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01.夢の中が夢のような世界とは限らないよね



「今日は遅かったのね」


 えらそうに腕を組んだ少女が、俺を睨みながら頬を膨らませている。


 プンプンという擬音が頭の上から聞こえてきそうなくらい必死な怒りようだ。ここ一ヶ月ほど毎日のように顔を合わせているが、毎回表情がちがう。


「私はずっとひとりで待っているのよ。もう少しこちらの気持ちも考えて欲しいわね」


 それにしても、どうしてこいつはこうも偉そうなんだろう? まぁ、アヒル口も新鮮でかわいいけど。


「すまん。アーシス。明日から試験なんだ。睡眠時間をけずってでも勉強しないとやばいんだよ」


 頭をかいてわびる。俺は現代日本のごくごく普通の高校生、しかも高校三年生の受験生である。本来ならば必死で勉強しなければならない立場なのだ。


「私よりも、その試験とやらの方が大切なのね」


 キッ、と目の前の少女が俺を睨みつける。


 少女は、アーシス・ロナウと名乗った。小さな身体。外見はひとことでいうとガキ。そして華奢。ちょっと大人びた小学生くらいにしかみえないが、本人によると肉体年齢は十五歳らしい。腰まで届きそうな緋色の髪には、軽くウェーブがかかっている。透き通るような白い肌。そして全てを見通すような緋色の瞳。


「はぁ? おまえは、俺のなんなんだよ?」


「そんな! 乙女に恥ずかしい事いわせないで」


 さっきまでの偉そうな態度から一転、今度は頬に手を当ててもじもじとしはじめる。たしかにかわいらしいけど、そのお子様の身体で言われても、そーゆー対象にはちょっと見れないよなぁ。


 彼女の服装は、ワンピースのような、あるいは貫頭衣のような、頭からかぶる長めのティーシャツのような形態だ。長さは膝丈くらいで、いっさい飾り気のない超シンプルなもの。薄い青の布の素材は何なのかわからない。そう、病院で検査するとき患者さんが着ているような服装を想像すると、だいたい正解だろう。


 そんなちょっとブカブカの服装の上からでもわかる彼女の体型は、とにかく華奢。全身がどこもかしこも細く薄い。ちょっと病的なほどの、ガリガリ体型と言ってもいいかもしれない。脚は素足。銀色の幅の狭い、カチューシャというかヘアバンドのようなものを頭の上につけている。


「まぁ……いいか。いまさら言っても仕方がない」


 彼女に文句を言ったところで、どうしようもないのだ。ここは彼女の領域で、ここに来たのは俺なのだから。





 室内にはふたりしかいない。ひどく殺風景な部屋。白い間接照明の壁、白い床、白い天井。窓とドアはそれぞれ一カ所あるが、この部屋の外に出たことも外を覗いたこともない。


 彼女は、やけにシンプルな白いテーブルの前、白い樹脂製の椅子に腰掛ける。俺もその向かいに同じように座る。


 いつも通り、お茶の時間だ。


 ぱっ。まったく唐突に、テーブルの上にコップとポットがふたつ出現する。


 物理的にはありえない現象だ。だがそれをまったく気にすることなく、彼女は俺に茶色い液体を、自分のコップにオレンジ色の液体を注ぐ。


「ありがとう」


「どういたしまして」


 ここらへんのやりとりは慣れたものだ。ここ数ヶ月、毎日同じ事をしているのだ。お互いの飲み物の趣味は完璧にわかっている。


 彼女がひとつ手をたたく。今度はお皿だ。テーブルの上に出現したお皿には、クッキーっぽい形のおそらく焼き菓子が盛られている。さきほどと同じ、物理的には絶対にありえない現象。こんなことは夢の中でしかありえない。そう、ここは彼女の夢の中だ。俺は、彼女の、アーシスの夢の中にお邪魔しているのだ。





「私はね、これでも天才少女とよばれていたのよ。十五歳にして飛び級で軍隊からスカウトがくるほどの逸材なんだから。あなたみたいな異世界の原始人の試験勉強なんて、お茶の子さいさい。手取り足取り教えてあげましょうか?」


 彼女の夢の中にお邪魔するようになって数ヶ月。会話の端々からお互いになんとなくわかっていたが、どうやら俺とこいつは違う異世界の人間らしい。さっぱり仕組みはわからないが、異世界で寝ているアーシスの夢の中に、俺が毎晩寝る度にお邪魔しているということらしいのだ。


 ちなみに、なぜ異世界人と言葉が通じるのか、なぜ異世界人が「お茶の子さいさい」などという古くさい言葉を知っているのか、そのあたりは『夢だから』ということで納得するしかない。


「いや、遠慮しとくよ。試験前の俺にとって貴重な睡眠時間なのに、夢の中でまで勉強したくない。……クッキー(?)いただくよ」


 あいかわらず、アーシスが用意していくれたクッキーらしき物体には味が無い。おそらくお茶だと思われる液体も同様だ。味だけでなく、香りすらまったく無い。ただの茶色い液体。だが、俺はそれを指摘することはない。一気に飲み干すだけだ。


「美味しい? 本当はね、私はチョコパフェが食べたいの、……チョコパフェってわかる? あなたの世界にもあるかしら? ともかく、私はチョコパフェが大好きだったはずなのよ。だけど、こちらに来てからずっと食べてないので、もう味を忘れちゃったわ」


 かなしそうな顔で、彼女もクッキーをほおばる。せっかくの美少女なのにもったいない。美少女には、もっと美味しいものを食べて、美味しい顔をしてもらいたいものだ。


 昨日までの彼女は、一方的に俺の話を聞くばかりだった。だが、なぜか今日は自分自身のことを話してくれる。毎日彼女の夢の中に来るようになって数ヶ月。少しは気を許してくれるようになったのかな。


「ここは君の夢の中なんだから、食べたいものを自由に出せばいいじゃないか。そのクッキーやジュースみたいに」


「最後にチョコパフェを食べたのは、私が冬眠に入るはるか前のことよ。ここへの引っ越しに出発する直前に食べたのが最後かな」


 ここってどこだ? そして、冬眠?


「軍隊の食事メニューには、チョコパフェはなかったのよ。もう一年も……、冬眠に入ってからを計算に入れればたぶん千年くらいは食べてないのよ。チョコパフェが大好物だったことは覚えているけど、それがどんなものなのか、すっかり忘れちゃったわ」


 千年も冬眠しているのか?


 理系(成績はよくないが)男子の俺としては、彼女の話に出てくるいくつかの単語について問い詰めたくてたまらない。しかし、彼女は話の腰を折ると途端に不機嫌になるからな。なに、時間はたっぷりある。彼女の夢の中には毎日おじゃましているのだ。ゆっくりと聞き出せばいい。


「それは、……かなしいな」


 あえて俺は指摘しないが、彼女は、チョコパフェだけでなく、お茶の味も、クッキーの味も、既にわすれてしまっているのだろう。お茶とチョコパフェの違いは、自分がその味を忘れてしまったことを、自覚できているか否かだけの差なのだ。


 自分の好きだった物をどんどん忘れていくというのは、……そして、それを自覚してしまうのは、どれだけ悲しい事なのだろう。


「そうよ。千年間も寝ているうちに、パフェも、ケーキも、パパも、ママも、好きな男の子のことも、みんな忘れてしまったわ。そんな人達が存在したことだけは覚えているのに、どんな人だったのか思い出せないのよ。冬眠といっても永遠につづけられるわけじゃない。肉体はもうボロボロだし、中身の魂ももうすぐ、……なくなっちゃうわ、きっと」


「よくわからないけど、体は生きていても心が死んでしまうということか?」


「そう。体だけはなんとか生きてるけど、もう記憶が混乱しちゃって、まともに意識も保てないの。もうすぐ貴方のことも覚えていられなくなるわ。魂の寿命ってやつね」


「……その前に、目を覚ますわけにはいかないのか?」


「私はね、この世界にたったひとり取り残されてしまったの。ちょっとした事故があってね。私以外はみんなここを去ってしまったわ。たとえ目を覚ましても、私の他には誰もいないのよ」


「ひとりでも、生きてさえいれば……」


「……ここはね、私たちが来る前は、棍棒を振り回す文明以前の原始人やハチュウ類達の世界だったのよ。そんな世界に、今さらたったひとりで放り出されて、生きていけるわけがないわ。……私っていままで生きてきた意味があったのかしらね」


「あるさ! 君がいまこうして寝ているのだって、理由があるはずだ」


 つい大声がでた。アーシスは、ほんの一瞬だけおどろいたような顔をするが、すぐに立ち直る。そして、ちょっとすねたような、まるで小悪魔のような顔をして、意地悪く問いかえす。


「……どんな?」


「たとえば……、そうだな、えーと、たとえば、そう、こうして俺と夢の中で出会うためとか」


 さすがにこの答えは、自分でもあんまりだと思う。おそるおそる彼女の反応をうかがうと、意外にも微笑んでくれている。こんな笑顔は、初めて見た。


「ありがとう。……そうね。こうして夢の中であなたと出会うために、私は千年も寝ているのかもしれないわね」





 ピピピピピピピ


 遠くから電子音が聞こえる。俺の世界の目覚まし時計だ。今日は試験なのだ。是が非でも起きなければならない。


 彼女は悲しそうな顔でこちらを見ている。この一ヶ月間、俺は毎日のように彼女の夢の中に来ている。その原因も理由もわからない。本当に今晩もまた来られるのかどうかは、寝てみなければわからない。だが、それでも俺はこう言うしかない。


「またくるよ」


「……本来はね、冬眠中は夢も見ないはずなの。なのにいま私がこうして夢をみているってことは、どこかに不具合があるということ。近いうちに外部から強制的に目覚めさせられるか、そうでなければ、……このまま寝ながら死んじゃうかも知れないわ。どちらがマシなのかわからないけど」


 俺は、なんと答えればいいのかわからない。


「だから、……だから、そろそろここに来るのやめたほうがいいわ。私の身体が冬眠から覚めるか、もしくは死んじゃった瞬間、もしあなたの魂が今みたいに私の夢の中にいたら、魂がそのまま帰れなくなっちゃうかもしれないわよ」


 いつもは俺が帰るときに駄々をこねるのだが、今日はおとなしい。アーシスはそのまま俺から目をそらし、向こうを向いてしまう。


「いや、……今晩またくるよ。君の世界のお茶をごちそうしてくれよ」


 来るさ。来るとも。こんな表情の女の子をひとりで放っておけるわけがない


「お人好しね。いつか身を滅ぼすわよ。でも……、ありがとう。まってるわ」


 悲しそうな、そしてうれしそうな微妙な表情の彼女を残し、俺の肉体が強制的に目覚める。目覚めてしまう。魂が夢の世界から抜けだし、異世界からこの世界に帰還する。俺の本来の肉体に戻る。


 そして、俺は目を覚ますのだ。いつもの朝と同じように。


2013.08.02 初出

2013.08.03 ちょっと修正

2017.05.20 なんとなくちょっとだけ修正

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