12.茶がぬるい!
前評判に反し、鈴蘭の目の前にいるのは清楚で可憐なお嬢様だった。
育ちの良さを思わせる上品さだが、だまされてはいけない。
この令嬢は、相手の都合を考えずに突撃してくるような、猪娘なのだ――。
小柄な鈴蘭よりも、シンクレア嬢は更に小柄だった。
メートル法に換算しても、150㎝無いかもしれない。
そのくらいに小さいのに、しっかりと女性を思わせる華奢な体つき。
丸みを帯びた胸部や腰部に、思わず視線が釘付けになりそうだ。
朱金色の巻き毛を垂らす彼女の姿は、まるで妖精のようだった。
だからこそ余計に、彼女の性格爆裂ぶりが目についた。
突撃かましたお嬢様は、ノックとほぼ同時にドアを開けるという非常識に出た。
しかも平然と許しもなく入り込み、それでいてさも「自分は完璧な淑女」と言わんばかりの堂々ぶり。実際に眼の前にしたシンクレア嬢の礼儀作法や仕草は、どうやら完璧な淑女のもの。
ただ、その行いに問題行動が多いのだが…
それでも一見する限り、行いを振り返らない限りは素敵なお嬢様だ。
シンクレア嬢は不作法連打で侵入しておきながら、まるで正式な招待を受けてお茶会にでもきたかのような…
そんな素振りで、スノウたちに対して完璧な礼をしてみせる。
女性特有の礼に、薄紅色のドレスがふわりと広がった。
季節外れの花の精でも現れたかのごとく、華やかで愛らしい。
だが、この場にそんな表面上の愛らしさで騙される者はいない。
初対面だとシンクレア嬢は思っているが、この部屋の主立った者たちは充分すぎるほど、シンクレア嬢と面識があるのだから…。
「カーレス家息女、シンクレアと申します。本日はお招きもないのに不作法をしてしまいまして…」
わかっているならするなよ、と。
この場にいた女装男子どもはきれいに心の声をそろえていた。
その後ろに控えながら、鈴蘭も顔を伏せたままに思う。
結局このお嬢様、言葉を濁して決定的な謝罪の言葉は口にしなかったな…と。
可愛らしい外見の割に、この令嬢は『イイ性格』をしているようだ。
ともあれ、訪問してきた者を放置はできない。
ここはいきなりの訪問なのだから、追い返すことができないわけではないが…
今日は、実は対外的には何の用事もない。
もちろんスノウには細々とした内密の仕事があるが、社交や外出の予定は0だ。
そんな状態で追い出し、後々何の用事もなかったと知れたら…
いや、それ以前に。
このお嬢様は追い出そうにも、一筋縄ではいかない。
それは初対面の鈴蘭でさえ、何となく空気で察せられた。
そう、察せられてしまった。
だって見るからに、てこでも動きそうにない。
むしろ無言でこちらを威圧してくるんだけど…
…え、これ、もてなさないと、だめ?
もてなすとなると、色々と気を遣うもの。
招かれざる客の強引な「もてなせ」オーラに、げんなりと気が遠くなりそうだった。
「それで、本日はどう言ったご用件で?」
場所を移動し、応接間のソファにて。
ぼろが出るからなるべく喋るなと言明され、スノウは部屋の主にもかかわらず黙りがちで。
代わりに会話の主導を取ったのは、『スノウお嬢様』の『家庭教師』を演じるラプランツェ…チシャおねえさんだ。
鈴蘭は頭の中で、おねえさんを『男姐さん』と漢字変換した。
知っていないと見抜けない、あまりの女装ぶりに笑いがこみ上げる。
だけどぐっと我慢だ。
お嬢様と女装の舌戦は、ラプランツェの先制で始まった。
「カーレス家の一の姫に当たる方が、わざわざいらっしゃるのですから、余程のことですわね?」
にこやかにそう言いながら、相手に口を開く猶予を与えず、先制攻撃へ切り替える。
ラプランツェの瞳が、キラリ☆と獰猛に煌めいた。
「何しろいきなりのことで、こちらも何の用意も調えられず…何か不調法をしてしまうかも知れないと、私どもの主が気に病んでおります。主は大変人見知りでして…いきなりのことに恥ずかしがっておいでですわ。いきなりのことですもの。仕方ありませんわよね?」
だから自分が主の代わりに喋るのを容認しろと、言外に言っている。
さりげなく嫌味を混ぜている当たりが、笑顔の下の苛つきを如実に演出していた。
それでも口先だけは、殊勝に謝ってみせるのだ。
「本当に、気が利かずに申し訳ないですわ」
その顔は、本当に申し訳なさそうだった。
しかし、鈴蘭は見た。
ラプランツェの口元が、添えられた手の下、隠れた場所で緩く吊り上がるのを。
突撃令嬢シンクレアには、見えなかっただろうが…。
だけどシンクレア嬢は、このラプランツェの言動をどう思っているのか。
ラプランツェの口撃に対する反応を、鈴蘭は怖々と窺った。
シンクレア嬢は笑顔だった。
涼やかに、ころころと笑いながら…弧を描く眼が、何故かこわい。
「あら、そんなことはありませんわよ」
お嬢様の声は、楽しそうに弾んでいるのだが…
その声音の下に、舌なめずりする山姥の姿を垣間見た、気がした。
「こちらのとても華やいだ様子を耳にして、是非お友達になりたいと思いましたのよ。近頃はスノウ殿下が留守にしているせいか、なんだか寂れてしまって…社交の席を明るく彩ってくださる方がいらして、皆もとても気になっていますのよ? その真偽を確かめたいと思うのは、仕方のないことですわよね? 私ったら、いてもたってもいられず、はしたないとわかっていながら、つい。不作法をしたのは私の方ですもの。お気になさらないで?」
ラプランツェとシンクレアの、有無を言わせぬ迫力がぶつかり合う。
言っている内容そのものよりも、二人の背後で絡み合い、ぶつかり合う気迫が恐ろしい。鈴蘭は二人の背中に、白虎と青龍を見た。
スノウはもう、恐ろしさのあまり顔面蒼白だ。
紙のように顔を白くして、身を縮こめている。
その様を見て「男のくせに情けない」とは、鈴蘭にはついぞ思えなかった。
だって、自分も怖いから。
よくよく見回してみると…
サンドリオは何故か平気そうだが、ベルリオもまた、気分の悪そうな青い顔をしていた。
このまま急病を装って、追い返せないかな…
スノウの青い顔を見れば、あながち不可能とも思えない。
だけどその手段を取ろうにも、シンクレア嬢はこちらに提案させてくれなさそうだ。
もはや頼りはお前だけだと、希望を見る目がラプランツェに集まる。
しかし魔法使いはそんなこと、どこ吹く風で…
どことなく、シンクレア嬢との舌戦を楽しんでいる風に見えるのは、何故だろう。
二人は互いに嫌味と腹の探り合いを繰り返すだけで…
埒があかないなと、鈴蘭は遠い目をした。
そんな間にも、鈴蘭には仕事が迫る。
お湯が沸いた。
いきなりの訪問で全く準備などしていなかったが、お客がきたのであればお茶を出さなければならない。
そしてお茶を出すのは、訪問された側の侍女の仕事だ。
つまりは、鈴蘭の。
しかし暗黙の了解として女装たちはわかっているのだが。
鈴蘭は本格的なお茶の入れ方など知識皆無の異邦人。
精々お茶なんて、実家にいた頃は番茶くらいしか入れたことがない。
そんな、鈴蘭が。
大貴族のお嬢様。蝶よ花よと育ったシンクレアに、お茶を入れるという。
…本来であればミレットの仕事なのだが。
今回は本当に、突然の訪問をミレットも腹に据えかねていたようで。
何事も挑戦、自分が教えるからやるだけやってみましょうと。
いつものにっこり微笑みで、鈴蘭に薦めるミレットも皆が見ていた。
その笑顔の下に、悪魔の憤怒を感じ取りつつ。
君子危うきに近寄らず、触らぬ神に祟りなし。
シンクレアの乱入5秒前の部屋にて。
恐ろしいミレットの企みに関して、女装男子たちは放置を決めた。
誰も止めないし、だからといって推奨もしない。
誰もが黙殺し、鈴蘭の危うい手つきから目をそらしていた。
その、鈴蘭のお茶が。
何も知らないシンクレア嬢に振る舞われようとしていた。
固唾をのんで見守る、皆の前で。
一応、鈴蘭は「いいのかなぁ?」と思いはしたが。
面白そうと思う心は抑えられない。好奇心は殺せない。
彼女の瞳もまた、他の皆と同じようにうずうずと期待に煌めいて。
気分は、なにやらドッキリでも見ているのと同等の気分だった。
鈴蘭のお茶は、なにやら最悪だった。
少なくとも最高級、最上級の手間暇と贅沢に囲まれて育ったシンクレア嬢には耐え難いほどに。
何しろお茶の用意に手間取り、時間をかけすぎたせいで香りは飛んでいるは、壮絶にぬるいは、かと思えば苦くて飲めないくらいに渋みが出ているは。
それなのに謎の甘酸っぱさと仄かな酸味、我慢できない猛烈な辛みが喉を直撃する。え、なにこの味。
しかも、その食感が。のどごしが。
いつまでも後を引く、ぬるっとした喉越しに、気持ち悪さばかりが残る。
シンクレアにとって、初めて飲むくらいの、とてつもなく不味い茶だった。
そう、それは、飲んだ瞬間に思わず吹き出して咳き込むほどの。
他人様の部屋へ突撃訪問しかける不調法者のシンクレアであっても、これほどの不作法は初めてというくらい、はしたない姿が皆の目に刻まれた。
そんな光景を前に、本当は笑いたいが笑えない。
腹筋総動員で笑いを耐え、表面上はしかつめらしくまじめな顔を保ったままの、彼ら。予想以上の威力を発揮したお茶に、拍手を送りたい。
その理性と腹筋と自己抑制は見事に立派なものだった。
そしてやらかした鈴蘭本人は。
鈴蘭自身もまずいとわかっていたのか…こめかみを掻きながら「あちゃ…」とか何とか呟いていた。
眼を白黒させながら、口元をハンカチで抑えて咳き込み続けるシンクレア。
彼女の苦しむ様子を見て、さりげなく茶器を手放し、自分から遠ざけるスノウやラプランツェ。
うっかり自身も好奇心で一口含んでいたサンドリオが、のたうつように苦しんでいる。
それは、まず間違いなく、茶の味ではなかった。
「…何を仕込んだんだ、ミレット」
苦しみの底で呻くサンドリオの声は、隣に座っていたスノウにだけ聞こえた。
「な、なんですの!? この液体は!?」
「…見ておわかりですわよね? お茶です」
「こんなものはお茶とは呼びませんわ!!」
苛烈な怒りを示す、シンクレア嬢。
その声は怒りと苦しみと喉の灼熱で、がらがらにかすれていた。
「申し訳ありません。生憎といま、普通の茶を切らしておりまして…」
「普通じゃないのは認めますのね!?」
鬼の首を取ったように騒ぐシンクレアに、ラプランツェがそっと手振りで落ち着くように示し、次いで鈴蘭へと注意を向けさせた。
「あの者をご覧ください。異国の者であること、シンクレア様にもおわかりでしょうか」
「…確かに、白の国の者ではありませんわね」
それがなにか?と、いきなり逸らされた話題。
シンクレアの眉が、不快な感情で寄っている。
「シンクレア様がお飲みになったお茶は、あの者が入れましたの。つまり、異国のお茶ですわ」
ラプランツェは、言い切った。
鈴蘭は根性で顔面の表情筋が動こうとするのを我慢した。
だけど本当は、心の動きが示すまま、顔をゆがめたかった。
――ちょっ 勘弁してよー!?
それが、彼女の本音だった。
確かに鈴蘭が入れたお茶である。
それが不味いのは、全面的に鈴蘭が悪い。多分。
だけど周囲求めなかったし、むしろ後押ししていた。
それをして、彼女にばかり矛先を向けようというのは誤りではないか。
少なくとも鈴蘭は、責任を押しつけられることに関して否を訴えたい。
私ばかりが悪いわけでは無いはずだ、と。
鈴蘭はシンクレアに一人だけ吊し上げを食らう未来を予想し、げんなりした。
しかし、彼女の予想とは違って。
シンクレアはあっさり過ぎるほどあっさりと、引き下がったのだ。
「まあ、異国のお茶…?」
「ええ、滅多にない風変わりな味も、全て異国に由来してのことですわ」
「風変わり…そうね。今まで味わったことのないお味でしたもの」
「ええ、とっても珍しくて、貴重なお茶ですわ。何しろ白の国ではこの者しか入れることができないのですもの」
「まあ…」
このお嬢様は、どうやら思った以上にチョロいらしい。
鈴蘭は失礼な感想を抱いた。
でも抱かずにいられないくらいに、笑顔で押し切るラプランツェの言葉で誘導されている。
いつの間にかただ単に不味いだけの鈴蘭のお茶が、いつしか『珍しくて貴重』な物へと表現がすり替えられつつある。
確かに個人の資質による味は、珍しいでしょう。
だけどそれを貴重と言い切られると、鈴蘭としては空笑いするしかない。
そしてそれを信じて、こちらに感心の目を向ける、シンクレア嬢にも。
どうやらお嬢様は、『珍しい』とか『貴重』というお言葉にとても弱いようです。
鈴蘭は決心した。
「おいしいお茶、入れられるようになろう…」
それはそれは、固い決意だった。
味覚を大変革もとい大破壊する鈴蘭のお茶は、予想以上の効果を及ぼした。
そのあまりの破壊力に、シンクレア嬢が当初の目的を忘れ果てるという事態を引き起こしたのだ。
もちろん、鈴蘭にとっては本意ではない。
だけどシンクレア嬢があまりのショックに目的を忘れたことは事実だった。
何のためにきたのか、何をしたかったのか。
今となっては過去のシンクレア嬢しかわからない謎である。
シンクレア嬢はひとしきり鈴蘭の茶のまずさについてラプランツェと盛り上がった後、おとなしく帰って行った。
彼女が本来の目的を思い出したのは、その日の就寝間際のことだった。
「…はっ 私ったら、今日は牽制に行ったはずでしたのにー!?」
しかし謎の令嬢スノウの元で出された茶の不味さを思うと、再訪問も踏ん切りがつかない。
二の足を踏んでいる内に数日が過ぎ去り、シンクレア嬢はすっかり期を逃してしまうのだった。
シンクレア嬢の去った後、スノウの部屋。
「………あのお嬢様は、何をしにきたんだ?」
「さあ?」
そこには首をかしげる女装の主従がいた。
シンクレア嬢が去ったと同時にスノウの向かいに座った鈴蘭も、生温い目をしている。
「本当にあれが王妃候補なの? 国滅ぶよ?」
「辛辣だな、鈴蘭」
「だって本気で心配になる。だって、この国が亡びたら私はどこに保護してもらえばいいの?」
「なるほど、切実だ」
「うん。切実なの」
「だが安心していい。王妃候補というのは、王家非公認の認識だから」
「…質の悪い騙りみたいで、大変だね」
「それなりに、ね」
その日、スノウや鈴蘭は。
予想以上のシンクレアの単純さを実感するだけで1日を終えた。
しかしこの日から。
先陣切った剛毅なシンクレア嬢を皮切りとして。
国王の策略で牽制を受け、二の足を踏んでいた貴族の令息・令嬢たち。
彼ら彼女らは突撃したシンクレア嬢の行いを勇気とし、行動し始める。
その露骨にして執念じみた、誘いの数々。
まずは何とか誘い出し、繋がりを得て干渉しようという思惑含みの誘いたち。
それは圧倒的質量を持って、スノウをうんざりさせることとなる。




