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王子様は休業中  作者: 小林晴幸
幕間:いつか潰えてしまった夢
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22-1.桜/8月12日





 真夏だというのに、季節外れの雪が降る。

僕と、彼らと、姉さんの上に。


 

 ひらひら、ひららと舞い降りる白い雪片。

まるで花弁のように、千切り取られた残骸のように。

真夏に雪という、あり得ない事態。

空は青く、雲は一つもない。

なのに、どこからか雪が降ってくる。

異常気象と言うにも、異常すぎる。

感情も理性も納得を拒む風景に、僕の身は竦んで動けない。

「な、なにこれ…」

呟く菜花(なのか)の声は、怯えに震え翳んでいた。

(なずな)は妹の怯えに不安が高まったのか、身を震わせて一歩引く。

だけど、その視線はそれでも空へと向いていた。

あまりに異質で異常な白。

恐れるあまりか、驚きにか。

それともはたまた別の感情にか。

僕らは魅入られたように空へと見入り、視線を外すこともできない。

だけど、ふと気づいた。

隣にいる姉さんの、異常に。

こんなおかしい事態になれば、いつもの姉さんなら此方が驚くような行動に出るかはしゃいで騒ぎ立てるのに。

その姉さんが、静か(・・)だ。

そんな筈はない。

あの姉さんが、そんな筈はないのに。

誰よりも恐ろしく、おぞましい。

本当の異常は、姉さんにこそ舞い降りていた。

「ね、姉さん? 鈴姉さん…?」

鈴蘭姉さんは、どんな魔に魅入られたというのか。

恐ろしく、おぞましい。

まるで別人。

勇気と気力を振り絞り、視線を固定させる雪から、視線を切り離す。

身を切るような幻の痛みが、目を襲った。

それでも振り払うように、首を姉さんへと向けると…

其処にいたのは、まるで別人のような姉さん。


 いつも、姉さんの顔には豊かな表情があった。

――それが、まるで人形にでもなったかのように表情が抜け落ちて。

いつも、姉さんの目は好奇心のままに輝いていた。

――それが、降り落ちる雪のように色の抜け落ちた硝子玉のように。

いつも、姉さんの笑む口は楽しそうに喋っていた。

――それが、呼吸すらも忘れて凍り付いて。

まるで、一瞬で全てを奪われたような。

本物の姉さんが奪われ、偽物と入れ替わったような。

劇的にして、受け入れることのできない急速な変貌。

姉弟の中で、一番仲の良い姉だった。

誰よりも知っていて、無償の愛を注いでくれる姉だった。

誰よりも傍にいて、心地の良い人だったのに。

なんだ、これは。

誰なんだ、この人は。

僕の姉さんは、鈴蘭姉さんは。

こんな…全てを奪われた人じゃなかったはずだ。

感情、感覚、記憶も意識も。

全てが雪に奪われたのだと、見ただけで僕は悟った。


 そして、更なるものが奪われようとしていることも。


本当に、全てが。

姉さんの全てをこの異常に奪われる。

そう思い悟ったのは、何故だったのか。

勘なのか、感覚なのか。

どうしてそう悟れたのかは、自分でもわからなかったけれど。


 時間は、あまりになかった。


考える猶予も、行動を躊躇う余裕も。

全てが足りなかったから、僕は体の動くに任せるしかない。

咄嗟だった。本能だった。

まるでそれこそ、姉そのものみたいに。

その時、僕は。

姉の奪われた一部が、僕の中に飛びこんだような錯覚。

僕は、常の姉と同じように。

考える余力もなく、本能的に体を動かしていた。


 姉さん、へと。



 ちらちらと姉さん目掛けて雪が降っていく。

姉さんだけを、目指して。

たった一人の為に降るように。

まるで、それに応えるように。

緩慢な動きで、姉さんが空へと腕をさしのべた。


 それが信じられなくて。

受け入れたくなくて。

その後どうなるなんて考えてはいなかった。

欠片もわかっていなかった。

だけど、拒みたい。

割り込みたい、妨害して、拒絶したい。

自分でではなく、姉さんにそれをしてもらいたい。

だけど、それが無理なら。


 あり得ない事態の中。

僕と、菜花と、薺の悲鳴が混じり合った気がした。


 姉さんの声は、少しも聞こえなかった。



 姉さんと、雪。

異質と異常と、更なる異常。

何があるとも信じられず、何とも考えたくない出来事。

自分達の常識外で不意に発生し、僕たちを置いて発展しようとした。

僕はそれを、邪魔したかった。


その、間に割り込むことはできないけれど。

掻き消える刹那の、不意の狭間。


消えゆこうとする姉の、その体。

かつて無く儚く見える細いそれに、手を伸ばす。

掴むくらいは。

掴む、くらいは…。




「す、すずちゃん…? さっくん?」

「2人とも、どこ………?」


 従姉弟と呼んだ2人の消失。

その後に取り残され、掻き消すように姿の消えた残像を求め。

薺と菜花は、蒼白となった顔で震えながら。

ただ、振り絞るように。

掠れた惑いの声で消えた彼らの名を呼び続けた。






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