終末にヒーロー
これは周知の事実だが、この世界は2つ目だ。
世界は一度終わって、新しい世界が生まれた。
何故世界が終わったのか、それを説明するのは容易ではない。直接の原因を説明することはできなくはないが、その原因が生まれた原因はさらに深いところにあって、その原因の原因が生まれた原因は…とまぁ、辿って行くときりがない。だから世界を終わらせた直接の原因だけをお話することになるが、どうか許してほしい。
世界を終わらせた原因。それは、第三次世界大戦である。
第三次世界大戦が勃発したのは1月4日。国家間の対立、経済格差、民族紛争、宗教問題…などなど、世界には問題が溢れていたから、正確に何がきっかけというのはちょっと無理だ。まぁその時の世界の様子を例えるなら、鞄いっぱいの荷物を持って綱渡りをしていたら、綱が切れてしまった、といった感じか。
第三次世界大戦における戦死者は、いったい何人なのか見当もつかない。いくつかの国家は滅亡(歴史の教科書でしか見たことがないような言葉だが、最近の出来事だ)したし、大国も人口の0の数が減ったりした。地球規模で人口が減るなんてことは、この大戦を除けばこれまでありえなかったし、これからもありえないだろう。それでも人間が生きているのは、最後まで核のスイッチだけは押さなかったからに違いない。自らを滅ぼしかねない愚かな人類であるけれど、そこはよく堪えたと言える。
まぁその世界大戦は終わった。終わり方は、何と言えば良いか、自然消滅とでも言っておこう。世界中が疲弊して、戦う元気がなくなった。そんな感じだった。
しかし口論する元気だけはなくならなかったようで、その後しばらくは戦後処理で大いにもめた。戦争を始めるきっかけはいくらでもあったが、終わらせるきっかけは中々見付からなかったようだ。
最終的に、この大戦を終わらせるのに約200人の犠牲が加えられた。約200人。単純に考えて、世界中の国で一人ずつ死んだことになる。
ではなぜ約200人は死んだのか。
単純に考えて、とさっきは言ったが、訂正する。それが真実だ。
世界中の国々で、一人ずつが死んだ。
とある国際会議で、このような提案があった。
歴史を白紙に戻す。
無謀すぎて誰も発言しなかったことを、どこかの国の代表が提案した。全てのしがらみを切って、もう一度世界を構築する。そんな馬鹿げた提案は当然一蹴されるはずだった。
しかし、そうはならなかった。
もう、そうするしかないだろ。ある大国の代表がそう言うと、反論するものはいなくなった。多分、みんなわかっていたのだと思う。もう、どうしようもないのだと。
結果、世界の方針は決まったが、その後は荒れた。世界中の問題が一気に再燃した。まぁ至極当然なことだろう。これを認めたら、問題は永遠に解決できなくなるのだ。それら全てを白紙に戻そうというのだから、それなりの代償が求められた。それに応えて世界が差し出したもの。
人間の命。
世界中の国から平等に一つずつ、命が差しだされた。全ての国家が平等に痛みを分け合うことで、全てを御破算にしようというわけである。はっきり言って馬鹿げている。そんなことで解決するわけがない。
けれど、どうしようもなかった。これは儀式に近い。生贄を捧げて、もうやめてくださいと世界にお願いするわけだ。もしかしたら神に、か。
数日後、その提案をした国の一人が、最初の一人が、死んだ。頭を自分で撃ち抜いて、死んだ。人が死ぬ瞬間が世界中の目に触れた。
ある国では志願者を募って、ある国では抽選で、ある国では指導者の好みで、一人は選ばれたらしい。条件として死刑囚、病人、高齢者は除かれていたから、必然的にまだ先のある若者が対象となった。命の重みに違いがあるとは思わないが、多くの可能性を持った命、それを消さねばならないとは随分と残酷だ。
しかし、驚くほど迅速に、世界の国々は命を差し出していった。まるでそれが当然であるかのように、次々と。世界の終わりカウントダウンなんてものまで作られた。もう、全てが狂っていたのだろう。
そして最後まで命を差し出せない国が、一つ残った。
まぁその国らしいと言えばその国らしいのだが、そんな呑気なことを言っている暇はなかった。全ての国が命を差し出すことに意味があるのであり、どこか一つがそれを拒めば世界は再構築されない。その国が裏切った、それだけが世界に残る。
その国は人を殺すという経験が他国と比べて圧倒的に足りなかった。もちろんそれは悪いことではない。人を殺すことなどに一度もせずに済むほうがいいに決まっている。しかし、今はどうしても一人、人を殺さなければならない。軍隊もなく、海外に援助へ向かうのも大問題になるその国に、この問題は大きすぎた。いつまでも一人は決まらず、最初の一人が死んでから既に10カ月が経っていた。見かねた世界の国々は、年内に一人を選び死亡させることをその国に要求した。それができなければ、世界は消える、そういうことだ。
そんな世界を救ったのは、一人の女性だった。
「私が死にます。死にたいです。」
彼女はそれまで一度も鳴ったことがなかった志願者用回線に電話をかけ、そう宣言したという。
彼女には家族もいたし、友達もいた。それら全てを投げ捨てて、彼女は命を差し出した。世間の評価は様々。彼女に感謝するものもいたし、頭がおかしいと嘲笑するものもいた。どちらにしても今の世界は彼女のおかげで成り立っているわけだから、批判するのは間違っているだろう。
そして、彼女は死んだ。
一筋の涙を流して、死んだ。
そして。
世界の終わり。
彼女が死んでしまった今、彼女に何があったのかはもうわからない。どんな気持ちで死んでいったのかもわからない。残ったのは、無残な世界。
教科書に載る真実は一つだけ。
世界が始まるのに、200人の犠牲が必要だった。それだけだ。
歴史の教科書を見てみると、上手く作りかえられている。ご丁寧に年号まで変わり、人類が石器を持った段階から今に至るまで、まるで小説のようだった。歴史の教科書がフィクションとは、皮肉なものだ。
けれど、はっきり言ってしまおう。世界が変わったところで、何も変わらなかった。新しくなったものなど、何もない。せいぜい教科書が新しくなったくらいのことだ。同じように国家は対立したし、経済格差は生まれたし、民族紛争は起こったし、宗教の教義はバラバラだった。生まれ変わったというより再生しただけだ。世界が2つ目になっても、結局同じだった。
再び、世界は、終末を迎えている。
恐らく、また同じように世界は終わって、新しい世界が生まれるだろう。そしてその世界もまた終わって、新しい世界が生まれて…。
くだらない。
突然だが、ここまで説明してきたのはナレーターではなく私だ。今のところ名乗るつもりはないので、「私」とでも解答用紙には書いておけばよろしい。
さて、なぜ私がこんなことをしているかと言うと、話すことは全て話しておこうと思ったからだ。しばらく皆さんとはお会いできなくなる。
まぁよく考えて欲しい。今自分が生きている世界は、見たことも会ったこともない、赤の他人の犠牲で成り立っているのだ。赤の他人のために、命を投げ出せるか? 誰かが自分のためにそうしてくれるのを待つのか? 私は待つつもりはない。たとえ同じであっても、何も変わっていなくても、赤の他人が命を投げ出して始めたこの世界を、無様に終わらせるつもりはない。それにこれから先、世界なんていくらでも変わる。その機会を、私は失わせたくない。
と、いうわけでちょっと世界を救ってくる。救えるかどうかは五分五分と言ったところだが、私は救うつもりで行ってくるから、まぁ期待していて欲しい。
その後世界はどうなったのか、世界は終わったのか、それとも続いたのか。
またお会いできたら、説明しよう。
「ちょっと世界を救ってくる」とか、言ってみたいですよね。