわりに有毒なガスが含まれている。もともとここに生きる生物は平気だが、その脆弱な異世界人の身体では無理しない方がいいな」
「俺には精霊がついているから平気だって。だから俺よりも一刻も早くアンドラさんを街に連れて帰って、骨折を治してやってくれ。俺は、……もう寝る。あとはビージュ、俺を村に連れて帰ってくれ。頼む」
男にもたれかかった姉ちゃんが、俺を見た。真っ青な顔でよだれを垂らしながら。俺は頷く。それを見て姉ちゃんは確かに安心した表情になり、そのまま気を失ってしまった。姉ちゃんは、俺を頼ってくれたのだ。
男がため息をひとつつく。姉ちゃんと金髪オオカミ女、そして俺を見くらべる。
「オオカミよ、ビージュと言ったな。ユウキの言うとおり、俺はまずアンドラを街に連れて帰る。……俺はユウキと約束した。おまえ達の村の秘密を守るとな。だからそのかわり、おまえはユウキを守っていてくれ」
「おまえに言われるまでもないよ」
「……ところで、俺たちはおまえ達の村のそばを飛行中、ハンター共にいきなり撃たれた。無法者とはいえ、軍のグリフォンに向けていきなり撃ってくるなど、何か理由があるとしか考えられない。奴らがなぜこのあたりにいたのか、心当たりはあるか?」
「……ない。偶然だろ」
ハンター達が村の周囲にいたのは、治癒魔法の使い手を捜していたのだろう。後先考えずに軍のグリフォンを撃ってきたのは、村への襲撃を軍に邪魔されないよう先手を打ったのだろう。すでに準備は整い、襲撃の時は近いのかもしれない。しかし、……それを目の前の男に話す気になれなかった。村とユーキ姉ちゃんの安全を、この男に頼る気にはどうしてもなれなかったのだ。
「そうか……。俺は明日また来る。それまでユウキを頼む」
男は姉ちゃんをやさしくだきあげると、俺に手渡した。なんて軽い身体。強く抱きしめると壊れてしまいそうな華奢な身体。大丈夫だ、俺が絶対に守ってやる。
「おまえ、そのオオカミ女を担いで歩いていくのかよ? 街まで何キロあるとおもっているんだ?」
普通の人間なら、ここから街まで歩いて最低でも二・三日はかかるはずだ。しかも、人ひとり担いで、……俺が心配してやる義理なんてないけどな。
「俺の脚なら数時間で街に着くだろう。なにか問題があるか?」
「……いや」
「ユウキ、明日には迎えに来る。その時はオオカミ、改めて勝負してやる」
男がニヤリとわらう。くそ、本当に外見だけはいい男だな。
「二度とくるな!」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ちょっと忙しくて、次の投稿までまた一週間くらいかかるかもしれませんが、これからもなにとぞよろしくお願いいたします。
2013.10.01 初出
2013.10.01 ちょっとだけ修正




