江釣子藩江戸屋敷 edo house of ezuriko feudal clan
松並木の向うには鯉幟がいくつもはためいている。日差しが日に日に強くなって、石畳からの照り返しが強い。今日は端午の節句だ。
「下にイ。下にイ」
先触れの陸尺が揃いの濃紺の印半纏姿で声を上げる。旗持ちが高々と濃紺地に海老茶の羆の江釣子伊藤陸奥守の紋章入りの旗を掲げ、髭奴達が派手な仕草で毛槍を振って露払いを行う。黒漆に金の羆が象嵌された華麗な夥しい数の挟み箱の行列、弓、鉄砲隊のあとは凛々しい御徒士侍、屈強な駕籠脇武士に囲まれた金色燦然と輝く殿の大名駕籠。二百五十人の行列は奥州街道の終点、日本橋から外堀を巡り、天現寺、広尾を通り、南部坂のきつい登りに差し掛かった。坂を上り詰め、左に折れると道は広がって傍らに新緑の榎の大木が茂っている。陸尺が一際大きな声をあげた。榎の前に壮麗な屋敷門があり、門前に低頭した大勢の武士達が並んでいる。御駕籠は門前の広場に行き脚を止め、開門を待った。普段開くことのない中央の大扉がこの日は全て開放され、門傍に粛然とした表情の老武士が麻裃に居ずまいを正して待ち受けている。江釣子藩江戸留守居役筆頭家老、秋山鉄斎である。
「奥州和賀江釣子藩主、陸奥守伊藤一弥狗羆様、只今ご到着に御座ります」
随行の城代家老森井健悟衛門が門内に声を張り上げて告げる。
「遠路遥遥大儀で御座いました」
駕籠より新藩主伊藤一弥狗羆が小姓に手を引かれ出る。
「このようなむさくるしき侘び屋に殿おん自らお出ましなられるとは、恐悦至極でございます」
「なんの、参勤の途中である。苦しゅうない」
「さ、さ、どうぞこちらで御座います」
藩主は手入れの行き届いた刈り込みや大きな池の回りを巡って新装なった家老の屋敷に入る。唐破風の玄関を通り、磨き上げられた長い廊下を経て、畳廊下奥の四十畳敷きの表座敷には殿の御座所が設えられ十六双の金屏風が置かれている。鉄斎、梨絵姫はじめ江戸屋敷詰めの裃で正装した家臣達がずらりと並んで、来臨を待ち受ける。旅装を謁見の服装に改めた殿が表座敷に入る。左右に美少年の小姓が守り刀を捧げ持つ。浅藍に金糸模様の入った衣服、月代を青々と剃り上げ、大名髷を結った若き藩主。惚れ惚れする美丈夫ぶり。小姓頭の猿丸が甲高い声を張り上げる。
「各々方。此度畏くも十万石を拝領し、新藩主に就任された、陸奥守伊藤一弥狗羆様であらせられる」
「皆のもの、苦しうない。表をあげい。一弥狗羆だ。鉄斎。壮健と見ゆる。姫君も息災であられるか」
「はっ。梨絵姫はこちらへ控えております。此度の御加増、誠に目出度き仕儀にございます」
「うむ。そちを始め、藩内の者達が格別の働きを為したお陰である。一弥、礼を言うぞ」
「は、はっ。身に余るお言葉。あの安芸山を討ち取ったは、お犬様達と家臣八名の身を賭した働きによるものと自負しておりますが、殿をお救いもうしたのは、梨絵姫様のお口添えによるものでございます。姫様にもお礼の言葉を」
「おお、そうであった。姫君。此度は誠に世話になった。一弥狗羆、篤く御礼申しあげる」
「まあ、一弥殿。十万石の殿様が左様に頭を下げてはいけませぬ。頭をお上げください」
新藩主は着飾った美しき姫に丁寧に礼をいい、謝礼として和賀名産の山に積み上げた白絹、赤絹の反物を差し上げる。挨拶を終えた家臣達が下がり、茶菓が運ばれ、藩主は久しぶりに見る鉄斎の温顔に接し、寛いだ。
「しかし、この狗羆という諱名、鉄斎に附けてもらったが、中々良き名である。わしを助けた犬と、倒した羆の双方が入っておる。気に入ったぞ」
「恐れ入ります。何より勇猛な殿に相応しく強そうでございます」
「うむ。しかし、江釣子に戻り、日がたたぬにも関わらず、藩主就任、叉将軍家へのご挨拶を兼ねたる参勤交代。忙しうてならぬ。じゃから、絵里と婚儀を挙げたばかりでもう、江戸出府じゃ。これより三年も故郷を離れ、江戸住まいいたさねばならぬ。大名も辛いものよ」
「さすれば、絵里姫様を江戸に呼び寄せられたら如何でござる」
「それが、そうもいかぬのよ。参勤には妻子を帯同せずとの定めがある。だから余の江戸在府中は、側女をおき一時の慰めをせねば、身が持たぬ。鉄斎。梨絵姫殿。誰か良き女子があれば、世話してくれい」
「畏まって候。早速大江戸市中に隈なく探索の手を放ちましょう。殿の身の回りの世話、先に殿よりお情けを賜り、此度の討ち入りにも大活躍致しました、由紀、千恵女は既に殿様お屋敷にて待機しております」
「うむ。造作を掛けた。然しながら、久方ぶりに見る、梨絵姫様は叉一段と美しうなられた。女子の盛りの色香が匂うようだ」
「まあ、殿様。お上手なこと。いつぞや、勅使饗応の指南を受けるため、我が屋敷を訪れたことがございました」
「いや、今考えると、甚だ赤面ものでござる。如何に指南役、安芸山に謀られたとは申せ、姫君の御座所に犬の毛皮を纏って参内するとは。我ながら情けないことでした」
「今は笑い話で済みますが、あの時は一弥殿、必死のご様子でしたわ」
「面目ござらぬ。田舎者故の失態でござる。これからは姫君から京振りを教えて頂かねばならぬ」
「それは良きお心掛けでございます。わらわが手を取ってしっかりと教えて差し上げましょう」
にこやかに微笑みかける姫君に、若い殿様はすっかりのぼせ上った。
「しかし、鉄斎。貴公は果報者よのオ。老齢にも関わらず、斯様に美しき姫君と共に暮らせるとは。余もあやかりたいものだ」
「じ、実は殿。われら二人、本日は青山にある宮下という隠れ茶屋を予約してござります。静かな小部屋で逢瀬を楽しむ所存」
「な、、なんと。主人であるワシが遠き彼方の奥州より到着し、一の家臣である貴様から歓迎の宴を受けるものとばかり思っておった。許せぬ」
「憚り乍、殿。この宮下と申す茶屋は大層人気が高く、例え万金を積もうとも容易に席は確保出来ませぬ。此度は裏から手を回し漸う手にした僥倖。例え殿にご無礼仕ったとしても行かねばなりませぬ」
「無礼者メが。貴公は毎日毎晩姫君と顔を合わせ、いちゃついておろう。一晩ぐらいワシの相手をせい」
「そうは参りませぬ。殿。それでは御免」
鉄斎と梨絵姫はさっさと座を立つと手と手を携え、何時の間にか呼んでいた駕籠に二人して乗り込んで、茶屋へ向かってしまった。残された殿様はあっけにとられ嘆息した。
「あ奴、以前より身勝手な男であったが、主人のワシがわざわざ参勤の途中立ち寄った、正にその日に出かけてしまうとは。此度の働き殊勝なる故、加増してやろうと思ったが、止めにする。くそっ!癪に触る。猿丸!馬ひけいっ!」
怒り心頭に達した一弥狗羆は、青鹿毛の愛馬岩手を駈って、南部坂より鉄斎と梨絵姫の行く茶屋のある、青山忠成の屋敷付近まで責めていった。盛んに鞭を振るい、土ぼこりを上げて走ると、遥か前方に二人を乗せた駕籠が見える。どうやら忠成の菩提寺、梅窓院の竹林奥の茶屋を目指しているようだ。二人は駕籠を降り、相変わらず手を携えながら、竹林の間の狭い路地に入っていく。
「お、おのれ。逃がしてなるものか。どうっ、どうっ」
馬を巧みな手捌きで止めた一弥は、ひらりと降りて、竹やぶの陰に身を潜める。曲がりくねった石畳の両側に並ぶ石灯籠に明かりが灯って足元を照らし出している。前を行く二人連れは立ち止まって、静かに姫を抱き寄せると、唇を吸い合わせている。
「主人をさておいて、このような高級な茶屋にしけこみ、我が面前にて唇を合わせるなど許されるわけもない」
怒りに震える殿を尻目に、二人は店の中に吸い込まれていった。
「た、頼もう。余は奥州和賀江釣子藩主なるぞ。たれか」
「女将でございます。どなたでございますか?ご予約は頂いておりますか」
「よ、予約なぞしてはおらぬ。しかし、余の知り合いが今この店に入るのを見た。そこへ案内せい」
「どこのどなたであるか存知あげませぬが、この店はご予約無き方はどのようなご身分の方でもご案内出来かねます」
「むっ、余は十万石の大大名なるぞ。そこをどけ」
「いえ。どくわけにはまいりませぬ。容易く初めてのお客様を予約も無しに招じ入れたら、店の沽券に関わります。それだけの格式を有しているとの自負もございます。早々にご退去願います」
「むう。そこもとの言い分尤もである。じゃが、我が藩の江戸家老が宮中の姫君と忍び逢いを致そうとしておる。客で無くても良い。どこぞ二人の動向を伺う部屋に入れてくれ。こ、この通りだ」
十万石の殿様にこう頭を下げて頼まれると、流石の女将も同情した。
「極狭い布団部屋がお二人のお部屋の隣にございます。そこで宜しければ特別に入れて差し上げましょう」
「女将。恩にきるぞ」
一弥は二畳ほどの狭い明かりもない行灯部屋の布団の隙間に身体をいれ、隣の様子に聞き耳を立てた。やがて衣擦れの音がして梨絵姫と鉄斎が部屋に入った。
「姫。以前一度逢い引きした同じ部屋でございます」
「あら、ここでは姫なんて言わないで」
「では梨絵。些か暑うござる。上の着物を取って、美しい肌を見せてくだされ」
「あい。では脱ぐと致そう」
「ごくっ。正に美肌の極み。胸乳のハリも一段と増して、触り甲斐もあろうというもの」
「寄り添っていいかしら、てっさいさん」
「む、無論でござる」
ふうんと遣る瀬無い声を聞いた隣に潜む一弥は、思わず興奮してしまう。
「な、な、なんという不埒な振る舞い。料理も出ぬうちから斯様にいちゃつくとは。聞きしに勝る濃密ぶり。クソ」
「ごめんくださりませ。仲居でございます。お料理をお運びして宜しいでしょうか」
「ん。暫し待たれよ。只今姫君お召し替えである」
姫君は着物を羽織るが胸元は広げて悩ましいまま。
「このままでいいわ。呼んでください」
仲居が呼ばれ、やがて料理が次々運ばれてくる。先付け、小鉢、蒸し物に続いてお造り。主菜は髭鱈の焼き物。姫君は器にも造詣が深く味とともに陶器もお褒めになる。
「こちらは京懐石とは異なり味がしっかりしています。器は萩が中心ですが、美濃の良き品が選ばれ、盛りつけも中々のもの」
最後に黒い土鍋に入った牡蠣飯が運ばれてくる。女将に連れられて料理人が挨拶に来る。
「毎度ご贔屓に預かり、光栄に存じます。手前、板場で花板を勤めさせていただいております、一弥と申します」
「ふむ。若いのに良い腕をしておる。これからもちょくちょく寄らせてもらう。よしなにな」
「あら、板さんが一弥とはね。今頃殿様の方の一弥さんはどうしているかしら」
はぁ、はっくしょん・・・
「襖の向うからくしゃみが聞こえる。女将。誰かいるのか」
「とんでもございません。隣は布団部屋。きっと忍び込んだ猫がくさめをしたのでございましょう」
「そうか、猫か。さもあらん。まさかあのように狭く汚い布団部屋に我が殿がいるわけもござらん」
「そうね。ほ、ほ、ほ」
・・くしょん、くしょん、はぁ、はっくしょん・・
「女将。可笑しいではないか。このクサメは確かに人間のもの。猫では御座らん。どっかの隠密が我らの動向を探っているやもしれん。御免!」
鉄斎は素早く刀を身につけ、襖を一杯に開く。
「曲者。出て参れ。容赦せぬぞ」
大刀をぎらりと抜くと構わず、積み上げられた布団に突き刺していく。
「待て。て、鉄斎。余じゃ。一弥じゃ」
「む、殿ではござらぬか。何故斯様な不潔な小部屋に潜んでおられるのか」
「十万石の大名が布団部屋に隠れ、隣の部屋の様子を伺っていたことが、万一表に出たら、叉切腹、取り潰しになってしまいます。まさか私たちの逢引を盗み見しようなど、下劣な気持ちを持たれたのではありますまいな」
「い、いや、何。そ、その・・長旅で布団が恋しくてナ」
「戯言を申されますな。如何に家臣といえども、殿から私事中の私事たるこうした出会いを覗き見されるのは、許しがたきこと。観念めされれい。私が成敗させて頂く」
「て、鉄斎。余が悪かった。許せ」
「いや、許しません。一刀両断にしてくれる」
「おい。ワシを誰だと思っておる。賎しくも、奥州和賀江釣子城主なるぞ」
「鉄斎は殿の家臣かも知れませぬが、わらわは今こそ、この男の世話になっておりますが、元は天子様間近にお仕えした中宮なるぞ。たかが田舎大名などわらわの一言で死ぬも生きるもしよう。現にこの前の騒動のおり、わらわが将軍に頼まなんだら、今頃冷たい骸になって、墓の中に入っておろう」
「む、むっ。わ、ワシが悪ろうござった。イヤ、貴公と姫があまりに睦まじく出掛けられたのを見て無性に羨ましくなった。それで恥ずかしながら跡をつけた。更に店の門前でそなたらが唇を合わせているのを見、我慢できず女将に頼み込んでこの部屋に入れて貰ったのじゃ。声を聞いただけじゃ。決して盗み見はしてござらぬ」
「怪しい。私が襖を開けた時、僅かに隙間があり申した。殿がこっそり開けたのではござらぬか」
「しもうた。姫君の押し広げた胸元の艶やかな美肌が汗に濡れて光っておる。ワシとて若い男。見たくなるのは人情」
「殿。姫はわたくしのものでござる。余人から左様な助平心で見られることを潔しとは出来ません。やはり両断せねばなりません」
「鉄斎殿。もう良いではありませんか。一弥殿は婚姻したばかりの絵里様とは、閨も共にせず江戸に出てまいられたのです。ですから、私達のことが妬けてしまい、叉一人で置き去りにされ淋しかったのだと思いますよ。鉄斎さん。許してあげて」
「そ、そこまで姫に言われますと。殿。今回限りですぞ。本日の出来事は無かったことに致しましょう」
「梨絵姫様。なんという優しい心根。このやさしさが鉄斎を虜にしたのだな」
「如何にも左様です。姫君は外見が稀に見る美貌。だが其れだけで無く、心性の清らかで優しいこと、それこそ天下一品」
「ま、鉄斎。わらわはそれほどではありませんよ。偶にはイジワルも申します」
「いや、姫様のイジワルには、全く毒が含まれておらず、寧ろ仰られると心地よい思いです」
「叉始まった。妬けるではないか。鉄斎。如何にすれば斯様に美しき姫君と懇ろになれるのじゃ」
「されば、その極意を特別にお教え致しましょう。それはお洒落出江戸でございます。出江戸とはでえどとは濁らず、でえとと読むのでございます。姫君のお着物、お羽織り、袴、草履、小袋、簪、指輪、など身に付ける品々を、まずどのようなものがお似合いか、更に美しく見えるにはどうすれば良いのかを真剣に考察致します。この時姫君のお好みを聞き、如何なる傾向のものがお好きなのか勘案し、事前に呉服屋や小間物屋、飾り金物、草履屋などを巡り、新しい品が出ているかどうか確認をします。叉瓦版や絵草紙を隈なく渉猟しなにが今の流行物なのか把握しておきます。そのような準備を致しましたら、姫君と共に、イヤ、この共にと申すのが肝心でござる。素人は勝手に思い込んで買い込み、後に女子の気に入らぬ品であるようなことがございます。これは絶対に避けねばなりませぬ。共に店に出向き姫様に選んで頂くのです。決して自分の趣味を強要してはなりません」
「なるほど。あい解った。そう申せばワシは以前、気に入った女子に皮草履を購ってやったが、気に入らぬ様子であった」
「左様です。好みと申すは人夫々。千差万別です。しかもお洒落上手の姫君ならば、尚更身につける品の吟味は熾烈でござる」
「そうですよ。好まぬ品を頂くほど気分を害するものはありません。下さった方の手前、その方とお逢いする時は、厭でも身につけねばなりませんから。それと殿方自身が美への見識を高めて頂きませんとなりませぬ。下品なものを薦められるとゾっとします」
「ふむ。ワシは田舎者故、未だ都会の風俗には慣れておらぬ。洒落者と言われる歌舞伎者の衣装など良く解らぬ」
「お洒落と申すは一朝一夕では為すことは適いません。粋な言葉、姿、心意気が江戸では男たるものが身につける枢要な課題なのでございます。殿は是より相当ご努力せねばなりませぬ。先に進みましょう。二人で気に入ったお召し物を購うことが出来ましたら、次はそのお召し物を姫君に着ていただいて、茶屋を選び食事を共に致します。何処の茶屋にするか、これも難題です。まずその着物の雰囲気に見合った店であること。ついで料理の味、、何の料理が出来るか、仲居の出来、部屋の造り、調度等々を十二分に吟味し、これも姫君と良く相談の上決します。そして二人で仲良くその店に行き、姫の着物を賞味しながら歓談、興が湧けば本日の如く口合わせなどをする訳です。これをお洒落出江戸と申します」
「殿様。ここで食べましたる砂糖菓子は摩訶論と申します。仏蘭西国にて拵えましたる一品。亜々門人という豆を磨り潰し、粉とせしものを和三盆の如き精製した砂糖と混ぜ合わし、焼いたものでございます。極めて美味なるが故、彼の国の貴族のみが口に出来ます。これはホンの一例ですが、斯様な知識も身につけねばなりませぬ」
「ふむ。中々困難ではあるが、努力次第でワシにも出来るものかな?」
「これを為すには掛かりが嵩みます。吝嗇な素振りは厳禁でございます。態度物腰を鷹揚にし、更に武士らしくキチッと恥ずかしくない作法で女子をそれとなく見守る。こうでなくてはなりませぬ。身体中を身奇麗に保ち、不潔を避け、食べ零しなど為さらぬことでございます。お話しする事柄は卑猥な事柄は勿論、女子を貶めるが如き言葉は絶対に避けてください。尤も私自身、しばしばこれと正反対なことをして、都度姫君よりお叱りを頂戴しております」
「貴様。ワシの知らぬうちに色々苦労しているのだな」
「私はこの程老齢故隠居と決めております。さすればこの掛かりを捻り出す手段が無くなります。困惑の限りで懊悩しております」
「何。隠居とな。何故そのようなことを企んだのじゃ。ワシは許さぬ。鉄斎には是まで以上、ワシに尽して貰いたい。隠居など持っての外だ」
「そうよ。てっさいさん。隠居なんかしたら老け込んでしまいます。私と遊べなくなります。そんなのイヤじゃ。イヤ」
「左様ですか。姫君とお洒落出江戸が出来なくなるのは困るし、殿にも出江戸の初歩からお教えせねばならぬ。隠居は止めと致しましょう」