3.不安と、とまどい
3-1 王子様の拾いもの
誰からも違和感なく女だと思ってもらえるだろうか。
とりあえず場当たり的だが慣らしもかねて外出した。
行き先は女性が連れ立って出かけても違和感のない場所、孤児院。
慰問もかねて女性が孤児院を見舞うのは珍しいことじゃない。
それが一昨日のこと。
平穏無事にすみますようにと、誰ともなく内心で祈っていた。
表面上はあくまで優美に、女らしくを心がけて。
だけど我が身を偽っての祈りなど、神様は聞き届けてくれないらしい。
孤児院からの帰り道。
俺は自分でも思いがけない拾いものをすることになった。
抱きしめた腕の中、ふんわりと花の香がする。
柔らかくて頼りない感触に、ぎょっとして…次いで、頬が熱くなった。
母や乳母以外の女性と、こんなに近しく接近したことはない。
どうしていいのかわからず狼狽えて、落ち着かず。
しかし抱きしめた腕には勝手に力がこもった。そんな自分に気づいて、更に狼狽えて。
こんなに女性の接近を衝撃的に思ったのも、初めてだった。
まっすぐ自分に向けてつっこんできた姿に気づいた時の、驚き。
次いで真っ正面から頭突きを食らって、目の前に星が散った。
それだけでも驚きだったけれど。
ぽてりと、軽くて柔らかいものが、たやすく腕の中に転がり落ちてきた。
それが私をめがけてまっすぐ駆けてきた少女の体だと理解するのに、一拍。
くずおれそうな体を、とっさに抱き留めて支えていた。
加減がわからずに込めてしまった力を跳ね返す、みずみずしい弾力。
そんなものを無意識に堪能してしまって、自分を罵りたくなった。
こちらが誰何する前に、腕の中で少女は気を失った。
どうして私に向かってきたのか、何者で、何という名前なのか。
それら一切を尋ねることを、先に封じられてしまった気分だ。
ぐったりと力を失い、投げ出された体に途方に暮れる。
だが、気を失うほど、彼女は限界だったのだろう。
憔悴した顔色に、凍えた手足。
体の芯から冷え切っているのが、薄い布地越しに伝わってくる。
私を衝撃に巻き込むだけ巻き込んで、彼女の意識は夢の中に落ちてしまった。
かぐわしい、花の香りがする。
今まで嗅いだことのない、私の知らない花の香り。
身に染みついたそれは、ハーブやポプリの香りじゃない。
もっと加工された…薄く漂うそれは、確かに香水。
それだけでも少女が、労働者階級の出身じゃないとわかる。
この国で香水を身に纏うのは、富裕層に属する者くらいだ。
それ以外は安価で自分でも作ることのできるポプリなど、匂い袋を使う。
それに彼女の手。その肌。
まるで日に焼いたことのない、深窓の令嬢そのものの白さ。
手だってまるで荒れていない。丁寧にクリームをすり込まれた滑らかさ。
手指の先は爪の形も整えられ、日頃からこまめに手入れされているのがわかる。
ただ、この寒さ故だろう。
可哀想にも凍傷によって痛ましいことになっている手足。
原因は明らかに、防寒対策のなされていない姿でわかる。
この国でこの季節、こんな薄着は自殺行為だ。
誰も好きこのんで、こんな薄着でさまようはずがない。
哀れにも見窄らしい、その姿。
衣の裾は短く、布地だって薄すぎる。
お陰で柔らかさと体温が直に伝わって、落ち着かない…
…そんなことを一瞬考え、壁に頭を打ち付けたくなった。
とにかく、あり得ない姿に困惑が深まる。
季節に不釣り合いな衣服は、手触りからも縫製からも、上等の品とわかる。
そんなものを身に纏い、冬をさまようちぐはぐさ。
彼女は何者なのだろう。
まるで夏の国からさまよい込んできたような姿に、少女は謎めいて見える。
どうみても見慣れぬ人種の顔だが、育ちの良さが現れる柔和な顔だった。
こんなところでさまよい、行き倒れるような身分の者じゃない。
それだけわかれば、保護しても後々いくらだって口実はつけられる。
どうしてかわからない。
だけど初対面で私の心を振り回し、衝撃に叩き落とした彼女。
何故だか、彼女のことを放っておけなく思ってしまう。
今ここで、突き放してはいけないと。
それは私の意識を埋め尽くす感覚を伴い、それ以外の選択肢を選ばせない。
ベルリオは警戒のあまり、警邏につきだそうと主張した。
サンドリオはどこかの治療院に運んで見てもらおうと言った。
捨て置こうとか言い放ったラプランツェは論外だ。
本当は私も、わかってはいた。
どれだけ見放しがたくとも。どれだけ気にかかろうとも。
自分の身分を思えば、ベルリオやサンドリオの言うことが正しい。
本当は、私は拾うべきではなかった。
だけど私はどうしても、どうしても彼女を見捨てることができなかった。
………違う。
私の服の裾をぎゅっと握り、縮こまって怯える少女。
丸くなる、温かくて柔らかい感触。
私はどうしても、彼女を見捨てたくないと思ってしまったんだ。
それがどうしてなのかはわからない。
もしかしたら父性愛でも目覚めたのか、それとも正義感か。
どっちにしろ、自分の手で庇護したいと思ってしまった。
その感情は、無視できなくて。
手放してはいけないと、心の奥で何かが囁いたから。
どうしても放っておけないのだから。
その気持ちを自分で無視できないのだから。
私は側近たちの反対を振り切って動いてしまった。
私はほとんど衝動的に、彼女を連れ帰っていた。
その姿があまりにも哀れっぽくて、見ているだけで心が痛くて。
どうしてか一刻も早く、温かくて安全な場所にかくまってやりたかった。
そうして連れ帰った彼女は今もなお、眠り続けている。
場所は私の管理下にある離宮、その客間の一つ。
女性の寝室に無断で立ち入るのははばかられることだったけど。
どうしても心配で、案じる気持ちが強くて。
私はこんこんと泥のように眠る彼女のそばを、離れることができずにいた。
「どうして、目覚めないんだろう…」
もう、丸一日が過ぎてしまった。
「案じることはありませんよ、殿下」
医者の見立てを詳しく聞いてきたラプランツェは、なだめるような口調だ。
「医者の話では極度の疲労状態だという話です。睡眠をとって体力を回復したら、そのうち自然と目覚めますよ」
…過労と凍傷。
それは、私も見てわかっていた。
いや、わからざるを得ないだろう。
ぼろぼろのその体。少女だというのに、痛ましい様。
雪が猛威をふるう白の国の冬。
そのただ中を、何故こんなにも薄い衣で出歩いているのか。
顔には疲労が色濃く刻まれ、悴んで震える手足は凍傷が刻まれ。
見たこともない人種ということもあり、嫌な想像しか浮かばない。
人の売り買いは禁じられ、代々の国王によって人買いは駆逐され。
それでも水面下では未だに、ひっそりと奴隷売買が横行しているという。
それを取り締まるべきは、我が王室の使命の一つだが…
彼女はまさか、その被害者ではないかと思ってしまう。
奴隷売買で最も高く売れるのが、珍しい民族の者だと聞いている分、余計に。
もしかすると彼女は、私に救いを求めていたのだろうか。
私に向かって、まさに一目散という様で。
ただただまっすぐに、私を目指して射抜いてきた瞳。
印象的な、黒曜石を思わせる黒い瞳。
そこには切羽詰まった、助けてほしいという思いがなかっただろうか。
わからない。
私には何もかも、彼女が何者で何を求めているのかも、わからない。
ベルリオは彼女が刺客か何かではないかと疑っている。
ラプランツェは、彼女の体を検分してその線は薄いだろうと判断した。
彼女が何を求めて、私にぶつかってきたのか。
私が何者か、知っていたのか…知らなかったのか。
何もかもわからないままに、私はただ、彼女の目覚めを待っていた。
3-2 目覚め
「うぅ…」
なんだかひどく、体がだるい。
辛いと思う以前に、沈みたいという感想がぱっと浮かぶ。
既にベッドに沈んでいるのに、これ以上沈みたいとはどういうことだ、自分。
ほら、今だって柔らかふわふわお布団が私の体を受け止めてくれている。
脱力しきりで力だって入らないのに、これ以上どこに沈めと?
…って、え?
…………………………………ベッド?
ちょっと待て、自分!
私、今、一体どこに寝てるって言うの…!?
一瞬で覚醒した私は、布団をはねのける勢いで飛び起きた。
…と思ったんだけど、実際には体は全く動かない。
気持ちだけ、感情だけが勢い跳ね起きたつもりになったけど。
全然力なんて入らないから、依然として私は沈んだまま。
ただ目だけはしっかり覚めたみたいで、きょろりきょろりと周囲を見渡す。
……………天蓋付きベッドなんて、実物はじめて見た。
色々とつっこみどころが多すぎて。
何から反応していいかわからなくなった私が最初に思ったのは、それだった。
だってさっきまでほとんど行き倒れてたはずなのに。
目が覚めたらふんわりお姫様仕様のベッドに豪華な調度品、更には華美な広い部屋なんて。
目が覚める前とのあまりの状況の違いに、身動きもままならない。
まさかこの時点で、私が気を失ってから一昨日が経っていようとは。
まさに夢にも思っていませんでした。




