14.13日前
男達は、まるで屍の様にソファに沈んでいた。
脱力しきった身体は、まるで泥に沈んでいく石の様に重く、疲れている。
彼等は、「仮縫い」という言葉を思い出しただけでぐったりと疲労の極致に至っていた。
女装男子達を疲労の局地に追いやったそれ。
「仮縫い」…それは今回も、王妃の仕業だった。
「スノウちゃん! 明日は丸一日、新しく注文しておいた衣装の仮縫いサイズ合わせがあるから、予定開けておいてちょうだいね?」
「………はあ?」
全く突然いきなりに、言い渡された明日の予定(強制)。
女装息子の予定など全く考慮することなく、王妃はとびきりの笑顔で言い放つ。
「ちょっと数があるから、本当に丸一日かかると思うわ。よろしくね」
「待ってください、母上様。私の予定はまるで考慮されないのですか」
「いやね、王子お休み中の貴方に、大した予定があるはずないでしょう? 明日は私の楽しみの為に、予定は全てキャンセルなさいね?」
「横暴だ!」
「王族とは、得てして横暴な者です。相手が例え、身内であっても」
「何となく格好つけて言っているけれど、要は私で着せ替え遊びがしたいだけなんでしょう!?」
「その通りよ。だって念願の娘(仮)なんですもの。貴方がその格好を甘んじてくれている内に、思いっきり楽しまなくちゃね」
「母上様…息子で、遊ばないでください」
「子供とは、親にとっては玩具と紙一重。遊ばれるのが筋なのよ?」
「それは子供に自我が芽生える前の話じゃありませんか!?」
スノウは何とか母上様にねじ込まれた予定をはね除けようとしたが…
結局今回も、押しの強い母上様に迫り負けた。
そうして再び、母上様の玩具にされる羽目になったのだ。
側近共々、道連れに。
「なんで僕達まで!?」
「ははは…観念しろ。母上様はお前達の分も仮縫いすべき衣装を用意しておいでだ」
「…殿下の本音は?」
「私一人だけ玩ばれてたまるか!!」
「餌食になるのなら、お一人で餌食になってくださいよ!」
「それが側近の言葉か!?」
「私共の雇用条件に、王妃様に玩ばれる内容は盛り込まれておりません」
「国家権力(王妃)に逆らえると思うのか!」
「横暴ですよ、スノウ様…!」
「ああ、母上様と親子だからな」
「嫌なところだけ母君様に似ましたね!?」
「何とでも言うが良い! 私だけ着せ替え人形にされるのは御免だ!!」
麗しい女装の主従が醜き骨肉の争いを繰り広げ。
それでも王妃様のお遊びから逃れる術など無く。
女装主従は、暇を持て余した王妃と王妃付きの敏腕侍女達の餌食となった。
懐かしい着せ替え遊びに、妙齢の女性達は目をきらきら輝かせていたという。
そんな、13日前の出来事。
思い出すだに、女装主従は心身ともに疲労困憊。
あまり思い出したい記憶でもなかったので、忘却の彼方に葬り去っていたのだが。
「それが、ここで来たか…」
女装達は頭を抱えていた。
「しかし、あの日は本当に夜までかけて仮縫いに費やされたはずだが…」
「そうですね。深夜一歩手前まで拘束されていましたからね」
「あれには流石に参りましたよー。どれだけ魔法で身代わり人形用意して逃亡しようと思ったか」
「なんでか私までついでに着せ替え人形にされてたから、みんなの細かい動向わかんないんだよね。男女で部屋分けられてたし」
「そこは当然ですから。当然ですからね?」
「だが、一緒に捕らえられていたはずなのに。着替えという名の拷問の最中、ベルリオは一体何処でディンゼル・グルーヴィアと接触したって言うんだ」
「何処かで接触していても、着替え攻防中に遭遇してたら正体ばれるでしょうにね」
「謎だ」
「謎だね」
スノウと鈴蘭が本気で首を傾げている隣で、ベルリオが声を上げた。
「あー…」
「…ん? どうした。何か思い出すことでも?」
微妙な声音に視線をやると、ベルリオが気まずげに目を逸らす。
その横で、素知らぬ顔のサンドリオが口を挟んだ。
「あの時、先輩、途中からいなかったんですよ」
「…なんだって?」
サンドリオの思いがけない言葉に、室内の目が一斉にベルリオを貫いた。
彼の首筋を、一筋に汗が伝う。
平然と保ったままの顔は平常心を思わせたが、全体的に見ると端々に動揺が見える。
その姿は、ベルリオが仲間達を裏切り、途中離脱したという言葉の正当性を示していた。
ベルリオの現在の肩書きは、表向き令嬢スノウの護衛となっている。
その役職上、過剰に着飾る必要のないベルリオ。
それどころか「護衛」という職務のお陰で、女装といっても彼の着用する衣装の型は大体固定化されている。勿論、細々とした小物や装飾に違いはでるし、着回しの有無も大きい。だが、細々とした違いがあっても、逆に言えば大体同じということだ。
即ち、ベルリオはドレス着用の他3名に比べて、仮縫いすべき衣装の数が圧倒的に少なかったのである。
しかもかっちりしているとはいえ、護衛の服はきらびやかで華やかなドレスとは…全体的に無駄も多く、着用にも時間のかかるドレスとは違い、着脱に時間はかからない。
肩書きの恩恵により、他の仲間達よりも格段に早く仮縫いが終了したベルリオ。
いつもであれば、控え室にでも待機して他の仲間の解放を待つところ。
護衛という職務からも、許可無くスノウの側を離れるのは好ましくない。
しかしこの日、ベルリオは敢えてそれを決行した。
理由は簡単である。
美形男子を玩具にしたい暇すぎる女達の魔窟。
そんな場所に大した用事もなく長々と居座って、次なる遊びの標的に…つまりは他の仲間達のとばっちりを受ける羽目になることを、全力で拒否したかったからである。
ベルリオは女達の目にとまり、玩具にされる前に善は急げと気を逸らせて。
そして、彼は早々身を翻し、誰からも呼び止められる前に王妃のテリトリーから脱出したのであった。
裏切り者と、サンドリオは恨みがましく呟いた。
本当はその時に引き留め、引きずり込みたかった。
しかし女達の猛攻にすぐにそんな他人を気にしているような余裕は無くし、今の今までベルリオの単独離脱はすっかり忘れていたらしい。
ずっと忘れていれば良かったのにと、ベルリオは忌まわしく思った。
「それで、話は戻します。13日前です。先輩、この日、ディンゼル・グルーヴィアと何があったんですか」
「名前を出すな、忌まわしい…」
むっつりと不機嫌なベルリオは、直ぐさまその頬を抓み、横に引っ張った。
しかしそれでも素直に従うつもりはあるようで。
サンドリオの頬を腹いせに抓った後、ベルリオは「仮縫い」から思い出したその後の行動を言葉でなぞっていった。
「あの日は確か、俺が解放された時には既に夕方近くなっていて。だけど仮縫いで溜まったストレスを発散できる場所を求めて、俺は兵士達の訓練場まで顔を出したんだ。彼処なら城内にあるし、どれだけ暴れても許される。それに騎士達の訓練場とは違って、使用者の制限がない。俺はとにかく暴れたい気分で、自主訓練すべく訓練場に向かったんだ」
「まあ、先輩の行動としてはありがちですね。本当、何とやらの一つ覚えみたいに、むしゃくしゃした時には同じ行動しかしませんね」
「喧嘩を売りたいのなら、高値で買うぞ」
「ご遠慮いたします。それで、先輩。続きは?」
「ああ、続きな。………それで訓練場に行ったらだな、其処に件の男。ディンゼル・グルーヴィアがいたんだ」
どうやら「仮縫い」で本当にその日の全てを思い出したらしく。
ベルリオの語りは、徐々にストーカー発生の核心へと迫りつつあるようだった。
一同、固唾をのんでベルリオの語る続きを待つ。
「彼奴は騎士なんだから、自分の訓練だけが目的だったら専用の訓練場に行けばいい。だが此奴も酔狂な奴で、部下や後輩の育成に熱心だったんだ。まだまだ、自分自身がひよっこに毛が生えたくらいの未熟な若造だってのに。あの日も奴は、後進に当たる兵士達の訓練相手になるべく、兵士達の一般訓練場で木剣片手に兵士をいなし、傍目にはまるで遊んでいるようだった」
「…どうしよう。此処までの話だけ聞くと、なんだか件のグルーヴィアさんって好青年っぽい。なんかいい人そう。少なくとも、こんなごつくて胡散臭い女装に熱を上げるような人には聞こえないのに…」
「女の趣味が最悪だったんだな。いくら素行が良くても、趣味趣向は人それぞれだから」
話を聞きながらも、鈴蘭は言いたい放題好き放題。
聞いている他の者まで、つられて言いたいことを言っている。
しかしそれも、ベルリオの語りを止めるには至らなかった。
ベルリオ自身が、全くの同感だったせいだ。
その眉間に深い皺を刻んで、ベルリオは問題に当たるその後の行動を語った。
「それで13日前、訓練場で遭遇した。それでディンゼル・グルーヴィアと何があったんですか、先輩?」
「面倒な話だが、絡まれたんだよ。ディンゼルじゃなくて、一般兵にな」
「うわぁ、命知らず」
「実際は男でも、今はこんな大女の形してるからな。男所帯の兵士達には、色々思うところがあったらしい。女戦士は珍しいから。物珍しさも手伝って、所詮女という感情も加速して、俺のことを舐めていたんだろ」
「実際は、第三近衛の隊長に選ばれ、若手の実力者No.1とか言われているんですけどね」
「そんなこと、今のこの姿じゃ見たってわからないだろ」
「仕方のないこと、なんですね」
「それでまあ、絡まれたわけだが。本当に因縁つけられただけだったから、自分で何とか仕様と思ったんだ。だけど其処に奴が現れた。それも俺の助っ人として」
「それ、ロマンスの始まり?」
「気色悪いな! 困っていたり、虐げられていたり、助けるべき女性がいたら助けに走るのは騎士のつとめだからな。この時は俺の都合で苛っとしたが。すぐに自分が傍目にどんな滑降してるか思い出した。だから、ディンゼルの助力も特に何とも思わなかったんだが…」
「それが、運の尽きであったと」
「まさしく、そうだったんだろうな」
がっくりと肩を落として項垂れるベルリオは、このまま消え入りたいとばかりの暗い様子。
そんな彼を宥めすかして、一同は残りの話を聞き出すのだが…
「は? 余計な口出ししてきて苛ついたから、斬りかかった?」
「何しているんですか、先輩」
「………最近女装にちょっと慣れてきた自分に気づいて、鬱憤が」
「つまり、八つ当たり、と」
「八つ当たりですか」
呆れた目を向けられて、ベルリオは必死に目線を逸らす。
だが仲間達の胡乱な目を前に、自分の振りは明らかで。
最初から敵にならぬと全面降伏状態だ。
女装に辟易したベルリオが体を動かしてすっきり仕様と訓練場に向かい。
見上げるような大女であろうと、女は女と騙されて侮った一般兵士に絡まれ。
血の気の多い男と、女扱いに神経過敏になっていた女装男。
両者の遭遇は、一つの答えを導き出した。
訓練の名を借りた、乱闘。
そこで女性を相手に1対多数とは卑怯、捨て置けぬとストーカー疑惑を駆けられている男が乱入し、ベルリオへの助勢を行い。
日々のあれこれやその日のあれこれで鬱憤が溜まりに溜まっていたベルリオ。
何が彼の神経を逆撫でしたかは不明だが。
何はともあれ、堪りかねる何かを得たようで。
何故か、共闘を申し出てくれたはずのディンゼル・グルーヴィアに、お前こそ敵だとばかりの態度でベルリオは斬りかかったのだという。
勿論本当に殺す気など無く、普段から知っているディンゼルの実力を考慮し、ぎりぎり相手にも捌ける程度の手心は加えて。
本人としては、訓練場ではありふれた悪ふざけのつもりだった。
そして、その結果が。
「だから、何でそんなことになるんだ!」
ベルリオは、もう完全に取り乱す一歩前レベルで混乱していた。
女とは思えない(男だが)ベルリオの、予想外に重い一撃。
それをまともに受けて、ディンゼル・グルーヴィアは自分の剣を取り落とした。
拾う隙も見つけられないまま、徒手空拳で粘るも時間は稼げず。
第三近衛所属の騎士、ディンゼルは正体不明の女戦士(笑)によって喉元へ剣を突きつけられ…
降参するほか、なかった。
この時点で、やりこめるのに成功したベルリオの鬱憤は晴らされていた。
すっきりとした心持ちで、清々しくなっていたのだが…
そんな彼の清涼な気分は、一瞬で払拭されてしまった。
「私と結婚してください!」
ディンゼル・グルーヴィアの、血迷った一言であった。
ベルリオの頭は盛大に混乱し、頭を近くの壁に渾身の力で打ち付ける。
一歩間違えば自殺だが、幸いにベルリオの頑強な額の骨は壁に打ち勝った。
そして狼狽えた挙げ句。
この事件を無かったことにするべく、ディンゼルの首に手刀一撃。
混迷するまま手早く青年の意識を刈り取ると、そのまま逃亡。
知る限りで一番きつい酒を置いている居酒屋に駆け込むと、限界を越すまで深酒を決め込み、この日の記憶を一日分速攻で抹消した。
ベルリオの物心ついてよりの記憶の中で、最悪の一日だった。




