第4話
チョコは無事、セリナ君の手に渡った。
チャイムの第一音が、夕闇の校庭に溶けて消える瞬間の出来事であった。
彼の手が、私の差し出した泥だらけの小箱に触れる。
指先から伝わる微かな体温が、私の胸に直接火をつけた。鼓動は爆発寸前、肺は小さな炎で焼かれるように痛み、膝はまだ微かに痙攣している。手のひらに食い込む箱の角を通じて、私の全存在が「ここにいる」と震えていた。
成功したのだ。
私は、あの中世の処刑場のような廊下を抜け、不条理な重力と戦い、橘王の魔の手を逃れて、ついに目的地へ辿り着いたのだ。
全身が泥と汗で塗れ、髪は乱れ、顔には涙と砂が混ざっている。
それでも、確かに、私はここに立っている。
「……これ、僕に?」
セリナ君は驚きに目を見開き、そしていつものあの心もとない、しかし世界を無条件に肯定するような天然の微笑みを浮かべた。
「ありがとう、メロナさん。君、すごく一生懸命走ってきてくれたんだね。顔、真っ赤だよ」
真っ赤どころではない。
返り血を浴びた敗残兵のように、あるいは茹で上がったタコのように、私の姿は無様そのものだ。
だが、胸を刺す棘のような羞恥と、勝利をかみしめる陶酔が、まるで喧騒の中で二重奏を奏でている。
胸の中に渦巻くのは達成感ではなく、自己嫌悪の濃密な塊だった。
成功したはずなのに、勇気を出したはずなのに、この小さな一言だけが私の努力の証なのかと、私の心はもがいた。
世界は何も変わらない。
太陽は相変わらず西に沈み、明日の予習は山積みで、私の卑屈な性格が急に華やかになるはずもない。
だが、それでも、私はここに立っている。倒れずに、諦めずに。
ふと視界の端で、校舎の影から芹香が、そして敗北を認めた橘王が、こちらを見ているのが分かった。
芹香は親指を立てて涙ぐみ、橘は忌々しそうに肩をすくめつつ、どこか満足げな笑みを浮かべている。
クラスメイトたちの「おーっ」という歓声が、遠くの波音のように校庭を伝い、私の鼓動と重なった。
ああ、滑稽だ。
なんと滑稽な、乙女の狂騒曲であったことか。
私は、泥だらけの手で小箱を握りしめ、微かな震えを感じながらも、全てをこの手に収めた。「勝利」とは、こんなにも苦く、こんなにも愛おしいものなのだ。
「……はい。中身、少し割れてるかもしれませんけど。私の、自尊心みたいに」
思わず漏れた自虐的な言葉に、セリナ君は「えっ?」と小首を傾げた。
その無垢さに、私は自分という存在の小ささを笑わずにはいられなかった。
しかし、私は走った。
裏切りと誘惑と絶望の濁流を乗り越え、私は自分の意志で、この場所に立った。
全身に刻まれた砂と汗の匂いは、虚構ではなく、私がここに生き、戦い、息をしている証だ。
夕陽が長い影を作り、私の泥まみれの足元を赤く照らす。背中に聞こえるセリナ君の声が、私を引き上げるように優しく響く。
私は、深々と頭を下げ、そのまま踵を返した。
校庭を抜け、影の長い自分の足取りを確かめるように一歩一歩歩く。
恥の多い生涯である。
けれども、今日の私の汗の匂いと、泥まみれの足跡は、決して嘘ではなかったのだ。




