31.エレンシーゼの遺した物
未だ鈴蘭の夢への浸食は続いている。
記憶は緩やかに失われ、何の記憶を亡くしたのか本人にも自覚がない。
その現状に、どうして危機感を抱かずにいられようか。
ラプランツェは、初代妃の呪いを完全に解けるほどの力量が自分にはないとわかっていた。
過度な期待をさせるのも心が痛く、主や仲間達にも自己申告している。
それでも鈴蘭の現状を、ほんの少しでも良くする為に。
何かできること、手段はないかと彼らは初代王の遺室を漁った。
本来は、鈴蘭が元の世界に帰る術を探すはずだった。
だが、初代妃の呪いによって、鈴蘭の身はこの世界に縛られている。
調べても、調べるだけ無駄だと早々に放棄した。
今、その労力を変えて部屋を漁る。
探す物は手がかりになりそうなら何でも良かった。
呪いを解くのでも、防ぐのでも、緩和するのでも。
何か、鈴蘭のお守りになるような物を見付けてやりたかった。
誰よりも率先して熱心に部屋を漁るのは、スノウ。
知識のない鈴蘭は邪魔にならないようにと部屋の隅。
先程、気を失ったことも合わせて案じられ、大事を取って毛布にくるまっている。黴臭いソファでも、無いよりはマシだった。
そこそこ知識のあるサンドリオは、腕力の有り余るベルリオに指示を出して大きな荷物を動かしたり、棚を動かしたりして家捜しをしている。本当に家捜しという感じだ。
誰よりも知識のあるラプランツェは解呪の手がかりを少しでも探そうと、先程から熱心に資料を当たっていた。
そんな、中で。
最初にそれを見付けたのは誰だったのか。
鈴蘭の気配に反応して、淡く光る石を見付けた。
石は小さな鍵のついた宝箱を飾り、隠すように棚の奥に配されていた。
場所は、鈴蘭の配置されていたソファの後ろ。
正に灯台もと暗し。
何故に気づかなかったのかと悪態を吐きながら、皆でそれを確認した。
だが、確認しようとしても鍵が開かない。
小さな鍵は壊そうと思えば脆く破壊できそうな華奢な物。
なのに、ベルリオの馬鹿力、その武器を持ってしても壊せない。
「何か、魔法の守りがかかっていますね」
あっさりと言い切ったラプランツェに、早く言えとベルリオが文句を言った。
「鍵となる言葉、もしくは魔法に設定された誰か、を使えば開くと思いますが…」
顔を寄せて、検分すること暫し。
魔法使いは軽く生温い笑みを浮かべた。
「私には無理ですね。これも初代妃の物です。私には破れません」
だからといって、開く為の鍵など見当も付かない。
折角、怪しい物を見付けたというのに。
中身を確認できないのなら、見付けても意味がない。
溜息を吐いてスノウは箱を元の場所に戻そうとしたが…
待ったをかけたのは、サンドリオだった。
「鍵の言葉、もしくは誰か、といいましたね」
「…まあ、言いましたよ」
「それは鈴蘭さんでは駄目なんですか?」
「………は?」
間の抜けた声を発したのは、当人の鈴蘭だった。
「この箱、持ち主の名前が刻まれていますよね。読めませんが」
「ああ、刻まれているな。読めないが」
「読めないのに何で名前ってわかるのよ?」
「この文字自体は見覚えがあるから」
そう言って、スノウが指し示した文字。
………それは、アルファベットに見えた。
ただし流暢な筆記体である為、何が書いてあるのか鈴蘭にもよくわからない。
「……わーぉ」
「それはどういう反応なんだ?」
「こんなところで目に馴染んだ文字を見付けて驚いたの」
「…読めるのか?」
「ううん。読めない」
「なんだ…」
その文字が何か、わかるのに読めない。
何とも言えない微妙な空気で、場の雰囲気が沈んだ。
鈴蘭は、自分が字も読めない人間だと思われている気がして恥ずかしくなってくる。
つい、言い訳を試みた。
「し、しかたがないでしょーっ!? 私の国、違う文字使ってんだから! そ、それにこの文字自体は使用国多いし! 国によって発音やら読み方やら違うから、何なのか本当に全然わかんない!」
「お、落ち着け。安心しろ、鈴蘭。私達にも読めないから」
「スノウ様達は、こっちの世界の人じゃないの!」
「だが、初代は自分の名前を記す時、必ずこの文字を使った。公用文書にもこの名を記すように決めていた」
「………え、それって問題ないの?」
「ないといえばないのだろうが、あるといえばあった。元々少数にしか通じない文字だったから…今では完全に廃れて、お陰で初代の名前を覚えている者は一人もいない」
「え、建国の王様で、伝説の人なのに…?」
「名前は刻まれていても、読める者がいないんだ…」
「何という問題を残した、前世の私」
「意志が強いというか、頑固というか、かたくなというか…まあ、人には色々あるんだろう」
「もしかしたら、故郷を偲ぶ縁として拘る気持ちが合ったのかもしれませんよ? 鈴蘭さんを見ていると、すっぱりした人だったんじゃないかという気もしますけれどね」
「どういう意味かな…?」
墓石にも家系図にも、初代王の名はアルファベットで刻まれているらしい。
町中を探せば初代の彫像やらにも刻まれている。
歴史書にだってそうだ。
だから、良く目にする。
だが、読める者がいない。
当然ながら、こちらの世界の文字はアルファベットとは違う。
どちらかというと表意文字…むしろ象形文字に近く、表音文字のアルファベットとは考え方からして差違が大きい。
初代の名前として知られている文字列は、読める者もいないまま、数百年の時をかけてゆっくりと初代の名にまつわる記憶を溶かしていた。
今では『初代王』もしくは名前の不明と国の名を皮肉って『空白の王』と呼ばれている。
それが自分の前世かと嘆き、鈴蘭はがっくりと項垂れた。
初代王の遺室で知りたくもない事実を知って以来、彼女は疲労が溜まっていくのを感じていた。
スノウはそんな彼女から目をそらし、確かめるように箱の文字を指でなぞる。
触れた感覚から、目で見た形から、その筆跡の主が知れた。
「これ、初代の直筆だ…」
「果たして彫刻を筆跡と考えて良い物か迷いますが、そうみたいですね」
職業柄、文字に触れる機会が誰よりも多いサンドリオが同意し、スノウと共に箱を覗き込む。
辿る視線は、どこかに開封の呪文でも隠されていないかと探っている。
飾りや装飾文様の中に秘密の言葉が隠されているのは、古文書でよく見かけるパターンだ。
そして大事な言葉ほど、持ち主が忘れてしまった時の保険として遺されていることがある。
勿論、他者には知られず、本人だけにわかるよう巧みな偽装をされてだが。
如何に巧みに紛れさせるか、違和感なく溶け込ませるか、それを競った時代もあるという。
そういった文字を探すのに一番手慣れているのは、やはりサンドリオで。
彼が縁飾りに隠し込まれていた文字列を見付けるのに、時間はかからなかった。
見付けた言葉は、初代妃の名前だった。
「……愛かな」
「……愛じゃない?」
「愛ですね」
今では暴虐のストーカーと化しつつあるのに…(鈴蘭達の認識内で)。
隠し込まれた合い言葉に、初代はどんな人物だったのかと思いを馳せた。
夫に呪いをかけた妻と、どんな関係を築いていたのかと。
いくら箱を眺めようと、そんなものは隠されていないので、見つかるはずがないのだが。
しんみりしてしまった空気を変えるように、こほんとスノウが空咳を入れて。
それから箱を丁寧に持ち上げ、配下達の顔を見る。
何が施されているかわからず、ベルリオは危ないと心配したけれど。
この箱は初代の持ち物で、スノウは直系の子孫だ。
中身が何であれ、初代の持ち物というだけで、そして箱の厳重な封印を見るだけで、中身への期待が高まる。
絶対に、良い物が入っているはずだと。
この場で最上位にあり、直系子孫のスノウに開放の権利がある。
配下達が頷くので、スノウは慎重に唱えた。
「エレンシーゼ」
それは、確かに初代妃の名で。
状況を推察するに、箱を開放する呪文の筈で。
だけど、箱に変化はなかった。
うんともすんとも言いやしない。
「「「「……………」」」」
気まずい沈黙が流れた。
「もう、何か言えよ! 得意満面に呪文唱えた私が馬鹿みたいだろう!?」
沈黙に耐えられなかったのか、スノウがわっと顔を手で覆ってしまう。
「大丈夫、スノウ様は得意な顔なんてしてなかったよ! ただちょっと、緊張気味に期待している顔だっただけ!」
「心配素振りでトドメを刺さないでくれ!」
案じる気持ち全開で鈴蘭がかけた慰めは、千枚通しの様な鋭さでスノウの胸をえぐった。
その横合いで、主の傷心など意に求めずにラプランツェが分析を再開する。
箱を手に全方位から眺め回し、結論に一言。
「開封の呪文と共に、呪文の使用者も限定されているようですね」
「それは早く言ってくれ!」
犠牲となったスノウの嘆きもそっちのけで、魔法使いはうんうんと頷く。
頷きながら、鈴蘭の肩に手を置いた。
「それじゃあ鈴蘭さん、初代妃を呼んでみてください。その名前を」
「え、なんで私が?」
「あれだけ妃が切望した魂の持ち主です。そして箱の持ち主(元)でもありますから。我々の誰よりも、鈴蘭さんが相応しいでしょう? 何か反応があるかもしれませんよ」
「…生まれ変わりって言われても、自覚なんてないんだけど」
「まあ、物は試しというヤツで。さあ、どうぞ?」
「いや、そもそも生まれ変わったら設定も無効じゃないかな…」
「魔法というのは、魂に強く作用する物。魂が同一なら可能性はあります」
促しを受け、途惑いながらも鈴蘭は従った。
「………エレンシーゼ?」
途端、光が点り反応を示す部屋。
一際輝く光源の中心は、彼らの中心にあった箱。
眩しすぎて目が眩んだ彼らの目の前で、箱が開く。
出てきたのは、白銀に輝く護符の腕輪だった。
「これは…」
それを絵で見たことのあるスノウが、最初に反応した。
王宮内に飾られている初代王の肖像画に、つきものの腕輪。
恭しく持ち上げるそれには、王の名が刻んである。
初代王が身につけていた、妻からの結婚の贈り物。
「これは、確かに大事な物だろうね…」
ほう、と溜息を吐いて困ったような笑みを浮かべる。
配下達も似たような顔をする中、鈴蘭だけが由来を知らない。
「腕輪? え、結婚したら腕輪するの?」
「夫は妻に指輪を、妻は夫に腕輪を送るのが慣習です」
「ああ。腕輪なら実生活の邪魔にならないし、そうそう紛失もしないだろう?」
「それに、由来を申せば嘗ての昔、戦の戦利品として得た女性を逃がさぬよう、手錠で夫に繋いだことに端を発するとか」
「えらく禍々しいね…。私の世界にも似た物あるけど!」
顔を引きつらせる鈴蘭の腕をそっと取り上げ、恭しくラプランツェが掲げる。
会話の最中に何のつもりかと皆で見守る中、魔法使いは一瞬の躊躇いすら見せずに鈴蘭の腕をがっちりホールド。
抵抗する隙もなかった。
魔法使いが、鈴蘭の腕に腕輪を装着させるのに。
「…!!?」
「これ、物凄い守護の魔法がかかっていますよ。この城が崩壊しても何ともないくらいの。私が命と引き替えに壊そうと試みても、多分欠けることすらないでしょう」
「それは物凄く厳重だな…って言葉では誤魔化さない。何のつもりだ」
「この守護は、おそらく初代妃の全盛期の物でしょう。私の力では彼女の力を防げませんが、彼女になら自分の力も跳ね返せると思いません?」
「……………自分の力だからこそ、素通りするかも知れないだろう?」
「それはないと思います。結婚の品だったからでしょうね…この守護、全身全霊を振り絞っての物でしょう。鈴蘭さんに寄せられる呪いよりも、ずっと充実した魔力が感じられます」
「つまり、鈴蘭の呪いを防ぐに充分な品だと言うことか?」
「ええ。鈴蘭さんへの呪いが4倍くらいに威力を増さない限りは」
「その例え具体的すぎ!」
怯える鈴蘭は、それでも他に縋る物もないと思ったのか。
自分にかけられた呪いと作者を同じくするとわかっていながら、頼る気持ちでぎゅっと腕輪を握りしめた。
かつては、初代妃が身につけたであろう品。
それは驚くほど、鈴蘭の腕に馴染んでいた。
「既に現れた分の呪いを無かったことにはできませんが…これからある分には、効力があるはずです。鈴蘭さんの忘却も、きっと進行が著しく緩やかになるか、止まるか…」
「そこはハッキリ言い切ってよ。気休めみたいで不安になるよ」
「じゃあ、忘却も止まります」
「じゃあってなに、じゃあって…」
どこか信用しきることのできない魔法使いの言葉に、鈴蘭の不安は晴れない。
それでも期待する気持ちがあるので、腕輪は外さないだろう。
「何か弊害はないのか?」
確認を怠る気もなく、女装王子が問いかける。
「そうですね…。先にも言いましたが、これは初代妃の作です。彼女の呪いを弾くことはできるでしょうが…妃は、きっとこの腕輪のことをよく知るでしょう」
「つまり、腕輪に気付かれたら対策でも練られるのか?」
「もっと悪いです。一度存在を捕捉されたら、目印にされてずっと鈴蘭さんの位置情報を追跡されかねません」
「それは…正真正銘の、ストーカーになるな」
「位置がばればれになると、何をされるか…」
深刻な顔で溜息を吐く二人。
だけどそれでも。
鈴蘭の魂の欠片、記憶を渡す気にはなれないから。
そのことは二人だけの秘密とし、鈴蘭には黙っておくことにした。
部屋を漁って見付けた他の何よりも、効果の見込まれる腕輪。
此方の女性の裳裾が長いのを良いことに、鈴蘭は本来手首に付けるべきそれを、足に付けるという荒技に出た。
スカートで完全に隠れる足首に、装着された腕輪。
どうやら効果は「身につけて」さえいれば発揮されるらしく、足に付けても問題なく発動した。
本来の用途とは異なっても、身を守る為ならば仕方がない。
鈴蘭に危険性を黙ってはいても、無視はできないから。
女装王子と魔法使いは、なるべく腕輪が人に知られる状況を防ぎたかった。
だから腕輪を足に付けることも推奨する。
それどころか、更にその上から布を巻くことを提案する徹底ぶりだった。




