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王子様は休業中  作者: 小林晴幸
さん。ストーカー被害はじまりました。
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17.エチェルラヴェニア伯爵未亡人





 彼女の乱入は、デートも山場を迎えた頃。

ベルリオと、それを尾行するスノウ一行の精神的疲労がピークを越えつつある、丁度その時。

まさに色々な意味で鬱屈とした感情の高まる限界へと、まるで切り込むかのような登場だった。



軽く晩餐を済ませた若い二人が、歌劇場へと足を踏み入れた。

歌劇場では、うら若き乙女達に人気だと評判の演目上映中。

つまりは、今シーズンでもデートの定番とされる人気スポット。

そんな場所をチョイスされたことにも、ベルリオの疲弊は凄まじい。

だけどそんなことは些細なことと、そう思わせるのは何よりも共にあることに苦痛を感じさせるディンゼルの笑顔。

甘ったるいそれを向けられて、ベルリオの鳥肌は鶏肉にも負けない。

むしろ今にも自身が鶏肉になってしまいそうな錯覚の中、ベルリオは歌劇場へ。

薄暗い劇場の中、ボックス席で2人きりとか冗談じゃない。

そんな本音を叩き付けられたら、どれだけすっきりするだろう。

ベルリオは、身の危険を感じていた。

もしもの時、手加減などできるだろうか…

見守るスノウ達も、高まる緊張感と共にベルリオの限界を感じ取っている。

ディンゼルの命の無事が、案じられてならなかった。

このまま無事に、観劇を終えることができるのだろうか…。

不安と緊張に、胃が痛くなるような心労を感じていた。


 薄暗いボックス席で2人きりは冗談じゃない。

だが、話を付けるには最適かもしれない。

いざという時は腕っ節に訴えるつもりで、ベルリオは隠し持っている短剣をそっと握った。

その瞬間、ディンゼルは背筋に悪寒を感じていたが、気のせいとすぐに忘れてしまっていた。

この時、悪寒をもっと彼が重視していれば…

彼の感じた悪寒は、何かの警告だったのかも知れない。

しかし本人はそんなこと知らないので、笑顔のまま歌劇場を歩く。

エスコートする相手の、エスコートされることへの不慣れな仕草。

時折覗く恥じらいと途惑い。

何よりも、自分に対する警戒心と緊張。

それら全てが混ざり合って、ぶつかってくる。

不慣れなデート相手の緊迫感に、ディンゼルは自身も柄になく緊張し、照れくささを感じていた。

そんな、有頂天とも言える感情の高まり。

それが3分後に凍り付くことになろうとは、予測してもいなかった。


 3分後。

歌劇場のホールを抜けて、ボックス席へと続く階段をゆっくりと歩く。

そんな彼らの前に、立ちふさがったものは…!?


 可憐でほっそりとした、1人の淑女だった。


ふんわりと柔らかな色をした長い髪は編み上げ纏め、ドレスに合わせた薄水色の紐で結い上げ、生花で飾られている。

緑の瞳と調和した宝飾品は、派手ではないもののそれなりの値段がするだろう。

全体的に落ち着いた雰囲気の、若い女性。

恐らくは、ディンゼルと同じくらいの年齢の。

スノウやベルリオのような、女装した男の紛い物ではない。

正真正銘の、上品な淑女。

そんな女性が、ベルリオとディンゼルの前、はっきりと互いの顔が目視できる距離で固まり、立ちつくしている。

その存在に気づいたディンゼルもまた、彫像のように凍り付いて立ちつくしていた。

心なしか、その顔色は青い。


 その遭遇を影ながら見守っていたスノウ一行の1人、ラプランツェが興奮したようにはしゃいだ声を出した。

指を鳴らして、嬉しそうに喜ぶ。

「きたきたきた…! きましたよ! 予定通りにジャストミートッ! 苦労して調整した甲斐がありました」

「なにが来たっていうんだよ」

 どんな回答が来るか、半ばわかっていてもスノウは聞いた。

聞いた後で、全開笑顔のラプランツェを見て後悔した。

ラプランツェは、主人の問いにはっきりとした声で答えた。


「修羅場です…!」


 そんなものを嬉々として喜ぶラプランツェは、鬼かもしれない。

サンドリオは思った。

ベルリオも、そんなものに巻き込まれて可哀想に…と。


 あの女性は誰だろう。

誰もが気になり、しかし気まずくて聞くに聞けないことをラプランツェに尋ねたのは、あまり物事を気にしない鈴蘭だった。

「ディンゼルさんとお見合い状態で立ちすくんでる、あの上品なお姉さんは誰? 仕込みしたんなら、チシャさん知ってるよね」

「うーふーふーふーふー…」

「おお、ドラえ●ん笑い…!」

 不穏な笑顔に、スノウの顔が引きつった。

頭を抱える主君など意にも留めず。

ラプランツェは突如現れた女性の身上書を取り出した。

「じゃじゃーん。皆様の疑問にお答えするため、不詳この魔法使いが素性について取り纏めて参りましたよ!」

「その無駄な労力を他に回せ!」

「ふふふ…他に回して、更なる悲哀を振りまいてもよろしいのですか?」

「くそっ…此奴が言うと本当にしそうで洒落にならないな」

慢性的な頭痛を患うようになる前に、スノウはラプランツェとの付き合い方を改める必要があるかもしれない。


 身上書には、こう書かれていた。


――ルーア・エチェルラヴェニア伯爵未亡人について


「エチェルラヴェニア? 1年前に没した先代伯爵の夫人か」

 名前に心当たりのあったスノウが、脳内から関連情報を検索する。

だけど検索するまでもなく、必要な情報は紙面にあった。

それを鈴蘭が、小さな声で朗読した。

物陰で見守るスノウ達には行き届くが、通行人には聞こえないぎりぎりの声量。

「1年前に他界した前エチェルラヴェニア伯爵の妻。ただし後添えであり、夫には前妻との間に2人の息子と1人の娘有り。夫と死に別れた後、2歳の息子共々実家へと戻される」

「……………」

「……なんていうか、定番? なんだか、ありきたり?」

「まあ、よくある話では…あるな」

「実家に戻されるにあたり、亡夫の遺産から幾ばくかの財産分与があったらしいことが救いといえば救いですね」

「そうそう、遺産をもらえただけ良心的な家だったんじゃないですかね~」

「私の記憶が確かなら、前伯爵は確か老衰だったか」

「随分元気な老人だったらしいですね。死ぬ時はあっという間だったそうですが」

 人間の生き死にはどうしようもないこと。

だがさほど悲しむ気にならないのは、紙面から読み取れる情報だけでは個人が好色な因業爺にしか見えないからか否か。

老衰でなくなった前伯爵の、未亡人とされる女性。

その年齢はどう見繕っても、20代前半~半ばというところ。

そんな女性を、後添えにして現在3歳の息子まで産ませたという。

どう好意的に見ても、ろくな人間には思えない。

もしかしたら恋愛結婚かも知れないが…両者の年の差を思うに、その可能性は0ではないが限りなく低い気がする。

特に、まだまだ若いスノウや鈴蘭には。

尊敬できない相手とは限らないが、それでもうら若き乙女が老骨と恋愛に堕ちるには覚悟がいる。

その覚悟を持ってして嫁いだとは、目の前で繰り広げられる修羅場を見る限り…

「………ないな」

未だ無言で睨み合ったままの3人を客観的に見て、スノウは呟いた。

「それで、あの淑女を前伯爵の未亡人として、その彼女とディンゼルの関係は? あの様子を見るに、ただならぬ関係なんだろう」

「ああ、幼馴染みだそうですよ」

 尋ねられたラプランツェは、さらっと答えた。

答えながら、身上書の2枚目を各人に配る。

そこに書かれている内容を、今度も鈴蘭が朗読した。

「――生い立ちについて」

 そこには彼女が経済的に裕福とは言えない子爵家の令嬢であったこと、事業に失敗した実家への多額の援助と引き替えに前伯爵に嫁いだことなどが書かれているのだが…

それこそまさに定番中の定番。

どこにでも転がっているような、ありふれた話。

だが幼少期のエピソードとして書かれた何行かの文章の中に、ディンゼル・グルーヴィアの名前があった。


 幼少の頃から、仲睦まじく育った2人。

2歳年上で気の強かった少女が、姉のように少年を引っ張っていた。

やがて両家は2人の結婚を望むようになり、まだ幼かった2人も将来は互いに結婚するつもりでいたのだが…

「あのお姉さんの実家が経済的にヤバくなって、家を助ける為に因業爺の嫁になった、と」

「そのことがディンゼルとの関係を引き裂き、気まずいまま現在に至る…と」

「ざっくり纏めると、そうなりますね」

 あまりにも、定番だった。

「ちなみにディンゼル青年の女性の好み『頼りがいのある女性』というのはここから来ているそうですよ。真意は、自分を引っ張ってくれる彼女のような年上の女性が好み、だそうです」

「そのままじゃないか。だったら彼女と結婚すれば良いものを」

「そうだよね。あのお姉さんの旦那さんはもう亡くなってるんでしょ? だったら障害なんてないのに。それともこの国って、再婚ダメなの?」

「駄目と言うことはない。離婚夫婦だっている」

「もしかして、連れ子がディンゼルに懐かないとかですか?」

「その点も障害はクリアーしているみたいですよ。何しろ相手はまだ3歳。爽やか好青年のディンゼルにはすぐ懐いたとか」

「それじゃ、本当になんで? お姉さんの方がもうディンゼルさんに愛想尽かした? でもあの様子じゃ…」

「もう1つちなみに言いますと、彼女はいま王宮にて侍女をしているそうですよ」

「そうなのか?」

「ええ、しかもスノウ殿下(・・)の離宮の」

「……………えーと」

 どうやら、主に当たるスノウは把握していなかったらしい。

王子に仕える侍女となると、その数も多いので仕方がないのかも知れないが…

それでも自分の名前を出されて、スノウは気まずそうに俯いた。

「どうやら彼女もディンゼルを未だ憎からず思っているようで、気にしている素振りが多いと同僚の侍女達から情報を得ています。2人とも見ていてじれったいから、早くくっつけばいいのにというコメント付きで」

「つまり、じれったく思われる程度には両思いに見える、と」

「その通り」

 信じられないという顔で、鈴蘭が口元を歪めた。

その手が、びしっと三竦みを演じている修羅場に向かう。

「じゃあ、あれは何なの。心変わり!?」

「もしかしたら、ディンゼルにとって彼女よりもベルリオの方がより好みだったのかもしれませんねー…」

「でも、後ろめたいことがあったような顔してるよ!? あのお姉さんを前にあの反応、絶対に未練有りでしょ!」

「ええ、あれは未練有りですね」

 うむうむと頷くサンドリオの額に、さり気なく青筋が浮いていた。

「まさかかつての同期が、あんなにも情けない男だったとは…」

声に滲む怒りに気がついて、スノウや鈴蘭の意識がサンドリオに向かう。

うっすらと口元に笑みを履き、それでも見える凄まじい怒気。

「思い人が別の男の嫁になった、それがどうしたというんですか。そんなことでしこりを感じて、距離を取ってしまうとは…あまりにも情けない。あまつさえ、関係の修復を計ることもせず、心を偽って別の者に走るとは…」

「さ、サンドリオ…? どうしてそこで、お前が怒るんだ」

「関係のない第三者と言い切るには、色々と思うところがあるんじゃないですか?」

 怒りの大魔神と化したサンドリオの目線には、殺気が。

このままでは三つ巴を演じる方々の間に割り入って、ディンゼルを血祭りに上げそうだ。

巻き添えを食わない様、ベルリオは彼らから距離を取るべきかもしれない。


 一方、そのベルリオは。

目の前でいきなり互いに青ざめた顔で見入ったまま動かない男女に挟まれ、かなり混乱していた。

何しろ彼は、スノウ達が得たような情報を全く知らない。

状況を読み取ることができず、混乱する以外にどうしろと言うのか。

 しかし見入ったまま互いに微塵も動かない男女を見ている内に、じんわりと「自分は蚊帳の外」に思えてきた。

――あれ、俺って添え物? この場に必要なのか?

こうなると第三者目線で、客観的に観察する余裕が出てくる。

観察し、推測し、目の前の緊迫感は何に由来するのか計ろうとするが…

じっと観察する彼の目に、青ざめた見知らぬ女性が気づいた。

自分に注がれる視線に、女性の顔が見る見る強張る。

そして、耐えられぬと言うように頭を振って…

「私、貴方は今でも私のことを考えてくれているんだと思ってた。でも、それは私の自惚れだったのね…」

「る、ルーア…! これは…」

「いいの。聞きたくない! やっぱり、他の人にお嫁に行った私が、今更、貴方に何か言えるはずもなかったのよ…!」

「ルーア! そんなことない。そうじゃないんだ、ルーア!」

(ベルリオ的には)いきなり、修羅場が始まった。

ベルリオ1人が、状況に超置いてきぼりだった。

自分が場違いに思えて、ここにいてはいけないような気がして、とてもとても居たたまれない。

いつしか他の客達も3人に注目するようになっており、身の置き所のなさを味わった。

ここはいっそ、逃げるべきか。

一つ「私はお邪魔みたいだから」とでも言って走って逃走してしまおうか。

かなり本気で逃走を検討した。

だが、


「そのひとと、お幸せに…!」


 先を越されてしまった。

乱入してきて修羅場を演じ、場を緊迫させた謎の人妻に。

それが誰なのか、ディンゼルとはどんな関係なのか。

一切を知らないベルリオはただ、出遅れたという強い思いで。

それでもこのまま此処には残りたくない、針の筵は御免被るという強い思いが、咄嗟に彼を突き動かした。

「待って!」

つまり、脱兎の如く逃走した人妻を、何故か追いかけるという形で。


 修羅場を演じた若い3人。

1人は男、2人は………お、おんな? うん、女?

ぱっと見て男を2人の女(笑)が取り合っているのだと見ていた観客達。

最早当初の目的であった観劇もそっちのけで、面白い見せ物と化した修羅場に釘付けだったのだが。

その終演は逃走した女性をもう1人のじょ、女性?が追いかけるという予想外のもので。

完全に出遅れた男が1人、ぽかんと走り去る背中を見送っていた。

彼が正気を取り戻し、先に走っていった2人を追いかけるまで後5分。



 物陰で一連を見守っていたスノウ達。

彼らは今…

何でそうなると、なんでお前が追いかけるんだと。

そこはお前じゃなくて、ディンゼルが追いかけるところだろう、と。

笑いをこらえているのか怒りをこらえているのか、傍目にはわからない。

ただ言葉にはできないような激情に身を震わせて。

壁に拳を打ち付け、ぎりぎりと奥歯を噛み締めて。

予想外の展開を見せたベルリオに、ラプランツェだけが堪えることのない大爆笑を送っていた。お陰で目立った。

「追うぞ!」

 強い物言いで宣言したスノウの言葉に、逆らう者はいなかった。






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