第1話
放課後のチャイムが、終末の鐘のように鳴り響いた。
あと三十分。それは、一人の乙女が伝説になるか、あるいは永遠の道化として歴史に埋もれるかを分かつ、残酷な猶予であった。
私は、震える手で机の中からチョコの包みを掴み出した。
昨夜、月光と自己嫌悪を隠し味に練り上げた、世界で最も重苦しい甘味である。
包み紙の端が、私の指先の痙攣に合わせてカサカサと乾いた音を立てる。
まるで、私の卑小な決意を嘲笑っているかのようだ。これを手に、私はセリナ君の待つ、あの聖なる中庭へと走り出さねばならない。
「メロナ、死ぬんじゃないわよ。あと、そのチョコ、しっかり持ちなさい。握りつぶしたらそれこそ『悲劇』じゃなくて『喜劇』なんだから」
芹香の、まるで出征兵士を送るような悲痛な――そして妙に現実的な声が背中に刺さる。彼女は生活指導の目を盗み、人差し指で「行け」と鋭く廊下を指した。
「……死ぬのは、私の誇りだけよ。行ってくるわ」
教室の扉を開けた瞬間、私は立ちすくんだ。
廊下は、人で溢れていた。
下校を急ぐ生徒、部活へ急ぐ猛者。
汗の匂いと、浮かれたバレンタインの空気に毒された有象無象どもが、私の行く手を阻む「動く壁」となって立ちはだかっている。
右から迫りくるのは、巨大なエナメルバッグを背負った野球部員。
彼が振り向くたびに、その鈍器のようなカバンが私のこめかみをかすめる。
左からは、短いスカートをなびかせた女子の集団が、甲高い笑い声を弾丸のように浴びせてくる。
なぜだ。なぜ人間は、私の前にこうも壁を置くのか。
壁に貼られた「整理整頓」のポスターが、私の乱れた心を冷ややかに見下ろしている。
なぜ、歩くという行為は私にとって、宇宙を背負うほどに重すぎるのか。
私は、激怒した。
いや、正確には、自らの内向的な性質が招いた「運動不足」という名の業に対して、激しい憤りを覚えたのである。
「どきなさい! 私の行く先には、一人の無垢な少年、そして私の小さな人生が待っているのよ!」
心の中では、そんな烈火のごとき叫びを上げている。
だが、実際の私はといえば、すれ違う他人の肩に触れることさえ恐れ、蟹のように横歩きをしながら「すみません、失礼します」と消え入るような声で謝罪を繰り返すばかり。
もし、ここで誰かにこの無様な姿を見られ、「あら、メロナさん、何してるの?」などと声をかけられたら。私はその場で自爆し、カカオの塵となって消え果てるだろう。
ああ、情けない。私は、疾走することさえ許可されない、薄のろなカタツムリに過ぎないのか。
太宰は書いた、メロスは激怒した、と。
ならば私は、この「自意識の過剰」という名の重石を背負いながら、のたうち回る乙女である。
私は、一歩を踏み出した。
階段は、私を天国から引きずり下ろすために設計された、地獄の段差であった。
一段上るごとに、膝の皿が笑い出し、足首は悲鳴を上げ、肺は使い古されたふいごのように熱い空気を吐き出す。
喉はカラカラに乾き、唾液さえもが粘土のように重い。
汗が、額を伝い、私の薄いメイクを無慈悲に剥がしていく。
せっかく時間をかけて引いたアイラインが、今や私の頬を黒く汚す絶望の川と化しているに違いない。
鏡を見る勇気などない。
今の私はきっと、狂気の乙女の形相をしているだろう。
曲がり角が近づく。
あと数歩。その角を曲がれば、中庭へと続く直線通路に出るはずだ。
心拍が、ドク、ドクと、耳のすぐそばで太鼓を鳴らす。
視界が少しずつスローモーションに切り替わり、廊下の騒音さえもが遠のいていく。
その時であった。
曲がり角の先から、不吉な、太陽を遮る黒雲のような影が――
重厚な靴音と共に、あの橘王が、取り巻きを引き連れて姿を現したのは。




