11.人(?)の情けが身にしみるよね
ドラゴンじいさんは、大森林の上を悠々と飛行している。おそらく高度は数百メートルくらい、速度は風圧から判断してせいぜい時速数十キロぐらいか。離陸した直後はもっと速かったのだが、俺が息ができないと言ったら減速してくれたのだ。
やっぱりドラゴンというのは、最強の生き物なのだろうか。天敵なんていないのだろうか。周囲を警戒する様子がまったくない。まぁ、まともにこいつと戦って勝てそうな生き物なんて、たしかに居そうもないよなぁ。
「ねーちゃん」
この巨体で最高速度はどれくらい出せるのだろう? 羽ばたきで音速を超えられるとは思わないが、それでもツバメやハヤブサは時速三百キロくらいは出るらしいが。いや、ここはファンタジーの世界だ。『精霊魔法』は俺以外の現住生物には力を貸してくれないにしても、口から火炎のブレスを吐くような非常識な生き物を常識で判断するわけにはいかないよな。この巨体がソニックブームを引きずりながら超音速で飛行する様とか、見てみたいなぁ。
「ねーちゃん!」
それにしても、この大森林はどこまで続いているのだろう。遠くに見えるやたらでっかい山の他には、三百六十度どちらを向いてもどこまでもどこまでも森林の濃い緑しか見えない。といっても、いま飛んでいるのが仮に高度二百メートルだとして、そこから見渡せる範囲なんてせいぜい半径五十キロくらいか。あくまで見た感じだが、ここは地球と比べて極端に大きさの異なる惑星というわけではなさそうだ。ていうか、せっかくファンタジーなんだから、平面の大地の天動説の世界なんかも経験してみたかったな。
「ねーちゃんってば!!」
おお、真上に何か明るいものが浮いている。あれは月じゃない。あれは明らかに衛星軌道上に投入された人工的な……。
「ねーちゃん、聞けよ!!」
いつまでも周囲の風景にみとれ、何度はなしかけても答えようとしない俺の耳元で、オオカミ男ビージュ君がついに怒鳴った。
「あ、ああ、ごめん、つい。ちょっと興奮していたもんで。で、なんだ?」
「もうすぐ到着だ。あれが俺たちの村だ」
ドラゴンの飛行が、目的地に近づいているらしい。俺を抱きかかえたまま、ビージュ君が指を指す。大森林の中にポツンとひらけた空間。
ほほお。ついに到着か。ファンタジー世界の住人達が住むという村に。
近づくにつれ、徐々に『村』とやらの様子が見えてくる。それは、うっそうと茂った大森林の中の、ほんのささやかな空き地。家が二十軒ほどの、村というのもおこがましいような小さな集落。
しかも、その家にしても、決して立派なものではない。村の中心付近に石づくりの家が一軒と、あとは単なるほったて小屋だ。歴史の教科書でみた竪穴式住居みたいなのもある。
その『村』の真ん中の広間に、巨大なドラゴンは音も無く着地した。それをみて、数人の村人(?)が集まってくる。俺は、ビージュに抱き上げられながら、ぽかんと口をあけていたに違いない
村人達を一言で言い表せば、……言い表すのは無理だ。見た目が『人』も確かにいるが、人じゃない方が多い。
二本脚であるくモフモフのウサギ? ヒゲ面で筋肉質の、あれはドアーフという奴か。ちっちゃいのはホビット? 妖精? うわ、髪の毛がうねうねの蛇の人間とか、下半身だけウマの人間とかもいるぞ。身長も、ドラゴンは別格にしても、三メートルほどから五十センチくらいまで千差万別。容姿もサイズもなにもかもバラバラだ。
しかも、もっとも驚くべき事は、これだけ雑多な人種(?)が集まっているにもかかわらず、みんなちゃんと言葉が通じているらしいのだ。
SF? いや、これはやっぱりファンタジーだよなぁ。
あっけにとられている俺かかえたまま、ビージュはドラゴンから飛び降りる。数メートルの高さから飛んだにもかかわらず、まったく衝撃を感じさせずにきれいに着地する。
そこで俺はやっと気づいた。俺は、このオオカミ少年に御姫様抱っこされたまま、彼の首をがっちりとホールドしているのだ。息がかかるほど顔がちかい。いったいいつからだ? とにかく、これは恥ずかしい。あわてて腕をはなす。また赤くなってるよ、この少年。まさか、……俺も赤くなってないだろうな?
「ビージュ。無事だったのね、心配させないで」
若くてきれいな女性が駆け寄り、オオカミ少年をだきしめる。ぶかぶかのワンピースにボロボロのエプロン。テレビドラマに出てくるアメリカ開拓時代の農民みたいな服装だ。だが、見た目はかなり貧乏くさいが、気品がありスタイルが良くて、なによりも美人だ。そんな女性が、オオカミの少年ビージュ君に対して、げんこつを一発くらわせている。
「ダーヴィーが、森で精霊達が騒いでるっていうから、いっしょに偵察にいったんだよ。そしたら、ハンターの奴らに待ち伏せをくらっちゃって」
「人間をみかけたらすぐ帰って来いといったでしょ! ダーヴィーちゃんの魔法の合図にフキじいさんに気づかなかったらどうなっていたか……」
そこまで言って、美人は俺に気づいたようだ。
「あら? こちらは?」
「この人間のねーちゃんが、俺たちを助けてくれたんだ」
「いえ、助けたというか、偶然というか……」
俺としては、正直なところ二人に救われたという意識だったので、うまく返答できない。あのまま一人であそこにいたら、いまごろは狂っていたかもしれない。
「あらあらあら、それはお礼をさせていただくわ」
美人が頭をさげる。いやいや、礼をしたいのはこちらの方なんです。
「このねーちゃんはハンター達の攻撃魔法を防御するし、治癒の魔法も使えるし、すげぇ魔法使いなんだぜ」
大げさに言いふらすなよ。ていうか、なぜおまえが誇らしげなんだよ。
「ほんとう? 息子の命を救っていただいて、本当にありがとうございます」
半信半疑の顔をしながらも、俺の手をとり丁寧にお礼をいってくれる。美人にこんなことされたら、照れるしかない。
「いっ、いや、そんなたいしたことでは……、って、えええ? 息子?」
「私はこの子の母親で、ペレイといいます」
この女性ペレイさんは、どこからどうみても綺麗な人間にしかみえないが、オオカミ少年ビージュ君のお母さんだそうだ。……そんな事がありえるのか?
「私は人間です。私の夫がオオカミ男だったのよ」
俺の怪訝な視線に気付いたのか、ペレイさんが解説してくれた。そして、おどろく俺をみて微笑む。いい笑顔だ。綺麗な人だ。いいなぁ、こんな若くて綺麗なお母さん。
「あなた、お名前はなんとおっしゃるの?」
次は俺の自己紹介の番だ。まわりにいる村人達も、俺に注目している。
「俺は……、」
一瞬の躊躇。俺は、俺は、……俺は、なんと名乗ればいいのか。
中身は宮沢裕樹だ。しかし身体はちがう。ここで裕樹と名乗ってしまうと、アーシスに失礼なんじゃないか。しかし、たとえアーシスと名乗っても、俺にはアーシスの記憶などない。どうする?
「あ、言いずらかったら言わなくてもいいのよ。この村にはいろいろな事情がある者も多いから。とりあえず、なんておよびすればいいのかしら」
「俺は、……ユウキとよんでください」
「ユウキ兄」俺をそう呼ぶ幼なじみの顔が、頭にうかぶ。ごめん、アーシス。こんなかわいい身体をもらっても、俺はやっぱりユウキでしかないみたいだ。
オオカミ少年ビージュが、集まってきた村人達の紹介をしてくれる。
「ユーキ姉ちゃん、さっきも言ったけど、あのドラゴンはフキじいさん」
『ユーキ』じゃなくて『ユウキ』なんだけどなぁ。まぁ、いいか。
ビージュが指さす方をみると、ついさっきその頭に乗ってきた巨大なドラゴンが、煙と共に人間に変身するところだった。平均的な身長に白髪、白いヒゲ、まるで仙人みたいな人間の爺さん。ハーフパンツ一丁の爺さんは遠目にはよぼよぼだが、引き締まった鋼鉄のような筋肉を全身に纏っている。それにしても、……質量保存の法則はどこにいったんだよ。もうなんでもありだな、ドラゴンは。
「この村で最長老なんだ。よくわからないけど三百才くらいらしいよ」
「村人は、全部で何人くらいいるんだ?」
「五十人くらい。ここは、森に住む魔物の中でも知能をもった連中が、ハンターに追われて自然にあつまってできた村なんだ」
この森は、『王国』と呼ばれる人間の巨大国家の領土、ということになっているのだそうだ。あくまで人間達の間での取り決めだが。
しかし、森に住む魔物達はそんなこと知ったことではない。知能のない連中はもちろん、知能を持った魔物達の中にも王国に恭順しない者達は沢山いるらしい。で、そのような魔物の首には王国政府から懸賞金がかけられており、ハンター達は賞金目当てに森にはいってくるのだそうだ。
「俺のかあちゃんみたいに、もともと人間だけどいろいろ事情があって王国にいられなくなって、村に住み着いた者も何人かいるぜ」
……おまえ、ずいぶん明るい表情で簡単に言うけどな。たぶんその『事情』ってのはおまえ自身のことだぞ。ペレイさんが苦笑いしながらも、やさしい視線を息子に送っている。うん、いい親子みたいだな。
「き、き、君がダーヴィーを助けてくれたのかい? ありがとう」
もうひとり、ひょろっとした男が俺にちかづいて来た。見るからに暗い男。やせ形。神経質そうな顔。でっかい眼鏡に黒いローブ。見るからにいかにも怪しい魔法使いという風体の男だ。年齢は二十代くらいだろうか。
男は自分の名をバルデと名乗った。お礼をいいながらも決して人の目を見ようとはしない。
「これが私の師匠」
不肖という感じで、エルフっ娘ダーヴィーちゃんが彼を紹介してくれる。父親や兄じゃなくて師匠なのか。バルデさんの耳は普通の人間の耳だし。こちらの二人もいろいろと事情がありそうだ。ていうか、自分の師匠を『これ』よばわりはどうなのよ。
しかし、当のバルデさんはそんなことは気にしていないようだ。ダーヴィーちゃんによると、これでもかなりの大魔法使いらしいが。
「んんん? 君は……」
その魔法使いバルデさんが、無作法に俺の全身をみる。頭のてっぺんから足の指の先まで、なめるように隅から隅まで視線を這わせる。これは、あの悪党ハンター達のような性的にいやらしい視線じゃない。ないのだが、なんというか、実験動物を観察するような目が正直こわい。特に視線が俺の胸のあたりに集中しているような気がしないでもない。俺は、おもわず両腕で胸を隠す。視線から逃れるため、反射的に身をよじる。
「師匠、女性をそんな目で見るのは失礼」
ダーヴィーちゃんが、失礼な男の袖をひっぱっている。
「しっ、失礼。いや、あまりにも美しいので、つい……」
えっ? それは、お世辞かなんかのつもりなのか?
「……バカな師匠でごめんなさい。これでも気の利いた事を言ったつもりなの」
エルフっ娘ダーヴィーちゃんが、不肖の師匠の代わりに謝ってくれる。しかし、弟子によるフォローなど大魔法使いにとっては関係ないらしい。バルデさんはふたたび俺にせまる。眼鏡をずりあげながら、顔を近づける。近い近い近い。俺は腕を伸ばし、さらに近づいてくるバルデさんの肩を押さえる。
「うーん。それにしても興味深い。ユーキさん、でしたか。君の周りには、精霊がたくさんあつまっているようだね」
今日一日で何度も同じ事を言われたよ。といっても、俺には『精霊』は見えないのだけどな。
「ユーキおねえちゃんは、治癒魔法をつかう。それだけではなく、魔法陣で発動した爆発魔法も魔導銃も防いだ」
「それはますます興味深い。君の身体を隅から隅までじっくりと研究させてもらえないかな」
またしてもあの視線だ。ねばりつくような視線。実験用のモルモットを見る視線。俺は反射的に身を固くする。一歩下がる。距離をとる。
「師匠、セクハラ」
「えっ? いや、すまない。そんなつもりはなかったんだが、魔法のことになると、つい」
大魔法使いは、素直に頭を下げる。だが、それはほんの一瞬のことだった。
「ならば、話だけでも。……もしよかったら、一晩中ゆっくりと話を聞かせてくれないか。さあ、僕の家に行こう」
バルデさんは再び無遠慮に近づくと、俺の両肩に手をつき、にじり寄ってくる。こいつは全然わかっていないな。無碍に断るわけにもいかないし、俺はいったいどうすればいいんだ?
「ユーキちゃん、顔色がわるいわ。つかれているんじゃないの」
オオカミの母、ペレイさんが間に割り込んでくる。セクハラ魔法使いに迫られる俺を救ってくれたのだ。
「ユーキちゃん、あなた、いくとろこあるのかしら? もしよかったら、せっかく村にきたのだからうちに泊まっていって。狭くて汚いけど」
いろいろと本当にありがたいです。この際、雨風さえしのげればどんなところでも結構です。人の情けが身にしみる。……変な奴も居るけど。
2013.08.12 初出




