25話.返歌
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校舎の屋上は出入り自由で、昼間は鍵も開いていた。
飛び降りする奴はいないだろうが、落ちてしまう阿呆が出ないようにと、二メートルの高いフェンスで覆われている。
「振られちゃいましたね」
フェンスの網に手をかけ、繭が空を眺める。
「失恋って苦しいでしょう?」
振り返った繭の顔は、微笑んではいるが寂しそうだった。
「苦しいという段階までいっていないな。敢えて表現するなら、わけがわからない」
「そうですね。最初から相手にされていなかったのならまだしも、一度は親しい仲になった人から拒絶されるのは、わけがわかりませんね」
「君は、苦しかったか?」
「悔しかったです。容姿や家柄に恵まれた分、余計に。
先輩の言う通り、私は選ぶほうの人間です。数多の男が私の上等さを語り、求愛してきました。それなのにどうして先輩は、私の好きな人は私のことを必要としていないのだろう、って」
「届かぬ愛は儚い物だ。両想いとは正に、奇跡のようなものなのだな」
「そうです、奇跡です」
繭が足を踏み出し、俺に歩みよる。
ゆっくりと、目をそらさずに見つめあったまま。
手を伸ばしたら触れそうな距離まできたとき、立ち止まった繭が俺の顔を見上げた。
「構わないと思っていたんです。先輩の寵愛が手に入らずとも、側に居るだけで。
乙女心は秋の空、恋や愛なんて一時の幻、永遠に続くはずがない。先輩は誰も選ばない、ふらっと別の女と遊びふらっと私の元へ帰ってくる。
それで良かったのに。貴方はもう、一人の女しか愛さないという」
「ただ一人を見つめる楽しさを、知ってしまったからな」
「浮気をすれば彼女が悲しむから、と言わないところが先輩らしいですよね。自身の為すことを他人の所為にしない。そんな先輩が、私は本当に愛おしい」
頬に触れようとする繭の手を、顔を背けることでかわした。
繭は微笑み、手を引き戻す。
「両想いは奇跡だと、先輩言いましたよね?」
「そうだな」
「気付いていますか? 貴方はその奇跡を起こしていたんですよ?」
繭は後ろに隠していた左手を、俺の胸に押し付けた。
彼女の手には、紙の束が無造作に握られている。
白紙ではない、花の絵が描かれた便箋に筆で書いた文字の跡。
「それは……」
「部屋を漁ったことは謝ります」
うつむく繭が、手の力を強くする。
それは俺の自室、机の中にあるはずの姫から贈られた歌が書かれた文だった。
色とりどりの可愛らしい便箋に、女性らしい丸い文字。
「もう一つ白状すると、これ全て読みました」
「読み……読んだ? これを?」
「すみません」
「いや……え? ……えぇっ?」
情けない声が漏れてしまった。
恥ずかしいやらなにやら。
いや、それよりも姫に申し訳ない。
「君は本当にどうしようもないな……」
「自分でも呆れています。そして後悔しています」
「後悔?」
「先輩は、奇跡を起こしていたんですよ?」
顔を上げた繭の瞳には、涙が滲んでいた。
「私にはこんな、大好きって気持ちが溢れるような歌は詠めない。
一文字一文字丁寧に、受け取る相手のことを考えた美しい文字も、歌に合わせた色の便箋も花の装飾も。私には決して真似できない。
あの人は本当に、先輩のことが好きだったんだって思い知りました。私じゃ到底、敵わない」
繭の手は震えていた。
手のひらを重ねようと思ったが、俺自身の手も震えていたが為に叶わなかった。
「文をやり取りをしていたのは一週間以上前のことだ。今の姫は俺に対する恋情など……」
「無いわけないでしょう。こんな歌を贈る人が、そんなに簡単に先輩を忘れるわけがない」
「しかし見ていただろう。姫はもう俺のことなど……」
「情けないこと言わないでください!」
バシッ、と盛大な音が響いた。
何事かと正面に向き直り、頬を叩かれたのだと気がついた。
衝動で横を向いてしまうほど、痛みが残るほど強く、繭が俺の頬を引っ叩いた。
「貴方は月詠の帝様でしょう?
傲慢知己で誰よりも気位が高く、頼んでもいないのに誰かを助けに行ってしまうお人好しで、それ故に知らぬうちにたくさんの人に慕われて。なにを悩んでいるのですか?
他人の目なんて気にせず正義を貫く、自分勝手が先輩でしょう? 女一人に振られたくらいでそんな顔しないで、そもそも振られないでください!
私の好きな人が、振られて泣いているなんてあり得ない!」
捲し立てて喋る繭が、両手で俺の胸を叩いた。
「先輩は、帝様はこの世の誰よりも気高く、格好いい男です。そうじゃないと許しません」
その拍子で、繭の手にあった便箋の束が風に流されて宙を舞った。
空に舞う文の束、綴られたたくさんの歌。
姫の気持ちが、大好きという気持ちが溢れた……
「文を……」
あぁ、そうだ。
約束を交わしたではないか。
まだ終わっていない、物語は未だ。
竹取物語のその後、彼らが転生した物語には続きがある。
連れ去られた姫を取り返しに、今度は離さない。
共に、桜を見ようと。
時代を超えて何度も生まれ変わり、姫に出会った。
月を眺めては願ったその先の未来。
あの日言えなかった、言葉を。
「君に、返歌を」
手を伸ばすと一枚の便箋が触れ、指で掴んだ。
それは姫が最後に詠んだ歌だった。
薬と共に、俺に贈ってくれた歌。
姫が泣いた、寂しと。
そう言った気がした。
いや、言っていた……訴えていたのだ、俺に。
文を認める程に、恋焦がれてくれていた。
天の羽衣はその者の心を変える、姫は変わったのだ。自らの意思とは別に。
その、本意とは……?
「ありがとう、繭」
便箋を握りしめ、俺は顔を上げた。
つられて繭も、俺を見上げる。
「悪いが俺は、いかなければならない」
「……私を残し、去ることへの罪悪感は?」
「ないに等しい。俺はどうやら、一つのことにしか興味を示さないらしい」
「優しくないですね、先輩は」
「正に。俺は君にとって、最悪の男だ」
「知っています」
「ありがとう、繭。勝手を言えば、君が真に優しい男と、出会えますように」
「それ、自分が振った女にいう台詞じゃないですよ。本当、自分勝手なんだから」
くすくすと繭が笑うので、俺も顔を綻ばせた。
「勝手ついでに、もう一つ頼まれてくれるか?」
「なんですか?」
「床に落ちた文を、拾い集めておいてくれないか?」
俺の言葉に繭は目を丸くし、やがて腹を抱えて笑った。
「私を使うなんて、高くつきますよ?」
「今度、クッキーの作り方を教えてやろう」
「……楽しみにしています」
一笑した繭が、俺の背中を押した。
「こちらこそ、ありがとうございました」
空に響き渡る様な、
澄んだ繭の声に押され、俺は屋上を後にした。




