28話.石島
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体育館に入ると、舞台袖からひょこっと人影が現れた。
「あ、月詠の……」
ぼそぼそと喋るそいつは絋介ではなく、石島だった。
恋人候補の一人で、天竺にある御石の鉢を持参するとの試練を与えられた男だった。
しばらく姿を消したのち、持ってきた物は明らかな偽物で、姫の顰蹙を買った。
こんなところで何をしているのかと思ったが、すぐに思い当たる節を見つけた。
彼が大伴の言っていた、演劇部員だ。
「君一人か? 他の部員たちは?」
「あ、いない……僕一人」
「一人で練習しているのか?」
「いや、部員は僕一人だけなんだ」
「……なるほど」
それは部として成立しているのか、一人で昼休みの体育館を占領する必要はあるのか。
など、様々な疑念はあったが、敢えて触れないでおいた。
「月詠くんはどうして……もしかして、大伴くんに言われて讃岐くんを連れ戻しにきた?」
「然り。それで、絋介はどこに?」
「そこのトイレの中にいる。だけど、無理に引っ張り出さなくていいよ?」
「何故?」
「体育館のトイレ使えないと困るからと大伴くんにお願いしたんだけど、よく考えたらトイレなら外にもあるし、困ることはなかったなぁ、と」
「他人に迷惑をかける前に気がつくべきだな、それは」
厠の絵が描かれた扉の前に立ち、手の甲で二回叩いた。
返事はないが、鍵のところが在室を示す赤表示になっているので、中にはいるのだろう。
「絋介、いるのだろう?」
やはり返事はない。
「反応だけでもしてくれないか? 俺はそこに居るのは君だと思って話をしているが、別の者だったら赤恥だ。そこにいる君は絋介か?」
沈黙ののち、コンッと内側からドアが叩かれた。
「そうか、よかった」
横目で舞台上を確認すると、石島が踊り狂っていた。
こちらの話は聞こえてないだろう、聞かれたとしても構わないが。
扉に向き直り、軽く呼吸する。
「先程、姫と会った。君の言う通り別人のように冷たかったが、どうあろうともあれは姫だ。俺は彼女ときちんと話がしたい。
欲を言えばこれからも言葉を交わし、ともに笑い合いたい。今後の姫の行動予定は聞いたか? 讃岐家に戻って昼食をとるそうだが、君は行かなくていいのか?」
シンと静まり返った扉の向こう。
石島の息遣いが体育館に響き渡り、妙な気分になった。
「無駄だよ」
聞こえてきた声に、俺は思わず目を見開く。
「羽姫はもう、帰ってこない」
声の主は確かに絋介だが、俺の知っている彼の声ではない。
絋介はもっと柔らかい、ふざけた喋り方をするのに、扉の向こうにいる声はとても冷たい。
「見たならわかるだろ? 羽姫は見下してるんだ、俺たち庶民を。やっぱりご飯食べることにする? なんで?
汚い食事はしないって言ったんだよ、あいつ。庶民とは食卓を囲めないって。それなのになんで、戻るとか」
「……自惚れかもしれないが、俺と話をした故かもしれない」
「帝と話をしたせい? なんで?」
「たしかに姫は冷たかった。表情も声もなにもかも別人で……でも最後、車に乗り込んだあと、一瞬だけ目があったんだ。
その時の姫の瞳は、以前と同じ色をしていた」
「なに言ってんだよ、意味わかんないんだけど」
「約束を思い出してくれたのかもしれない。文を、姫に歌を届けます、その言葉に姫は反応した。
俺の言葉が張り詰めていた姫の心を溶かし、人としての心を取り戻して、讃岐の家にもう一度立ち寄ろうと……」
「なんだそれ。自意識過剰だろ、なんで帝の一言で……帝の言葉で、羽姫の気持ちが揺らいだ?」
「自惚れかもしれないと言っただろう」
「羽姫は帝のことを一番に慕っていた。俺や叔父さんたちよりも……帝なら羽姫の本意を変えれる……取り戻すことができる?」
「わからない、しかし努力はする」
「帝……俺は、羽姫に讃岐の家にいて欲しい訳じゃないんだ。羽姫が幸せなら何処だろうと好きな場所に行けばいい。
だけど二度と会えないというのは、違う気がして」
「同意する。東城の戒律は俺もどうかと思う」
「何より羽姫が……あんな顔して欲しくない、笑って欲しいんだ。東城の娘となった羽姫が、幸せになるとは思えない」
「そこまで理解していて、なぜ君はそこにいる? 閉じこもっていても、世界は変わらないだろう?」
出てこい、絋介。
そう呼びかけるより早く、扉が開いた。
「久方ぶりな気がするな」
俺の言葉に、憔悴し切った顔の絋介がふっと微笑した。
目元は赤く腫れている。
「昨日会っただろ?」
「そうだな。様々なことが目まぐるし過ぎて、時間の感覚がおかしくなっているようだ」
「俺も。今何時?」
「十二時を超えたところだな」
「今から帰っても、昼ごはんには間に合わないな」
項垂れる絋介の腕を引っ張り、外に連れ出した。
長らく座っていた故か絋介の足元がふらついたが、すぐに自分の足で立ち上がって歩みを進めた。
「飯など食っている場合ではない。すぐに姫を取り戻す算段をするぞ」
「えっ? 帝、なにも考えてないの? 無策で俺のこと迎えに来たの?」
「いろいろあったものでな、俺も」
体育館を出ようとフロアを歩いていた時、熱い視線を感じて振り返った。
その先に、舞台上から俺たちを見下ろす石島の姿。
「感動したよ、月詠くん、讃岐くん」
気のせいではない、彼の目はキラキラと輝いていた。
「まるで寸劇、傷ついて飛べなくなり籠の中に囚われた引きこもりの友人に手を差し伸べて外の世界へ連れ出す、大空へ舞い上がる盛大な会話だったよ」
「すまない、石島。君の言葉は隠喩を多用し過ぎて何がなんだかわからない」
「簡潔に言うと、友情って素晴らしいね!」
「……そうか」
両手を胸の前で結び、目を輝かせる石島。
絋介はわけがわからなそうな顔で、石島と俺を交互に見つめていた。
「僕、脚本も書いてるんだけど、次の劇に今の君たちの台詞入れていいかな?」
「断る」
「あ、待ってよ、月詠くん」
待てと言われて歩みを止めるほどの優しさは持ち合わせていない。
出口の扉に手をかけたとき、舞台上から石島が大声を張り上げた。
「良いものを見せてくれてありがとう!」
礼を言われる筋合いはないし、見せ物ではない。
「お節介かもしれないが、君はまず部員を増やせ。寸劇をやろうにも、一人ではどうしようもないだろう」
出口から舞台までは五十メートル程あって遠いので、自然と声が大きくなってしまった。
俺の言葉に感極まったのか、石島は涙を流し座り込んだ。
面倒になる前にとさっさと体育館を去り、渡り廊下を歩いているとき、絋介が耳元で囁いた。
「なぁ、帝。さっきの誰だっけ?」
俺の周りには、阿呆か変人しか居ないらしい。




