25.目の前で怪獣大戦争がはじまっちゃったよ
「ユーキ姉ちゃんから、はなれろ!」
オオカミが叫ぶ。森の空気が歪む。大地が震える。
あれはビージュだ。モフモフでぬいぐるみみたいで思春期真っ盛りのちょっとお間抜けな青少年だ。俺はそれをイヤと言うほど知っている。知っているはずなのに、今のビージュ、あの黒いオオカミの姿を見ただけで、本能的に背中に冷たいものがはしる。叫び声を聞くだけで身体が震える。動けない。息をすることさえ忘れてしまう。これは、……恐怖か。
「……ほぉ」
俺を抱きかかえたままのマコト(自称)が、ニヤリと笑う。おまえ、あれを見て平気なのか?
オオカミが吠えた。今度は人間の声ではない。その咆哮は、まさに森の王。周囲の大気が渦巻く。そして、ビージュの姿が消えた。
俺には見えない。だがわかる。圧倒的な怒気が迫る。人間の目では追えない速度で、オオカミがまっすぐに俺たち、いやマコトをめがけて向かってくるのだ。
しかし、野獣の一撃は、マコトに届くことはなかった。ギリギリ目の前で、横から飛び出した何者かにより、体当たりで阻止されたのだ。それは別のオオカミ。アンドラさんだ。金髪を振り乱したもう一頭の野獣が、うなりをあげてビージュに襲いかかる。二頭の巨大なオオカミが、絡み合いながら吹き飛んでいく。
すごい迫力。巨大な肉食獣同士の肉弾戦は、映画にでてくるkaijuも真っ青だ。
だが、オオカミ同士の戦いは、長くは続かなかった。黒いオオカミ、ビージュの力の前に、金髪オオカミのアンドラさんは徐々に押されていく。爆発魔法の傷は治癒したといえ、墜落の際の骨折はまだ治ってはいない。……いや、そもそも、その力の桁が違う。戦闘力に関しては、ビージュの方が圧倒的だ。
ドサッ。
ついにアンドラさんが倒れる。ビージュの前足の爪が、地面に彼女の身体を押さえつける。
「だめだ! ビージュ!!」
俺は必死に叫ぶ。頭はくらくら、そのうえ息が苦しいが、それでも力を振り絞って叫ぶ。しかし、頭に血が上ったビージュに俺の声は届かない。とどめとばかりに、巨大な牙が首筋に迫る。
ビージュのすぐ近くで爆発が起こったのは、その瞬間だった。魔導銃だ。マコト(自称)が俺を膝の上からおろし、魔導銃で撃ったのだ。
間一髪でビージュは爆発を避ける。こちらを振り向き、睨みつける。金色の目。低い体勢。至近距離から浴びせられる凄まじい怒気。圧倒的な迫力。これが本当にあのビージュなのか。
「アンドラ、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です。ありがとうございます、殿下」
殿下と呼ばれたマコト(自称)が立ち上がる。そして、目の前の巨大なオオカミを睨みつける。
「気をつけてください。そのオオカミ、……たぶん先祖かえりです」
「……先史魔法文明を築いた異世界人が来る前、大陸を支配していたというオオカミの先祖かえりか。これほど血が濃いオオカミなど、久しぶりに見るな」
巨大な獣に全く臆することなく、マコト(自称)は睨み返す。
「あのオオカミは、ユウキ兄の知り合いなのか?」
「……そ、そうだ。村で世話になっている大事な家族だ。弟みたいなもんだ」
「ほぉ、弟ね」
「ビージュもやめてくれ。マコトは村のみんなの敵じゃない。本当だ。たのむ」
いまだ激しい吐き気が収まらない中、必死に絞り出した俺の声は、しかしふたりには届かない。ビージュは俺を一瞥したものの、戦闘態勢を解くつもりはなさそうだ。
ふっ。何がおかしいのか、マコトが笑う。
「……このオオカミ君は、ユウキ兄にただの『弟』扱いされたのが気に入らないらしいぞ」
この期に及んで余裕たっぷりのマコトにあおられ、ビージュの体温が上がったのがわかる。……挑発するな!
「おまえ、……ユーキ姉ちゃんのなんなんだ?」
「子犬には想像もできない、大人の関係という奴だ」
あ、あほ。青少年を刺激するなって!!
さらにビージュを挑発するかのように、マコトは銃を投げ捨てた。怒りのあまり全身の毛を逆立てる巨大なオオカミと対峙しているにもかかわらず、だ。いったいなにをする気なんだ?
「……人間ごときが、本当に死にたいのか? 魔導銃なしでオオカミの俺に勝てるつもりかよ」
「俺は、この世界の人間達のように、無邪気に精霊魔法や魔導器など信用していないのでな……。こいオオカミ、森の王よ。俺が相手をしてやる」
マコトは、銃の代わりに剣を構えた。鞘ごと左手に握り、右手を柄に添える。
居合い? あれは日本刀なのか?
「……こちらの魔導鍛冶屋に技術を教えて作らせた。まがい物だが、そうバカにしたものでもない」
そういえば、オロチといえば御神器のひとつ、日本最古の神剣にゆかりのある妖怪だったな。それにしても、『魔導鍛冶屋』ってなんだ?
「理系少年のユウキにとって興味深い事実を教えてやろう。こちらの世界、いやこの大陸では、薪も石炭も高温では燃焼しない。火薬も爆発しない。大気中の精霊どもが原住生物の文明を監視し、化学反応を抑制しているのだ。しかも、ここの人間達はそれを疑問に思っていない。代わりに、例えば工場では動力として精霊魔法の火を使っている。……バカバカしい世界だろう?」
思い出したようにこちらに顔を向けたマコトが、対峙しているオオカミを無視してのんびりと解説してくれる。
たっ、確かにそれは、俺にとって興味深い話ではある。この世界に関する重大な秘密なのかもしれない。もっとゆっくりと時間をかけてききたい。しかし、……目の前で存在を無視されたビージュが激怒しているぞ、おい。どうするんだよ!
と、その瞬間、再びオオカミの姿が消えた。
マコトは鞘を身体の後ろに隠し、構える。そして、目をつむる。
疾風よりも速く迫る四つ脚の獣。それを迎え撃つ居合い一閃。速い、などという表現を超越した速度。俺にはどちらも全く見えなかった。聞こえたのは、風を切る音だけだ。
俺が気づいた時には、マコトの剣が正面の草木を薙いだ後だった。オオカミがそのまま突っ込んでいれば、二枚の開きにされていただろう。……だが、剣先の直前、巨大なオオカミは停止していた。
ビージュからは、マコトの身体の後ろに隠された刀の長さが見えなかったはずだ。そこから繰り出される居合い抜きは、凄まじい速度かつ正確に繰り出されていたはずだ。にもかかわらず、このオオカミは剣の間合いを正確に読み切り、剣先の軌道の直前で急停止したというのか。その直前まで、常人には目で追えない速度で突進していたのにもかかわらず。
「……ほう」
マコトの顔から薄笑いが消える。オオカミが口の端で笑う。そして飛ぶ。マコトはまだ構えていない。黒いオオカミの巨体が、疾風を切り裂きながら襲い掛かる。
だが、オオカミの爪はまたしてもマコトに届かなかった。
マコトは、飛びかかる巨体を受け流すように自ら後ろに倒れ込みながら、その長い足でオオカミの腹に強烈な蹴りをいれたのだ。
巴投げぇ?
飛びかかる獣の巨体が浮き上がるほどの凄まじい蹴り。そのまま勢いを殺さず、オオカミは後ろに投げ飛ばされる。
まさか本気で殺しにいった人間に蹴り飛ばされるなど、オオカミにとって初めての経験なのだろう。一回転してきれいに着地したビージュの顔が、屈辱の色に染まる。マコトは剣を構えなおし、ふたたび二頭の野獣は対峙する。いったいどうなるんだ、この人外同士の怪獣大決戦は。
「おまえ、……ただの人間じゃないな?」
くっくっく。マコトが笑う。
「それは、俺を産んだ母、王妃殿下が魔物と浮気したといいたいのか? 不敬罪で縛り首にしてやろうか? ……残念ながら俺は生物学的にはこの世界の人間だ。中身の魂はともかくとしてな」
二頭の魔物の肉弾戦は、ますます盛り上がっている。しかし、俺はいつまでも人間離れしたふたりの戦いにかまけているわけにはいかない。あのふたりなら、派手に殴り合ってもそう簡単に死ぬことはないだろう。それよりも、目の前に瀕死の重傷を負った人間がいるのだ。
「……大丈夫か?」
問い掛ける俺に対して、アンドラさんが無理やり笑顔をむける。
「平気よ」
脂汗をながしながらそう言われても、説得力はない。
「……でも、骨がはみ出してるじゃないか。いま治してやるからちょっと待って」
さきほどの治癒魔法で出血はとめたものの、もともと骨折などの大怪我を負っていたところに、あの化け物じみたビージュと肉弾戦でやり合ったのだ。命に関わるほどではないにしろ、いったい何カ所骨折しているのか。激痛でこの場から動くのも不可能だろうに。
「私は大丈夫よ。あなたこそ、そんなに酷い顔色のくせに。……オオカミの血を引く私は放っておいても治るから、もう治癒魔法はやめて」
そう言われても、放っておくわけにはいかないよなぁ。ビージュがやったことだしなぁ。
有無を言わせず、俺は治癒コードを実行する。ヘアバンドがなにやら文句を言っていたようだが、あえて無視する。だが……。
『警告! 血中酸素濃度が限界まで低下しています。警告! 心肺機能および循環機能が限界まで低下しています。これ以上精霊を生命維持活動以外に利用することは危険です。……治癒コードの実行は中止されました』
あ、あ、あれ?
半分形成されかけていた光の繭が、かき消すように消える。そのまま身体の力が抜ける。俺は、その場にひっくり返ってしまった。
読んでいただきありがとうございます。毎週一回か二回程度の更新になるとおもいますが、これからもおつきあいいただけると幸いです。
2013.09.21 初出
2013.09.23 何カ所か表現を修正しました




