8話.燕の子安貝
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翌日、俺の意に反して噂話は二分されていた。
一つはもちろん大伴の海難話。死に物狂いで助けを求めた後、泥棒扱いを受けこっぴどく叱られたという。
実に愉快な話だが、もう一つの噂も負けてはいなかった。
「五人目の恋人候補である麻上が、燕の子安貝をとろうとして籠から落ち、腰の骨を折ったらしい」
紘介が笑いながら言った。
面白くはないが微笑んでおいた。
姫は終始俯き、顔を隠していた。
笑っているわけではなさそうだ、むしろ。
「ところで、麻上はどこに入院している?」
「え?」
「だから、麻上が収容された病院は何処だと聞いている」
「病院って……帝、そんなこと聞いてどうすんの?」
はぁ? と、素っ惚けた声を出しそうになった。
要するに、彼らは笑うだけ笑って当人の心配はしていないらしい。
俺もべつに、心配しているわけではないが。
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中流階級貴族の病室。
やや煌びやかなその部屋は、平民から見れば一等級の広さと絢爛さを誇る。
檜の扉を叩き病室に入ると、レースのカーテンに包まれたベッドで眠っていた麻上が顔を上げた。
「見舞いというものに来てみた。腰骨を折ったわりには元気そうだな」
花を突き出して言うと、麻上はふっと笑った。
「男に花か。つくづく変わってるな、帝は」
「人の心遣いを笑うとは、相変わらず無礼なやつだ」
麻上は花を受け取り、匂いを嗅いで「ありがとう」とまた笑った。
俺はベッド脇の椅子に腰掛け、足を組む。
「さて、麻上。君の間抜け話を聞かせてもらおうか。昨晩は酷い雨だった。そんな時になぜ、燕の子安貝を得ようとしたのか」
「……かなり、噂が広まっているようだな」
「当たり前だ。君のような阿呆は滅多にいない、面白がられて当然」
「そうか……一つ誤りがある、腰の骨は折っていない」
「ほう」
「手首の骨だ」
麻上は右手を掲げ、ベッドに横たわる左腕を指した。
俺はため息を吐く。
「どちらも同じだ、間抜け」
「まあ、似たようなもんだな」
口元に手をあてくすくすと笑う麻上は他のどの恋人候補より貴族らしかった。
「嵐の夜に子を産む燕は子安貝を持つと、東城の大旦那様に聞いたんだ」
「浅はかなり。いくら目上とはいえ、あの東城を信じるとは」
「年配の言葉には従えって言うだろ?」
「知らんな、そんな迷言。俺は東城が好かん」
「同じ御三家なのに、月詠家と東城家は仲が悪いからなぁ。でも、東城の狗である俺の見舞いにはちゃんと来るじゃないか」
「勘違いしてくれるな、麻上。君は紘介と同じ、数少ない俺の友人だ」
そういえば、最近もう一人友人と呼べる人間が出来た。
そう告げると、麻上は嬉しそうに微笑んだ。
「心配していたんだ。帝は位の高さゆえに独りになってしまうのではないかと。あ、ごめん、最上位貴族に対して馴れ馴れしいな」
「構わない。ここは病室だ。病人か健全者かのどちらかしかいない」
「お上様がそれを聞いたら、お怒りになるだろうなぁ。帝さ、姫のこと好きだろ?」
「…………は?」
唐突な質問におかしな声が出てしまった。
普段見せない俺の困惑顔を見て、麻上が微笑む。
「つまらぬ冗談を。好きどころか、ろくに話したこともない」
「一目惚れって言葉あるだろう? あれ、前世が関係してるって知っているか?」
「前世?」
「生まれる前から恋い焦がれ、その想いが今の世に繋がっているらしい。ただその場合、悲恋。叶わぬ恋を次の世に願って、一目惚れという形で表れることが多いらしい」
「夢物語だ」
「だけど、素敵だと思わないか?」
相変わらずの笑顔で麻上は俺を見た。
子を見守る親のような目で、再び微笑んで言った。
「帝。俺さ、転校するんだ」
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我が身の無力を恥ず。
「じゃあ」などと簡素な挨拶を告げて、麻上の病室をあとにした。
数少ない友人が一人遠ざかる。
北の大陸。
たいした距離ではないが、今ほど親しく会話することはなくなるだろう。
ため息を吐いてエレベーターのボタンを押した時、中から黒髪の麗しい少女が現れた。
「あっ」とお互い、しばし見つめ合う。
「麻上のお見舞い?」
俺が尋ねると姫、夜武羽姫はこくこくと頷いた。
両手で抱える小さな花束の可愛らしいことこの上ない。
「奥の突き当たり、部屋に名前のプレートが貼ってあるからすぐわかる」
さっさとエレベーターに乗ろうと姫の横を抜けようとした時、腕を掴まれた。
「一緒に、来て」
「え?」
「ごめんなさいを言いたいのです」
目線は少し下、花束で口元を隠す姫の姿が愛らしかった。
しかし何ゆえ敬語?
*
「えっ? いやいや、全然。姫のせいではないよ」
深々と頭を下げる姫に、麻上はブンブンと片手を振った。
「でも私が難題を出したせいで」
「ああ、それは、夢ばかりで現実を見ようとしなかった俺らが悪いしね」
姫は悲しそうな顔で、誤魔化すように笑う麻上を見つめる。
「違うんです、私。本当は……」
「恋人なんて欲しくなかったんでしょ?」
姫が言い出す前に、麻上が答えた。
「知ってた、というよりわかってたよ。諦めさせようと難題を押し付けたんでしょ? なんだあの女って、みんなが愛想尽かすように」
「……ごめんなさい」
「謝ることはないけど、学んでおくといいよ。男は逃げれば逃げるほど追い求め、欲しくなる。なにがなんでも手に入れて、俺のほうを振り向かせてやるって思ってたよ」
くすくすと笑う麻上につられ、姫も微笑した。
しかし麻上が発した次の言葉で、ぴたりと表情を消す。
「それに、姫はもう、好きな人がいるよね?」
「…………え?」
「前世の因果」
麻上は親指と人差し指でくの字を作り、俺たちを見た。
わけがわからず惚けた俺と姫だが、しばらくしたところで俺が「は?」と首を傾げた。
「なにを言っている、麻上。おかしな冗談を……」
笑い話にしようと姫に視線を落としたが、ぱっと顔を背けられてしまった。
「……冗談、だよな?」
俺の言葉に誰も返答せず、やがて看護師がやってきて追い出されるように病室を後にした。
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そんなことがあった故であろう。
麻上の引っ越しの日、俺は起床すると同時に彼のもとへ向かった。
本意にしても不本意にしても、きっかけを起こすには彼の許可が必要だと思ったのだ。
俺の言葉を聞き、麻上はいつものようにくすくすと上品に笑った。
「頑張れ帝、応援してる」
よく晴れた青空の元、数少ない友人が笑った。
互いに手を振って、小さくなる麻上の姿を見送った。




