智慧毒
「ククッ。毎度」
懇意の奴隷商が、気持ち悪い笑みを浮かべて俺を見送る。
剣と魔法のファンタジー。
世の中高生、子供達と子供から大人になれない奴らが憧れる世界でトップを突っ走る、理想をそのまま体現したかのような世界に俺は生きている。
やっている事は至極単純。ただ智慧をばら撒いている。ただそれだけ。
智慧をばら撒いたからなんだ?
そんな風に考える奴もいるだろう。事実、俺以外の転生者の中には堂々と知識を披露して教会から異端と処断された馬鹿もいれば、信じられずただ埋もれていった奴もいる。
まあ、そいつらはまだ幸せだ。なんせ処断といっても痛みは一瞬だし、拷問されてもせいぜい蹴飛ばされて殴られるくらいだ。埋もれていった奴なんて、真っ当に働けば何の不条理も受けずに生きられるんだ。
ヤバイのは有用性を証明した。してしまった馬鹿だ。
こいつは即座に周辺の有力者から招かれてそのまま取り込まれて軟禁か、取り込まれる事を拒否すれば誘拐に遭って監禁されるくらいの末路しか残っていない。
そのどちらにしても、最終的に行き着くのは拷問によって知識を搾り出せるだけ搾り出されてもはや人の尊厳すら存在しない姿になって処分される。その様はもはや人の所業による結果とは思いがたいものがある。
そんな結末をまざまざと見せ付けられた転生者たちは、揃って口を噤んで大半が平和に生きることに固執するようになった。元々、冒険者という職業の現実を見せ付けられた奴らが智慧に頼ろうとしていた訳だから、当然と言えば当然の結果だ。
だが、そんな中でも全く違う事を考えた人間もいる。
俺を含めた、たかだか三人程度だが、転生者以外を含めれば、最近では裏どころか表でも噂される程の規模になってきた。
闇ギルド『智慧の実』
皮肉を込めて、アダムとイブが楽園を追われる原因となった果実の名を冠して、俺たちは活動している。
闇と付いているが、やっている事は犯罪でもなんでもなく、ただ智慧をばら撒いているというただそれだけの事で、たとえ憲兵が本拠に踏み込んできたとしても俺達を捕らえる事なんてできない。
何だ? 智慧をばら撒くなら先に挙げた転生者と同じだって?
全く違うね。奴らは何の計画性も無く、身を守る手段も無く、開示する相手も選ばずに知識を、智慧を振りかざした。その結果があれだ。
俺達は違う。連中と違って、きちんとデータを揃え、身を守れるだけの戦力と身を隠せる手段を用意し、より効率的に計画が成就できるように智慧を渡す相手を選んできた。
それだったら真っ当なギルドじゃないかと思っただろう?
真っ当に動くのと変わらない結果をもたらすなら、わざわざ闇に潜る訳が無い。むしろ、俺達はその逆を突っ走っているよ。
その“成果”を少しだけ開帳しようか。
『アンバレルラの黒き地獄』
『ゴーデス王位簒奪事件』
『アルバス・ミリエス戦役』
『ソートミスの破滅』
誰もが聞き覚えのある大事件。アンバレルラで猛威を振るったのは、俺の仲間の“元”医者が人工的に作った擬似『黒死病』だ。細菌兵器の概念とばら撒けば対象を確殺できると馬鹿な腐敗貴族に売り込んだら、この周辺では最大規模の街で使ってくれたものだから笑いが止まらなかったね。
いやぁ、それにしても、使うまでに奴らが発症しなかったのは本当に運が良かった。こんな世界で防疫なんて概念があるはずもないのに、どうして自分達は安全なんて考えられたんだろうね?
ゴーデス王位簒奪事件は、腐敗した馬鹿共に手に入れた王城の図面や警備の情報を加味した計画を“元”自衛官が立ててそのままそっくり渡してやっただけなんだがね。穏健派の王族と取り巻きを皆殺しにして、そこからは反乱に次ぐ氾濫。国自体が一気に崩壊してくれて抱腹絶倒物だったよ。まさかあそこまで完璧に嵌るなんて思わなかった。
それと比較しても、アルバス・ミリエス戦役は簡単だったなぁ。お互い以前からいがみ合っていた所にこっそりと連弩の設計図やら簡単な地雷や手榴弾の設計図を渡して、ついでに二国の密偵を洗脳して情報を遮断する。細々とした工作は色々やったが、結局やった事をまとめればそれだけだった。
で、だ。お膳立てされた両国はお互い“絶対”勝てると勘違いして大々的に軍を動員。結果は知っての通り、史上最悪を謳われる死山血河だ。俺の智慧も捨てた物じゃないと思ったね。元々、ただの武器オタクだったのにな。
ソートミスは三人一緒にやった合作だよ。ぶっちゃけ、俺達個人で所有する『兵力』の実地試験だ。まあ、改造して暗示を掛けた魔物を指定の経路で突っ込ませただけなんだがね。なんなら、俺達が出した命令は指定した都市の陥落、それだけだ。
それなのに“ちょっと”強くなって智慧を与えられた魔物が武器を持った“程度”で壊滅するんだから、大陸最堅の城塞都市も話だけだったと言うことだろう?
それにしても、ここまで盛大にやらかしてるのに、未だ他の転生者どもが動かないのは嘆かわしいね。多くをむざむざ奪われてるというのに泣き寝入りとは情けない。
“奪われて”立ち上がった俺達を馬鹿にしてるのかね? この世界は所詮夢だと?
もしそう思っているのなら、もっと凶悪かつ極悪な事でも起こすしかないのかな。組織としては真綿で締め付けるようにジワジワと追い詰めて行きたいんだが、転生者が一人も向こうに付かないとなるとワンサイドゲームになってしまうから水の入ったコップを落とすように終わってしまう。
まあ、それはそれで自業自得だとも言えるか。俺達から奪い、苦しめ、殺してきた連中に手を貸すなんて、脳味噌の入っていない馬鹿か奪われない――奪う立場に居た連中だけだ。前者はとうに殺されてるし、後者はこっちが追い詰められかねないから最優先の殺害対象だったからな。
……あぁ、なんだ。これは訂正するべき所だな。向こうにいた転生者はいたが、俺達の敵足りえなかったからこその今だったわ。弱過ぎて認識していなかったよ。
ん? どうしてそんな事をしているのかって?
ふむ。今更だな。まあ、そう難しくも無い。ありきたりな話だよ。元自衛隊のあいつは住んでいた村を貴族の気まぐれで焼かれ、目の前で妻を犯された上に八つ裂きになる様を見せ付けられたそうだし、元医者は医術を異端とされて妻を救えたはずの病で亡くし、愛娘を教会に奪われ、奴隷となり心を壊され達磨で転がっているのを偶然見つけたそうだ。
俺はそれよりは軽いな。何。ちょっと忌み子として村単位、町単位で迫害に遭って、転々とした先で恋人になった女性を貴族に寝取られただけだよ。他にも細々とあったが、もう覚えていない。覚えていないんだから、きっとその程度の事だったんだろう。
で、君はどう思う? 俺と同じように忌み子として生まれ、恥として塔に監禁された上にろくな食事にもありつけず、親兄弟から虐待を受け、国が戦火に呑まれた後には奴隷として二束三文で売られた“お姫様”?
…………フフ。いい返事だ。
いいだろう。君には俺が持てる知識の全てを伝えよう。ああ、あの二人の知識も一緒に叩き込んでみてもいいな。きっと、面白い化学反応を見せてくれる。
ああ、そうだな。君が智慧を身に付けたなら、望む景色などいくらでも見れる。
ま、その時に俺達が世界を滅ぼしていなければ、の話だがね。抗議くらいは俺もあいつらも聞いてやるよ。ただし、俺達は十中八九こう返すだろうがな。
「知るか。ちょっと智慧を付けたくらいで滅ぶような人類が悪いんだよ」
ああ。智慧というのは人を滅ぼす猛毒なんだ。誰も、そんな事には気付いていないだけで、ね。