20.いくら呑気者でも、たまには泣きたくなるときもあるよね
どうしてこうなった?
ペレイさんの家、寝床に仰向けになり窓から星空を見上げながら、俺は口の中だけでつぶやく。
このヘンテコな世界の中の小さな村の一員として、俺はなんとか受け入れられているらしい。それはありがたいことだ。基本的に善人ばかりの(エロいのもいるが)村人には、いくら感謝しても足りないくらいだ。
だが、問題はそこではない。問題は、……俺は日中の露天風呂での騒動を思い出し、そして頭を抱える。
いつのまにか、俺が、この俺様が、村の女性陣からもエロ男どもからも、ごくごく自然に女の子として扱われてしまっているとは。
確かに今の俺はこの身体だ。男の子あつかいされるはずがない。そんなことはわかっている。生きて行くにはこの状況を受け入れるしかない。それもわかっている。それでもやはり、そう簡単には納得できるものではない。
このままでは、男として生きてきた俺のこの十七年間は、いったいどうなってしまうのだろう? 宮沢ユウキという人間は、この世界から消えてしまうのだろうか?
頭の上に手を伸ばしてみる。ヘアバンドよりもさらに上、あちらの身体だったころ『空間の歪み』があるとマコトに言われた付近だ。歪みに捕らえられた指の先が透けてみえるような気もするが、いくら手を伸ばしても何も触れることはない。
『絶対に追いかけていって捕まえてあげるから、……安心してね』と言ったのはおまえだぞ、マコト。いくら俺が脳天気な呑気者だといっても、……俺はいつまで待っていればいいんだ?
ああ、夢だ。これは夢だ。俺はいつのまにか寝てしまったのか?
ふと気づくと、みなれた風景があった。LED照明に照らされた居間。薄型TV。PC。ソファ。俺の家だ。
テーブルに向かい合わせに座っているふたり。片方は見覚えのある、というかいつも一緒にいる幼なじみの女の子。もうひとりは、……俺だ。
うん、たしかにこれは夢だ。アーシスの夢じゃない。俺の夢だ。俺の記憶だ。記憶を元に再構成された第三者視点の夢だ。こっちの世界にくる直前のできごとだ。いまさらどうしてこんな夢を見ているんだ、俺は。
俺とマコトは飯を食っている。二人きりだが、別に緊張とかはしない。小学生の頃からいつもこうだったからだ。
ふたりがいつからつきあい始めたかなんて、自分たちでもわからない。あまりにもいつも一緒にいたせいで、ついお互いに安心して、いつだって隣にいるのが普通の関係になっていた。ご両家の親も信用しているようで、ふたりにはなにも問題なかった。
俺はなんでも平均点で地味な男だが、マコトの外づらは完璧だ。優等生。運動神経抜群。おまけに美少女。
問題があるとすれば、たまに常識ではありえない事件を引き起こすくらいか。絡んできた不良の集団を三秒で片付けたとか、里に迷い込んだ子連れのヒグマを山の中まで引きずってかえしたとか、キツネを轢きそうになったトラックを片手で止めたとか、どこまで本当かはさだかではないが、ご近所の噂話の的となる逸話にはことかかない。いわゆる不思議系美少女というやつだ。
さすがに彼女の両親は、自分の娘が少しばかり他の子とは違うということに気付いているらしい。しかし、まったく問題にすることなく、普通に娘として育ててきたようだ。「うちの娘は早熟で、生まれた時から牙が生えていて、生後すぐに歩き出したんですよぉ」とか、うちの家族との笑い話のネタにしているくらいだ。俺が言うのもなんだが、できたご両親だ。
ああ、マコトにはもうひとつ問題があった。家事全般が苦手なのだ。だが、いまのところ大きな問題とはなっていない。なぜなら、両親がいないときは、ご両家の家事ともほとんど俺がやらされているからだ。ちなみに、今ふたりの目の前にあるベーコンとキノコのパスタも俺が作ったものだ。
「おかしいな。今日は隣の幼なじみが晩ご飯を作ってくれると言っていたはずなのに、……なぜ俺はいま自分が作ったパスタを食っているのだろう?」
「あいかわらずおいしいわぁ。いいお婿さんになるわよ」
「平々凡々で地味な男だけどな」
「そうでもないわよ。私がまともに育ったのは、両親とユウキ兄のおかげだもの」
おおお、どうしたんだ。今日はいつになく愁傷だ。
「私がこの身体に転生したときはね、ちょっとエラーがあったみたいで、前世の記憶をすぐには思い出せなかったのよ。『別の私達』との接続も切れちゃってて」
またマコトの脳内中二設定の語りが始まったようだな。
「それで、自分の異常な能力がどうも他人とは違うということに気づいた子供のころの私は、それこそ狂ってしまうほど悩んでいたの。それを救ってくれたのは、脳天気に付き合ってくれたお隣のお人好しのお兄ちゃん。ユウキ兄よ」
……まぁ確かにガキの頃のマコトはちょっとおかしな女の子だった。自分の力をもてあましているというか、妙に大人びていた。俺以外の他のガキとはまったく付き合おうとはしなかった。と言っても、俺の方もガキの頃から友達をつくるのが苦手で、たまたま両親に仲良くしなさいと言われた隣の女の子がマコトで、こいつしか遊ぶ相手が居なかっただけなんだけどな。
マコトは、俺の顔をじっとみつめている。
俺はいまどんな顔をしているのだろう。たぶん照れている。顔が赤いかもしれない。それを隠すため、むりやり口をひらく。
「俺はおまえの日常的な暴力に逆らえなかっただけだよ」
「素直じゃないわね。……でも、ユウキ兄には感謝しているのよ。気づいているんでしょ? 私が普通の人間とはちょっとちがうということ」
なんだ? ついにマコトの正体、そして前世の記憶とやらについて教えてくれる気になったのか?
「いや、その、話したくないのなら、話さなくていいんだぞ」
「私ね、……実は人間じゃないの。外見は可憐な美少女だけど、魂は俗に言う『オロチ』なのよ。……って、あれ? どうしたの? なにがっかりした顔をしているの? おどろかないの? かわいい幼なじみがその正体を初めて明かしたのに」
本当に俺はがっくりしていたのだ。マコトはそんな俺の様子が気に入らないらしい。
「いや、突然改まって言い出すから、もっと思いがけないモノ、たとえば名状しがたかったり口にするのもはばかられるアレ的なものを想像したんだけど、……『オロチ』とはまた古風な、しかも国産のモンスターとは」
「あんな近世の創作神話と一緒にしないでほしいわね。私はこうして実在しているし、これでもこの国の神話や教科書にも出てくる大スターなんだから。国作りの神話ではたまたま悪役にされちゃったけど、この国の、いえ地球という惑星の荒ぶる大自然や、それを治めた人類文明の象徴なのよ」
「そんな歴史的な悪役の大スター様が、どうしてこんな北の大地で女子高校生をやっているんだ?」
「ほら、よくあるでしょう、転生ってやつよ。私たちはバラバラの肉片にされても再生できるし、基本的に魂は死ぬことはないんだけど、やっぱり物理的な肉体は無限に生きられるわけじゃない。場合によっては、国作りの英雄にだまされて酔いつぶされて半殺しにされることもあるわ」
ほぉ。確かにそんな神話、きいた事あるような気もしないでもない。
「で、生物学的な寿命がつきて再生できなくなったら、魂だけを赤ん坊に移し替えてやり直すのよ。この私は、……うーん、数え切れないけど、この肉体は数百世代目のひとり。こんな異常な子をきちんと育ててくれた今の両親には、感謝しているわ」
「なるほどね。そんな凶悪な妖怪がお隣さんとは、俺は幸せ者だ」
「『凶悪』とかいうな!」
おれは、マコトの話を信じ始めていた。もしかしたら本当かもしれない。いままでの人生をふりかってみると、そう考えれば辻褄のあうことが沢山あるのだ。とはいえ、たとえマコトの中身がその「オロチ」だとしても、マコトがマコトである限り俺は全然かまわないんだけどな。
「……でも、マコトが俺のお隣さんに生まれてきてくれて感謝してるよ」
それは俺の本心だった。照れているのか、マコトは笑顔のままテーブルの下で俺の脚をけとばす。痛い、とても痛いが、それでも赤くなっているのがかわいい。
「ちなみにね、私は今ここにいる『私』だけじゃないの。はるか昔に分裂しちゃった『私』が、同時に何人も存在するのよ。空間の歪みを通って異世界にいったのもいるわ。それぞれ転生のたびに性別も容姿も気まぐれにかえているの。ユウキ兄と出会った今回のこの体がたまたま女でよかったわぁ」
何をいっているのかよくわからないが、目の前にいるマコトは女の子だからそれでいいや。
「それは……、うん、その通りだな。マコトが男だったら、いろいろと困る」
何が困るのよ、とは聞かない。代わりに顔を赤らめる。
「やっぱりユウキ兄、あなたかわってるわ。こんな人間はじめてよ」
マコトがわらう。
「変人だという自覚がないこともないけどな。でもな、女を見る目には自信があるんだけどな」
根拠などないが、自信はある。少女マンガとかラノベばかりよんできたからな。
……って、あれ? あのマコトがさらに真っ赤なっている。なんだ? そして俺も言ってしまってから気付く。いまの俺の台詞告白みたいじゃないか。
まぁいいか。それにしても、照れるマコト。なんてかわいいんだ、このやろう。
飯を食った後、ふたりでテレビを眺めた。ソファに並んで座ったが、いつもと違ってこいつはなぜか離れて座りやがった。
いつものように馬鹿話がつづかない。つまらないドラマがたまたまラブシーンになる。この気まずい雰囲気をどうしようかと思ってちらりとマコトの方をみると、やっぱりこちらを見ている。
「もっとこっちに来いよ」
俺としては、一世一代の度胸を振り絞って言ったつもりだ。声が裏返っていたかも知れない。だが、マコトの奴は、俺の言葉を待っていたかのようにあっという間に隣に着た。瞬間移動? と思うまもなく、ソファについた俺の手に、手を重ねてくる。
なんといってもつきあいの長い幼なじみだ。今まで何度も何度も握ったことのある手。だが、今日は特別小さくてやわらかいような気がした。おそるおそる顔をのぞき込むと、マコトはこちらを見上げて目をつむってやがる。
これはあれか、待っているのか。誘っているのか。
自称数千年も生きているという、そして転生を重ねているというマコトの魂は、いままで何人の男を(女もか)食ってきたのだろう。そして今、俺も食われるのか。……食ってくれ。食ってください。
俺はあらがえなかった。体が自然に動く。顔が近づく。そして、口づけ。
ちょっと牙があたったけど、まぁなんとか上手くできたと思う。口の中に入ってきたマコトの舌は、先がちょっとふたつに分かれていた。自称『オロチ』でも舌はあたたかいんだなぁ。
唇を離すと、上気した美少女の顔が目の前にある。唇に指をあてている。余韻を確かめているのか? そして、正面からまっすぐに俺の顔を貫く視線。
「一応いっておくけど、ユーキ兄。わかってる? もし浮気したら……」
ぞくり。一気に雰囲気が変わった。マコト本人だけではない。周囲の空気の色があきらかにかわったのだ。背中に冷たい汗が流れる。部屋全体の温度が下がる。
それは幻覚。直接脳みそに流れ込んでくるイメージだ。現実ではないことはわかっている。だが、あまりにもリアルな光景が、たしかに俺の眼前にある。
彼女の頭がメリメリメリと音をたてて分裂した。合計八つのあたまが俺を見つめている。ひとつひとつが信じられないほど大きい。頭だけで小山ほどはある。長さは何百メートル、いや何キロあるんだ? 尻尾は山の向こうに届いているのか? その巨体が八つ、俺の周りを取り囲んでいる。それぞれとてつもなく大きな口を開いている。真っ赤な舌。凶悪な牙。漂う殺気。すさまじいオーラ。
「……たべられちゃうかもよ」
ぞくっとした。冷たい恐怖が背中を貫く。しかし同時に感じる強烈な色気。その妖艶な笑顔に俺の脳髄は一撃で麻痺してしまった。生物としての根源的な欲求が、見慣れていたはずの幼なじみによって烈火のごとく刺激されている。本能に俺は逆らうことができない。
そのままソファの上にマコトを押し倒してしまった俺を、誰が非難できようか。
「えーと、……俺は経験無いので、リードしてください」
いつのまにかいつもの美少女に戻っているマコトが、呆れたようにわらう。
「……ほんとユウキ兄はデリカシーに欠けるのね。確かに私の『魂』は複数にわかれてそれぞれ数千年生きてきたけど、今のこの『マコト』の生物学的な身体はまだ汚れをしらない清らかな体なのよ! 知ってるでしょ!」
と言いつつ、上に覆い被さる俺の首にゆっくりと両手を回す。甘えた表情で俺の顔を引き寄せる。『オロチ』の魂を秘めた初々しい少女の肉体が、供物として捧げられた俺の体に絡みついていく。
「マコト!」
自分の声で目が覚めた。自分がどこにいるのかわからない。今がいつだかわからない。
右手に腕枕をしているはずの幼なじみをさがす。いない。どこだ。
俺は立ち上がる。家の外に出る。
「マコト!! どこだ!」
半狂乱とは、このことをいうのかもしれない。すでに明るくなった村の中をはしる。裸足の足元がふらつくが、かまやしない。
「ユーキねぇちゃん」
ここはどこだ。俺の身体はどうしちまったんだ。どうしてマコトはいないんだ。
「マコト、俺はここだ」
俺は叫ぶ。絶叫。
「ユーキねぇちゃん、どうしたんだよ!!」
後ろから羽交い締めにされる。凄まじい力だ。動けない。その場に崩れ落ちる。
「助けてくれ、マコト! マコト!!」
「ねぇちゃん……」
わかっている。元の身体には戻れない。俺の世界には帰れない。アーシスはそう言っていた。涙がとまらない。どうした。俺は脳天気で呑気なお人好しじゃなかったのか。泣くな。こんなのは俺のキャラじゃない。ビージュが困っているじゃないか。ダーヴィーちゃんやフキ爺さんも集まってきた。
「……大丈夫だよ、ビージュ。ちょっと寝ぼけただけだ。ごめん」
だけど、……涙が止まらない。
その時だ。
「ユーキ兄?」
空から声。頭の上の空間から少女の声が聞こえた。聞き覚えのある声だ。アーシスの声ではない。ヘアバンドの機械的な声でもない。
「まさか、本当にユウキ兄? やっぱり異世界の例の女にコピーされちゃったのね? 今助けてあげるわ!! ああ、くそ、穴が不安定で、身体がとおらない!!」
「マコト? マコトなのか?」
俺の頭の上、マコトによると空間の歪みとかいうのがあったところだ。
「心細かったでしょう。ユーキ兄、絶対に助けるから! その世界ならば、そこにも『私』はいる。『私』がすぐに助けに行くわ。だから……」
声が途切れ途切れになる。
「本当にマコトなのか? どこにいるんだ? 顔をみせてくれ」
「だから、だから、どんな目に遭ってもあきらめないで! 生きていて! 聞こえる? ユウキ兄!!」
「マコト!」
声がとぎれる。
「マコト、マコト、マコト」
上をむいたまま膝が崩れる。ふと気づくと何かがひらひらと落ちてくる。手の平ほどもある薄いそれを手に取ると、……ウロコ?
わかったよ、マコト。あきらめない。あきらめるもんか。俺は、半透明のウロコをだきしめた。
2013.08.23 初出
2013.08.25 誤字脱字と表現を少々を修正しました




