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34.真意と本音



 姫の友人達が去ってから一分もしないうちに姫が現れた。

 そうなるだろうと予測していたが、やはり目の当たりにすると動揺する。

 パタパタと階段を駆け上がっていた姫が足を止め、俺を見上げる。


「やぁ」


 自然に笑えていただろうか。

 手が震えてはいなかっただろうか、衣服は乱れていないか、おかしい所はないか。

 誰かに見られることがこれ程までに緊張するとは。

 少しでも良く見られたいと、格好をつける努力をすることになろうとは。

 恋とはとても恐ろしく不思議で、愛おしいものだ。


「久しぶり、と言うべきか」


 返事はない、表情も変わらない。

 姫は難しい顔をしたまま階下から俺を見つめていた。

 目線が交わせている、それだけで充分だ。


 俺の声は君に届く。


「君の友人は逃げ足が速いな、苦労したよ」


 一段下りて歩み寄るが、姫は逃げない。一歩、また一歩と階段を下るにつれ、姫と過ごした日々の記憶が蘇った。

 初めて姫に文を贈った、歌を届けた日のことや、笑い合った日。

 共に桜を見ようと……


「いとをかし」


 誰かを愛らしいと思う気持ち。

 必死に取り繕って、格好よく見られたいと見栄を張ること、想いを馳せながら月を見上げること。

 何度も、同じ内容の文を書き直すこと。

 それを手間と感じない、不思議な感覚。

 俺は確かに、彼女に恋をしていた。

 本当に楽しかった、側にいてくれるだけで満足で。

 世界の全てが変わった、輝いて見えた。


「歌が、好きですよね?」

「……え?」

「取り戻して来ました」


 姫との距離が一メートルになった時、右手に持っていた文の束を差し出した。

 呆気にとられた姫が、おそるおそる手を伸ばす。


「君が好きです」


 指が触れる直前、俺の声でそう言った。

 いま言うつもりはなかったのに、言葉が勝手に出て来てしまった。驚いたのは俺だけではない、姫も同様で、互いにじっと見つめ合う。


 誤魔化すか?

 いや……恋とは勢いだ。


 言ってしまえ、いま。


「ずっと、ずっと君を追いかけてきた。月を見上げては涙を流し、富士の白煙を見ては心を痛め。来世は、もし生まれ変われたのなら、今度は、想いを伝えようと……好きです、姫」


 姫の目が見開かれる。

 ポタッと床に落ちたのは彼女のではない、俺の涙だ。

 あぁ、こんなにも、愛おしい。


「……帝様」


 情けなく涙を流す俺に、姫が手を伸ばした。

 文の束を持つ俺の手を、姫の指が包む。細い、しなやかで儚い指先。ひんやりとしていて、まるでこの世の物とは思えない、姫は美しい。

 なぜ彼女は、かぐや姫は月へ帰らなければならなかったのだろう。

 なぜ地球に残ることができなかったのだろう。

 なぜ、俺たちは引き裂かれたのだろう。


 月を憎んだ夜から、何度生まれ変わっただろう。


「帝様、私は……」


 姫がなにかを言いかけたので、涙を拭って顔を上げる。

 しかしそれと同時、


「羽姫! こんな所に居たのか」


 階下からの大声に、姫は言葉を止めてしまった。

 目を向けると、階段の下には東城の姿があった。


「付添の者から連絡があったぞ、庶民を追ってはしたなく走り逃げたと。こんなところでなにを」


 階段を登る東城が、ようやく俺に気がついた。

 瞬時になにかを悟ったようで、気不味そうに視線をそらす。


「勝手な行動は慎めといっただろう? 付添の者の慌てようといったら」

「それで、兄様自らここへ? 申し訳ございません」


 顔を青くした姫が、膝をついて東城に頭を下げる。


「あぁー、今はいいから、そういうの。面を上げろ」


 言われた通り、姫は顔を上げて立ち上がる。

 東城家における女への躾は特に厳しいと聞くが、たった一週間でこれ程までに姫が謙るとは。


「ろくでもないな、東城家は」


 思わず声にしてしまい、東城の厳しい視線を浴びた。


「今はとやかく言うまい。帰るぞ、羽姫」


 姫の腕を掴んだ東城が踵を翻す。

 しかし姫が動かなかったので、一度立ち止まった。


「帰るって……」

「別れの挨拶を終えたら東城の屋敷に入ると約束しただろう? 反故にするのか?」


「あ、いえ……参ります」


 諦めたようにうつむく姫。

 堪らず、東城が握っていると反対の姫の手を掴んだ。


「約束というのなら、俺が先だ」

「は? なに言ってんだ、帝」

「以前、姫と約束を交わした。それをまだ果たせていない」

「おまえ、誰にもの言ってるかわかってるか? 羽姫は東城直系の娘で、俺はその嫡子だぞ。同じ御三家である月詠のおまえが俺に喧嘩を売るとは」

「月詠の名なら捨てた」

「はぁ? 捨てた?」


 東城だけでなく、姫も驚いたようで顔を上げて俺を見た。

 面白い、予想以上の反応だ。


「戸籍を確認してくれて構わない。月詠に俺の名は残っていないだろう」

「離脱したのか? いつ?」

「今朝方、ちなみに離脱ではなく除名という形だ」

「はぁぁ? 除名? なにしたんだよ、おまえ」

「後で藤宮にでも聞いてくれ。そして故に、姓なしの俺が君に意見しようと月詠家には何の問題もない。今は一私人、ただの帝として君に歯向かっている」

「いやいや、だからって……はぁ? マジで除名? そこまでするって、そんなこと聞いてない……なに考えてんだよ」


 東城が盛大なため息を吐く。

 姫に至っては、震える手を口元に持っていき青ざめていた。


「東城、姫と話がしたいのだが」


 俺の懇意に、東城はふいと視線を逸らした。


「今は認めない。東城における戒律の厳しさは知っているだろう? 羽姫に与えた自由の時間はとっくに過ぎた。俺にはこいつを東城の屋敷に連れ帰る責務がある」

「そうか。でもそれば、本人がそれを承諾しているならば、であろう?」

「なにが言いたい?」

「姫が東城に入ることを厭うなら、俗世に留まりたいと願うのなら、強制する手立てはないはずだ」

「……羽姫」


 東城に呼ばれ、姫はビクッと身体を跳ねさせた。

 軽く辞儀し、言葉を待つ。


「おまえ、東城の屋敷に入るって言ったよな?」

「……申し上げ、ました」

「本意からではなかったのか?」

「いえ……え、っと」


 姫が言葉を詰まらせた。

 東城も俺も、彼女の次の言葉を待つ。


「あの言葉は、本意に違いありませんでした」

「ならば今すぐ東城に戻れ」

「しかし……! 無礼を承知ながら、申し上げてもよろしいでしょうか?」


 珍しく、姫が声を張り上げた。

 東城は飼い犬に手を噛まれたような面持ちで、姫を見つめる。


「しかしそれは、兄様や父上、東城の方が言わせたに過ぎません」

「……どういうことだ?」

「讃岐の家は、力を持たぬ庶民だと兄様は仰いました」

「あぁ、言ったな」

「東城の吐息一つで、どうとでもなる命だと」

「そこまで言った覚えはないが」

「子を捨てたというだけでも恥であるのに、その娘が東城を拒み庶民の家を選ぶなど言語道断。もし東城の意向に歯向かうのならそれなりの覚悟はしておけと」

「は? そんなこと、俺は」

「父上に、釘を刺されました」


 うつむいて肩を震わせる羽姫。

 東城は呆気に取られ、目を泳がせていた。


「まさか父上がそんな……待て、落胤問題は父上の所以であろう。全ての責は父にある、羽姫を嚇する権利などない」

「しかし、そう申されておりました。悪評はすぐに知れ渡る。その上、その娘が東城から逃げ出したとなればこれほど不名誉なことはない。わかっているな、と……私が初日、東城の屋敷に入った時に言われました」

「…………っ」


 初耳だったのだろう、言葉を失った東城が拳を強く握り締めた。


「ろくでもないな、君の家は」

  俺の言葉に、片方の手のひらで顔を覆った東城が深く嘆息する。



「然り」

 もう一度ため息を漏らす東城が、指の隙間から姫を見つめる。


「羽姫、なぜ俺に相談しなかった?」

「東城はそのような場所だと、諦めて……兄様も、同じ考えなのだと」

「お前には俺が鬼に見えるか?」

「いえ……最初は疑っていましたが今は、兄様は人間だと思っております」

「……我が身の情けないことこの上ない。とはいえ約束は約束、本日は東城に戻るぞ」

「え?」

「待て、東城、姫の本意を聞いたであろう? 無理に連れ戻すなど……」

「話を聞いていたか、帝。羽姫は昨晩、東城に戻ることを約束した、それを反故にすることは許さん」

「だからそれは……さも然り、そう確約したならば、本日は戻るべきだな。いや、待て、今連れ戻されるのは……」


 やはり俺はまだ月詠の人間なのだろう。

 公私の判別がわからず、どっち付かずな言動になってしまった。

 それを哀れに思った東城が、再びため息を漏らす。


「羽姫、一旦東城の屋敷に戻り、そこで考えろ。おまえの本意がどこにあるのか」

「私の本意、ですか?」

「東城の戒律は厳しいが、それは個人の同意の上に成り立っている。故に俺たち東城の人間は自らの一族に誇りを持ち、気高く居ることができる。その気がないお前が居ても迷惑、規律を乱すだけだ」

「私の、本意」

「俺としては、お前ほど貴族らしい娘はいない。匿い麗しく育てあげたいところだが、人の心は無理やり手に入れるものではない。自らで考え、それでも東城家を望むのならば俺はお前を受け入れよう。答えは自分で見つけ出せ」

「……感謝致します、兄様」


 ペコリと頭を下げる仕草がとても愛らしい。

 その可愛らしい姫が、顔を上げて俺に向き直った。


「帝様、私は……」

「返したくない、というのが俺の本音だ」


 ぎゅっと、姫の小さな手を握る。

 驚いた姫だが、俺の手を握り返してくれた。


「東城家から出てきた君は別人だった。脅迫されていたとはいえ、あれ程までに貴族に馴染むとは驚いた。君の本意は、東城の家に入りたいという思いもあるだろう?」

「……はい」


 迷いを見せた姫だが、最後には小さく頷いた。


「東城の屋敷は心地のよい場所でした。兄様や姉様たちとの会話も楽しく、お付きの方々はとても親切で……あ、いえ、讃岐の家が不便だったわけではありません」

「良い、わかっている」

「……でも、東城の屋敷に入ったとき、すっと胸の靄が取れた気がしたのです。此処が真に私の居場所だと、生まれるべき場所だったと」

「君は最初から庶民とは思えぬほど淑やかで、この世のものとは思えぬほど美しかった。東城に戻れば君は、もう二度と俺の元へ帰って来ない気がする」

「帝様……」

「いけないな、君の本意は君自身で選ぶものだ。俺がとやかく言うことは良くない」


 惜しみながらも手を離す。

 寂しそうな、複雑な表情の姫が俺を見上げていた。


「君が自分で選ぶといい。東城が言っていただろう、人の心は無理矢理手に入れるものではない。自らで考え、それでも戻って来てくれるのなら俺は、君を生涯、愛することを誓う」


 姫の目が色を変えた。

 綺麗な漆黒の瞳、その中に俺の姿が映る。


「行きましょう、姫」


 一段下がり、手を差し出すと、姫は俺の手を取って階段を降りた。

 ゆっくりと一歩一歩、俺を支えにしながら階段を降りる。

 先に進む東城が面倒臭そうにしていたが、無視をして姫の付添を続けた。



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