3話.夜武羽姫
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繭に噛みつかれた痕が消えず、絆創膏を貼って高校に向かった。
それ故に登校時間がいつもより遅れてしまった。といっても、始業の十分前には教室に着いたが。
自席に鞄を下ろすと、背後から乱暴に肩を掴まれた。
「帝! なんでこんな日に遅刻してんだよ!」
説教を飛ばすのはクラスメイトの讃岐絋介。俺の数少ない友人の一人だ。
「遅刻ではない」
「いつもより遅いだろ?」
「君は遅刻の定義を正に理解しているのか? 遅刻とは、定められた時刻に遅れて……」
「あー、ごめん! 遅刻の定義はいいから」
絋介は両手を振りながら俺の言葉を遮った。
説教が面倒だと思ったのだろう。良い気はしないが、始業時刻が迫っている今、無駄話は不要だとの意向は一致した。
「とにかく、今日は俺の知り合いが転校して来るって話しただろ?」
「あぁ、先ほど聞いた」
「先ほど?」
首を傾げる絋介の視線が俺の首筋に向いた。
不自然な位置に貼られた絆創膏。繭に処置を頼んだので、歯形が見えたのかもしれない。
絋介は瞬時にその痕の所以を理解したようで、居たたまれなさそうに顔を背けた。
「帝、その……絆創膏、ずれてる」
「あぁ、やはりか。噛み付かれた。流血はないが、歯型が残ってな」
「帝の彼女、吸血鬼なの?」
「吸血鬼でも彼女でもない」
「まぁ、そりゃそうだ……彼女じゃないの?」
「付き合っているわけではない」
「付き合ってないのに噛み付かれるって……金持ちの性生活にはついていけない」
「金持ち呼ばわりとは不躾な、貴族だと言っているだろう」
今世は身分と呼ばれる制度で人の価値が決まる。
頂点がお上様、この国を支配する神のような存在だ。その次が御三家と呼ばれる権力者一族、その下に上流中流下流貴族とピラミッド式に続く。
俺の属する月詠家は最上位貴族である御三家だが、階級関係なく生徒たちが入り混じるこの学校では身分など意味をなさない。
俺はただの月詠帝、ただの高校二年生としてここに座っている。
「帝はイケメンなんだから、ちゃんとすれば幸せになれると思うんだ」
「イケメンが幸せになれるとは限らないが。急に何の話だ?」
「俺は帝のこと好きだからさ、愛するただ一人の女性を見つけて幸せになって欲しいと思って。それより、転校生のことだけど」
コロコロと話題が変わるのは今に始まったことではない。
絋介とは入学以来の付き合いだ、いつもの様に彼の雑談に耳を傾ける。
「妹なんだ、俺の」
「君に妹がいるとは初耳だ」
「違う、義妹。叔父夫婦が拾った子なんだ。身内の俺が言うのもあれだけど絶世の美女、かなりの美人だ」
「ほぅ、美人か」
「信じてないだろ? 本当に可愛いんだよ。そりゃ、綺麗なお姉様方にお世話してもらってる帝は、美人なんて見慣れてるだろうけど」
「それはうちの家に仕える下女のことを言っているのか?」
「帝の家のお手伝いさんってみんな美人なんだろ?」
「ここで否と言えば、俺は世辞も言えぬつまらない男ということになると思うんだが?」
「あっ、先生来た。とにかく、可愛い子だから、期待してろよ!」
捨て台詞のように言い、絋介は自分の席に戻った。
「美人、か……」
絋介には悪いが、興味が湧かない。
女性に関心がないわけではないが、なにかが違うのだ。
日夜毎日俺に付きまとう繭だって、世間一般の感覚で言えば美人の類に入るだろう。
だけど違う、彼女じゃない。
胸の痞えが何かわからぬまま、顔を上げた。
担任教師の後に続いて教室に入る、小柄な女子生徒。
制服の上からでもわかる華奢な身体、触れただけで壊れてしまいそうな。
腰まで伸びる艶やかな黒髪がふわふわと揺れる。膝丈スカートの下は、雪を欺くような美脚。
可愛いと言うよりも、美しい。
「夜武羽姫と、申します」
声さえも可憐。
小鳥の囀り、鈴の音、どうやっても彼女の愛らしさは表現できないと思った。
一瞬、何かに囚われ……
気がつくと俺は、席を立って転校生の腕をつかんでいた。
「あ、申し訳ない」
不思議そうに首を傾げる少女の腕を、慌てて離す。
「腕、痛かったですよね……姫」
「ひめ?」
「あ、いや……すまない」
自分でもわけがわからない。なにをやっているのか、なにを言っているのか。
俺だけでなく、同級生や担任教師までも唖然と俺たちを見つめる。
しかし彼女だけは、俺に奇妙な目を向けることなくふわりと微笑んだ。
「姫、という漢字は名前に入っています」
ぺこりと頭を下げる仕草の可愛らしいことこの上ない。
身体を起こした彼女の瞳が、俺の姿を映した。
「夜武羽姫と申します、よろしくお願い致します」
「月詠帝と、申します……よろしく、お願いします」
言葉を交わした瞬間、胸中を得体の知れないものが支配した。
その正体を理解する前に担任教師が俺たちの間に入り、席に着くように促した。
後に聞く話によると、夜武羽姫は紘介の伯父夫婦が竹藪の中で見つけた拾い子だという。
あまりの美しさ、生い立ちにちなみ親族は彼女に通り名を与えた。
なよ竹のかぐや姫、と。




