7話.竜の首の珠
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阿部への説得を終えた俺は、近くにある公園の遊具に腰掛けていた。
ブランコという、板を鎖で宙吊りにしているものだ。
闇雲に動いても意味はない、まずは尻尾を掴んでからだとの考えて、暇を持て余す。
することもなくブランコを揺らしていると、入口に香坂繭が立っていた。
「サボりですか、先輩」
繭は嬉しそうに、さも偶然であるかのように近寄ってきた。
俺は知っている、この少女が俺を探し回っていたことを。
「君だってサボりだ」
「あら、私は先輩を探してたもの」
自白までしてしまった。
繭は鎖に手をかけ、左足の太股を俺の足の間へ押しつけた。
「暇なんですか?」
「…………いや」
面倒なことになった。今は気分が乗らない。
近づく唇から逃げるように横を向くと、繭は頬を膨らませた。
「先輩、最近付き合い悪いですよ?」
「草臥たサラリーマンのような台詞だな。青春真っ盛りの女子高生が口にするものではない」
「もー! そうやってすぐはぐらかして! 先輩はSなんですか?」
「いや、Mだな。正確にはM・T」
「イニシャルの話じゃないですよ!」
ぷりぷりと怒る繭。
ちょうどその時、公園の入り口に人影が見えた。
「あ、恋人候補の人」
俺の視線に気づき、振り返った繭が声をあげた。
公園の入り口に立っていたのは姫の恋人候補の一人、大伴だった。
『竜の首の珠』を要求され、大海原へ繰り出すと噂の。
噂話は真であったのであろう、大伴の手には大量の海図があった。
「潜水艦にでも乗るのか?」
尋ねると、大伴はカッとなって俺を睨んだ。
「竜の首の珠を取りにいくんだ!」
と、なんとも情けない返答。
「竜こそ御伽噺のまた夢物語だ。どうやって捕まえる?」
「馬鹿にするな、竜は存在する!」
「ほう。何処に?」
「日本海に決まってるだろ。天竺や蓬莱まで行ったやつらと違い、俺の目的は日本にある。こんな容易いことがあるか」
「だから、全て御伽噺だと言っているだろう」
「ほざいてろ、月詠。姫に言を受けた翌日から、家来を総出して竜を探してるんだ」
「君は阿呆か。すでに三週間、諦めろ」
「竜は存在する。無能な家来と違い、俺は鼻が聞くんだ。絶対に姫の望むものを持って帰ってくる」
会話が噛みあわない。
どうやらこの男と話をするのは困難を極めるらしい。
ため息を吐こうとしたが、その息は繭の口に吸い込まれた。
「頑張ってください、大伴先輩」
濡れた唇で繭が言う。
大伴は顔を赤くし、そそくさと逃げだした。
「繭……今のはあまり、感心しない」
「あら、だって先輩。もうこれ以上話したくないって思ってたじゃないですか」
「なんと。心が読めるのか、君は」
「ええ、先輩専用ですけどね」
再び唇を押しつけられそうになったとき、タイミング良く携帯が鳴った。
*
どうもこの世は俺に都合よく、あるいは不都合に回っているらしい。
防波堤から海を眺めると、港に大伴の姿があった。
せっせと出港の準備をし、俺に気が付くと敵意を込めた目で睨んできた。
「月詠! なんでこんなところに居るんだ!」
「君こそ、こんな悪天候に港で何をしている?」
「悪天候? どこをどう見ても快晴じゃないか!」
大伴は両手を広げ、青空を俺に見せた。
確かに、一見は快晴空だ。
「向こうに大きな入道雲が見えるだろう? 風の流れも速い。数刻後には海を荒らす豪雨になる」
「なにを根拠に……」
「なにを? だから、雲行きが怪しいと言っているだろう?」
頬杖をついて忠告してやったが、大伴は聞く耳持たずで船の帆を張った。
「そこで指を咥えて待ってろ、月詠。姫は俺の女になる」
「悪いが、所用があるので君を待つわけにはいかない。指を咥えるような癖もない」
「はっ、相変わらず気味の悪い男だぜ」
「気味の悪い……?」
「おら、さっさと行くぞ!」
それきり大伴は俺に対する興味を失ったみたいで、たった一人の家来を連れて海原へ乗りだした。
浅はかなり。
救い舟を出しておこうと思ったが、今の『気味の悪い男』呼ばわりは結構効いた。
用を済ませてからでも遅くはないだろう、船を出すのもやめよう。
*
にわか雨が降り出した夕暮れ、もうすぐ夕立ちに変わるであろう頃。
港倉庫の脇、一仕事終えて茶を啜っている唐人の前に立ち、にこやかに微笑んだ。
「貴方が、唐の商人か?」
俺が言うと、彼は脇に置いていた鞄の紐を強く握りしめた。
「なにか御用で?」
「金を返せとは言わない、騙されるほうも間抜けだ」
「は? 何のことだ?」
本当にわけがわからない、という表情。
俺は腕を組み、笑みを絶やさぬようにして男を見下ろした。
「日本語が話せるのか、よくできた詐欺師だ」
「詐欺師とは無礼な。自分はただの貿易官だが」
「職に従事していれば牢に入ることもなかっただろうに」
「……失礼を承知で言わせて頂くが、倭の国の学生の、何たる不躾な」
「その言葉、そのままお返し致します。さて、商人殿、火鼠の皮衣とは何ぞや?」
「は?」
「先日、数少ない俺の友人が悪徳商人に騙されましてね。こうして犯人を探しているのです。心当たりはありませんか?」
商人は一瞬顔をしかめたが、すぐに取り繕うように嘘臭い笑みを浮かべた。
「俺の知り合いにそんな男はいない」
「ほう……男、ですか」
「まあ、悪党は許すまじと言うし、怪しい奴を見かけたら君に一報入れよう」
「いや、その必要はない」
「は?」
「他人との会話でこんなに苛々させられたのは久方ぶりだ。そして、貴方のような阿呆に騙された友人を持つ自分が情けない。全て茶番、とんだ猿芝居だ」
途端、辺りが明るくなった。
眩しさで目を瞑った商人が再び瞳を開くと、警察の服を着た人間が数多、彼を取り囲んでいた。
「な、なんだ?」
「数々の悪事を働いた割には頭が悪すぎる」
暗記していたその男の犯罪歴を読み上げると、商人は真っ青な顔をして俺を見上げた。
「幼稚な罪ばかりだが、如何せん数が多すぎる。おそらく重罪。倭国の人間なら、簡単に騙せるとでも思ったか?」
語っている途中、商人が脇に差していた小刀を突き出して俺に向かってきた。
咄嗟に避け、小刀は俺の頬をかすった。
慌てた警察の者が商人を取り押さえる。そのうち一人が俺にハンカチを差し出したが、片手でそれを拒否した。
かすり傷、きっとたいした傷じゃない。
目に見える傷なんて、たいした傷じゃない。
「悪党許すまじ、でしたね? 不躾な倭の国で礼儀を学んでください、ついでに人の心なるものも」
警察の者に俺の姓は出さぬよう念を押したあと、商人に背を向けてその場を去った。
指で血を拭うと何故か、灰を撫でた阿倍の姿を思い出した。
今、雨が地面に落ちると同じように、あの時も、微かな涙が皮衣の灰を濡らした。
*
港に戻ると遠くの海に難破しかけた船が一隻見えた。
これだから、プライドだけ高い貴族のお坊ちゃまは困る。
側にあった公衆電話に小銭を入れ、この辺一体の海を取り仕切っている漁師の家に電話をかけた。
「もしもし! 大変なんです、僕の友達が海で溺れかけてて……え? どうしてこんな嵐の日に海に入ったかって? 誰もいないから魚が取り放題だとか言って。友達は貴族ですが、名ばかりで実際の生活は魚も食えぬほど。とにかく助けて、無事に救出できたら、××高校の飛語先生に連絡を入れてください。ええ、担任です。よろしくお願いしま……え、僕の名前? 同じ高校の……あ、お金がなくなる!」
丁度一分。
通話が終わったことを確認し、受話器を置いた。
額に手をあてて眺めると、チラチラと難破船の光が見えた。
信憑性も事実もある、大丈夫だろう。
事後に至っては、噂好きな飛語教論のことだ。
明日には大伴の面白話が聞けるに違いない。
猿芝居。
我ながらよい演技だったと思う。




