10.ドラゴンに乗れるなんて、ファンタジー世界も捨てたものじゃないね
まぶしい。俺は目をさます。……いや、ちょっとまて。俺は、自然に開こうとするまぶたを強引に閉じる。目を閉じたまま、しばし考える。
目を覚まさない方が良いのではないか。目を覚ました時、またおかしなファンタジー世界だったら、今度こそ生き残れる自信がない。
……いやいや、そこまで悲観的になることもないか。数時間前の目覚めは、『実は目覚めじゃなかった』という可能性もある。さっきまでのファンタジー世界は、実は夢の続きだったのだ。そうだ。あんなへんちくりんな世界が、現実であるはずがない。今この瞬間こそが、今日の本当の目覚めだ。目をあけたら俺は俺の部屋の俺のベットの中に居るのだ。そうに決まっている。
恐る恐るまぶたを開く。ぼやけた映像に、ゆっくりと焦点が合っていく。目の前にあったのは、……心配そうに俺の顔をのぞき込む、ひとりの男の子だった。
「ねーちゃん。大丈夫か?」
……おまえ、誰だ?
隣にいる可愛らしい銀髪エルフっ娘はわかる。この世界は、はなはだ不本意であるものの、俺が気を失う前のファンタジー世界の続きらしい。しかし……。
「お、覚えてないのかよ? 俺だよ!!」
俺の目の前でいじけているこの少年は、いったい誰なんだ?
身長はアーシスの身体と同じくらいだが、その逞しい肉体と、ちょっと愛嬌のある顔には見覚えがあるような、ないような。……もしかして、おまえオオカミのガキか?
「おまえ、全身のモフモフの毛と、尻尾と、獣の耳はどうしたんだよ? 可愛らしいぬいぐるみのようなオオカミの少年が、どうしてそんな普通のガキになっちゃうんだよ?」
「ビージュは普段は人間の姿。興奮したり戦うときオオカミになる」
俺の言葉に傷ついたらしく、地面にのの字を書いているオオカミのガキにかわって、エルフっ娘ダーヴィーちゃんが説明してくれる。
そうか、この世界のオオカミ男は、月齢とか関係ないのか。モンスターといっても、俺の世界の伝説とはいろいろと違うのだな。
「おねぇちゃん、身体は大丈夫?」
ダーヴィーちゃんが心配してくれている。
「あ、ああ。たぶん。……俺はどれくらい寝ていたんだ?」
いつのまにか太陽がかなり傾いている。森の中が、昼間に比べて薄暗くなりつつある。
「半日くらい。もうすぐフキ爺さんが迎えに着てくれるはず」
フキ爺さん? その時、俺は気づいた。俺が寝ていた場所から数十メートルほど先に、動く者がある。
なんだ? あの一帯。妙に地面が赤い。そういえば、この臭い、これは血の臭いじゃないのか? 草の中に無造作に、そして大量に転がっている赤黒くてグチャグチャの物体は? あれは、……もしかして、俺たちを襲ってきた悪党共の肉体をバラバラの肉塊にしてばらまいたら、ちょうどあれくらいの肉のかたまりになるんじゃないか?
うっ。
風に乗って漂ってきた血の臭いに、俺は強烈な吐き気がぶり返す。
「慣れてないのなら、見ない方がいい」
ダーヴィーちゃんが、やさしく背中をさすってくれる。
「だ、大丈夫だ」
命がかかっていたとはいえ、ガキ共にこんなことをさせておいて、俺ひとりが気持ち悪いなんて言っていられない。……それよりも。
「それよりも、あそこに、……生きている奴がいる」
俺が指さした方向には、悪党ハンターの生き残りがいた。全身が血まみれ、そして片腕を失いながらも、俺たちに背を向け必死に逃げ出そうとしている。
「あっちの方向には村がある! 逃がすかよ!!」
駆け出そうとするビージュ。だが、その前に信じられない事が起こった。
突如、上空から凄まじい火炎が吹き出し、逃げようとしている悪人の背中に襲いかかったのだ。悪人は猛烈な炎に包まれ、一瞬にして炭になってしまう。
反射的に火炎放射の発射主を求めて上空を見上げると、そこには巨大な影が飛行していた。ああやっぱり、これは夢にちがいない。俺たちの真上、林冠のはるか上空に巨大な生物がはばたいているのが見える。俺たちを目指して、降下してくる。
それは全長十メートルほどもある巨体。全身を覆う黒色の鱗。長い首、そして尻尾。巨大な翼。恐ろしい爪。これは、……ドラゴンという奴じゃないのか。
巨大な生き物が、俺たち三人の目の前に着地する。地面が揺れる。おかまいなしにドラゴンがこちらを振り向く。ぎろり。縦に長い目玉が、こちらをむく
ぺたん。俺は不様にもその場で尻餅をつく。腰が抜けたのだ。
近くで見ると、その生物の非常識さがよくわかる。巨大な金色の瞳。大きな二本の角。耳までさけた口。凶悪な牙。鋼鉄よりも堅そうなウロコ。
それは巨大なハチュウ類の顔。頭だけで俺の身長ほどもあるドラゴンの顔のドアップが、ほんの数メートル先から俺の顔をのぞき込きこむ。この非日常的なファンタジーの連鎖はどこまでつづくんだ? いっそ、気絶してしまえば楽になるのか?
「あっ、ああああああ」
人間というのは、本当に驚いたときには口が開きっぱなしになるのだな。もちろん舌がまわらない。息もできない。目から涙、口の端からよだれを垂らしながら、俺は必死に叫ぶ。声にならない声を絞り出す。
「く、く、く、くわないでくれ、俺は美味くない!」
ドラゴンが顔をしかめる。ハチュウ類の表情などわからないが、その顔に浮かぶのは怒り、……いや違う、落胆? もしかして、俺の言葉に傷ついたのか? ドラゴンはぷいっと顔をそむける。
「フキじいさんは人を食ったりしないよ。やさしいドラゴンなんだ」
オオカミ男ビージュ君が、人間の胴体ほどもあるドラゴンの前足(前肢? それとも腕と言うべきか?)をなれなれしく撫でている。
おまえ、知り合いなのか? もしかして、これがフキ爺さん?
ギロリ。ドラゴンが俺を睨む。ひいい。おもわずちびりそうになる。
「おまえは、……人間か?」
ドスの聞いた声があたりにひびく。ハチュウ類のくせに、人語を解するのか?
「た、た、た、たぶんそうだと思います」
声が裏返る。ドラゴンの口の奥から、ちろちろと真っ赤な炎が見える。俺は腰がぬけたまま立ち上がる事ができない。
これはスゲェ。何がスゲェって、こいつの凄さはその物理的な巨体だけではない。なんというか、身に纏うオーラが凄い。俺のような人間とは、生物としての格がちがう。
少しでも距離を取るため、尻餅をつきながらずりずりと後ろにさがる。いくらやさしいドラゴンだと言われても、本能が勝手に身体を後ろにさがらせようとする。しかし、脚がまったく動かない。腰が抜けている。膝が笑っている。全身がこまかく震えている。これが絶対的な強者か。今の俺は、肉食獣に睨まれた草食獣の気持ちがよくわかる。
だがこのドラゴンは、たしかに人を食ったりはしないようだ。じっくりと時間をかけて俺を一瞥した後、意外と優しい声でつぶやいた。
「……普通の人間ではないようだな。村の子供達を助けてくれた礼を言わせてくれ」
このドラゴンは、やはりフキ爺さんというらしい。ビージュ君とダーヴィーちゃんが住む村、魔物の隠れ里の仲間なのだそうだ。
「……ビージュ、ダーヴィー。話はあとだ。そろそろ日が暮れる。まだ人間共は近くにいる。村に帰るぞ」
ドラゴンが少年と少女に声をかける。見渡すと、周囲はいつのまにかかなり暗くなっている。
「ねーちゃん、もうすぐ夜になっちゃうぜ。とりあえず今日はいっしょに村に行かないか?」
「いっ、いいのか?」
地獄に仏とはこのことだ。このわけのわからん世界、わけのわからん森の中で、こんなか弱い少女の身体で夜をすごせるわけがない。このさいオオカミ男でもドラゴンでも魔物でも、頼れる者を頼るしかない。
「フキじいさん、いいだろ? 俺とダーヴィーの命の恩人なんだ」
ビージュが無邪気な顔でドラゴンを見る。俺も見る。もしかしたら俺の運命を決するかもしれない瞬間だ。おそるおそる上目遣いで、巨大なドラゴンの顔を見る。数瞬の沈黙の後、ドラゴンはゆっくりと首を縦にふった。
「いいだろう。乗りなさい」
ドラゴンという生き物は、背中でなく頭から首にかけて乗るのが正しいらしい。フキ爺さんが地面まで頭をさげる。まずはビージュが軽快にとびのる。二本の角をしっかりつかむと、その後ろにダーヴィーちゃんがまたがった。
「ねーちゃんは後ろにのれよ」
しかし、俺は躊躇せざるを得ない。だってそうだろう。
ドラゴンの頭は、ものすごいウロコで包まれている。そして、俺の下半身はびりびりに破けた短いスカートのみ。しかもスカートの中身は下着なしだ。女の子の身体になったのは初めてなのだが(あたりまえだ)、これでドラゴンじいさんの身体に、しかも頭の上に直接またがるのは、その、何かと、いろいろと問題があるのではないか。そう危惧せざるを得なかったのだ。
「どうしたんだ?」
ビージュ君が、あどけない顔でこちらをみている。
「いっ、いや、その、ちょっと、いろいろと」
俺は両手でスカートの裾をつかむ。このような場合、一般の婦女子はどうするのが正しいのだろう。直接またがっちゃっていいのだろうか?
「……またがるのが、いや?」
エルフっ娘ダーヴィーちゃんは、俺がなぜ躊躇しているのか薄々わかってくれているのか。オオカミ少年はぜんぜんわからないようだが、ドラゴンじいさんが助け船をだしてくれた。
「ビージュ、この人間はドラゴンにまたがって乗るのが怖いのだ。おまえが抱っこして乗せてやれ」
「なんだ、そういうことか。最初から言えよ!」
少年は頭から飛び降りると、あっというまに俺を抱え上げた。お姫様だっこだ。身長は俺と同じくらいなのに、すげぇ力だな。
「わっ、いきなりなにを!!」
たしかに直接またがるのはなんだが、男の子にお姫様抱っこされるのもちょっと問題がある。俺はスカートの裾が気になってしかたがない。そんな俺の様子をみて、不思議そうに俺の下半身に視線をおとすオオカミ。
「アホ、あんまりふとももを、じゃなくて脚をみるな。みないでくれ」
この二人と出会った時は、まだこの身体になったばかりだったせいか、脚やふとももを見られて恥ずかしいという感情はほとんどなかった。しかし、あの悪党どもに露骨に性的なイヤらしい視線で舐めるように全身を見られて以来、なぜか人の視線が気になるのだ。見られるだけで肌にぴりぴり電気がはしる感じさえするのだ。
「たのむよ。…………恥ずかしいから」
最後は消えるような声だったかもしれない。俺はいったいどうなってしまったんだ。そんな俺の様子に、この野生児ビージュもやっと俺が何を気にしているのか理解したのか。顔を真っ赤にしやがった。純情な青少年をまたしてもシゲキしてしまった。ついでに、そんなビージュの様子をみてエルフっ娘がふくれ面でこちらを睨んできた。またか。なんかいろいろ、ごめん。
「はやく乗れ」
いらつきを隠さないドラゴンに一喝されて、少年は正気に返る。俺を抱き上げたまま数メートルジャンプして、直接あたまに飛び乗った。本当にスゲェ身体能力だな、オオカミ。
「いくぞ」
俺たちがしっかりと掴まったのを確認すると、ドラゴンはほとんど滑走もなしにジャンプ。そのまま、バサバサと激しいつばさの音と共に、巨体を垂直に持ち上げた。
「すげぇ、VTOLだ」
何という推力。これだけの巨体を、垂直方向にこれだけ加速するというのは、いったいどれだけの筋力が必要なんだ。この翼はいったい何でできているんだ? 俺が乗っているこれは、本当に生き物なのか?
ほんの数秒で、一気に高度があがる。おそらく百メートルくらい上がったところで、やっと森林の林冠の上を越える。どこまでもつづく巨木。どこまでもつづく大森林。遠くにみえる巨大な山は、いったい何千メートルあるのだろう。はるか雲の上にてっぺんを頂くとてつもない独立峯。熱帯地方なのに雪がつもっている。そして、夜になりつつある空の上には、宝石のような満天の星。
「おおおおおお、すげぇ」
大自然のとんでもないスケールに目を丸くしながら、俺はおもわずガキの首をつよく抱きしめる。こいつ、いつのまにかオオカミの姿になってやがる。何に興奮しているんだ? まあいいや。モフモフの毛皮が肌に心地良い。今日一日でいったいどれだけの超常現象に遭遇したか。どれだけの恐ろしい目にあったか。しかし、すべてが吹っ飛んだ。
「なんてきれいな空だ。なんてでっかい山だ。なんて広い森だ。なんて、なんて、なんて」
声にならない。オオカミ男の首をだきしめながら、俺は三百六十度を見渡す。この凄い景色を見逃すものか。あらゆる方向に身を乗り出す。そのたびに、俺のおしりがガキのももの上で動く。胸がガキの顔にふれる。オオカミ少年の顔が真っ赤になっている。しかし俺は気づかない。それどころではないのだ。
「すげぇ。すげぇ。すげぇ。俺は、いま、ドラゴンに乗ってとんでいる。すげぇよ、ドラゴンのじいさん!!!」
たくさんの方に読んでいただき感激しています。
これからもよろしくお願いいたします。
2013.08.11 初出




