9.恋文とは燃やすゴミ
王宮の廊下を、軽快な足取りで進む少女がいる。
時折立ち止まっては道の確認をする姿。
それは不慣れを思わせるものだったが、概ね気楽な様子で歩みも止めない。
三日前であればまだおろおろと、初々しくも戸惑う姿を見せていたけれど。
1週間掛けて己の行動圏内を完璧に把握した彼女の歩みは、楽しげに弾むようで。
今こうして歩くことも、彼女には苦にならない様子。
その姿を遠目に確認し、複数人の紳士が動き出したことも、意に介さずに。
「おい、あれか?」
「ああ、あの侍女だ。間違いない」
「黒髪で小柄、異郷の顔立ちをした少女。確かに」
「では、行くぞ」
各々頷きあい、金髪の青年を筆頭とした小集団が少女の元へと向かう。
「待ってくれ、君」
呼び止めたのは、黄色みの強い緑髪の青年。
にこやかな顔に柔らかな声音で呼び止めるが、どう聞いても露骨な猫なで声だ。
これで機嫌を取れる相手は、三歳児か猫くらいだろう。
呼びかけに足を止めながら、少女は思った。
…この男、ご機嫌取りには不慣れだな、と。
そこに潜む傲慢さ、他は従って当然と考える身分の高さ。
普段いかに、へりくだった態度とは無縁であるのか。
声だけで、少女はそれを読み取った。
身分に裏打ちされた自信を敏感に嗅ぎ取りながら、少女は自然な作り笑いを浮かべる。
イメージするのはアルカイックスマイル。
曖昧だろうと何だろうと、国民性として自民族の最も得意とする作り笑い。
さあ食らえ、必殺愛想笑い…!
呼び止めてきた、四人の男達が何故か怯む。
だが、三人を率いていた金髪の男は直ぐに気を取り直し、更にグッと近寄る。
彼の行動に背を押された様に、残りの三人も少女を取り囲む。
まるで逃がさないぞ、と態度で示そうとするように。
「なあ、君」
「君の主人に…」
有無を言わせずに用を済ませてしまおうと、小さな少女を取り囲んだ男共は口を開くが…
「***、*****?」
「………え」
逆に、少女に機先を制された。
「*****?」
「……………」
「……………」
「………どうする?」
耳慣れぬ物言いどころか、言語そのものが聞き慣れない。
全く知らない言葉に、四人は完全に固まっていた。
そう、言語の統一された大陸に置いて、完全に予想外。
普通に考えて王宮には入れるような立場の使用人が、話せないことはないはずだが…
だが少女の異民族を思わせる姿が、信憑性を持たせる。
しっかりと確認しないまま、四人は妙な説得力に押されて思いこんでしまった。
この少女は、大陸の言葉を話せないに違いないと。
思いもしなかったが故に、四人は微妙な顔を見合わせる。
にっこりと笑む少女は、内心で男共の反応に大爆笑していた。
結果、男達は少女の手に手紙だけを押しつけて去っていった。
華美な装飾の施された手紙。
男達がそれぞれ持ち寄った手紙には、共通点が一つ。
四通の手紙には、全て宛名に同じ名前が書かれている。
スノウ・ホワイトという、名前。
最近になって社交界をさざめかせている令嬢の、白い名前が。
美しいご主人様(仮)に群がる男どもを思い出し、少女はまた一人で笑う。
「やっぱり鬱陶しいのを追い払うには、言葉が解らないふりが一番ね」
うんと一つ頷いて、少女は口端を吊り上げる。
その口から出てきたのは、流暢な大陸の言葉。
自然にすらすらと独り言を口にした後、少女は歩みを再開した。
一応とばかり、押しつけられた手紙をポケットに突っ込んで。
エプロンのポケットの中には、既に10を数える手紙が突っ込まれていた。
「ただいまー」
主人の部屋とは思えないほど気安く、少女はノックと同時に立ち入った。
部屋の中には三人の女性…に擬態した、男達。
彼女の便宜上の主人と、彼を筆答とした女装三人衆。
スノウとその側近達だ。
「あれ、どうしたんですか。鈴蘭さん」
「うん。ミレットさんがベルさんとチシャさん呼んでこいって」
「…どうした?」
いきなりの指名に怪訝な顔で、ベルリオが顔を上げる。
書き物机で書類に囲まれ、仕事に追われていたスノウも、鈴蘭の方へ顔を向ける。
「それがまたスノウ・ホワイト様宛で贈り物が届いたんだけど」
「またか…」
「うん。それで何か不審物が届いたみたいで…二人に確認してもらいたいって」
「不審物ー? 何が届いたっていうんだ」
うんざり。そんな一言が大きく書かれた顔でスノウが顔を顰めた。
「うん。それが…どうも、生きてる人間っぽいって」
「……………」
スノウの顔が、鈴蘭の言葉で固まった。
ベルリオやサンドリオの顔も、ものの見事に引きつっていた。
「おおぅ…なんという、後先考えず」
「だよね。体当たりにも程があるっていうか…食事とかトイレとか、どうする気なんだろ」
「そんな異常行動に出るヤツの心配なんて、したくない…」
がっくりとうなだれるスノウは、そんな姿も花のように美しかった。
スノウが女装し始めて、2週間。
だが彼が男の求愛に煩わされる様になったのは、4日前から。
4日前…それは、彼が女装姿で社交の表舞台に乱入した日でもあった。
ひっそりと身を隠すため、変装手段として女装と仮の身分を作った。
スノウとしては、このまま社交に煩わされる気など全くなく。
むしろ変わり者といわれてもいいので、自由に外で遊ぶ気だった。
だが、例によって例のごとく。
彼の母上様が命令をねじ込んできたのだ。
「どうせ交流を控えていても、遅かれ少なかれスノウちゃんの美貌と噂はすぐ知れ渡るに決まっているわ。それから無用な詮索をされるより、こちらから打って出た方が賢いのではなくて?」
最低限の「令嬢として」の義務を果たし、煩わしい詮索を抑えよ、と。
口ではそう言いながらも、母上様の目は笑っていた。全開だった。
声音にも、抑えきれない喜びがにじんでいる。
「まずは明日の夜会に出席なさい。正式な招待状もこの通り手配済みよ」
そう言って強引にスノウの社交界デビューを推し進める、母。
スノウはその姿に、「とりあえず娘がいない代わりに息子で遊びたい。華々しい場に引っ張り出して、豪華なドレスを着せてみたい」という本音を透かし見た。
本音に気づいてはいたものの…これまでの経験上、逆らっても無駄。
断固嫌だと抵抗しながらも、結局スノウはあきらめた。
そうして、とうとう令嬢姿で社交界デビューする羽目になってしまったのだが。
女装した王子様の美貌は、会場を空気ごとノックダウン。
生まれ持った顔と化粧の魔力とカリスマで、意図せず夜会を乗っ取っていた。
出席した貴族という貴族の、心を丸ごと魅了して。←特に男
…以来、スノウへの誘いと恋文と贈り物は途絶えることがない。
本気で列をなしているのかと、スノウは戦慄した。
ついでにいえば男からの恋文や贈り物なんて、気持ち悪くて仕方がなかった。
一応母親の手前、つきあいでいくらかの大人しめな誘いには乗った。
その度にスノウの顔を勝手にあがめる崇拝者が増え、彼の溜息も増えた。
スノウは完全に女の園、女だけの世界には絶対に参加しなかった。
本来ならば、令嬢という生き物はそういった誘いに応じて群れを形成する。
しかし本当は男であるスノウは、喜んで自重した。
女を装っていても、男である自分が女の園を覗くわけにはいかないと。
――その誘いには高確率でスノウを貶めたい女たちの陰険な罠が潜んでいたが。
それと知らずにスノウは回避に成功していた。
変な色気を出し、うっかり好奇心を出さなかった気遣いの勝利。
君子危うきに近寄らずという言葉を、女たちの企みを噂で耳にした鈴蘭は思い出した。
男集の女性に対する変な理想を瓦解させないため、黙っていたけれど。
「モテモテ(笑)ね、スノウ様」
「全く持ってうれしくないし、コメントも控えたい」
「そんなスノウ様に、また恋文が」
「またか…!」
心底嫌そうなスノウの眼前、机の上に鈴蘭はバラバラと手紙を落とす。
男からの恋文は、数えると21通あった。
あの後、どうやら更に増えたらしい。
顔をしかめながらもスノウは律儀に手紙の差出人を確認し、書き留めていく。
もちろん、今後その行動を警戒するためだ。
貴族の男なんてろくでなしが七割だ。しかもそろって恋愛脳。
おまけに強引さを美徳だと思いこんでいる馬鹿まで少なくない。
警戒を怠って放置すると、どんな行動に出るかわからない。
今後の要注意対象として、手紙や贈り物の主は全てリストアップされていた。
「カーレス家、セイラム家、軽佻浮薄で有名なキーリヨット家の嫡男はともかく、あの生真面目なシーザール家の息子まで…」
「あ、その人は確かに他のボンボンとは毛色が違ったかも」
貴族の男の、貴重な三割に属する男だ。
つまりろくでなしではなく、恋愛に命をかけるでもない。
本気で国の未来と政治に心を配り、領民の評判もいいという。
女装する前は親しく接したこともあるだけに、勝手ながら落胆の気持ちも強い。
「何にしろ名門ばかりですね。さすがスノウ様は女姿でも引く手数多でいらっしゃる」
「嫌味か? 喧嘩を売っているのか?」
心底感心したようなサンドリオに、王子は思わず机の上の文鎮を投げつけた。
…が、余裕で回避される。
しかも投げた文鎮まで床にぶつかる前に回収される有様だ。
思わず鈴蘭が拍手した。
王子も顔をしかめながら、拍手を贈る。
王子自身、予想していた展開だっただけに、なおさら面白くない。
たまには失敗すればいいのにと、心の中で毒を吐いた。
チェックの終わった恋文を、ばらばらと暖炉の炎へ投じる。
よく燃えるとほくそ笑みながら、ふとスノウは大事なことを思い出した。
「ところで鈴蘭。私は男共の手紙を貰ってくるなと言ったね?」
より正確に言うならば、貴族の男とはなるべく接触するなと。
そう言ったのに、平然と手紙を持ってくる少女。
スノウは自由に振る舞う鈴蘭に、咎める目線を送った。
「そんなスノウ様、いくら気色悪くても、受け取らないのは可哀想だし失礼ですよ? いくら気色悪くても」
「…まあ、侍女を装っている時点で、鈴蘭に相手を突っぱねるのは無理か」
「ですね」
「だけど心配だ。うまく逃げられるのなら良いけど、相手は貴族だ。中には使用人を家畜か何かと勘違いしている馬鹿もいる」
「へえ。そんな人が本当にいるんですね。さすが貴族社会」
「鈴蘭は危機感ないな。今は自分がその使用人だっていうのに」
「ああ、そうでした」
「鈴蘭、やっぱり侍女はやめないか?」
「嫌です」
心配そうなスノウに、鈴蘭はにっこり笑顔でずばっと返した。
「こっちの常識もマナーも知らない私にはお嬢様のまねごとなんて無理。更に言うなら、不自然。そこを使用人なら、変なことをしても『スノウお嬢様』が無茶ぶりしたってことにできるし、良い隠れ蓑だし、社会勉強にもなります。給金も出るし。
――こんなおいしい立場を、私がやめるわけないでしょ」
かなり正直に思うまま、鈴蘭は本音でスノウに接した。
右も左もわからない世界で、鈴蘭が最初に信用したのはスノウだった。
だからこそ他の人間を怖く感じ、無自覚にスノウに依存した。
側から離れることに不安になり、怯えてしまう。
執着というには、少しだけ自分を客観的に見ていたけれど。
そんな彼女がスノウたちから離れるわけもなく。
そしてかなり面白そうなことになっているスノウたちに好奇心を刺激され。
自分も彼らの女装という茶番劇への参加を望んだ。
もとより女である鈴蘭に、女装の必要はなかったけれど。
参加を表明したとき、スノウたちは真剣に鈴蘭の役所を考えた。
どんなポジションが良いのか、皆で案を出し合った。
常識やマナーに疎い現状、表だって目立つような立場はまずいだろう。
何か失敗をしても、叱られて済むようなポジションが良い。
…そういえば、侍女の席が空いている。
令嬢の伴に、侍女は必須だろうと結論づけて。
鈴蘭は、女装令嬢スノウ・ホワイトの侍女になった。
もちろん彼女だけでは心許ないので、本職の補佐もついたけれど。
スノウは深々と溜息をつくと、真剣な眼で鈴蘭を見据える。
「鈴蘭、相手の思惑が何であれ、侍女をしていれば何かを無理強いしてくる貴族もいるかもしれない」
「お嬢様でも、身分が上の人には逆らえないでしょ?」
「使用人はそれに輪をかけて危険だ。何か酷いことを要求されたとき、鈴蘭は逃げられるのか? どんなまねで退路を塞いでくるかわからないんだ」
スノウは本気で心配していた。
毛色の違う鈴蘭に、珍しさから興味を持つ者もいるかもしれないと。
鈴蘭は知らない。
己の異国の顔立ちが、単品ならばそれなりに目を引くこと。
しかし彼女がさほど目立たずにいられるのは、更に目をひくスノウが側にいるから。
そしてスノウ自身、それを知っていて鈴蘭をできる限り近くに置く。
目立つことが決して良いことではないと、トラブルも呼ぶものだと知っているから。
だからこそ、異世界の少女が無用な騒ぎに巻き込まれることのないように。
スノウは意識的に、自分の存在感で鈴蘭の気配を消そうとしていた。
スノウの懸念を知らない鈴蘭は、彼の心配ににっこりと笑った。
「面倒そうな相手なら、私はそもそも意思の疎通を潰すよ」
「は?」
「うん、ちょっと空気を無視して日本語でぺらぺらやると、たいていの人は逃げるね」
「…お前、そんなことしてたのか」
呆れたと、王子様は天を仰ぐ。
だけどすぐに再び鈴蘭へ目をやると、少し厳しい顔をした。
「そんなことをしたら、言葉が話せないことを好都合と考える悪漢が出るかもしれないだろう。口封じの必要なしと、無体に出るぞ」
「そのときは国王様の威光を出すよ」
スノウの心配など想定済みなのか。
鈴蘭はすぱっときっぱり、王の名を口にしていた。
「私は国王様にスノウ様のことを頼まれてるんだから、従いかねますって。私に何か求めるんなら、まずは雇用主の国王様とスノウ様に許可を取ってくださいってきっぱり言う」
「それは…最強の切り札だな」
「あながち間違いでもないでしょ。王子のお父さんに会ったとき、息子と仲良くしてやってくれって頼まれたし。良いお父さんだよね」
「もう、親に友達の心配されたり、指図を受ける年齢じゃないんだけど?」
「親はいつまで経ってもそんなもんだって言うよ。あきらめよう」
「はぁ…」
スノウの悩ましげな溜息は、犯罪まがいの色気に満ちていた。




