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王子様は休業中  作者: 小林晴幸
に。侍女はじめました。
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10.なんてことない朝のはじまり

スノウ達の朝の日常風景。





10-1 スノウの寝室事情



 スノウの朝は、暗闇から始まる。


「スノウ様、起きてますかー?」

 やがて微睡みの中、朝の支度を手伝いに訪れた侍女の声。

鈴蘭は慣れた動きで寝台の天蓋をめくり…更に布団をめくった。


そこに主の姿はなく、あるのは丸めて人の形に整えられた毛布の人形。


鈴蘭は更にぽいっと人形を床に放り投げると、敷布をがばっと捲った。

とたん露わになる、寝台の足。

そして寝台の下にある、ゆとりのスペース。

そこ敷かれたマットレスが、現在、スノウにとって仮の寝床だ。

「スノウ様、おはよーう」

「…おはよう、鈴蘭」

 寝台の下から、スノウがもそもそと這い出してきた。

「相変わらず、ものすごい用心の仕方だね」

「仕方ないだろう、必要なんだから」

 はあっと溜息を落とすスノウの姿は、朝も早くからやけに色っぽい。

若い娘さんとしては、心臓に悪いなぁと。

鈴蘭はさりげなく胸を押さえ、わずかに視線をそらした。


 ちゃんとした立派な寝台があるのに、スノウがその下で眠るわけ。

それは暗殺を警戒して…という訳ではなく。

ずばり夜這いを警戒しての行動だ。

しかも女装する前からの習慣である。


「はあ…」

「溜息が悩ましいから、落ち込むのは止めようよ」

「だけど折角、しばらくは寝台でゆったり眠れるものと思っていたのに…」

「短い天下だったね」

 

 王子として周囲にもてはやされていた時は、なりふり構わず手段を問わない女性から夜間の襲撃を受けることがたまにあった。

いくら警戒していても寝室に忍び込んでくるのだから、彼女たちは恐ろしい。

どこかで特殊な訓練でも受けたのか、警備がザルなのか。

そのどちらも本気で検討したくらいに、女性の訪ないは防げなかった。

本当に、一体どこから、どんな経路で進入していたのか。

ベルリオが調べても結局わからなかったのだから、余程のことである。


 侵入を防げないのならば侵入されることを前提に警戒することになった。

警備責任のベルリオが本気で頭を抱える事態である。

まず就寝の際、事前に侵入されていないかをベルリオとラプランツェが入念に調べた。

それこそ、魔法も惜しみなく使って。

それから次の間に不寝番の強化を見直し、それも何度となく確認する。

寝室の出入り口、窓の施錠はスノウ本人が3度も確認してやっと就寝だ。

特に戦時中でも、謀略が蔓延っている訳でもない平和な国。

なのに自分だけ何故こんなに警戒しなければならないのかと、不条理を感じた。


 それでも何故か突破される不安は抑えられない。今までが今迄だけに。

とうとうスノウは寝台にダミーを寝せて、自分自身は寝台の下で眠るようになった。

狭苦しい上に見つかりにくいそこで、彼はやっと安眠を手に入れた。

此処なら侵入されても、引きずり出されない限り夜這いは成立しない。

そして大概の女性は、健康な男一人引きずり出せるほどの腕力はない。

スノウは夜の間、朝までは決して寝台の下から出てこなかった。


 そんな苦い就寝事情には、本当にうんざりしていたのだけど。

女装し、別人になりすまし、悩みからつかの間解放されたと思ったのに。

彼の天下は、1週間と3日で終わりを告げた。

女装した姿と偽名が、夜会を通じて広く知らしめられてしまった為だ。

女性の侵入は無くなったのだが、今度は男の夜這いという危機にさらされたのである。

ある意味、女性の侵入以上に恐怖であり、脅威だ。


 寝室に男が忍んできたとき、スノウは本気の悲鳴を上げた。

幸か不幸か命の危険は伴わないが、貞操の危ぶまれる侵入騒ぎに良くも悪くも慣れていたベルリオたちが、即座に突入。迅速かつ的確に男を取り押さえた。

男の侵入経路は、窓。

女装する前であればスノウが何度も何度も確認し、確実に封じていた進入路だ。


 スノウは己の油断と警戒心の低下を本気で反省した。

そして警戒レベルを以前と同じに引き上げたのである。

そのお陰か、安息とはほど遠いが未だ被害は出ていない。

正体を隠しているため、警備が以前よりどうしても緩くなってしまうのだが。

今のところ、ベルリオやラプランツェ、それから同情的な何名かの女官の協力で巧い具合に警戒は張り巡らされている。





10-2 面白い噂



 貴族の噂は風より早く駆けめぐり、孔雀の羽のように華々しく飾り立てられる。

ようは、尾ひれ胸びれ背びれがついて、すごいことに。

それが恋愛沙汰だったり、女が関わる内容なら、ことさらに。

特に女性の間での噂は容赦が無く、時として酷い内容に変貌することもある。

所詮は娯楽。暇で退屈なろくでなしどもの、ささやかな暇つぶしなのである。


 そして彼らは場所をはばからない。

いや、内容によってははばかるのだろうが…彼らにとっては空気同然の使用人たちが、さりげなくその内容を拾っていることはままあることで。

使用人たちの姿が目に入っていながらも。

貴族の暇人たちが彼らの姿を認識しないのも、よくあることである。


 つまり、王宮で最も噂に詳しいのは、さりげなく噂を拾える絶好のポジションにいる存在…使用人たちなのである。彼らは王宮の裏事情にも詳しく、自分たちの触れてはならないルールや禁忌もよくわかっている。

だが、つかの間の休息。

その間、彼らが何を喋るかまでは…

使用人を空気と認識する暇な貴族たちには、抑制などできないのだ。


 そして鈴蘭はスノウに聞かせる面白い話を探すため。

使用人たちの井戸端会議に、度々しれっと参加していた。



 スノウは貴族への警戒が強い分、身内と呼べる近しい者たちには甘く寛容だ。

特にくつろぎの時間、食事や休憩は側近たちを誘うことも多い。

そして仕事の話を持ち込むようになった結果、一緒に食べることが習慣化した。

朝食時、最近になって仲間に加わった鈴蘭も、スノウたちと卓を囲む。


食後、あまぁい果物を頬張りながら、鈴蘭が一言。

「スノウ様、面白い噂を拾ってきたよ」

「うわさ?」

「うん。スノウ様に関するやつ」

「…なんとなくわかる気がするけど、想像はしたくないな」

 困ったように苦笑しながら、それでも自分に関することは気になるのだろう。

特に、自分の女装がどう思われているか。

本当に男とばれていないのか、時として不安に思うことも多い。

だから自分の噂を聞くことに、スノウは肯定的な態度を示した。

促しを受けて、鈴蘭が笑った。

「陰謀説と隠し子説と、婚約者説。どれから聞く?」

「何故かな。今の時点で既に悪い結果しか連想しかできない」

 スノウはしばし逡巡した後、心臓に優しい話から頼んだ。



 噂。王宮内ではスノウ令嬢に関する噂が早速錯綜している。


 1、王子の婚約者候補である説。

  →しかし現王妃が王族出身であるため、王族は許されない。

   ・マザコン王子が母に似た娘を見初め、王族と偽って引っ張り込んだ。

   ・王妃が自分にそっくりな娘を王子に宛がおうとして、抵抗を示した王子は家出してしまった。

   ・国王は2代続けて王族から王妃を選ぶことで、王権の強化を狙っている。


 2、王子の生き別れの妹説。

  →・王or王妃の隠し子説。

   ・双子で忌まれ、隠されていたが両親の罪滅ぼしとして引き取られた。


 3、国家を揺るがす陰謀説。

  →・王妃に似た容貌を利用して入り込んだ、他国の間者。

   ・貴族の若い男たちを籠絡し、国王の操り人形とするための工作員。

   ・その美貌で他国との婚姻外交に用いるため呼び寄せられた王の手駒。



「…などなど、バリエーションも設定も豊富な感じ?」

「……………」

 鈴蘭が主だったものを言い終えたときには、スノウは頭を抱えて卓に突っ伏していた。

「一つ気になったことあるんだけど」

「…なんだ?」

「スノウ様の婚約者、王族はあり得ないって皆が言ってる理由? 王族って駄目な訳じゃないよね? 王妃様も王族出身って聞くし」

「ああ、それか。駄目なんだよ」

「え。じゃあ、王妃様は…?」

「母上様は良いんだ。ただ、王家には2代続けて同じ家から妻を娶ってはならないことになっている。権力の集中化を防ぐ為にね」

「えー…、じゃ、スノウ様は王族以外の…その、貴族から?」

 鈴蘭は貴族の主立った令嬢、そのラインナップを思い出して頬を引きつらせた。

王子が一気に不憫に見える。

あの中から、割り切って嫁を探さないといけないのだろうか…?

不憫、以前に。

何故だか深く、複雑な感情が胸の中で渦を巻いた。


「そこですんなり納得して貴族から嫁を選べるようでしたら、こんなうだうだ逃げたあげくに女装なんてしてないですよ。王子は」

 サンドリオが肩をすくめて呟いた言葉は、鈴蘭の耳に届いてはいなかった。





10-3 シンクレア嬢の来襲予告



「スノウお嬢様、大変です」

 滅多に慌てるということのない、涼やかな声。

ノックの後、間をおいてから入ってきたのは、にこやかな笑顔の女。

しかし未だかつて誰も笑顔以外の顔を見たことがないと噂される、女。

「ミレット、どうした」

 母に遣わされた自分たちの補佐。

ミレットは鈴蘭と共に、スノウに使える侍女という立場だ。

普段はまるで侍女のお手本のような彼女が、こんなぶしつけな登場をするとは。

何事かと、室内の注目が集まる。

 場の注目を集めていることなど、毛先ほども気にせずに。

ミレットは充分に溜めてから、懸案事項を述べた。

「カーレス家のシンクレア嬢がこちらへ向かっているようです」

 場の空気が、騒然となった。


 カーレス家のシンクレア嬢。

その名前を、鈴蘭は侍女になってすぐに教えられた。

すなわち、要注意人物として。

それというのもこの令嬢が、令嬢に似つかわしくない行動力と猪突猛進ぶりで知られる、直情径行単純馬鹿娘(サンドリオ談)だからだ。


 スノウにとって災難なことに。

彼女は貴族たちが予想する王妃候補(非公式)のリスト上位者に食い込んでいる。

王家からの打診は全くないものの、彼女は将来の王妃の座に最有力な一人…

…つまりは、スノウの婚約者候補と目されている。

そして本人たち…シンクレア嬢を加えた、最有力妃候補とされる四人の令嬢は、恐ろしいことに全員が全員ともその気であった。


 つまり、我こそはスノウの未来の妻なのだと。

本気で、そのつもりで。本気で、スノウの妻の座を争っている。

公式には本当に全く、そういった打診はされていないにもかかわらず。

(幸い、伴侶の決定権はスノウに委ねられていた。)


 そしてその、厄介なイノシシ令嬢様が、こちらに向かっているという。

非常に失礼で残念なことに。

高い身分故に、今までいさめられることがあまりなかったせいもあるのだが。

彼女は先触れも招待の有無も全く気にせず、己の気が向けば相手の都合に思い至ることもなく、激情に駆られて突撃訪問することで知られていた。

きっと今回も、先触れのたぐいに思い至ることもなかったのだろう。

頭は悪くないはずなのに、色々とシンクレア嬢は気が回らない。

うっかりというには度を超したそれに、スノウは前々から疲れを感じていた。




 かねてから噂を聞いていた、シンクレア嬢。

その訪問を耳にして、鈴蘭は台風の到来を感じていた。

年甲斐なく感じ、スノウへの申し訳なさもあるのだが。

いとけない彼女は、台風の到来に内心でワクワクするのを感じた。


 そう、それこそまさに。

本物の台風到来を前にした、やんちゃ盛りの子どものように。




 国王の策略により、スノウに関わるにも互いを牽制しあう貴族の男女。

そんな中、過激に広まる噂を耳にしたシンクレア嬢。

互いが互いの動きを気にして動けないでいる中、目に見える行動として、彼女の訪問が最初の口火を切った。

安直で考えなしに突撃するのが、良くも悪くも彼女の持ち前。

周囲の思惑など一切感じ取ることもなく、彼女はただ己の欲求の赴くままに動いた。

彼女だからこそ可能とした、突撃&真っ向勝負という形で。

小細工も絡めても、遠回しな一切が苦手な彼女だからこそ。

逃げも隠れもする時間を与えられなかったスノウに、気の重い時間が訪れようとしていた。


 これから先、スノウの受難がどんな形を作っていくのか。

それはまだ、誰も知らないことではあるけれど。

最初の一歩というものは、あらゆる意味で幸先を占うようなもの。

シンクレアがどう出るのか。

彼女と接触した結果、どんな事態が引き起こされるのか。

予測のたてようもない未来に、スノウは気鬱になっていくのを感じた。






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