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王子様は休業中  作者: 小林晴幸
さん。ストーカー被害はじまりました。
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21.少女の記憶、忘却の雫





 完璧に反抗することのない忠実な臣下へと進化したディンゼル。

彼とは別に、門限の理由で先に返されたルーア。

中途半端に事実に触れてしまった彼女への説明は、ディンゼルとは別に。

後日改めて呼び出す形で行われた。

勿論、都合の悪い諸々は影に伏せ、それとなく表面を取り繕った事情説明になることは、スノウ達の暗黙の了解となっている。

此方は既にディンゼルを押さえている。

彼の思い人であり、初恋同士という甘酸っぱい関係の女性がルーアだ。

その事実を踏まえていれば、説得のしようはある。

そして言いくるめられるだけの口を、サンドリオとラプランツェが有していた。


 後日、ルーアの勤務配置が一時的に変更となった。

変更先は離宮に留まる客人、スノウ付きの侍女。

こうしてスノウ達の元に、思いがけず協力者が増えたのだった。

――ディンゼルに対する人質が確保されたとも言える。



 あの夜の苛烈さはどこに身を潜めたのか。

どうやら普段はおっとりさんらしいルーアが薄く頬を染める。

「あの夜のことは、本当にお恥ずかしいですわ…」

これからは協力体制を敷いていくのだから、親睦を深めるためにという名目でのお茶の席。

招かれたルーアは最初「使用人の身ですから…」と遠慮していた。

しかし同じく招かれたディンゼルが強制的に席に着かされると、「あらあら」と言いつつ席に着く。

ちゃっかりディンゼルとベルリオの間に席を確保する当たり、どうやら無用の警戒心を消し切れていないらしい。

あの夜のことは誤解だったとディンゼルが必死に弁明したらしいが、説得し切れたかどうかは微妙な結果に終わったようだ。



「それにしても驚きですわ」

 自らが入れたお茶を一口飲んでから、ルーアは零す。

今でも僅かに残る驚きは、席に着いた女装達を順に巡る。

最終的に彼女の視点がベルリオで止まるが、そのことには誰も言及しなかった。

 ただ、鈴蘭だけが。

不思議そうにルーアに尋ねかける。

「驚きって何に? 王子様が旅に出てなかったこと?」

「いえ、皆様の身形が…」

「女装のこと?」

「………鈴蘭様は随分と真っ正面から物事を口になさるのですね」

「そういう性分なの」

 肩を竦めてみせる鈴蘭に、周囲は苦笑を漏らすのみ。

だがそんな中で、ルーアの気鬱が妙に気になる。

彼女が何かを憂えているのは、決して勘違いではないはず。

鈴蘭はそう思い、思い切って踏み込んでみた。

何となく、「今ならいける」とそう感じて。

「ルーアさんは、ベルさんの何がそんなに気になるの? さっきからちらちらベルさんを見てるよね。それに、ディンゼルさんのことも」

「「「「「………………」」」」」

 この場の誰もが感じ取っていて、それでも微妙な居心地の悪さから問えずにいた内容。

それをずばっと正面から尋ねかかる少女に、その強心臓に女装や騎士といった男子達の呆れと感心混じりの眼が向けられる。

その中でも特に、ディンゼルは唖然と鈴蘭を凝視していた。

 男共の微妙な空気。

それに気づかず、ルーアは気まずげに視線を彷徨わせると…困惑と羞恥から薄く頬を染め、鈴蘭に向き直る。

「私、そんなに分かりやすいのでしょうか」

「まあ、あんなことがあったばかりだし気になるのは当然じゃない? それだけでもなさそうだけど」

「お恥ずかしいわ…杞憂に過ぎないただの戯れ言みたいな杞憂ですけれど、それでもどうしても気になって………」

「ベルさんとディンゼルさんが」

「ええ。あの日のことはとても衝撃でしたもの。それに、見てしまったあの光景が目に焼き付いて……必要以上に親密そうだったのは気のせいだと、わかってはいますのよ?」

「あー、あれは仕方ないと思うけど、気になるのは女心だよね」

「そうですわねー…」

 ほう、と溜息を吐くルーアはやけに物憂げだ。

疑いは晴れ、勘違いは正された…はず。

ディンゼルがたくさんの説得を重ね、そう思ってもどうしても。

それでも感情面では拭えない何かがあるのだろう。

実際、あの日の騎士二人は親密そうに見えなくもなかった。

だが実際のところはその正体、化けの皮を剥いでやろうと決意のままに隙を探る青年騎士と、正体がばれてなるものかと気を張りつつもストーカーを警戒する女装騎士。

何ともしょっぱい二人組に、一体何を疑っているというのか。

…それはまあ、ルーアの二人を見る目を伺えば明らかなのだが。

どうしてもその現実を受け入れがたく、疑われている当の騎士二人はそっと視線を部屋の隅へと投げて逸らした。

 スノウやサンドリオ、彼らを傍観する側としては同情の温い笑みで見守る以外にない。

ラプランツェは容赦なく笑い転げて悶えていたが、「明日は我が身」の合い言葉を胸に刻む女装男子には痛い光景だ。

ああはなるまいと心に誓いつつも、哀れに思う心と見ていて居たたまれない心の動きに任せ、スノウ達は何とか酷い状況を正してやりたいと思っていた。

そうしなければ、あまりにも不憫だ。

特にベルリオとは学生時代から交流があり、関わり深いサンドリオが取りなしの為に口を開いた。

「ルーア、貴女が疑うのも無理のないことです」

「サンドリオ!? お前まで俺を…!?」

「今からフォローするところですよ、先輩。良いですか、ルーアさん。貴女が疑いを抱く気持ちもわからないではありません。ですがよく見て、よく考えてください。例え今はこんな極楽帳のような極彩色、どうにも目立つ派手な女装姿で念も入っていますが…」

「………おい、サンドリオ。お前、本当にフォローする気あるんだろうな」

「勿論ですよ、先輩。一々茶々を入れないでください」

 しれっと答えるサンドリオは、涙目で接近してくるベルリオをぐいっと押しのけ、ルーアの手を握って畳み掛けるように捲し立てた。

「ごらんの通り先輩は只今どんな変人変態も右に出られないようなアマゾネスぶりを披露していますが、こんな形でも正真正銘の野郎です。更に言ってしまえば贅沢な話ですが、こんな身形の癖に性癖は至ってノーマル…に加えて、若干の少女趣味と巨乳崇拝が入っています」

「待て。さっきから全くフォローになっていないどころか、明らかな悪意を感じるんだが。それとなんでそこで俺の性癖暴露が始まるんだ!?」

「それが先輩だからです」

「お前、俺に悪意ぶつけるだけぶつけて嘲笑したいだけだろ!」

「まあ否定はしませんが」

「してくれ………頼むから、してくれ…」

「先輩のことは放っておいて…ルーアさん、よく見てください。ディンゼルが少女趣味に見えますか? 巨乳に見えますか?」

「え………」

「ほら、彼は先輩の趣味に掠りもしませんね?」

 そう言って微笑むサンドリオの顔は、天使のように善良だった。

引き合いに出されたディンゼルの顔が、悪魔を前にしたように歪む。

傍観体勢に入っていたスノウも頭を抱え、呻いていた。

部下の対応に頭を痛めるスノウ。

鈴蘭は彼を哀れんで、取り敢えず頭を撫でておいた。

「そこで性癖からの否定にはいるとは…」

ラプランツェだけは何故か感心して何度も頷いていた。

主な被害者:ベルリオという展開を見せるサンドリオのフォローは、容赦なく続いた。

フォローされているはずのベルリオが苦悶の嘆きを見せようと。

巻き添えを食ったディンゼルが、悲しげな顔で項垂れようと。

 誤解を解こうと決意を固めたサンドリオのフォロー(という口実の誹謗中傷)は、ルーアがすっきり「あの二人が妖しいだなんてそんなことはあり得ない」と納得するまで続いた。

具体的に時間で言うなら、3時間くらいかかった。

3時間の説得を受けなければ信じられないルーアの疑いも、余程だった。



 何とか誤解が解けても、わだかまりは消えない。

一度は本当に、彼女の心を絶望に落としたのだから。

責任を持って慰めるよう、ベルリオが部下である騎士の鳩尾にさり気なく拳を見舞っている。

リラックス効果のあるお茶を饗しながらも、スノウは苦笑していた。

ルーアが、難しい顔でベルリオを見ているからだ。

彼女の中で一度強烈な印象と共に恋敵認定された相手である。

それが男とわかり、誤解と納得した今でも。

上司と部下、同じ所属の騎士。

それ故の色恋とは混じり合わない親密さが、2人の間にある。

それを今更誤解するほど愚かではない。

だがそれでも。

それでも親密に接する2人を見ると、胸の内に無視できない大きさでもやもやと鬱陶しい感情が渦巻くのだ。

自分の狭量さを今更ながらに自覚する形となり、ルーアの溜息は深い。

彼女を前にした今だけでも、ディンゼルと距離を取ればいいのに。

先輩と呼ぶ相手の無自覚な鈍感さに、サンドリオもどうしたものかと呆れてしまう。いっそルーアの手で成敗なりなんなりさせたらわだかまりも無くなるのではないか。

これからフォロー役として、ルーアにも手伝ってもらうことは多い。

だというのに、このぎくしゃくした空気を持ち込み引きずられては、自分達の方が気になると。

サンドリオの溜息もまた、ルーアと同じくらいに深かった。


「ルーアさん」

 それでもこの空気を払拭し、場を何とかしよう。

そう思い立って、サンドリオは穏やかな口調を心がけつつ話しかける。

話しかけられたことが意外なのか、一瞬だけルーアの体が硬直した。

「貴女にも色々と思うところはあるでしょうし、心の中の雲を完全に晴らすなど当分は無理でしょう。そのことはこの場の皆がわかっています。だから、貴女は無理などしなくても良い」

「そんな…私、ちゃんと切り替えて見せますわ」

「取り繕わなくても結構です。ただ、胸の内でいくら先輩に冷たく振る舞っても構いませんが、一つだけ約束してください」

 自分でも勝手なことを言っているなと、そう思ってはいるが。

それでもサンドリオは自分の立場として、ルーアのわだかまりを解けないまでも諫める役を自分で負う。

本当はその役も、ベルリオなりディンゼルなりの役目だろう。

だが、あの2人にそんな繊細な仕事はできそうにない。

大雑把で鈍感な騎士という生き物に、女性への説得など。

偏見混じりの判断だったが、今回の場合は当てはまっていた。

自分の言葉に戸惑うルーアに、サンドリオは真摯な態度で語りかける。

「約束してください。貴女も、職を得て働く立場であるのなら。侍女としての自負があるのなら。無様な振る舞いは、身内の場でしか見せないと。対外的には、どう思っていても構いませんので、公にはちゃんと職務に徹した態度を心がけてください。隠す必要はありませんが、態度だけでも公正に、公平に」

「公正に、公平な態度で…」

 ぼんやりと呟くルーアの儚い声に、ふと思い浮かぶ物があった。

それほど深い意味を込めていたわけではないが、この単語の組み合わせに覚えがある。

そう、それもさほど昔ではない。

つい最近、この単語の羅列を聞いた覚えがあった。

そして、覚えがあると感じるのと同時に思い出す。

この言葉を、どんな状況下で、誰から聞いたのか。


 ちらりと、サンドリオの視線が鈴蘭をかすめる。

言葉の勝手な流用になってしまうが…それも悪くはないだろう。

彼にしては珍しく悪戯な笑みを浮かべ、そっと人差し指を立てた。

楽しげな笑みが、微かに唇を染める。

ふふふ、と思わず笑みにサンドリオの顔が綻んだ。


「これはそうなれと強制する訳じゃないんですけどね?」

 急に雰囲気の変わったサンドリオの態度に戸惑うルーア。

そんな彼女に親しげに笑いかけながら、サンドリオが宣う。

「どんな状況でも、どんな相手でも、それでも公正で公平な態度を取れるのがいい女……なんだそうですよ。押しつけるつもりはありませんが、貴女もそんないい女を目指して見ませんか?」

 きょと、としていた鈴蘭の顔が、目を丸くするのが視線の端に感じられた。

何という訳でもないが、してやったような気分だ。

サンドリオは驚く顔をそっと見やり、更に楽しげに微笑んだ。



 ディンゼルとルーアが連れだって退室し、室内の空気が一気に緩んだ。

最近ようやく飲めるものになってきた鈴蘭のお茶に口を付け、他愛のないお喋り。

そんな中、ふと顔を上げて鈴蘭がサンドリオを見た。

「そう言えば、ベルさん」

「はい、なんですか?」


「公正で公平な女がいい女、ってリオさんの持論?」


 花のように、にこやかに。

どことなく面白がる調子を交えながら。

裏も表もないような晴れやかさで、鈴蘭が言った。

「………え」

サンドリオの目が、鈴蘭の顔に釘付けになる。

一瞬、何を言われたのかわからなかった。

「リオさん?」

「え、と……あ、ああ…そう、ですね………」

 自分を見る鈴蘭の顔が、平素と変わらない。

その顔から何か異常を見付けることができない。

それが何故こんなにも、逆に不安を煽るのかと。

サンドリオは途惑い渦巻く胸中を押し隠し、穏やかに続ける。

「……いえ、あれは僕の友人が言っていたことです。自分の、弟の言葉だと言って」

「じゃあ、リオさんのオリジナルじゃないんだ」

「ええ、そうですね」

「残念。噂の婚約者ってそんな人かと思ったのに」

「いつか女装しなくても良くなったら紹介しますよ」

「よし。じゃあそれ楽しみにしているね」

 無邪気に笑う鈴蘭の顔には、一点の染みもない。

それが尚更おかしいのだと、サンドリオが鈴蘭を見る目は人知れず鋭さを増していた。




「それじゃ私、ちょっと城内の噂をさらってくるね」

「行ってらっしゃい」

「程々にな」


 にっこりと笑って部屋を出て行く鈴蘭を、女装男子達は見送る。

それはいつもと同じ、変わらずに固定されてきた新たな日常。

鈴蘭の組み込まれるようになった、スノウ達の日常。


 だけどそんな中で、サンドリオの目が鋭い。


 腑に落ちない。

鈴蘭の背を見送るサンドリオの顔には、その言葉が刻まれている。

考え込んだまま、その口からは無意識にぽろりぽろりと言葉が零れ落ちて…


『どんな状況でも、どんな相手にでも。それでも公正で公平な態度を取れるのがいい女だ――って、弟が言っていたのよ』

『…念のために窺いますが、弟君はおいくつで?』

『諸国 桜。今年で12歳、かな』


「………公正で公平な態度で接せられるのが、いい女―――弟の言葉だと笑って、そう言ったのは鈴蘭さん、貴女でしたのに……」


 零れ落ちた言葉を拾うのは、言葉を発した本人のみ。

気むずかしい顔で、彼はじっと鈴蘭を凝視している。

何かが、おかしい。

あんなにハッキリと、彼女は弟の言葉だと言ったのに。

それを、彼女自身が忘れるだろうか?

それを、あんなにも自然な顔で。


 自然であるからこそ、一際目立ってしまうモノ。

違和感。それが何よりも自然な顔を不自然な色に際だたせてしまう。


 サンドリオは不可解の渦巻く心情を誰に吐露するでもなく。

彼は深く考え込んでいた。

鈴蘭の発した言葉の、その意味を。





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